◆第七話『もう1つの決意』
特別クエストの話を聞いてから4日後。
夕刻までの狩りを終えたのち、アッシュは馴染みの酒場を訪れていた。
「ブヒィイイイイイイイイイイイイイイイッ!!」
扉を開けるなり、エール入りのカップを持った小柄な中年が倒れてきた。
彼はクデロ・ブリンドー。
この《豚の大喚き亭》のマスコットとも言うべき存在だ。
まだ陽が落ちて間もないにもかかわらず、すでに出来上がっているらしい。倒れた彼の顔をこっそり覗いてみると、その頬は見るからに赤くなっていた。
「今日はいつにも増して気合入ってるな。彼女といいことあったのか?」
「む、むしろなにもないからこそ気合を入れとる……!」
もじゃもじゃの髭に隠れていても、その口が拗ね気味なことは言葉の端々から伝わってきた。クデロはこの酒場の店員に恋をしている。挑戦者でありながら、ここで門番まがいのことをしているのも、そういった事情があるからだ。
「ま、諦めずに頑張れよ」
「ふんっ、言われずともそのつもりだ」
ひとまず次の来客のために、クデロの襟首を掴んで内側の扉に仕掛けておいた。べつに手伝わなくても勝手にクデロは自分で戻るが、ここの常連の間では当然の配慮となっていた。
店内はすでに多くの挑戦者たちで賑わっていた。よく来る酒場とあって顔見知りばかりだ。エールを購入している間、荒々しい声が幾つも飛んでくる。
「ようっ、アッシュ! 今日は早いな!」
「ああ、今日は夕刻までに切り上げたからな」
「聞いたぜ、101階突破したんだってな。あとで話聞かせろよ!」
「今日は先客がいるから、そっちの話が終わってからな」
「お、レオだろ。あいつならもう来てるぜ。いつもんところだ」
促されるがまま奥の席に目を向ける。
と、すでに席についてカップを掲げたレオと目が合った。
アッシュは店員からエールを受け取ったのち、少し早足でレオのもとへと向かった。並々と注がれたエールがこぼれないよう気をつけながら、レオの対面に腰を下ろす。
「待たせたな」
「ううん、さっき来たばかりだから大丈夫だよ」
今回は帰宅後に《豚の大喚き亭》で待ち合わせとしていた。ログハウスは中央広場から遠いため、必然的にこちらのほうが遅くなる。実際、レオは言葉とは裏腹に何杯かすでに飲んでいるようだった。
「それでどうしたんだ? 今日は」
「僕とアッシュくんの仲なんだし、特別な理由なんていらないと思うけどね。って、いたっ!」
「たしかに理由はなくてもいいが、尻を触らせる仲じゃないってことははっきりさせとくぜ」
「まったく、アッシュくんはつれないなぁ」
あはは、と赤くなった手の甲をさすりながら笑うレオ。まったく懲りていない様子を見る限り、今後も充分に注意する必要がありそうだ。
「ちょっと気になることがあってね」
「気になること?」
「ま、その話をする前に……」
レオがカップを軽く持ち上げ、乾杯を促してきた。
応じて互いのカップをこつんと打ち合わせたのち、1杯目のエールを口に含んだ。
「くぅ~、きくねえ。やっぱりここで飲むエールが1番だよ」
「それには同意だ。なんつうか、まさに酒場って感じだからな」
「豚の鳴き声が聞こえてくる以外は、ね」
男たちのむさくるしい熱気に、汗まじりの少し酸っぱいにおい。それにやかましいだみ声。正直、飲食をするには恵まれた環境ではないが、気を張る必要がないというのはなによりのスパイスだ。きっとここに集まる挑戦者たちも同じように思っているに違いない。
アッシュは乾いた喉を潤さんともう一度エールを飲んだ。ふぅと息を吐きつつ、カップをごとんとテーブルに置きなおす。
「それで話ってのは?」
今回、飲みに誘ってきたのはレオのほうからだ。
なんでも少し話したいことがあるとのことらしい。
「実は2つあるんだけど、そうだね……まずは特別クエストのほうからにしようかな」
「あ~、やっぱりその件か。悪いな、遅れてて」
「いや、アッシュくんに一任しちゃってるからね。僕だけじゃなくて、ほかの皆も責める気なんていっさいないと思うよ。ただ、悩んでるんじゃないかってね」
普段はよくふざけているレオだが、こういったときの気遣いは欠かさない。レオがマスターを務めるギルド《ファミーユ》のメンバーが慕っているのも、こうしたところだろう。
「9人目までは決まったんだけどな」
「御父上と、ベイマンズくん。それにヴァネッサ嬢とシビラ嬢だったね」
「ああ、その4人なら間違いないだろうってな」
「あと1人……か。たしかに難しいところだね。候補としてはヴァンくんとロウくん。オルヴィ嬢にドーリエ嬢、リトリィ嬢かな」
制限がないとはいえ、101階でようやく受けられるクエストだ。相応の難度となることは間違いない。候補が高階層に到達している彼らに絞られるのは当然のことだろう。ただ──。
「アイティエルの口振りからして個々で対応する場面が出てくる可能性は高いんじゃないかって踏んでる」
「つまり魔導師は外すのが妥当ってことだね」
「クララには充実した装備があるし、なによりほぼ無尽蔵の魔力で《テレポート》を何度も使えるからな。あいつだけは例外だ」
「さすが僕たちが誇る最高の魔導師だね」
初対面の印象があるせいでクララが最強というのはいまだに違和感が拭えない。だが、間違いなく彼女がいまや世界で最強の魔導師であることは疑いようがなかった。
「となると、ヴァンくんかドーリエ嬢か。あ、ルグシャラ嬢は──」
「ないな」
「だ、だよね」
「いや、実力的にはヴァンたちと一緒だと思うが、色々と不安が残る」
チームを組んでいるディバルですら、「あー、大丈夫だとは思うが、たまに好き勝手に突っ込むことはあるな」などと不安要素をほのめかしていたぐらいだ。可能な限り外すのが妥当な判断だろう。
「ま、とくに締め切りみたいなものは言われてないしね」
「さすがに危険度がわからないクエストだからな。待たせて悪いが、慎重に選ばせてもらうぜ」
「了解。きっとみんなも納得してくれると思うよ」
そう応じたのち、ぐいとカップを傾けるレオ。
どうやらもう飲み干してしまったらしく、物足りなさそうな顔で中身を覗いていた。
「追加でもらってくるけど、アッシュくんもいるよね」
「じゃあ、頼む」
「任せといて」
そう返事をしてレオは意気揚々とエールを取りにいくと、大量のカップを持って戻ってきた。両手に5つずつの計10。いまだかつてないめちゃくちゃな注文だ。
「……いや、買いすぎだろ」
「次の話こそが本番だからね」
笑顔で答えながら、どかっとカップを置くレオ。いったい酔わせてなにを言わせるつもりかと警戒してしまうが、レオのことだ。きっと深い意味はないのだろう。2回戦開始とばかりにカップを打ち合わせたのち、互いにエールを一気飲みする。
「ぷはぁっ、生きてるって感じがするよ」
「……言っとくが、酔いつぶれるつもりはないからな」
「そんなこと言いながら付き合ってくれるアッシュくんが僕は大好きだよ」
いまだふざけたことを口にするレオに、無言で冷めた目を向ける。と、ようやく次の話をしてくれる気になったらしい。苦笑と咳払いをしたのち、彼は話しはじめる。
「ま、アッシュくんを取り巻く女性たちのことでね」
「なんとなく予想はしてたが……やっぱりそれか」
「お節介かもしれないけど、きみが悩んでるのを見ていられなくてね」
チームでの活動もあるし、なるべく表には出さないようにしていた。だが、どうやらレオには隠しとおせなかったようだ。ただ、レオは不快に思っているわけではなく、単純に楽しんでいるようだった。
「あの最強の挑戦者アッシュ・ブレイブも麗しき乙女たちを前にたじたじだ」
「反論したいところだが……実際に塔を攻略するよりも厄介だ」
「でも、迷惑には思ってないんだよね」
「そりゃあ、な。みんな魅力的だし、素直に嬉しいと思ってる」
当初の目的であった100階到達を果たすまで、そういった恋路をわずらわしいと思っていた節はわずかながらあった。だが、いまやその目的も果たし、心には余裕が生まれている。もちろん、新たな200階到達という目標は出来たが……。
100階を制覇したら考えるという女性たちとの約束もある。これからは好意を向けてくれている女性たちにしかと向き合うつもりだった。
「でも、だったらなにに悩んでるんだい?」
「誰かを選ぶってのが、どうもな」
「たしかに女性として素敵な子たちばかりだからね」
内外ともにそれぞれが個性的な魅力を持っているだけではない。一緒にいて苦にならないどころか落ちつける相手ばかりだ。個人的な問題であっても優劣をつけるなんてことはできそうになかった。
「じゃあ、いっそ全員を選ぶってのはどうかな? 相手はラピスくんにクララくん、ルナくんでしょ。それにヴァネッサ嬢にシビラ嬢。オルヴィくんにユインくん、マキナくん。そしてウルくん……で合ってるよね」
「ああ。ってか問題はそこじゃないだろ」
「人数のこと? えーと9人かな。それぐらい大したことはないと思うけど」
「大したことないって……かなりの数だと思うが」
改めて聞いた9人という数に、我ながら頭が痛くなりそうだった。相反してレオはなんの問題もないとばかりにあっけらかんとしている。
「僕としてはアッシュくんにはそれぐらいの器量があると思ってるけどね。むしろもっと多くの女性を幸せにするべきだよ」
「さすがにそれ以上はきついだろ」
「ってことは9人ならいけるってことだね」
にやりと口元を緩めるレオ。
どうやら罠にはめられたようだ。
したり顔のレオに悔しさは感じるものの、ほんの少し感謝していた。心の奥底の感情を表に出すきっかけをくれたからだ。アッシュはエールを飲み干し、さらにもう1杯を空にした。ごんっと勢いよくカップを置いたのち、数拍を置いて口を開く。
「……ここまで話しといてなんだが、正直、腹をくくろうと思ってる。もちろん、あいつらの気持ちを改めて確認してからだけどな」
「僕の予想では、きっとみんな喜んで受け入れてくれると思うけどね」
1人の女性を愛し、娶る。それが美しく、また誠実な関係であるという考えの人間は世界に少なくない。実際、個人的にもそう感じていたからこそ葛藤があった。
だが、対面のレオはというと、責めるどころかむしろそれこそが正しい姿だとばかりに歓迎してくれていた。器量の大きさだけで言うなら、きっと彼こそが島1番だろう。
「神を倒したらとは思ってたが、まさかこんなことになるとはな」
「僕は途中からどんな修羅場になるかと思ってわくわくしていたけどね」
「他人事だと思いやがって……」
「きみが魅力的過ぎるからいけないんだ。どうかな、いまここでもう1人増やしてみないかい? アッシュくんと同じ11等級で敵の攻撃に耐えるのが得意な盾役の挑戦者なんだけど」
「冗談は服を脱ぐだけにしてくれ」
「あはは、これは失礼」
レオはアピールする最中に服を脱ぎはじめていた。
注意されてもやめるつもりはないらしく、ついに全裸に変身。晴れやかな笑みとともにエールを改めて飲みなおしていた。
「……言うだけで着なおさないのは相変わらずだな」
「僕の独自性というべきものだからね。さて、アッシュくんが覚悟を決めたおめでたい日だ。これは盛大にお祝いしないとね」
笑顔でそう言うと、レオは勢いよく振り返った。
椅子に上がったのち、カップを掲げながら声を張り上げる。
「みんな、今日は僕のおごりだ! 好きなだけ飲んでおくれ! アッシュくんの新たな人生の門出にかんぱ~~~~い!」
沸き起こる地鳴りのような歓声。
突如として発生したレオの全裸おごり宣言。常連たちにとっては見慣れた光景とあって、ためらうことなく野太い「乾杯」の声が続いた。
さらにレオがあちこちの挑戦者と飲み交わしては「ついにアッシュくんが──」と事情を話して回っている。こんなところで話してしまった自分の責任だが……これからのことを考えると、頭痛がして止まなかった。
◆◆◆◆◆
「わたしは一緒にいられるならそれでいいから。……ちょっと多すぎるとは思うけど」
「それあたしも思ったー! でもほっとした気持ちのが大きいし、いいかなって」
「ボクも2人と同じ気持ちだよ。もともとこうなるかなって予想してたしね」
翌日、《スカトリーゴ》にて。
アッシュはチームメンバーと昼食をともにしていた。
それだけならとくに珍しくもなかったが、今回は女性陣が浮かれに浮かれている。漠然としてはいるものの、その理由を内容から察するのはひどく容易だった。
「……あれだけ騒いだら当然か」
昨夜、《豚の大喚き亭》で話していたことがどうやら島中に知れ渡っているようだった。それなりに名が知れていることもあって中央広場に来てからというもの、ずっと注目されている。まだはっきりと確認してはいないが、ラピスたちの耳にも間違いなく入っているだろう。
アッシュは隣に座るレオへと目を向けた。
彼は先ほどからずっとばつが悪そうに乾いた笑みを浮かべている。
「は、反省してます……もしあれだったらお詫びに服を脱ぐけど」
「それは反省にならないだろ」
ことレオにとってはご褒美になりかねない。
いずれにせよ、もう話を聞かれてしまったことはどうしようもない。深くため息をついたのち、女性陣へと向けて真面目な声音で告げる。
「ま、もう少し待っててくれるか」
「ええ、問題ないわ。これまで待ってきた年月に比べれば短いものだし」
「あたしもー! ついにあたしもこのときが来ちゃったかぁ~、えへへ」
「ちゃんとアッシュの口から聞きたいしね。ボクも待つつもりだよ」
ラピスに続いてクララとルナも頷いてくれた。
彼女たちには待たせてばかりで悪いが、気持ちの整理も含めてやはり明確な区切りをつけたい。特別クエストを突破したとき、改めて気持ちを伝えるつもりだ。
「……食器、下げますね」
そう断ってきたのは店員のアイリスだ。
彼女はそばに立ち、淡々と空の食器を手に取りはじめる。
店員としてなにもおかしくはない行動だ。
ただ、彼女の声には怒気がふんだんにこもっていた。
「なに怒ってんだ?」
「べつに怒っていませんが」
「いや、そんな険しい顔されながら言われても説得力なさすぎだろ」
「申し訳ありませんが、これは生まれつきです。では」
言って、アイリスはご機嫌斜めのまま仕事に戻っていった。
島に来て間もない頃なら理不尽な怒りを向けられてもいつものことだと思えた。ただ、最近ではそういったこともなかったのでなんとも居心地が悪かった。
「ねー、アッシュくん。なにかしたの?」
「どうして俺がなにかした前提なんだ」
「だってあれだけ怒ってるんだし……ねえ?」
なんとも根拠に欠ける理由だが、クララだけでなくどうやらラピスとルナも同じように思っているようだった。揃って疑いの目を向けてきている。
「大方、アッシュのせいで間違いないと思うけど」
「これに関してはボクも同意かな」
まだはっきりとしてはいないものの、彼女たちは〝一緒になる〟ことを選んでくれた。だが、だからといっていつでも味方になってくれるわけではないらしい。どうやらここは完全に敵陣真っ只中のようだ。
「安心しておくれ、アッシュくん。僕だけは味方だから──あいたっ」
「背後を狙ってくる味方はご遠慮願いたいところだ」
前も後ろも敵だらけ。
塔に見立てればいったいいまは何階だろうか。
少なくとも10等級近いことは間違いない。
そんなくだらないことを考えながら、アッシュは残りの昼食をかきこんだ。





