◆第六話『変わらぬソレイユの酒場』
「面白そうな話じゃないか。あたしでよけりゃ協力するよ」
「わたしもだ。力試しとしていい機会になりそうだからな」
その日の夜。
狩りが終わったのを機に、アッシュは《ソレイユ》の酒場を訪れていた。
遅めの時間ではあったが、酒場内には普段通り《ソレイユ》のメンバーたちが賑やかに飲み交わしている。ほかのギルドメンバーで飲んでいるのはシビラとリトリィのみだ。ヴァネッサたちとチームを組んでからというもの、よく顔を出すようになったらしい。
「2人ならそう言ってくれると思ってたぜ。ありがとな」
今回、この酒場を訪れたのはヴァネッサとシビラを特別クエストに誘うためだったが、早くも目的が達成された。初めから結果はわかっていたが、こうして頷いてもらえるとやはり嬉しかった。
「アッシュとあたしの仲だ。礼なんていらないよ」
ヴァネッサはエールで湿ったままの口で、ゆったりそう言った。彼女は髪を肩にかかる程度まで短くした以外、昔と変わったところはほとんどない。だが、以前よりずっと艶やかさが増していた。まさに体全体から男を惹きつける空気を醸し出しているといった感じだ。
「わ、わたしだって同じだ。アッシュのためなら……これぐらいどうということはない……っ」
焦りと照れをあらわにしながら、そう口にするシビラ。ヴァネッサと相反してシビラのほうは以前より可愛らしさが増していた。ジュラル島一の堅物とまで言われていたのが嘘のようだ。いまも、長い黒髪の先を指先で巻くといった愛らしいしぐさを見せている。
「あのシビラもアッシュの前じゃ可愛い女の子だね」
「う、うるさいぞヴァネッサっ」
「おー、怖い怖い」
シビラをからかって楽しむヴァネッサ。
昔、いがみあっていたギルド同士とは思えない和やかな光景だ。
半年前、彼女たちはついに90階を突破した。話では全滅しかけたそうだ。ただ、その死線を潜り抜けたことをきっかけに、彼女たちの仲がより一層深まったようだった。
「で、ほかの参加者は決まってるのかい?」
「いや、まだだ。ただ、声をかけようと思ってる奴はいる」
「話を聞いた限りじゃ絞られてくるね。ベイマンズと……アッシュの親父さんか」
「当たりだ」
今朝、声をかける機会はあったのだが、ルグシャラがいたこともあって持ち越すことにした。彼女の場合、話を聞けば参加すると言ってきかなさそうだからだ。
「妥当な人選だろう。となるとあと1人か……アテは?」
「それがちょっと悩んでる」
シビラからの疑問にそう答えたのち、アッシュはぐいとエールを飲み干した。
純粋な戦闘能力となると、いま決まっている9人と同等の者は挑戦者にいない。これは客観的に見ての判断だ。ヴァネッサやシビラもそう感じているのだろう。積極的に推薦しようとはしてこないのが証拠だ。
下手に参加すれば死ぬかもしれない特別クエストだ。
やはり人情だけで参加させるべきでない。
残りの1人を誰にするかについて。3人で頭を悩ませていた、そのとき。すぐ後ろから「うぅ……」と悲しげな呻き声が聞こえてきた。振り返った先、涙目でハンカチを噛んだオルヴィが立っていた。
「叶うのならわたくしも同行したかったです……っ」
「あ~、悪いなオルヴィ。今回の話は色々と厳しそうでな」
「そんな、アッシュさんが謝ることなんて1つもありません。ただ、代わりといいますか、もしよろしければこのあとにでもわたくしと──」
「わたしも残念です。シビラさんの援護ができなくて……」
オルヴィの話を遮る格好で、あどけない顔立ちの女性が割り込んできた。シビラと同じチームであり、《アルビオン》に所属するリトリィだ。
「ちょっと邪魔しないで頂けますリトリィさん!? いまは、わたくしがアッシュさんと話しているのですがっ!」
「あ~、ごめんなさい。なんだか長くなりそうだったので」
普段は大人しいリトリィだが、ことシビラの援護においては強気になる。しかもしたたかに攻めるため、感情的なオルヴィ相手にはめっぽう強かった。いまもムキになるオルヴィを冷静にあしらっている。
「……あっちは逆なんだな」
「1勝1敗か。ま、引き分けってことでちょうどいいんじゃないか」
「ちょっと待てヴァネッサ。それではわたしが負けたみたいではないかっ」
「ん、あたしは誰が勝って誰が負けたなんて言ってないけどね」
ぐっ、と呻くシビラ。やはりこちらの相性もすでに決まり切っているようだ。ただ、いがみあっているとまではいかない、むしろ仲の良さを感じさせる彼女たちの光景は見ていて楽しかった。エールの進み具合も自然と早くなってしまう。
「ア~シュ~た──ごふっ!」
ふいに背後から溌溂とした声が飛んできたかと思うや、どごんっと鈍い音が鳴った。初めてのことであれば驚いていたところだが、このソレイユの酒場ではよくあることだ。アッシュは慌てることなく、振り向く。
と、褐色の肌を持つ小柄な女性──ユインが目に入った。昔から身長はあまり変わっていないが、歳を重ねたこともあって落ちついた雰囲気によって随分と大人びた。背にかかるほどまで髪を伸ばしたことも大きな理由かもしれない。
ユインがぺこりと頭を下げてくる。
「大事なお話し中にマキナさんがお騒がせしてすみません」
「あ、ああ……ってももう話は終わってるんだけどな」
「そう、でしたか」
「待たせてすまないね、ユイン。あんたもアッシュと喋りたかっただろうに」
「そんなことは……ありますけど」
ヴァネッサの言葉を受けて一瞬だけ躊躇したのち、照れ気味に答えるユイン。相変わらず彼女は真っ直ぐな気持ちを向けてくれている。そんな健気な姿に周囲の女性陣が色めきだったような声をあげる中、何者かがユインに飛びかかった。
「もうっ、素直なユインちゃん可愛い~! いじらし~っ!」
片側で結った髪にぷっくり唇が特徴的な女性──ソレイユ一のお調子者のマキナだ。先ほどユインに思いきり殴られて突き飛ばされていたが、どうやら回復したらしい。ユインに抱きついて頬ずりをかましている。
「……可愛いかはべつとして。そうですね、お酒の力でしか大胆になれないマキナさんよりは素直な自信はあります」
「ユ、ユインちゃんはなにを言ってるのかなっ! っていうかアシュたんも平然とエール飲んでないで、こうっ、なにか突っ込んでよ!」
「だってな、いつものことだろ」
「うぐぅうっ! ますたぁ、アシュたんとユインちゃんが意地悪しますぅ~!」
今度はヴァネッサに抱きついて泣きじゃくるマキナ。ヴァネッサが「はいはい」とおざなりにマキナの頭を撫でながら、カップをぐいとあおる。
「ほんと昔に比べて色恋の話が多くなったもんだよ」
「最近ではレッドファングと交際しているという話も聞きますからね。アッシュさん以外の男性となんてわたくしには考えられませんけど」
汚らわしいとばかりに吐き捨てるオルヴィ。出会ったときからそれなりに年月は過ぎたが、オルヴィの男嫌いは相変わらずだった。好いてくれているのは嬉しいが、もう少しほかの男にも優しい目を向けてあげてほしいところだ。
「とりあえずあたしとしちゃ、うちの子たちがダメな男に捕まらないことを祈るよ」
ヴァネッサがあえて酒場内に響くように言ったからか、あちこちでソレイユメンバーが反応しはじめた。
「マスターってばあたしらの心配してる場合じゃないでしょー!」
「自分のことを頑張るべきだとわたしは思いまーす!」
「ほんとですよー!」
「お、言うじゃないか。あんたらも知ってのとおりなかなかの大物でね。でもま、そろそろだと思うよ」
言って、カップに口をつけながら勝気な笑みを向けてくるヴァネッサ。その思わせぶりなしぐさに幾人かの女性が反応を見せた。
「ちょ、ちょっとマスター! その話、本当ですか!?」
「……さすがマスターです。でも、負けません」
「べ、べつに勝ち負けとか考えてないけど……でも、隙間があるならこっそり入ろうかなーなんて思ってたりなかったり」
食い気味にヴァネッサへと迫るオルヴィに、こっそりと闘志を燃やすユイン。マキナに至ってはぼそぼそと呟きながらもじもじしている。
「ほら、シビラさんもアピールしないと」
「ま、待ってくれリトリィっ! いきなり言われても──」
「そんなこと言ってるととられちゃいますよっ」
リトリィに背中を押され、シビラがすっくと立ち上がった。カップを片手に持ちながら、ひどく力んだ様子で声を張り上げる。
「ア、アッシュ!」
「……お、おう」
「わたしは得意というわけではないが、料理ができる。もし一緒になってくれたら……その、可能な限りきみに手料理を振舞いたいと思っている」
「つまり結婚ということですね」
リトリィがにこやかに補足した。
瞬間、またも酒場に歓声が沸いた。
「お、おいリトリィ! それは色々と飛ばしすぎじゃないか!?」
「いいえ、これぐらいじゃないと負けちゃいますよ」
「言うじゃないか、シビラ! これはあたしもうかうかしてられないね」
さらに熱を帯びはじめる酒場。
自業自得だが、なんとも居心地が悪い。なんてことを思っていたとき、バンバンと背中を叩かれた。振り返った先に立っていたのは、巨体の女性。《ソレイユ》で最硬の盾役挑戦者──ドーリエだ。
「アッシュ、結婚はいいよ。ははっ」
その気持ちのいい笑顔からは、ヴァンとの結婚生活がいかに充実しているかがありありと伝わってきた。
──特別クエストが終われば答えを出す。
そう仲間たちに告げたが……どうやら設定せずとも期限はもとから近かったのかもしれない。そんなことを考えながら、アッシュは味のしなくなったエールを一気に飲み干した。





