◆第六話『誕生日会の帰り』
「おふたりとも、今日はありがとうございました! ウルはとってもとっても嬉しかったです!」
アッシュはアイリスとともにウルから感謝の言葉を受けていた。
いましがた誕生日会がお開きとなり、玄関先に出てきたところだ。結果は満面の笑みを浮かべるウルの姿がすべてを物語っている。
「アイリスさんのお料理はいつも美味しいですけど、今日はクルナッツが一杯でいつも以上に最高でしたっ」
「ウルのために作ったものですから、そう言ってもらえてほっとしました」
その言葉通りアイリスは安堵しているようだった。
同時に喜ぶウルを見て、嬉しそうに顔を綻ばせている。
「あとあと、アッシュさんから頂いたこの首飾りもすごく嬉しかったです!」
言いながら、ウルが胸元に垂れた首飾りを手に取った。誕生日会中にウルへと贈ったものだ。先端には銀色で装飾された雫型の緑色宝石が垂れている。
あまり主張しないようにと派手さを抑えたうえで小さなものを選んだが、どうやら見立ては間違っていなかったようだ。ウルにとてもよく似合っている。
ふと、ウルがその宝石を両手で優しく包み込んだ。
そのまま頬をほんのりと赤らめながら、ぱあっと屈託のない笑みを向けてくる。
「とっても可愛くて……これからずっと付けちゃいますっ」
「気に入ってくれたみたいでなによりだ」
アイティエルに余裕が出来たからか、最近ではジュラル島において娯楽面の充実度が増してきている。その影響もあって装飾品の数も増えており、大いに悩まされたのは内緒だ。
「ですが、本当によかったのですか?」
アイリスが申し訳なさそうな声で訊いてきた。
彼女は、自身につけた首飾りの先を手のひらの上に置いている。ウルとほぼ同じもので違う点は宝石の色のみ。ウルが緑色に対して、アイリスは青色となっている。
誕生日会中、ウルだけでなくアイリスにもプレゼントを贈っていた。困惑する彼女を押し切って渡したが、どうやらまだ納得してくれていないらしい。
「言っただろ。アイリスが誘ってくれなきゃウルを祝えなかったってな。それに仲のいい2人だ。同じものってのも悪くないだろ?」
「はいっ、アイリスさんとお揃いでウルは嬉しいです……っ」
「……ウル」
渡した際にも同じやり取りをしたが、純粋に喜ぶウルの姿を2度も見せられて観念したらしい。アイリスは少しだけ困ったように笑うと、こちらに向き直った。首飾りの先を大事そうに握りしめながら、微笑をこぼす。
「あとで返すよう言われても返しませんからね」
「もし返されても、さらに突き返すだけだ」
言って、勝ち気な笑みを返した。
途端、アイリスがほんのわずかに目をそらした。
とはいえ、あまりに小さな動きだ。
気にはなるが、理由を訊くのも憚られた。
「よし、帰るか。ウル、送ってくぜ」
「ありがとうございます。でも、本当にすぐそこなので大丈夫です」
「ま、ミルマを襲ったところで勝てる挑戦者なんてそういないだろうけどな。でも、今日は主役なんだ。最後までもてなさせてくれ」
「そういうことでしたら、お言葉に甘えて送ってもらっちゃいますっ」
ウルとともにアイリスへと軽く挨拶をしたのち、背を向ける。と、後ろから「あ、あのっ!」とためらいがちなアイリスの声が飛んできた。
「ん? どうした?」
「い、いえ……なんでもありません」
「……そうか。ならいいんだが」
「呼び止めて申し訳ありませんでした。では、また」
詰問するのは簡単だ。しかし、しおらしいアイリスの姿を見る限り無理やり訊くべきではない、と感じた。アッシュはウルと顔を見合わせたのち、今度こそアイリスの家をあとにした。
その後、ウルを送り届けてから暗い路地をひとり歩いていた。あとひとつ、角を曲がって少し進めば通りに出られる。ミルマの家が集まるこの区画には何度も来ているため、周囲の家々の形ももう完璧に覚えてしまった。
……もう俺も完全にジュラル島の住民だな。
そんなことを思いながら、最後の角を曲がったときだった。視界に人影が映り込んだ。すらりとした女性の肢体。後ろで1つで結われた長い髪。そして耳と尻尾。
「さっきなにか言いかけてたけど、そのことか?」
そう声をかけると、人影がこちらに歩み寄ってきた。
暗がりの中でもはっきりとその姿があらわになる。影の輪郭だけでもわかっていたが、やはり思っていた通りアイリスだった。
「今日はありがとうございました」
「礼を言われるようなことはしちゃいない。むしろ、俺のほうこそ誘ってくれてありがとな」
アイリスが誘ってくれなければウルを祝うことも出来なかったし、喜んでもらうこともできなかった。感謝するべきはこちらのほうだ。
ただ、こちらが素直に礼を受け取らなかったからか、アイリスが少し困ったような素振りを見せて俯いてしまった。しまったな、と後悔しながら頭をかいた、そのとき。
「昨日は……申し訳ありませんでした」
アイリスが謝罪を口にしてきた。
あまりにも唐突で言葉が足りない。
ただ、当事者とあってなにに対して言っているのかは伝わってきた。
昨日、ウルの誕生日会について、主催者であるアイリスの知らないところで話が進んだことがあった。そしてそれはアイリスの意図した形ではなく……結果的に彼女を怒らせてしまった。おそらくアイリスはその際の対応について謝罪しているのだろう。
「どうしてアイリスが謝るんだ。もとはと言えば、俺の配慮が足りなかったせいだろ」
「いえ、そんなことはありません。わたしの心が幼かったことが原因です。主役はウルだというのに、おかしな意地を張って……」
自戒するように下唇を噛みながら、両手に拳をぎゅっと握るアイリス。
アイリスの言い分はわかる。ただ、彼女とってウルの誕生日会は昔から続けてきた大切な時間だ。きっとそれはウルにとっても同じに違いない。なにしろ──。
「さっき帰りにな、ウルが言ってだんだ。『毎年、アイリスさんがお祝いしてくれるのがとっても嬉しいんです』ってな」
今後、大勢で一緒に祝う機会もあるかもしれない。だが、ウルのことだ。きっとアイリスとの静かな時間も大切にするだろう。
「ま、ウルが笑顔になってくれた。その事実があればいいだろ」
「そう……ですね」
アイリスがほっとしたように表情を和らげる。
ただ、その顔は完全に晴れ切ったわけではなさそうだった。
「まだなにかあるのか?」
「いえ、そういうわけでは……」
アイリスの声はわずかに震えていた。
俯いたまま先ほどよりも強く両手に拳を作っている。
「……あなたはいつもそうです。アイティエル様のことでわたしが悩んでいるときも、あの戦いの行く末に不安になっているときも。今回のことだって……どうして、そういつもいつも……っ!」
彼女がなにに対して憤っているのか、はっきりとはわからなかった。ただ、いつも冷静な彼女がここまで取り乱した原因がこちらにあることは容易に察することができた。
「……アッシュ・ブレイブ。あなたにとってわたしはなんでしょうか?」
唐突な質問だった。
ただ、どれだけアイリスが勇気を振り絞ったかは不安げに揺れた瞳からありありと伝わってきた。
「そう、だな。島に来た当初は理不尽な怒りばかり向けられて面倒な奴だなと思ってた」
「……その件についてはわたし自身、反省しています。あなたにはなんの非もなかったというのに……」
「ま、それもアイティエルを好きだからこそ抱く嫉妬だってわかってからは可愛いもんだと思ったけどな」
「かわっ!?」
アイリスが目を見開きながら声を荒げた。
暗がりでもわかるほど顔が赤くなっている。
珍しい姿だっただけにもう少し見ていたいと思ったが、そう長くは続かなかった。いつものように……いや、いつも以上に吊り上がった目を向けられた。
「ふざけないでくださいっ」
「べつにふざけてないけどな」
「そういうことではなくて……ああ、もう……昔のことではなく、いまの……いまのわたしのことを聞いて──」
「大切な友人だ」
アイリスの言葉を遮る形で答えを口にした。
彼女があっけにとられる中、構わずにその理由を口にする。
「さっきも言ったとおり最初は正直あまりいい印象じゃなかった。けど、俺のことを敵視しながら助言をくれたり、アイティエルやウルを大切にしてる姿を見たりしてその印象は変わっていった」
取り繕うことはしない。
これまで彼女に対して抱いた気持ちを伝えていく。
「一癖も二癖もあるけどな。でも、いまなら良い奴だってはっきりと言える。そしてこの島で生活する俺の欠かせない一部だ」
ジュラル島での日常。
その中にアイリスは完全に組み込まれている。
チームのメンバーや親しくしている挑戦者と同様だ。
こちらの気持ちを聞き終えたアイリスはわずかに目線を下げていた。ほんの少しだけ寂し気に見えたのも一瞬。再び目線を上げると、晴れやかな顔を向けてきた。
「あなたらしい返答ですね。一癖も二癖もある、というのは少し納得がいきませんが」
「撤回はしないぜ」
「構いません。わたしも自分の性格に難があることは理解していますから。ただ、あなたに言われたことが納得いかないだけです。塔を昇ることしか興味のない人に」
「それを言われたらなにも言えないな」
アッシュは苦笑しながら肩を竦めた。
最近はずっとらしくない様子だったアイリスだが、どうやら調子が戻ってきたようだ。ただ、やはり嫌味を言われても昔のように腹が立ったりはしない。それだけアイリスという人間のことがわかってきたからだろうか。
「ああ、そうだ。大切な友人だってのも本当だが、もう1つあった。俺は、アイリスのことを1人の戦士として尊敬してる」
「尊敬……ですか」
目をぱちくりとさせるアイリス。
「出会ったときから強そうだとは思ってたが、まさかあそこまで強いとは思ってなかったからな」
「アイティエル様から与えられた力です。決して尊敬されるようなことでは」
「つっても、あんな技術とかは」
「それは、まあ……守護者候補にはジュラル島に配属される前に修練が課されますが……それでも結果的にあなたが勝ったでしょう」
「その前に負けてるだろ。つまり1勝1敗だ。勝った気なんてあんまりないんだよな」
これがもし命のやり取りであれば負けたままで終わりだ。おかげで2回目の挑戦で勝てたとはいえ、悔しい想いはいまも胸中に残っている。ミルマが人とあまり変わらないことも、その気持ちをより強くしている気がしてならない。
「アイティエル様の許可が下りればまた闘うこともできますが」
「それも面白そうだけどな。ただ、それよりもいまはアイリスと知り合ったせいか、一緒に戦ってみたいって気持ちがあるんだよな。100階んときみたいに対峙するんじゃなくて塔の敵を相手にして──」
そう口に出した瞬間、思わず「あっ」と声を出してしまった。アイティエルから告げられた、ある言葉を思い出したのだ。
「そうか。その手があったか……!」
勝手に1人で盛り上がっていたからか、アイリスから怪訝な顔を向けられていた。
いますぐにでも説明する必要がある。
いや、むしろ彼女には知る理由がある。
「アイリス、1つ頼みがあるんだが」
「な、なんですかいきなり……」
最近、ずっと悩んでいたことだ。
まさかこんなところで解決策に辿りつくとは思いもしなかった。
いまだ困惑中のアイリスへと、アッシュは興奮さめやらぬまま告げる。
「今度の特別クエスト、俺たちと一緒に参加してくれないか?」





