◆第二話『特別クエスト』
「どれぐらいかかるんだろ。あたしもうお腹ぺこぺこなんだけど……」
クララが両手で腹を押さえながら弱々しい声をこぼした。
塔から帰還後、直接ベヌスの館を訪れていた。
すでに2階へと通され、部屋の前で待たされているところだ。
当然だが、クエストを受けるために多くの挑戦者が訪れる昼間とは打って変わって物静かだった。1階に関しては灯もほとんどない。夜に来たことがなかったため、どこか別の場所のように感じられる。
「なんなら先に帰っててもいいぞ。話を聴くだけっぽかったしな」
「あたしもチームの一員だし、こういうのはちゃんと一緒に聴いておきたいよ。それにここで抜けたらなんか我慢できない子供みたいじゃん……」
妙なところで体裁を気にする辺りクララらしい。実際はそんなことを気にしている時点で子供っぽいのだが、指摘すれば拗ねてしまうことは目に見えている。ほかの仲間たちもあえて指摘せずに優し気な目で笑っていた。
「たしかに、クララくんももう立派な大人だからね」
「そうそうっ、あたしももう立派な大人の女性だから。レオさんわかってるー!」
レオの言葉を受け、あっさりと調子を取り戻すクララ。直後、この流れを予想していたとばかりに、ルナがすかさずにこりと微笑む。
「じゃあ我慢するしかないね」
「うぅ……」
またも腹を押さえるクララを見て仲間たちと笑いあう。
チームのメンバーが揃ってから結構な時間が経っているが、これからもクララを可愛がるこの構図は変わらなさそうだ。
そんなことをしみじみと思っていると、そばの扉がゆっくりと開かれた。姿を見せたのはいつも階段下で番人をしているミルマだ。
「どうぞ、中でアイティエル様がお待ちです」
アッシュは仲間とともに促されるがまま中へと入る。
派手さはないものの、上質な壁材や床材で彩られた広い部屋。奥の段差の先には荘厳な椅子が置かれ、そこに館の主──いや、世界の主とも言える存在が座っていた。
床につくほどの長さを持つ髪も、肌理の粗さがまったく見当たらない肌も。まるで妖精の羽で織られたかのごとく精緻で柔らかなドレスも。すべてが清廉な白で彩られたその存在は、間違いなくすべての者に打ち勝つ美しさを誇っている。
神アイティエル。
このジュラル島を創った世界唯一の神だ。
そばには当然とばかりにアイリスが控えている。
主の前とあってか、いつも以上にきりりとした顔つきだ。
この部屋には両手で数えられるほどしか入ったことがない。ただ、アイティエルの半身を倒す前とは違い、重苦しい空気は感じられない。塔を攻略してすぐに呼び出されたこともあり、緊急性の高い話かと思っていたが……どうやらその線はなさそうだ。
「よっ、アイティエル」
アッシュは仲間とともにアイティエルと対峙するなり、そう気軽に声をかけた。途端、アイリスから思いきり睨まれてしまった。
「またあなたは……何度言えばわかるのですか」
「よい、アイリス」
「ですが……っ」
「構わん。こやつらには大きな借りがあるからな」
主からの言葉とあって渋々ではあるがアイリスが引いた。ただ、その視線の鋭さだけは消えずにこちらに向けられている。とはいえ、彼女からあんな目を向けられるのはこれが1度や2度ではない。というか彼女には悪いが、完全に慣れてしまった。構わずにアイティエルとの話を続ける。
「寛大な神様でなによりだ。っていうかそもそも格式ばったのとか好きじゃないだろ。あんな姿で外に出るぐらいだしな」
「よくわかっているではないか」
アイティエルはもう半身のために力を割く必要がないため、本来の力を取り戻している。そうした事情もあってか、よく館の外に出てくるようになった。それもなぜか決まって初対面のときと同じくあの子供ミルマの姿でだ。おかげでいまや挑戦者の間ではマスコット的な立場を確立している。
「アッシュくんとアイティエル嬢は羨ましいぐらい本当に仲がいいね」
「神のことをほかの奴と同じように呼ぶレオも大概だけどな」
そもそも嬢なんてつける歳でもないだろう。なんて思っていると、こちらの考えを見透かしたのか、読んだのか。一瞬だけアイティエルから鋭い目を向けられた。どうやら神も年齢のことは気にするらしい。
「で、いったいどうしたんだ? こっちはついに101階を突破したばかりでくたくたなんだが」
「そう時間をとらせるつもりはない。もう1度腹が鳴くまでには終わらせるつもりだ」
アイティエルがくすりと笑みをこぼしながら言った。
その意味をすぐに悟った仲間たちが一斉にクララを見やる。と、クララも自分のことを言われていると気づいたようだ。顔を赤らめると、慌てて両手で腹を押さえた。
「え、えぇっ! なんで知ってるのっ!?」
「どうせいつもの覗きだろ」
どうやら当たりだったようでアイティエルが口の端をわずかに吊り上げた。そんな神をラピスがわずかな嫌悪感を滲ませながら睨みつける。
「いつも思うけど、本当に悪趣味ね」
「貴様らの情事を覗いたことはないから、そこは心配しなくてもいいぞ」
「じょ、情事って……わたしはまだっ」
「ほう、まだなのか」
「……そ、それは」
ラピスがほんのりと頬を赤らめながら、こちらをちらりと見てくる。釣られてか、全員の視線が一気に集まった。なんとも居心地が悪い。
「そうかそうか」
アイティエルがなにやら満足気な声をあげかと思うや、にやにやしながらアイリスのほうを見やった。
「だそうだ、アイリス」
「……なぜそこでわたしに振るのですか?」
「いや、ただ言ってみただけだ」
とくに掘り返すことなく話題を終わらせるアイティエル。相反してアイリスはなにか言いたげだったが、息を吐いて気持ちを収めているようだった。
「さて話をするか。101階を攻略してみての率直な意見を訊きたい」
早速とばかりに切り出されたアイティエルの言葉に、アッシュは仲間と顔を見合わせた。101階の攻略にかかった時間は約1年と2ヵ月。いまだかつてここまでの時をかけたことはない。
「敵が強いのはもちろん、これまでよりも厄介だったな」
「だね。101階に挑戦するときはボクの鎧なんていつもボロボロだったし」
苦笑しながら同意するレオ。《黄昏の狂信者》という幾度も攻撃を加えなければ倒せない相手がいたこともあり、処理が遅くなるのは常だった。そのせいで長時間、相手をするレオがもっとも割を食ったのは間違いなかった。
ふむ、とアイティエルが頷きながら右手で頬杖をついた。
「貴様らは知らんだろうが、我は塔を創造して以来、幾度も調整を行ってきた。100階に到達すると同時に人間の限界になるべく近づけるように、とな」
「それを誰かさんが101階以上を創ってほしいってお願いしたせいで、バランス調整がすごく難しくなっちゃったわけだ」
そうルナが口にした言葉に、アイティエルが「まったくもってそのとおりだ」と頷く。揃って呆れつつ笑うという器用な真似をしながら、こちらを見てくる2人。
「一応、みんなも同意してくれただろ」
「ま、そうなんだけどね」
塔の頂に達し、神を倒せばなんでも叶えられる望み。そこで100階以降を創ってほしいと願うことがどれだけ異質かはさすがに理解している。だが、それでも倒したのが本当の神ではないことが引っかかってしまったのだ。
相手はジュラル島や塔を創るほどの力の持ち主だ。人の身であれば勝てるはずがないこともわかっている。それでも可能な限り迫りたいし、勝ちたいという気持ちを諦めたくはなかった。今回の件に関してもそうだ。
アッシュは眉根を寄せながら、牽制するように問いかける。
「もしかして弱体化させるのか?」
「それも考えたが……お前のことだ。それではつまらんだろう」
「よくわかってるじゃねえか」
話の流れからもしやと心配したが、杞憂だったようだ。クララに至っては、「あたしはべつにいいけど……ま、アッシュくんならそういうよね」とわずかに惜しむような声をもらしていたが。
「攻略させるつもりがないものを創ったところでなにも面白くはない。我としては、あらゆる手を使ってでも貴様ら人の子らが最大限に苦しみながら、現時点で最高の200階に到達できるよう調整するつもりだ」
傍らではラピスが「本当に悪趣味ね」と冷めた声をこぼしていたが、その手に拳を作っていた。基本的に彼女も強い敵との戦闘を楽しむタイプだ。傍らではレオが「ぞくぞくするね」と興奮したように震えていたが、見ないことにした。
「っても、弱体化しないならどうするつもりなんだ?」
「100階を攻略した時点である特別なクエストを受注可能にする。そのクエストを達成することにより攻略に役立つものを与えることにした」
「そういうことか」
つまりは装備や道具で挑戦者側を強化し、相対的に攻略難度を下げるというわけか。単純に敵を弱体化させるよりは心情的にも納得のいく調整だ。
「でも100階突破が条件とか……すごくやばそうな気がする」
クララがまなじりを下げながら怯えをあらわにすると、アイティエルがふっと笑った。
「そう身構える必要はない。ただ1体の敵を倒すだけのひどく簡単なものだ」
「どうせその1体が強いんでしょ~……」
「たしかに簡単ではないな。……アイリス」
アイティエルに呼びかけられ、「はい」と応じたアイリスが説明しはじめる。
「クエストを受注できるのは100階突破者のみですが、参加者は10人までとなっています。また同行者に制限は設けません」
「もちろん我以外だが」
そう冗談交じりに補足するアイティエル。仮に呼べたとしても強大な力を借りて倒したところで面白くもなんともない。わかりきったことを言ってなにを考えているのか。そんなことを考えながら、アイリスの説明を受けて思いついたことを口にする。
「ってことは9等級とか10等級の奴らも呼べるのか。なんか大型レア種を討伐するときみたいだな」
「そのように考えて下さって構いません」
100階を突破しなければ受けられないような難度だ。当然ながら生半可な戦力で臨めば失敗することは目に見えている。実力的にもヴァネッサとシビラのチーム、ベイマンズチームに協力してもらうことになるだろう。
「なるほど。報酬次第だけど……100階に未到達の挑戦者を引き上げる目的もありそうだね」
「まさしくそのとおりだ」
ルナが口にした見解に、アイティエルが満足気に答えた。
これまで100階だった到達点が、いまでは200階となっている。すべての挑戦者がより200階に近づくのを早めようとすることはなにもおかしくはない。
「で、肝心の報酬はなんなのかな?」
ずっとうずうずしていたクララが、ついに待ちきれずこぼした。相変わらず彼女らしいが、たしかに特別とまで称するクエストだ。報酬が気にならないはずがない。
「《エネルギーコア》3個です」
「……え、え? 《クリスタルドラゴンの心臓》じゃなくて加工後の現物?」
「はい、そのとおりです」
クララが目を丸くしながら口をぽかんと開けた。
無理もない。
それほどまでにわかりやすく価値ある報酬だったからだ。
《エネルギーコア》は、5回に限りオーバーエンチャントの成功率を大幅に上げてくれるものだ。1個作るために必要な材料費は150万から200万ジュリー。ただ、問題は費用ではなく、かかる時間だ。
肝となる《クリスタルドラゴンの心臓》が1ヵ月に1度しか湧かないクリスタルドラゴンを討伐することでしか入手できない。つまり3個であれば3か月もの時間を短縮できることになる。
「受けよう! いますぐ受けるべきだよアッシュくん!」
「ほんとクララはわかりやすいね」
「クララくんらしいと言えばらしいけどね」
警戒心丸出しの最初とは打って変わって乗り気のクララに、ルナとレオが揃って苦笑していた。そんな光景を横目に見ながら、ラピスが口にする。
「どのみちアッシュは受けるつもりだったみたいだけど」
「当然だ。報酬抜きにして特別なクエストってだけでも面白そうだしな」
塔をより高くまで昇るには強くなる必要がある、そして強くなるためには、やはり多種多様な強敵と戦うのが手っ取り早い。この話を受けない理由がない。
「言っておくが、お前たちが戦ってきた大型レア種とは比べ物にならんぞ。選ぶ挑戦者も個の力が弱ければ死ぬことも充分にありえるだろうな」
「だとしても、あんたよりは弱いんだろ」
「相変わらず生意気な奴だ」
言葉とは裏腹に、アイティエルの顔は嬉しそうだ。彼女が創りだす塔内部はイヤらしいものばかりだが、自分にとってはこれ以上ない最高の神であることは間違いない。アイティエルがこの世界唯一の神でよかったと心の底から思える。
「では同行者が決まり次第、また我のところに来い。相応しい舞台を用意してやろう」
◆◆◆◆◆
「も~お腹ぺこぺこで倒れそう……」
廊下に出るなり、クララが呻くように声をあげた。特別クエストの報酬を聞いて元気一杯だった先ほどまでが嘘のようだ。ルナが何食わぬ顔で提案する。
「じゃあ、アッシュにおんぶしてもらえば?」
「べつに構わないが」
クララほど飢餓状態ではないし、背負って帰るぐらいなんともなかった。即座に応じたが、肝心のクララが複雑な表情で硬直。こちらをじっと見ながら拳を作った。
「が、我慢する」
「子供扱いが嫌みたいよ」
「うぐ……ラピスさんっ」
顔を真っ赤にして抗議するクララに、くすりと控えめに笑みをこぼすラピス。
最近ではルナだけでなく、ラピスもクララのことをよくからかうようになった。というより女性3人の仲が日を追うごとに深まっている気がする。チームでの活動以外にも、ログハウスで寝食をともにしていることがやはり大きいのかもしれない。
「そんなクララくんにはこれ。《エンシェント0》! ロケット噴射でログハウスまでひとっ飛びで帰れる優れものさ。いまなら装備することを条件にシリーズセット、タダでプレゼントするよ!」
「いつの間に常備してたの……っていうかタダでも絶対にいらないよ。あの装備だけはなにがあっても着るつもりないから」
「そ、そこまで拒絶するなんて……っ」
クララに続いてルナが「たしかにあれはちょっとね」と苦笑し、ラピスが「生理的に無理」と両断。レオが崩れ落ちた。階段が近かったこともあり、そのまま転がり落ちていってしまう。
「おーい、無事かー? まあ無事だろうけど」
「や、やっぱり僕にはアッシュくんしか」
「いや、俺も着るつもりはないからな」
局所的に活躍する場面はあるかもしれないが、それ以外の能力はさほど高くない防具だ。あえて身につける必要性を感じない。レオには悪いが、1人で満足してもらうしかない。
「──アッシュ・ブレイブ」
なにやら後ろから呼び止められた。
振り返った先、立っていたのはアイリスだ。
「どうした?」
先ほどの場では、アイリスの言う〝無礼〟を幾度も働いた。それに対する嫌味でも言われるのかと思いきや、どうやら違うようだ。なにやらアイリスが俯いたまま、上目遣い気味にこちらを見てきた。そのまま口を小さく開き、ひどくか細い声をこぼす。
「明日の夜、少し時間を頂いてもよろしいでしょうか。……あなたに聞いて頂きたいことがあるのです」





