◆第二話『人とミルマ』
「……どういうつもりだ?」
塔から帰還後の昼下がり。
アッシュは傍らを歩く幼いミルマにそう問いかけた。
威厳もなにもない愛らしいをしているが、このジュラル島の主であり正真正銘の神だ。彼女はこちらの右腕にぎゅっと抱きついてくると、そのあどけない顔で見上げてきた。
「言っただろう。デートだ。で・え・と」
「……なんの目論みがあってこんなことをしてるのかって訊いてるんだ」
予定を開けておくようにと通達を受けたのが昨夜のこと。特別クエスト関係でなにか話があるのかと来てみれば、アイティエルから「いまからデートをするぞ」と言われたのだ。
あまりに唐突過ぎるし、そもそも彼女とはそんな関係ではない。頭の整理がまるで追いついていないのが本音だった。
「デートに目論みもなにもないだろう。惹かれあう者同士が連れ立って好きなように歩き回ること。それこそがデートだ。目的を求めるのは無粋ではないか」
「俺はデート自体を否定してるんじゃないんだが……そもそも惹かれあう者同士ってところからして間違ってるだろ」
「そうか? 我はお前のことを気に入っているぞ。お前もまた我に会うために必死になって塔を昇っている。なにもおかしいことはないではないか」
「間違っちゃいないが……もういいか」
アイティエルのあっけらかんとした顔を前にして、反論したところで無駄だということを悟ってしまった。こちらの諦めた顔を見てか、アイティエルも満足そうに頷いている。
「まあ、デートってんならせめてその姿はどうにかならなかったのか」
「なんだ、年上好きだったのか?」
「そういうことじゃない。……周囲の目が痛いって言ってんだ」
この少女姿のミルマがアイティエルであることは、いまや挑戦者の誰もが知っている。おかげで周囲の注目を一身に集めてしまっていた。
「いいではないか。そもそも島一の好色家と知れ渡っているお前にはいまさらだろう」
「その称号に思うところはあるが、それより子どもに手を出してるって見られるのはべつだろ。ま、実際は誰よりも歳はいってるんだが」
「意趣返しにしては少し意地が悪いのではないか、アッシュ。いや──アッシュお兄ちゃん?」
にやにやと笑いながら、さらに強く腕に抱きついてくるアイティエル。その見せつけるようなしぐさに加えて、先ほどの「お兄ちゃん」という言葉。周囲がざわつくのは当然だった。
「アッシュの奴、マジかよ……」
「神様にあんなことさせるなんて」
「マジやべえよ……さすがアッシュだぜ」
「100階に到達すればあんなことできるのか……」
「俺、今日から死ぬ気で頑張るわ」
聞こえてくる多くの侮蔑の声。
一部では尊敬やら嫉妬の声が混ざっていたが。
いずれにせよ居心地が最悪なことに変わりなかった。
「くくくっ、お前の困った顔を見るのは面白いな」
「……悪趣味過ぎるだろ」
「すまんすまん。だが、こんなことで苦労しているようでは新たな頂で我と対峙した際に苦労するぞ」
「逆に思いきり剣を振れそうだけどな」
「言うではないか」
こちらはまだ101階を突破したばかり。
にもかかわらず、200階に到達することを想定した軽口を放ってくるとは。発破をかけられているのかはわからないが、悪い気はしなかった。
「まあ本当に深い意味はない。ただ、お前と楽しみたいだけだ」
「そういうことにしておくか」
「うむ、聞き分けのいい奴は好きだぞ」
正直に言ってここまで子どもとなると異性として意識することもない。ただ、だからといって本来のアイティエルなら意識するかと言われるとわからなかった。なんというか、ほかの女性とは違って手に負えない感覚があるからだ。器の大きさというか、底の見えない感じはさすが神といったところか。
「さて、我を楽しませてもらうぞ」
「つってもこの島のことなら俺よりあんたのほうが知ってるだろ」
「誰かと楽しく回ることについては挑戦者の誰より素人だ。なに案ずるな。お前と一緒なら我はなんでも楽しめる自信がある」
見た目こそ純真な少女だが、相手はあのアイティエルだ。なにを企んでいるかわかったものではない。ただ、彼女には〝五つの塔〟で楽しませてもらっている。ここらでひとつお返しをするのも悪くはないかもしれない。
「そうだな。ま、適当に歩くか」
「うむ」
それからアイティエルと色んなところを見て回った。買い物をしたり、食事をしたり。挑戦者とすれ違うたびに後ろ指をさされたのは言うまでもないが、アイティエルが楽しんでくれたおかげであまり気にはならなかった。
「こんなにも多くの種類があったのか」
「あんたにも知らないことがあるんだな」
「さすがにすべてを把握しているわけではないからな」
こじんまりとした雑貨店を訪れていた。
人ひとりが歩けるほどしかない通路の脇に商品棚が置かれ、ぎっしりと多様な装飾品が並んでいる。女性にも人気でラピスやクララ、ルナたちともよく来る場所だ。
アイティエルも思いのほか気に入っているようだ。
目を輝かせながらまじまじと商品を見て回っている。
と、アイティエルが青色の腕輪に手を伸ばした。
簡素ながら上品で、少し落ちついた雰囲気のものだ。
彼女は右腕にそれをはめて、見せつけてくる。
「これなんてどうだ? 我に似合うだろう」
「悪くはないが、こっちのほうがいいんじゃないか」
淡紅色で彩られた腕輪を手に取り、アイティエルの空いたほうの腕にすっとはめた。自ら選んだこともあるが、よく似合っている。ただ、あまりにも似合いすぎる組み合わせを前に、はっとなった。
「あ~……子どもっぽ過ぎるな。いまが仮の姿っての忘れてた」
「待て。これでいい。いや、これがいい」
「いいのか? 無理する必要はないからな」
「人が初めて我にと選んでくれた。そこに大きな意味がある」
まるで慈しむように淡紅色の腕輪を撫でるアイティエル。ほんのりと綻んだ口元からみても、それが気を遣ってくれたわけでないことは明らかだった。
「だったら、こいつは俺から贈らせてもらうか」
「そうか? では甘えさせてもらうとしよう」
この島の主でもあるアイティエルに奢りなんておこがましいことこのうえないが、いまはただそうしたいと思った。アイティエルへの贈り物と知って「お代は頂けません!」と叫ぶ店員を押し切り購入。さっそく店を出てからプレゼントした。
「なるほどな、人がよく物を贈りあう気持ちがよくわかったぞ」
「気に入ってもらえたようでなによりだ」
アイティエルが腕輪を陽光にかざしながら、ひどく喜んでいる。そのさまはまさに子どもといった様相で、見ていて気持ちのいいものだった。
と、視界の端でこちらを見て立ち止まる小柄なミルマが映り込んだ。髪留めでさらけ出した額が特徴的な彼女はウルの後輩の案内人──シャオだ。
「お、シャオか」
「あわわわわわっ」
なにやらこちらを見るなり慌てふためくシャオ。
いったいどうしたのかと思ったが、その理由はすぐに判明した。
「ア、アイティエル様とアッシュ様がががががががっ!」
「知らなかったのか? 我とこやつはこういう関係だ」
恋人関係だと勘違いされていることをいち早く察したアイティエルが、意地の悪い笑みを浮かべながら抱きついてきた。そのさまを見て、またシャオの動揺が大きくなる。
「おい、シャオが本気で信じちまうだろ」
「……え、え? 違うのですか?」
「当たり前だろ」
シャオが目をぱちくりとさせる中、アイティエルをやんわりと引きはがした。当のアイティエルはというと少し面白くなさそうにまなじりを吊り上げている。
「連れない奴だ。もう少し遊んでもいいだろうに」
「結果、被害を受けるのは俺なんだ。勘弁してくれ」
「そのときは我が面倒を見てやるぞ。もちろんこの姿でな」
少しの間、こちらの軽口交じりのやり取りを唖然としながら見つめていたシャオだったが、なんとか事情を呑み込んだようだ。やがて、ほっと息をついていた。
「そ、そうですよね。もちろん、シャオも本当はわかっていましたけどっ」
嘘なのは明らかだったが、いまさら突っ込むのも可哀想だ。示し合わせたわけでもなく、アイティエルと揃ってそっとしておくことにした。
「でも、よかったです。もし本当だったとしたらアッシュ様のことをどうお呼びすればいいかわかりませんでしたし」
「どう呼べばって、仮にそうだとしてもべつに変える必要ないだろ」
「そういうことではない、アッシュ」
言うや、アイティエルが教鞭でもとるかのように語りはじめる。
「シャオたちミルマは我の娘も同然。しかし我には神としての立場もあるため、母としての呼称が優先されることはない。だが、お前は違う」
「……あ~、わかった。そういうことか」
皆まで言わなくていい。
嫌な予感がしてそう話を切ったのだが、どうやらシャオには伝わらなかったらしい。
「つ、つまり……アッシュさんのことをお父様とお呼びする必要が出てくるかもしれない、ということです……」
恥ずかしそうにもじもじとしながら、上目遣いを向けてくるシャオ。その姿はいつも以上に子どもっぽくて、愛らしさを感じるものだった。言い得ぬ感覚に思わず硬直してしまったが、それがアイティエルには面白く見えたらしい。にやにやと笑いながら肘で脇を小突いてきた。
「お、いまぐっと来ていたのではないか? アッシュ」
「んなわけないだろ。大体こんなでかい娘はごめんだ」
「まさかの娘失格を言い渡されてしまいました……うぅ」
その場でがくりと崩れ落ちるシャオ。
彼女には気の毒だが、いちいち反応が面白い。
「なんつーか、あんたの娘たちは本当に個性豊かだな」
「当然だ。見た目こそ少し違うが、お前たち人となんら変わらないからな」
アイティエルが誇らしく、かつ優し気な顔でそう口にした。
ジュラル島を訪れてから多くのミルマと知り合ったが、それぞれが色んな顔を見せてくれた。いま目の前にいるシャオだけではない。ウルやブラン、クゥリ。オルジェやリリーナ。そしてアイリスも。
──ミルマと人はなんら変わらない。
アイティエルの言葉は、まさしくその通りだ。
べつに差別をしていたわけではない。
ただ、改めてそう認識させられた。
「少し疲れたな。シャオよ、どこか静かに休める場所はないか」
アイティエルがふぅと息を吐いた。
神が少し歩いた程度で疲れるのか甚だ疑問だ。
とはいえ、いまの彼女は仮初の姿。
力は、その幼い姿に準拠しているのかもしれないし、単純に精神的な疲れかもしれない。いずれにせよ、少し落ちつきたいという気持ちは同じだった。
「静かな場所ですか。ん~……」
首を傾げて唸りだすシャオ。
間もなくして「あっ!」と声をあげた。
「この時間ですと、クゥリさんのところはいかがでしょうか?」





