◆第八話『塔攻略は順調なれど』
「まあ、そんなことがあって昨日から青の塔に篭ってるんだ。今日は27階から29階をずっと周回してた。何度、飛び下りたか覚えてないぐらいな」
アッシュはつらつらと喋ったあと、炙り肉を口内に放り込んだ。
いまは夜の《スカトリーゴ》で食事中だった。
対面には、すまし顔で食事をするひとりの女性――ラピスが座っている。
今日の塔からの帰り際、偶然出逢ったのだが、以前に約束した《スカトリーゴ》で奢る約束を視線で催促されたのだ。
金欠気味なこともあって断りたいのは山々だったが、こちらは《聖石の粉》の件でも世話になっている身。断れるわけがなかった。
アッシュはエールをぐいと飲んで口内の肉汁を喉に流し込んだ。
「でも、ちょっとやりすぎだよな。魔石全部はめるってのは」
「いいえ、その子が正しい」
ラピスは手にしていたフォークを置くと、鋭い目を向けてきた。
「あなたはサラマンダーを舐めすぎ」
「もしかして戦ったことあるのか?」
「ええ。でも途中で撤退したわ」
「そこまでか」
「……いまならやれると思うけど」
悔しげにそう零した辺り、ラピスも相当な負けず嫌いのようだ。
「そもそもおかしいと思わないの? あれだけ目立つ場所にいて、手を出す人がいないことに」
「そういや、そうだよな」
試練の間は一度しか攻略できない。だが、ほかの階ならたとえ攻略済みであれ何度でも行き来できる。つまり上層の挑戦者でも格下のレア種を狩れるわけだ。それでも残っているということは……。
「割りに合わないか、旨味がないか」
「割りに合わないほう」
ラピスはそう答えて話を継ぐ。
「小型、中型、大型とレア種にも違いがあるの。そう単純ではないけど、基本的には小型が弱くて、大型が強いって認識でいいと思う」
「もしかしてサラマンダーは大型なのか?」
「違う、中型。けど中型でも相当しぶといし強いから」
これまでのレア種はたいして苦戦することなく倒せた。
だが、それはレア種の中でも弱い部類だったからというわけだ。
サラマンダーもあの程度だろう、と心のどこかで決めつけてしまっていたが、考えを改めたほうが良さそうだ。
「ちなみに大型はまだ誰も倒せてない。黒の塔38階に大型がいるんだけど、《アルビオン》が40人で挑んでも倒せなかったって」
「それは相当だな」
レオの話では3大ギルドの中で《アルビオン》がもっともメンバーの質が高いと言っていた。その彼らが40人で挑んで敗北する魔物……。
「なに笑ってるの?」
「あぁ、いや。思った以上に楽しみが残ってるんだってな」
ジュラル島には力試しをするために来たのだ。
想像もつかないほどの強敵がいるとわかれば心躍らずにはいられなかった。
ラピスが細めた目を向けてくる。
「あなたってやっぱり馬鹿? 普通は怖れるところでしょ」
「怖れるったって最終的に戦うことになる〝神〟より強いってことはないだろ? だったら、そいつも倒せるぐらい、こっちも強くならないといけないわけだ」
思ったことを口にしたところ、ラピスが目を瞬かせていた。ただ、驚いたことを彼女は認めたくなかったのか。「それより」と強引に話題を変えた。
「《スコーピオンイヤリング》を入手するアテができたのはいいことだけど、わたしが関わってることは絶対に知られないで」
「どうして?」
ラピスが少し言いにくそうに答える。
「べつに深い理由はないけど……昔、《ソレイユ》の勧誘を断ったから」
「あ~、そういうことか」
ラピスは女性なうえにかなりの手練だ。
誘われていてもおかしくはない。
だが、まさかそれで折が悪くなっていたとは。
「でも、ヴァネッサってそういうの気にしなさそうだけどな」
「あの女のことなにもわかってないのね」
「……その口ぶりだとラピスはよく知ってそうだな」
「さあ、どうだか」
少しはぐらかすような素振りを見せたあと、ラピスは近くを通る店員を呼び止めた。空になったカップを渡しながら言う。
「ハニーミルクをお願い」
「かしこまりました」
よく見れば、対応した店員はアイリスだった。
彼女はこちらをひと睨みしてから去っていく。
相変わらず嫌われっぷりだ。
本当に理由がわからないので、こちらとしては対応に困ったものだった。
それにしても――。
「さっきの3杯目だろ」
「なにか文句でも?」
助けてもらったり、交渉で譲歩してもらったりと色々世話になっている身だ。飲み物代は奢りとはべつにしてくれ、なんて文句を言えるはずもなかった。
「あれ……アッシュさんじゃないですかっ」
突然、そんな溌剌とした声が聞こえてきた。
声を辿った先にいたのは小柄なミルマ――ウルだった。
「お、ウル。どうしてここに……って決まってるか」
「はいっ、食事にきました! 久しぶりの贅沢ですっ」
言って、弾けるような笑みを浮かべるウル。
彼女が両手で持ったトレイには、色とりどりの果物がこれでもかというぐらい盛られた皿が載っていた。それで良いのかと口出ししようかと思ったが、ウルの大きな胸を見て口を閉じた。どうやら栄養は足りているようだ。
アッシュはほかの席を確認してみる。席が空いていないわけではなさそうだが、知人と出逢ったのだ。どうせなら一緒の席で食べたい。
「いいか?」
とラピスに確認を取ってみると、「好きにすれば」と素っ気ない言葉が返ってきた。嫌がっているわけではなく、単純に興味がないといった感じだ。
「ウル、良かったら一緒にどうだ?」
「いいのですか?」
「ラピスも良いって言ってるし」
「で、ではお言葉に甘えさせてもらいます」
ウルは先にトレイを置いてから、「んしょ」と隣に座ってきた。果物の匂いか、彼女の匂いか。ふわりと甘い香気が漂ってくる。
「それにしても良かったです。アッシュさんとラピスさんのお友達関係が続いていて。ラピスさん、ずっとぼっちさんで心配だったので」
ウルが無邪気な笑みを浮かべながら言った。
その瞬間、ラピスがこちらをぎろりと睨んできた。
「やけに絡んでくると思ったけど、そういうこと?」
「いや、完全に誤解だ」
「わたし、もうお腹いっぱいになったからこれで帰るわ。ご馳走さま」
「あ、おいっ。ラピスっ」
ラピスは呼び止めに応じず、すたすたと店を出ていってしまった。
場に残った重い空気の中、ウルが強張った顔で訊いてくる。
「あ、あれ……ウルは、まずいことを言ってしまいましたか?」
「いいか、ウル。正直なことはいいけど、ぼっちってのは直接言うもんじゃない」
「今度、謝ってきます……」
「そうしたほうがいい」
そしてこちらも誤解を解く必要がありそうだ。
これで《聖石の粉》の交渉がなかったことにされれば仲間に顔向けできない。
いや、それを抜きにしてもジュラル島で初めて出逢った相手だ。彼女に嫌われたままというのは個人的にも避けたいところだった。
「ウル? どうしてあなたがここに」
ふと聞こえてきた戸惑いの声はアイリスのものだった。彼女はそばに立って、先ほどラピスが注文した品を手に持っている。
「アイリスさんっ。今日はたまの贅沢日ですっ」
「そうではなくて……っ」
「はい?」
「……今度はウルですか」
首を傾げるウルをよそに、アイリスが軽蔑の目を向けてきた。
「アッシュ・ブレイブ。わたしはあなたの保護者でもなんでもありません。ですが、その女癖の悪さはどうにかしたほうがいいと思います」
どんっと音をたててカップを机に置いてきた。
並々と注がれたハニーミルクが波打ち、かすかにこぼれる。
「なにか盛大に勘違いしてるようだが――」
「言い訳は見苦しいですよ」
こちらの言葉を遮るようにぴしゃりと言うと、アイリスは背を向けて業務に戻っていった。高く結い上げられた彼女の長い髪。それが揺れるさまは彼女の怒りをあらわしているようだった。
「あ、あのっ。ウルがアッシュさんから離れることはないので安心してください!」
短い間に女性が怒って離れていった。その状況に憐れみを感じたのか、ウルが頑張れとばかりに両手に拳を作って励ましてくる。
「……ウルは優しいな。これ、やるよ」
「ありがとうございます……?」
飲み手のいなくなったハニーミルクをウルに渡して、アッシュは空を見上げた。
ジュラル島には力を試しにきた。
時々詰まるときはあるが、いまのところ塔昇りは順調と言える。
だが、女性関係のほうはどうか――。
まるでジュラル島を包み込むかのように、いまも煌く数多の星々。
それらを望みながら、ぼそりと呟く。
「……最悪だ」





