◆第六話『白の頂にて』
階段を上がるたびにかつかつと響く音。
以前はこの音を聞くたびに昂揚感も増したものだ。
しかし、今回は違う。
なぜという想いが胸中を占めていた。
アッシュは階段の終わりにあわせて視線を上げた。
映り込んだのは、かつて死闘を繰り広げた舞台。
白の塔100階のだだっ広い空間だ。
「……どういうことか説明してもらってもいいか?」
中央には以前と同じようにアイリスが佇んでいた。
ドレスのごとく白い戦闘衣に身を包んでいる。あのときとまるで同じだ。彼女は後ろで1つに結んだ髪を揺らしながら、こちらに向き直る。
「わたしがアイティエル様にお願いしたのです」
「塔を延ばしたり戻したりと神様も大変だな」
そんな軽口を言って肩を竦めてみせる。
だが、舞台に流れる空気は緊張を孕んだままだ。
アッシュは半ば無意識に剣の柄尻へと手を置いた。
「再戦か? いいぜ。ここに呼び出された時点でその可能性は俺も考えてた。だから準備は万端だ」
声をかけられたのは昨夜。
特別クエストの打ち上げが終わってからだ。
可能な限り体は整えたし、なにも支障はない。
全力で闘える。
「そう……ですね。ある意味ではそうかもしれません」
アイリスは少し目をそらすと、そう呟いた。
そんな彼女の態度でようやくはっとなった。
以前、戦闘前に感じた独特の威圧がまったくなかったのだ。おそらく彼女に闘う意志はない。いや、正確には刃を交えるつもりがないと言うべきか。
「どういうことか説明してくれるか?」
アッシュは剣から手を放しながら問いかけた。
返答はすぐには得られなかった。
強めの風が流れる音ばかりが耳をついている。
ただ不思議と気持ちが急くことはなかった。
アイリスの気持ちが手に取るように感じられたからだ。苦し気に顔を歪めながら、胸に当てた手を強く握りしめている。
「私は……自分のことをなにもわかっていませんでした……っ」
やがて紡がれた震えた声。
それを機にアイリスが顔を上げた。こちらを真っ直ぐに見据えてくると、まるですべての空に届くかのように声を張り上げた。
「アッシュ・ブレイブ! どうやら私は……あなたに好意を寄せているようなのです……っ!」
必至な顔に、上擦った声。
その様子からも彼女が相当な決意を抱いていることが伝わってきた。だが、あまりにも予想だにしないもので呆気にとられてしまった。思わず「は?」と声に出してしまう。
しまったと思ったときには遅かった。
アイリスがくしゃりと顔を歪めてしまった。いまにも泣き出しそうな様子だ。ただ、沈んだ気持ちを振り払うかのように彼女は両手に拳を作ると、訥々と話しはじめた。
「あ、あなたが戸惑う気持ちはわかります……なにしろ、わたしはこれまであなたにはひどいことばかりしてきましたから……っ」
ひどいかどうかはべつとして、理不尽な扱いは幾度も受けてきた。ほかの者に比べて明らかに対応が悪いのだ。ただ、それも〝アイティエルに目をかけられている〟ことが理由だとわかってからは可愛いものだと思えるようになったが……。
いずれにせよ、これまでの経験から好意を抱かれていると思える要因がまるでなかったのは間違いない。
「ですが、それでもこれからはあなたを好いている彼女たちと同じようにわたしを見て頂けませんか……っ」
切実な願いと熱をもって告げられた言葉。
偽りのないことがひしひしと伝わってくる。
「なにかの冗談とか……じゃないよな?」
「あなたは、わたしが冗談でここまですると思いますか」
「さすがにないな」
失礼だとは思っていながら言葉にせずにはいられなかった。それほどまでに戸惑いの気持ちが胸中を駆け巡っていた。髪をかきながら「調子が狂うな」と口にしてしまう。アイリスとこんな色恋の話をすることになるとは思っていなかっただけに余計にだ。
「わたし自身、不思議なのです。どうしてあなたを、と。ですが、気づいたときにはどうしようもなく気持ちが大きくなっていたのです」
アイリスが両手を自身の胸にそっと置いた。
そこに芽生えた感情をたしかめるようにぎゅっと握りしめる。
「アイティエル様の恩寵を受けていることへの嫉妬から始まり……アイティエル様を救って頂いたあの日。そしてそれからもずっとあなたを見ているうちに……」
まるで気持ちを整理するように胸の内を吐露していくアイリス。その目からは強い意志のほかに怯えを多く感じられた。
生半可な気持ちで応じるわけにはいかない。
アッシュは静かに深呼吸をしながら、
「昨日、俺はずっと待ってくれていたあいつらに伝えた。いまも俺のことを想ってくれているのなら、これからは仲間ってだけじゃなく、1歩進んだ関係になってくれってな」
濁しはしたが、正確には恋人関係──。
果ては夫婦になることも視野に入れたものだ。
遠回りをしたような気もするが、自分らしいとも思っている。なにしろ1番やりたいことが塔を昇ることだったからだ。ただ、これからは彼女たちとの関係を進めることも、〝1番やりたいこと〟と同じにする。そう決めた。
こちらの報告を聞いてか、アイリスが寂しげな目を向けてくる。
「やはり、わたしには同じことを言って頂けないのでしょうか……」
「正直に言って困惑する気持ちが大きい。やっぱあまりにもいきなりすぎてな」
そう伝えた途端、アイリスがわずかに目を見開いた。
俯いたのち、感情をこらえるように体を震わせはじめる。
好意を抱かれるどころか嫌われていると感じていた相手だから余計にそう思ってしまう。とはいえ、それは〝アイリスから向けられた感情〟を推測したものであって、こちらの感情ではない。アッシュは「ただ」と付け足して続ける。
「アイリスはもう、その……昔と違ってとっつきやすいっつうか話しやすいっつうか。少し前に話したとおり俺の中でも大切な一部だ」
さりげなく助言をしてくれたり妹分のウルの世話を焼いたりと彼女の優しさは垣間見えていた。そんな彼女の優しさを知っていたからこそ、いまの──昔よりも良好な関係があることは間違いなかった。
「それに最近のアイリスはやけにしおらしいっつうか、まあ、可愛げがあったからな。異性として意識したことは少なくない」
そう伝えた瞬間、アイリスががばっと顔を上げた。
信じられないといったように必至な目を向けてくる。
「もう1度……もう1度だけ言っていただけますか……っ!?」
「ん? 最近のアイリスはしおらしい──」
「そ、そこではありませんっ」
しおらしいという発言を撤回したいほど凄まじい剣幕だった。こちらが目を瞬かせていたからか、アイリスがはっとなった。恥ずかしそうに目線を下向けたのち、とても穏やかな笑みを浮かべた。
「可愛い、と……どうやらわたしはあなたにそう言ってもらうことがとても嬉しいと感じるようです……」
アイリスにはずっと不愛想な面ばかりを見せられてきた。だからこその、この破壊力だった。昔との差異がよりいまの彼女の〝可愛らしさ〟を引き立てている。意識するなというほうが無理があった。
「やっぱ調子が狂うな」
息を吐きながら、そうこぼした。
いい意味で言ったつもりだったが、どうやら勘違いさせてしまったらしい。アイリスが悲し気な表情で目を伏せていた。
「……やはりわたしに好意を抱かれることは迷惑ですよね」
「いや、そんなことは言ってない。むしろ嬉しいと感じてるぐらいだ。ただ、これまでと違いすぎるから受け入れるのに少し時間がかかるってだけだ」
「あの、それはつまり……」
言葉にしたとおりすぐにとはいかない。
それでも真剣に、前向きに考えるつもりだ。
アイリスがぽかんと呆気にとられる中、軽口交じりに話を再開する。
「島じゃ俺の評価は散々だぞ。色情魔とか言われてるしな」
「構いません。というより、そんなことは承知の上です」
「承知の上ってな。少しぐらい否定して──」
「わ、わたしは……っ」
アイリスが半ば叫ぶよう声で遮ってきた。
続けて、舞台のすべてに届かせるかのように大きな声で宣言する。
「あなたのことが──アッシュ・ブレイブのことが好きなのです……! どうしようもなく、好きなのです……っ!」
これまで女性に気持ちを告げてもらったことは幾度もあった。だが、ここまで辛そうで苦し気に告げられたものはなかった。
ずっと敵意を向けてきた相手に好意を伝えることに、どれだけの勇気が必要だっただろうか。どれほどの葛藤があっただろうか。経験のない自分にはまるでわからない。ただ、彼女の想いの強さだけは、しかとこの胸に届いた。
「ああ、さっきも聞いた」
「……もう1度、しっかりと伝えたかったのです。わたしの気持ちを……っ」
アイリスがここまでしてくれたのだ。
こちらもはっきりと答えないわけにはいかない。
「あいつらのこともあるし、近々ログハウスを増築するつもりなんだが……アイリスもよければ来ないか? いや──」
言い終えてから違うと思った。
アッシュは微笑みながら言い換えた。
「来てくれたら俺も嬉しい」
塔を昇ることばかりを考えてきた日々。
そこから環境が大きく変わる決断をした。
これからどうなるかはまったく予想がつかない。
ただ、想像していた以上にずっと賑やかで、幸せな日々が待っていることは間違いない。陽光が燦々と降り注ぐ中、向けられた愛らしい笑みがそう確信を抱かせてくれた。
「……はいっ!」





