◆第二話『ジュラル島に到着!』
「ありがと。帰り気をつけてね」
「おう、嬢ちゃんも頑張れよ」
桟橋から手を振って船頭を見送る。
退屈せずに船旅を終えられたのは彼のおかげだ。
ぶんぶんと勢いよく振って感謝の気持ちを伝えた。
「さて、と。ここからどうするんだろ」
そうひとり呟きながら振り返る。
青い海から白い砂浜に切り替わり、森林地帯。
と、こちらに歩いてくる1人の少女が映り込んだ。
年頃は同じぐらいだろうか。
落ちついた雰囲気の給仕服で身を包んでいる。
ただ、なにより目につくのは猫を思わせる耳と尻尾だ。
純粋な人間とは違う。
とはいえ、ほかはなにも変わらない。
怖さはないどころか、むしろ愛らしいぐらいだ。
額をあらわにする髪留めや小柄な体格も相まってなおさらだ。
彼女はとてとてと急ぎ足で桟橋まで来た。
こわばりつつ、笑みを向けてくる。
「よ、ようこそ、ジュラル島へ」
「えっと、あなたは……?」
「シャオです。なんでも屋──じゃなくて案内人を務めていますっ」
「たしか神の使いだっけ」
ジュラル島と五つの塔を創った神。
その使いが島にいるという話は聞いていた。
「はい、ミルマです。挑戦者の皆さんを支援するのがお仕事です」
「わたしはニニ・ラントール。よろしくね、シャオ」
「はい、よろしくですっ」
握手を交わしながら、シャオの耳と尻尾をじっと見る。
昔から小動物を愛でるのが大好きだった。
そのせいか、シャオにも同じように接したくて仕方なかった。
「早速だけど、その耳と尻尾、触らせてもらえない?」
「え、それはちょっと……」
怯えたように半歩下がるシャオ。
どうやら怖がらせてしまったらしい。
「そっかー、そうだよね。ごめんね、いきなり変なこと言っちゃって」
「あ、でもでも。す、少しだけなら……いいです、よ?」
「ほんとにっ!?」
「本当に少しだけですから、ね?」
「うん、わかってるわかってるっ」
本気で嫌がることをするつもりはない。
つんつん、と指先で恐る恐る耳を突いてみる。
とても柔らかいようで先端でもちくちくしない。
今度は指の腹で撫でてみる。と、あまりの滑らかな毛並みに思わずぞくぞくしてしまった。これまで触ったどんな小動物の毛よりも気持ちいい感触だ。
もっと触っていたい。
そんな衝動が最高潮に達した、瞬間。
シャオが飛び退くように離れてしまった。
「も、もう終わりですっ」
「えー、もう少しだけ。ね、ダメ?」
「だめですっ! そ、それよりちゃんと案内しないとシャオが怒られてしまいますっ」
気づけばシャオの顔は真っ赤だった。
恥ずかしいのを我慢してくれていたようだ。
「そっかー。残念。でも、ありがとね、シャオちゃん」
「い、いえ。お礼を言われるようなことでは」
「じゃ、また気が向いたら触らせてくれる?」
「そ、それはまた別の話ですっ」
耳を守るように両手を頭に置くシャオ。
そんな愛らしいしぐさばかり目につく彼女だが、ただ話しているだけでも楽しい。まだ出会って間もないが、仲良くできそうだ。
◆◆◆◆◆
──まずは中央広場に行きましょう。
そう言われて連れられるがまま森林地帯に入った。
道すがら塔のことやほかの挑戦者のことを大雑把ではあるが、説明してもらった。島の外でも噂で耳にしたことや初めて聞くこともあったりで新鮮だった。
説明を聞き終えたのち、改めて塔の1つを見つめる。
「それにしても本当に大きいよねー。雲も貫いちゃって先も見えないや」
「少し前までは天辺もよく見えていたんですけどね」
「制覇した人がもっと高くするようお願いしたって聞いたけど、あれ本当なの?」
「はい、本当です。現在は200階が頂となっています」
「物好きな人だねー」
塔を制覇すれば叶えてもらえる願い。
多くの人は富や不老不死を願いそうなものだが、どうやら制覇者は違ったらしい。とはいえ、その気持ちはわからないでもない。なぜなら自分が制覇してもきっと同じような願いをしていたからだ。
「さ、着きました。ここが中央広場です」
森林地帯を抜けるなり、シャオが体を横に開いた。
その先に映る光景を見た瞬間、ニニは思わず感嘆の声をもらしてしまった。
大きな噴水を囲むように敷かれた石畳の道。
それに沿う形で整然と並ぶ様々な形の建物。
加えて、そこかしこを歩く多くの人やミルマ。
まるで大都市の繁華街をくり抜いたような光景だ。
「もっと廃れた感じを想像してたけど……すごい賑やか!」
「最近、訪れる方が増えてますからね」
「なんだか観光地みたいっ」
「あはは……実際、そんな気持ちで来る方もいたりします。ではでは中央広場を案内していきますね」
「あ、待って!」
呆けていたら置いていかれそうになってしまった。
慌てて追いついて隣を歩きはじめる。が、あまりに目新しいものばかりで、シャオが説明してくれている間も辺りを見回しながら歩いてしまう。
「この中央広場では生活必需品だけでなく、戦闘で必要なものも揃えることが出来ます。もちろん飲食店もたくさんありますっ」
「みたいね。見える範囲でも酒場が三軒……」
「塔から帰ったあとに飲まれる方が多いですからね。とくにあそこのお店はいつも賑わっています」
「えーっと、なになに……ぶたのおおわめき亭……なんか独特な名前のお店だね」
「入るには特別な儀式を乗り越えなければなりません。ちなみにシャオは無理でした」
「……うん、わたしには縁のなさそうなお店かな」
名前からしてきっといかがわしい儀式に違いない。
あの店は見なかったことにしよう。
そう思いながら酒場を視線から外したときだった。
「こんにちは、シャオ。そちらは……新人の方ですか?」
横合いから聞こえてきた落ちついた声。
誘われるがまま向いた瞬間、思わず言葉を失ってしまった。
後ろで1つに結われた青みがかった長い髪。
離れていてもはっきりとわかるほど長い睫毛。
男に負けないほどの高い背丈にすらりとした手足。
そして雪のように透き通った白い肌。
これまですれ違ったミルマは誰もが整った容姿をしていた。
だが、目の前のミルマはその中でも飛び抜けて綺麗だ。
それこそ同性でも見惚れてしまうほどだ。
「こんにちはですっ。はい、来られたばかりのニニさんです。えっと、ニニさん。こちらはアイリスさん」
「え、えと……よろしく」
「はい。こちらこそよろしくお願いします、ニニさん」
淑やかに微笑みながら迎えてくれた。
まさしく理想の大人の女性といった感じだ。
それに漂ってくる甘い香気のせいか。
ただ握手をするだけでもなんだかくらくらしてしまった。
だめだ、とニニは意識をそらさんとぶんぶんと頭を振る。
「その、アイリスさんも案内人……だったり?」
「いえ、違いますよ。わたしはそこのお店……《スカトリーゴ》の店員です」
「アイリスさんは看板娘さんで、挑戦者の方々にとても人気があるんです」
「だろうね。こんなに綺麗なんだし」
「はい。ミルマで1番の美人さんですっ」
「もう……2人して。おだててもなにも出ませんよ」
シャオと揃って褒めたからか。
アイリスがわずかに困った顔をしながらくすりと笑った。
少し話しただけでも人の良さが感じられる。
本当に根っから優しい人なのだろう。
そう思った矢先のことだった。
「あ、でも怒らせると1番怖いのもアイリスさんらしいです。シャオは怒られたことがないのでわからないのですが、以前にある挑戦者の方が言っていました」
いきなりシャオがそんなことを言い出した。
「シャオ、そのある挑戦者とは誰のことですか?」
優しい声音で疑問を口にするアイリス。
その顔には笑みが張りついたままだ。
ただ、どこか表面的に見えて仕方なかった。
そんなアイリスの変化に気づいていないのか、シャオが首を傾げながら素直に答える。
「へ、レオさんですが」
「そうですか。教えてくれてありがとうございます。お礼に今度クルナッツをプレゼントしますね」
「本当ですかっ!? やったです、やっぱりアイリスさんは優しいですっ」
ぴょんぴょんと跳んで喜ぶシャオ。
たしかにアイリスの根は優しいのだろう。
だが、敵対者にはとことん牙を剥くタチだ。
今後は注意して付き合っていくことにしよう。
そんなこちらの警戒を察したか、あるいは偶然か。
アイリスが再び柔らかな笑みを向けてきた。
「ニニさん、また時間があるときにでもお店にいらしてください。といっても夜のほうは価格的に新人の方にはまだきついかもしれませんが」
「うん。頑張ってお金貯めて行くね。夜のほうも。美味しいものは大好きだからっ」
「はい、お待ちしています。では、わたしはそろそろ準備があるので」
簡単に別れを告げて去っていくアイリス。
本当に後ろ姿だけでも絵になるミルマだ。
「それじゃ、残りの場所も案内していきますねっ」
その後もシャオ案内のもと、中央広場の隅々まで見て回った。
武器や防具の交換石やクエスト等、覚えないといけないことがたくさんある。正直に言って大変だけれど、その分だけ楽しみな気持ちも膨らんでいった。
◆◆◆◆◆
「ここがブランの止まり木……」
シャオによる案内も終わり陽が暮れだした頃。
ニニは中央広場から少し外れた道に1人立っていた。
細い路地を通って少し進んだ先に扉がある。
外観は見るからにボロ屋といった印象だ。
──本当にここで間違いないのかな。
そんなことを思いながら半信半疑で扉を開けた。
「あの~、シャオちゃんの紹介で来たんだけど……」
中は薄暗かった。
ただ、外観ほど古臭い感じはなかった。
埃臭くもないしカビ臭くもない。
所々木の色が違うし、部分的に改装したのがわかる造りだ。
「はい、合ってますよ」
そう応じたのは居間の奥──。
受付らしい場所に座るミルマだ。
切りそろえられた前髪に憂いを帯びた目。
小柄な体型もあってまるで人形のような可憐な印象だ。
彼女は本を手にしながら目だけをこちらへ向けている。
「ってことはあなたがブランさん?」
「いえ、違います。わたしの名前はクゥリです。ブランはここの先代ですね」
「あ、そうなんだ。ごめんね。名前がついてたからそうなのかと思って」
「気にしないでください。よくあることなので」
見たところ歳はシャオと同じぐらいだろうか。
ただ、溌溂とした彼女と違って大人しいようだ。
受付のミルマ──クゥリが本を閉じたのち、訊いてくる。
「それで、ここに泊まるということでいいのですね?」
「うん、お願いします。その~……安いって聞いて……」
「その分、食事や部屋の質も相応なので過度な期待をしないで頂ければ幸いです」
「あ、それは大丈夫。わたし、床でも寝たり出来ちゃうから」
「そうですか。では、部屋に案内しますね」
本を置いたのち、クゥリは受付から出てきた。
そのまま隅の急な階段を静かに上がっていく。
「あ、うん」
ニニは慌ててクゥリのあとを追いかける。
なんだかとっつきにくい相手だ。
とはいえ、初対面だとこんなものかもしれない。
よくよく考えてみれば、あれだけ人懐っこいシャオのほうが珍しかったのだ。そんなことを考えているうち、部屋に辿りついたらしい。
「最近、新人の方が立て続けに来られたので、ここしか空いていません」
「大丈夫。さっきも言ったけど寝られればいいから」
案内された部屋は2階の中央付近だ。
できれば角部屋がよかったけれど、贅沢は言っていられない。
ちなみに部屋の中は想像通り狭かった。
寝台と机で占領されて空間はほとんどない。
ただ、寝泊まりするにはなにも問題ない。
むしろ充分すぎるぐらいだ。
「では本日からここに宿泊されるということでよろしいですね」
「うん、よろしくお願いします」
「朝と夜のみ、食事を作ります。各々好きな時間に食べてください」
「りょーかい」
「あとそれからもう1つ、忠告があります」
なにやらクゥリが改まった様子で補足した。
「この宿、恋人が出来やすいという噂があったりしますが、完全に嘘なので信じないでください。いたって普通の宿です」
「そ、そんな噂があったんだ。来たばかりだから知らなかったよ」
「はい。とても迷惑な話です。本当に、すべてあの人のせいです……っ」
「あの人って?」
「すみません、こちらの話です」
怒っているというより呆れているといった様子だ。
このクゥリの感情を動かす〝あの人〟とはいったいどんな人なのか。気になるところだが、訊く暇もなく「では、ごゆっくり」と扉が閉められてしまった。
と思いきや、まだ扉が開けられた。
クゥリが覗き込むような格好で話しはじめる。
「……言い忘れましたが、なにか困ったことがあったら言ってください。可能なら対応しますので」
言い終えるなり、ぱたりと扉が閉められた。
どうやら思ったより優しい子のようだ。
閉まった扉を見ながら思わずくすりと笑ってしまった。
そのまま寝台に座り込み、ばたんと勢いよく体を倒す。
ジュラル島に来てからもう初めての経験ばかりだ。
正直、わからないことはたくさんある。
だが、不思議と不安はなかった。
それ以上にわくわくとどきときで胸が一杯だからだ。
抑えきれない気持ちをすぐにでも発散したい。
その一心でニニは右拳を天井に向かって突き上げた。
「よーし、明日から頑張るぞーっ!」





