◆第四話『彼女たちの選択』
夜を迎えても中央広場はなかなか静まらない。
幾つかの酒場から漏れる賑やかな声がずっと聞こえてくるからだ。ただ、うるさいと感じることはない。むしろ程よく抑えられた人の声が不思議と心地よく感じられた。
1杯だけでもどこかで飲んでいくか。一瞬そう思ったが、あまり気が進まなかった。落ち込んでいるわけではなく、なんとなくいまの気分を長く味わっていたいと感じたからだ。
……アイリスとあんな風に喋れる日が来るとはな。
相変わらず会話を交わせば棘は飛んでくるが、最初の頃よりは打ち解けている気がする。相談を持ちかけられるぐらいだし、きっと自惚れではない……と思う。
これまで幾度も理不尽な怒りは向けられたものの、それも主であるアイティエルへの愛情ゆえ。嫉妬と思えば可愛いものだ。大体、彼女には何度も助言をもらっている。そんな恩ある相手に頼られたからには可能な限り応えたかった。
そんなことを考えているうちに中央広場を抜けていた。森林地帯を進み、ログハウスの近くまで辿りつく。
今日は早朝から夕方まで通しで狩りをしていたし、もしかしたらクララたちはもう寝ているかもしれない。そう思っていたが、ほのかな灯がログハウス内からこぼれていた。
「あ、アッシュくん! おかえり~!」
「おかえり、アッシュ」
「おかえりなさい」
元気なクララの声に、爽やかなルナの声。
そして淑やかなラピスの声。
扉を開ければ、聞き慣れた3つの声に迎えられた。
「起きてたんだな」
「うん、ちょっとね」
3人は寝衣姿で居間のソファにばらけて座っていた。特段、おかしくはないが、なにか雰囲気がいつもとは違う気がする。疑問から思わずじっと見てしまったが、居心地が悪くなったようにクララが「そ、そう言えば!」と声をあげた。
「アイリスさん、なんの用事だったの?」
「あー、ちょっと相談を受けてただけだ」
そう答えながら、1番手前のソファに腰を下ろした。
隣に座っていたクララの体がわずかに上下に揺れる。
「あのアイリスさんがアッシュくんに相談?」
「たしかに意外だね。いつもアッシュのこと目の敵にしてたし」
クララとルナが揃って目をぱちくりとさせていた。普段のアイリスとのやり取りを見ている人間なら無理もない反応だ。ただ、ラピスに関しては「……あやしい」と目を細めていた。なにかおかしな邪推でもされていそうだ。
「本当に大したことじゃない」
「いずれにせよ相談事ならあんまり問い詰めるのはよくないね」
「……そうね」
ルナの一声でラピスも渋々ではあったが、引いてくれた。クララだけは「うー、気になる」とうずうずしたままだったが。どうして彼女たちがそんな反応するのかは痛いほど理解している。だからか、安心させたいという気持ちが先だった。
「皆が心配するようなことはなにもない」
直後だった。彼女たちが揃って顔を見合わせて力強く頷いたかと思うや、対面のソファに座りなおした。クララとルナがラピスを挟む格好だ。さらに、なにやら3人とも意を決したような目をしている。
「そ、そろそろいいんじゃないかなと思うんだけどっ!」
クララが夜には相応しくない大声をあげた。若干、大きすぎて耳に突き刺さるような声だった。ただ、ひどく必死な顔だったせいか、その気持ちがいかに大きいかがありありと伝わってきた。
──いったいなにが〝いい〟のか。
色恋に関して塔を昇り切ったら考える。
そう好意を寄せてくれる女性たちに対して伝えていた。おそらく……いや、間違いなくそのことについてだろう。
いまでこそ200階となった塔だが、その話をした時点での頂は100階だ。にもかかわらず、100階を攻略してからいまだ答えを出すに至っていない。彼女たちがしびれを切らすのも無理はなかった。
現れたさらなる大きな壁。
それを越えることが楽しくて夢中になってしまったこともある。ただ、それ以上に答えを出すことがひどく難しかったのだ。
ラピスにクララ、ルナ。いまはこの場にいないが、ウルやヴァネッサ、シビラ。オルヴィにユイン、マキナ。この島に来て知り合った彼女たちは純粋な好意を向けてきてくれている。誰もが魅力的で優劣をつけることなんてできなかった。
「ね、アッシュ」
しばらく無言が続いた中、ルナの声がそっと居間に響いた。続けて彼女は優しく微笑むと、紡ぐようにその言葉を口にする。
「誰か1人を選ばなくてもいいんだよ。もうずっと前から話してるから」
1つの選択肢として考えたことがないわけではなかった。だが、まさかそれを女性側から聞くことになるとは思いもしなかった。しかも、いまの話しぶりではルナだけではないといった感じだ。クララがわかりやすく同意見だとばかりに頷いている。
「ラピスもそう、なのか?」
そう問いかけると、ラピスがわずかに俯いた。
わずかに肩を震わせながら、とつとつと話しはじめる。
「わたしだけを選んでくれたら、それ以上に嬉しいことはないけど。でも、難しいってことはすごくわかってるから」
そこまで言い終えると、彼女は「そ、それに……っ!」と言いながら両隣に座るクララとルナの手を取り、ぎゅっと握った。再び顔をあげたのち、少しはにかむように口にする。
「クララとルナのことは、わたしも好きだから。2人とならって」
ラピスはあまり人前で好意をあらわにしない。そんな彼女が好きだとはっきり言い切ったことに、居合わせた全員が目を瞬かせた。当のラピスは慣れないことをしたからか、耳まで真っ赤になっている。
そんな中、誰より先に反応したのはルナだった。
ラピスの手を握り返し、ほんの少しだけまなじりを下げた。
「言おうと思ってたこと、先に言われちゃったな」
「ラピスさん……っ! あたしも大好きだよっ」
「ちょ、ちょっとクララっ」
クララに至っては歓喜のあまりラピスに抱きついていた。ラピスも一瞬だけ鬱陶しがる素振りを見せたものの、クララの純真な好意の前に折れたようだ。もうっ、とため息をつくだけでされるがままだ。
ラピスがあまり感情を表に出さないこともあり、最初の頃は女性陣の間でどうしてもぎこちなさが拭えなかった。だが、塔を昇るうちにそれも薄まり、いまや彼女たちの仲は家族のような深い信頼関係を築いていた。
3人とも大切で特別な存在だ。
彼女たちがこうして深く結ばれていることはなにより嬉しかった。
「そういうことだから。アッシュ、ボクたちのことは気にしなくてもいいからね」
代表してルナがそう告げてくると、
「アッシュくんのことだから、このまま塔にべったりで誰も選ばないなんてこともありそうだなって心配してたんだよ。さすがにない……と思ってたんだけど。え、ないよね?」
「あの顔、ありえたっぽいね」
「アッシュらしいけど……さすがにそれはないと思うわ、アッシュ」
まさしく返す言葉がなかった。
色恋というものは塔に現れる敵よりよっぽど厄介な相手だ、といまほど思ったことはない。だが、もうこれ以上は避けてとおるつもりはなかった。
「前向きには考えてる」
「ほ、ほんと!?」
弾かれるようにして身を乗りだすクララ。ルナとラピスも目を見開いている。それほどまでに関心がないと思われていたのか。いや、待たせた期間が期間だ。そう思われても仕方がないかもしれない。
大切な仲間であり、友人。
そこから1歩踏み出せば、大きく環境が変わる。
色々なしがらみも付きまとってくる。
だが、それでも──。
彼女たちと一緒になりたいという気持ちは以前よりも強くなっていた。
いまも胸中を巡る気持ちは完全に整理できたとは言えない。だが、この機会を逃せばまたずるずると先延ばしにしてしまいそうな気がした。
アッシュは一度息をついたのち、彼女たちの顔をしかと見ながら告げる。
「今度のクエストを突破したら答えを出そうと思う」





