◆第三話『アイリスの家にて』
「そこに座って待っていてください」
翌日。アッシュは《スカトリーゴ》の営業時間が終わったのち、アイリスの家を訪れていた。
以前に訪れたウルの家と同様に木造りでそう広くはない。構造もいたって簡素で2階建て。通された1階の居間には食卓用と思しきテーブルと台所があるぐらいだ。
木材の独特な温もりはあるものの、ウルの家とは違ってどこか爽やかさがあった。葉擦れの音が聞こえてきそうな、そんな柔らかな風が吹いているような空気感だ。調度品に関しては必要最低限。雑多に物も置かれておらず整然としている。
「人の家に来るなりじろじろと見回すのはどうかと思いますが」
アイリスから早々に牽制が飛んできた。
彼女はいま、台所に立って茶を用意してくれている。仕事中ではないというのに彼女の立ち姿は変わらず綺麗だ。
アッシュは椅子に座るなり頬杖をついた。
そのままアイリスの後ろ姿を眺めながら口を開く。
「悪い。でも、なんか思ってた印象そのまんまだな」
「……あなたの想像の範疇に収まっているというだけでなんだか納得いきませんね」
「理不尽すぎるだろそれ。これでも一応褒めてるんだぜ」
「そのようには聞こえませんでしたが」
信用がないのか、あるいは彼女が疑り深いのか。いずれにせよ、遠回しに言ったところで伝わる気配はなさそうだ。
「アイリスって《スカトリーゴ》の仕事ぶりを見る限り丁寧だし手際がいいだろ。だから家も散らかってないだろうなって思ってたんだよ」
「裏では違うかもしれないとは考えなかったのですか?」
「隠そうともしない棘のおかげでな」
そんな他愛もない会話をしているうちに、どうやら茶を淹れ終わったようだ。アイリスがトレイに2人分のカップを載せて運んでくると、テーブルに並べてくれた。
「あなたのその軽口がなくなれば少しは隠れるかもしれませんよ」
「性分だからな。無理な話だ。それにもう最近はなんとも思わなくなってきたしな」
アイリスが席につきながら、「どうぞ」と茶をすすめてくれた。淹れたてとあってか、ふんだんに香りを感じられる。これもまた印象通りの爽やかなものだ。
飲んでみるとすっきりとしているものの、深いあじわいがある。思わず「美味いな」とこぼしてしまう。ちなみにアイリスの反応は「そうですか」と淡泊なものだった。
「それで話ってなんだ? またアイティエル絡みか?」
「……いえ」
わずかな間を置いたのち、アイリスがすっと目をそらしながら答えた。
なにか言いにくいことなのだろうか。幸いなことに明日の狩りは遅めの開始だし、このあとの予定もとくにない。アッシュは彼女が淹れてくれた茶を楽しみながら、のんびり待ちつづけた。
「……実は近々、ウルの誕生日があるのですが、そこでなにか特別なことをしてあげたいと考えています。ただ、いい案が思いつかなくて……困っているのです」
思わず拍子抜けしてしまった。深刻な話かと思っていただけに明るい話題だったからだ。ただ、すぐさまその考えを振り落とした。大事なことだ。
「ウルの誕生日か。そういや知らなかったな」
「そういったことを自ら話すミルマは少ないですから」
人間とミルマはそう変わらない。が、どこかで隔たりがある。どちらかが嫌悪しているわけでなく、単純に彼女たちが1歩引いているという感じだ。きっとこの距離は人間から踏み出さなければ縮まらないだろう。
「にしてもどうして俺なんだ? アイリスのほうがよっぽどウルのことを知ってるだろ」
「あの子はあなたのことをとても慕っているようですから。不本意ではありますが」
「……不本意なのかよ」
島に来て間もない頃は、ウルと少し親しくするだけで悪態をつかれていた。最近はそういったことも少なくなっていたと思っていたのだが……どうやら心情的にはまだまだ許せていないらしい。
アッシュは苦笑しつつ、背もたれに深く身を預けた。
「いままではどうしてたんだ? 2人のことだし、一緒にはいたんだろ」
「はい。ささやかではありますが食事をともにしていました。ですが、今回はもう少しあの子が喜ぶことをしてあげたい、とそう考えています」
「どうして今回に限って?」
「とくに深い理由はありません。ただ、わたし自身、あの子から多くのものをもらってばかりだと……最近はそう強く感じるようになっただけです」
基本的にはウルがなにかを失敗して、その尻ぬぐいをするアイリス。といった構図の印象だ。ただ、アイリス的にはそれを補って余るほどのものをもらっているという。
「ウルはアイリスのことが大好きだからな。一緒に食事をして祝うだけでも喜びそうなもんだが」
現状維持を軽くほのめかしてみたが、どうやらアイリスはそれだけで満足できない様子だ。
「ってなると、やっぱプレゼントだよな」
「わたしもその線は考えたのですが……なにを贈ればいいのか」
「単純にウルが好きなものでいいだろ。クルナッツとか」
「……食べ物ですが。すぐになくなってしまうものを贈るのは少し抵抗がありますね」
「気持ちはわかる。贈る側としてはずっと残るものって考えちまうしな。でもま、その一瞬一瞬で喜んでくれるものってのもいいんじゃないか?」
どれだけ長持ちするものでも、相手が喜んでくれなかったら意味がない。独りよがりにならないためにも、結局は相手が喜ぶかどうかだけを考えるべきだ。
「ま、俺だったらアイリスからもらったってだけで嬉しいけどな」
「そう、なのですか?」
「そりゃそうだろ。あの睨みまくってくるアイリスからだぜ」
いつもとは違ってあまりにアイリスがしおらしいので思わず冗談交じりに言ってしまった。案の定、思惑通りに彼女から鋭い眼光が向けられる。
「ほんの少し……いえ、目に見えないぐらいの小さな粒ほどあなたに気を許してしまったわたしの心を抹消したいです」
「そいつは惜しいことをしたな」
実際にそう思ってはいるが、やはりいつもの少し刺々しいぐらいが彼女らしくていい。アッシュは肩を竦めたのち、ふっと笑う。
「ま、ありきたりな意見だが……祝ってくれる気持ちだけでも嬉しいと思うぜ。そういうの、ウルがなにより大事にしてるのはアイリスが1番知ってるだろ」
「そう……ですね」
きっとアイリスも自身で答えを出していたはずだ。ただ、それに自信を持てなかっただけのように思う。アイリスはわずかに俯いていたが、再び顔を上げたときには少しすっきりした様子だった。
「不本意ではありますが、あなたに相談して正解でした」
「大したことは言ってないけどな。あとその不本意はどうにかならないのか」
「それは無理な相談です」
真顔かつ即答されてしまった。
「ともあれ、さすがはアッシュ・ブレイブですね。多くの女性を手籠めにしてきただけのことはあります」
「手籠めってな……みんな大切な友人だ」
「友人、ですか」
アイリスがなにやら意味ありげに〝友人〟部分を口にすると、ほんの少し目を細めながらじっと見てきた。
「ミルマの耳がいいことは知っていると思いますが、よく噂されていますよ。誰があなたの恋人になるのか、と」
「……なんだそれ」
「中には賭けの対象としている挑戦者たちもいるようです」
女性関係について茶化されることは幾度もあった。
だが、まさか賭けの対象にまでなっているとは。考えたくはないが、それだけ注目されているということなのだろう。
「ウルを泣かせることだけは許しませんから」
「俺もそうなることは出来れば避けたいところだ」
アイリスから向けられた目は100階で戦ったときよりも厳しいものだった。どれだけウルのことを大切に思っているかが伝わってくる。
「さてと……話は終わったみたいだし、そろそろ帰るか。茶、美味かったぜ」
アッシュはカップを置いたのち、立ち上がった。アイリスと長話をする機会はそうそうないし、個人的には続けたいところではある。ただ、遅い時間とあってあまり長居するのも気が引けた。
アイリスも立ち上がり、軽く目を伏せつつ頭を下げてくる。
「ありがとうございました。相談に乗って頂いて」
「さっきも言ったが、大したことはしてない。気にしないでくれ」
「ではお言葉どおり気にしないことにします」
なんともあっさりしている。
とはいえ、個人的に彼女のこういったところは嫌いではなかった。
「では3日後。よろしくお願いします」
「……ん? よろしくってどういうことだ?」
扉に持っていこうとした手を止め、思わず振り返る。
と、アイリスが心底疑問だとばかりに首を傾げていた。
「なにを言っているのですか? あなたもウルの誕生会に参加して頂くという話です」
「初耳だな。いや、参加すること自体がいやなわけじゃなくて、むしろ俺もウルには色々世話になってるし一緒に祝えるならありがたいんだが……でも、いいのか?」
いつも2人きりで祝っているという話だ。
邪魔になることを心配したのだが……。
「あなたのことはウルも気に入っているようですから。それに相談を聞いていただいたお礼もしたいので」
「そういうことなら遠慮なく参加させてもらうか。アイリスの手料理も楽しみだしな」
「うっかり手が滑って毒を盛ってしまったらすみません」
「それは間違いなくうっかりじゃないだろ……」
そうですね、と応えるアイリス。ほんのわずかだが、その口元が綻んだように見えた。島に来た当初からしてみれば、家に上げてくれるなんてことはもちろん、こうして微笑んでくれるなんて考えられなかったことだ。
「じゃあな」
ウルだけではなく、アイリスとも少しは距離が縮まっているのかもしれない。そう感じながら、アッシュは手を振ってアイリスの家をあとにした。





