◆エピローグ『五つの塔の頂へ』
「まだ準備してたのか。もうそろそろだぞ」
アッシュはログハウスのリビングに出るなり、そう告げた。
リビングではクララとルナ、ラピスの3人が外出の準備をしていた。ただ、魔物と戦うために準備していたときとはまったく違う。
クララはルナに髪を可愛らしく編んでもらい、ラピスは鏡を覗き込んで身だしなみを整えている。衣装に関しても塔産のものではない。飾りつけが簡素な落ちついた印象のドレスを身につけていた。
「アッシュはわかってないわ」
「そうだよ。女の子にとっては大事なことなのっ」
「あはは……これを機にアッシュには色々と女心を知ってもらわないとね」
3人から揃って批難を浴びてしまった。
ただ遅刻を懸念しただけで散々な言われようだ。
アッシュは肩を竦めつつ、ソファにどかっと座った。
「にしても、2人ともだいぶ伸びたな」
ルナとクララの髪に対しての発言だ。ルナは背にかかるほど、クララに至っては腰辺りにまで届いている。
「誰かさんが長いほうが好きなのかもって思ったからね」
「あ、あたしは……ただ、長いのも試してみたいなって」
ルナは思わせぶりな視線を、クララはちらちらと恥ずかしそうな視線を送ってくる。
2人とも本当にわかりやすいしぐさだ。とくに長い髪が好きだと言った覚えはないし、実際にそういった嗜好もない。ただ、彼女たちが髪を伸ばした姿もよく似合っているので否定するつもりはなかった。
「なら、わたしは逆に短めを試してみようかしら」
ラピスが自身の髪を触りながら言った。
いまは結い上げているのでわかりにくいが、彼女の髪は以前と同じ長さだ。
そんなラピスの発言にクララが飛び跳ねるように立ち上がる。
「えっ、短くしちゃうのっ!?」
「伸ばした理由も、ある人に意識してもらうためだったし」
ラピスが無表情の顔を向けてくる。〝誰かさん〟だったり〝ある人〟だったりと、わざわざ遠まわしに言ってくるのはどういう意図なのか。おかげで居心地が悪いことこのうえない。
「ラピスはいまのままでいいと思うけどな」
「ならこのままにする」
あっさりと受け入れられた。そばではクララが「やっぱり伸ばしたのは正解だったってことだよね」と両手をぐっと握っている。どうやらクララが指標にした相手はラピスで間違いないようだ。
「おーい、アッシュくん!」
こんこん、と小突く音とともに声が聞こえてきた。
見れば、リビング脇の窓の外にレオの顔が映っていた。
「お、レオか。入ってくれ!」
こちらの返答から間もなく、レオが扉を開けて入ってくる。
彼もまた狩りをする際の姿とは違い、真っ白な衣装にネクタイをつけた格好をとっていた。以前に一度だけ見せてもらったことがあるが、シュノンツェ貴族の正装だそうだ。
「お、みんなおめかししてるね。いつにも増して美人さんだ!」
レオが女性陣を目にするなりそう称賛した。
クララが自身の体を見下ろしたのち、ぱあっと陽のような眩しい笑みを浮かべる。
「だって結婚式だもん。今日ぐらいは綺麗にしないとっ!」
◆◆◆◆◆
ベヌスの館の扉が開かれると、そこから2人の男女が出てきた。
男のほうは《レッドファング》のヴァン。
女のほうは《ソレイユ》のドーリエだ。
本日、2人の結婚式が行われていた。
なんでもジュラル島が出来てから初めての試みだそうだ。
いま、周囲には思い思いの小奇麗な礼装に身を包んだ挑戦者たちが多く集まっている。だが、そんな中においてもヴァンたちは誰よりも華やかで目立っていた。
「くぅ、ヴァンさんかっけ~!」
「さすが最高の女を手に入れただけあるぜっ」
「ドーリエさん、すごく綺麗……!」
「ほんと、あたしもいつかあそこに立ちたいわ……」
《レッドファング》や《ソレイユ》のギルドメンバーからあがる興奮の声。
先ほど誓いの儀式も終わったところで参列者の熱も一気に上がっていた。集まった多くの挑戦者から贈られる祝福の拍手と声に、2人がわずかに照れながら手を振って応じている。
小柄なヴァンに、大柄なドーリエ。
姿こそ対照的な2人だが、互いにはにかむ姿を見る限りやはり相性は抜群のようだ。
そんな華やかな光景の中、ひとり遠目から無表情を貫いている参列者がいた。ヴァンの所属する《レッドファング》のマスターであるベイマンズだ。アッシュはヴァンたちの姿を視界に収めつつ、そっとベイマンズの隣に立った。
「まさか知ってたなんてな」
「こんな狭い島だぞ。さすがに耳に入るだろ」
「それでもベイマンズならバレないだろって空気があったぜ」
「俺をなんだと思ってやがる。……身を固めるぐらいの覚悟があるってんなら俺はなんも言わねぇよ」
そう言い残して、ベイマンズは鼻を鳴らして去っていく。と、入れ替わるように同じく《レッドファング》のロウがそばに立ち、苦笑いを浮かべた。
「あれでも喜んでいるんだが、色々あってな」
「その辺は察してるつもりだ」
表に出して喜べないのは、これまでギルドの掟として女性との付き合いを禁じてきたからだろう。ただ、それも今回の件でなかったことになった。身内には甘いベイマンズらしい決断だ。
「それよりきみはどうなんだ」
「どうってなにが?」
「とぼけるつもりか。きみを好いてくれている女性たちのことだ。相手は決めたのか? 塔を昇り終えたら、という話だっただろう」
「いや、決めるとかそういうのは全然だ。そもそも選ぶってのがどうしてもな」
正直、誰かを選ぶというより彼女たちを比べられない。
誰もが魅力的で一緒にいたいと思う気持ちは同じだ。
「優柔不断ともとれるが……あれだけ魅力的な女性たちだ。無理もない。だが、そうした思いがあるのであれば、そうはっきりと伝えるべきだとわたしは思う。でなければ殺し合いでも始まりそうだ」
ドーリエが片手に持った花束をハンマーさながらに振りかぶると、思い切り上方と投擲した。花びらが散る中、空高くへと舞い上がる。
レオから聞いた話だが、未婚の女性にとって花嫁が投げる花束には特別な意味があるらしい。なんでも受け取ったものは次に結婚できるという話だ。それゆえか、女性たちがまるで吸い寄せられるように花束の真下へと集まりはじめていた。
「え、わたしの上に落ちてきてるじゃん! こ、このままいけば――ごふっ」
「ごめんなさい、マキナさん。お尻が当たっちゃいました」
マキナを弾き飛ばしたユインが両手を空に向ける。が、彼女と花束の間にいきなりクララがすっと現れた。《テレポート》で飛んできたのだ。ただ、彼女が伸ばした手も花束を掴むことはなかった。突如として飛んできた矢が軌道をそらしたのだ。
「あぁ、あと少しだったのに!」
「ごめん、クララ! でもこれだけは譲れないから!」
ルナが弓を片手に花束の落下先に向かう。
が、そこにはすでにヴァネッサが居座っていた。
「悪いけど、本気でいかせてもらうよ」
彼女は華やかな礼装に似つかわしくない大剣を振り回し、周囲へと突風を見舞った。花束を目指していた女性たちが弾かれてしまう。が、構わずに突き進んだひとりの女性がいた。シビラだ。《ゆらぎの刃》を使った本気の加速でヴァネッサと剣をかち合わせる。
「ヴァネッサ! このような場に武器を持ってくるのはどうかと思うぞ!」
「あんたに言われたくないね!」
「わ、わたしは島の平和を守るために、いついかなるときも手放すわけにはいかないだけだ!」
「はっ、苦しいね!」
島でも有数の実力者の打ち合いに周囲がたじろぐ中、ラピスが淡々と接近。そのまま跳躍して花束を掴みにいこうとするが、途中で阻まれた。ヴァネッサとシビラが揃って行く手を阻んだのだ。
「ラピス、抜け駆けは許さないよ!」
「あ、あの花束は抗争の種だ! ゆえにわたしが回収する!」
「……邪魔するつもりなら本気で倒すから」
ラピスもまた持ち込んでいた槍でヴァネッサのシビラの戦闘に加わった。
クララやルナもそうだが、ラピスもいつの間に武器を持ってきていたのか。まさかとは思うが、こうなることを見越して持ってきていたというのか。
いずれにせよ、外野のはやす声も交わって周囲は酒場の喧嘩の乗りになってきた。主役であるヴァンとドーリエも「やれやれ!」やら「やっちまいな!」と声を荒げるものだからなおさらだ。
ただ、肝心の花束はいまも激しい戦闘を繰り広げるラピスたちから遠ざかっていた。というより彼女たちの戦闘による余波で、吹き飛ばされたといったほうが正しい。
次なる落下先にもっとも近いのは2人。
《ソレイユ》のオルヴィと《アルビオン》のリトリィだ。
「アッシュさんとわたくしの将来のためにっ」
「シビラさんのためにっ」
あと少しで石畳に花束が落下する直前、2人が頬をくっつけながら花束の落下にあわせて揃って飛び込む。が、どちらの指先も同時に当たってしまったからか、またも花束が弾かれた。
「「あっ」」
ただ、花束は落ちることなかった。ちょうどその先に立っていたアイリスの手に渡ったのだ。さすがにアイリスも予想外だったようで目をぱちくりとさせている。
リトリィとオルヴィがため息をつきながら立ち上がる。
「これはなしですね」
「そうですね。渡してくださいますか?」
ミルマは関係ない、ともとれるような発言だったからか、アイリスがむっとした顔をみせた。両手に持った花束を自身に引き寄せる。
「いいえ。わたしたちはミルマである前にひとりの女です。正当に恩恵を受ける資格があるはずです」
まさかの拒否にオルヴィが唖然としていた。
男にまるで興味がないとばかりの態度を見せていたあのアイリスの発言とあってか、周囲の誰もがオルヴィと同じく言葉を失っている。
そんなまるでときが止まったかに思えた中、こっそりとアイリスの手から花束が消えた。奪ったのは同じくミルマのウルだ。
「で、ではウルにもあるということですねっ!」
まさかのウルも参戦に事態はさらに混沌してきた。
最初に誰かが手にした時点で終わりという話だったが、すでにそんな細かいことは彼女たちの頭から消えているらしい。〝最後に持っていた者が恩恵を得られる〟とばかりに本気の戦闘へと激化しはじめた。
「まあ、頑張れ」
ロウが思わせぶりに軽く肩を叩いてくると、ヴァンのほうへと向かっていった。
こちらとしてもこの場から去りたいところだが、幸か不幸か。いまも中心で争う女性たちの多くは好意を寄せてくれている者たちだった。知らぬ顔で立ち去るわけにもいかなかった。
「まさかこの島でこんな楽しそうな光景を見られるとはな」
覚えのある声が聞こえてきたかと思えば、驚きの人物が隣に立っていた。それは誰よりも多くのときを過ごし、ジュラル島を数年前に旅立った男――。
「親父? いつ来てたんだよ」
「あぁ、ついさっきついたところだ」
大したことではないといったように軽く返された。
どうやら飄々としているところは相変わらずのようだ。
「ほんといきなりだな」
「そうでもないぜ」
どういうことなのか。
そう目線で問いかけると、ディバルがにっと笑った。
「聞いたぜ。塔を制覇して、神も倒したんだってな」
――次に会うとしたらお前が神を倒したときだな。
そう去り際に言っていたが、約束を果たしてくれたようだ。
「さすが俺の息子だ」
「俺だけ褒められてもな」
「俺の息子が選んだチームだからな。一緒みたいなもんだ」
「……いま以上に親バカだと思ったことはないな」
「そうか? お前が知らねぇだけだろ」
こうもあけすけもなく言ってくるあたりがディバルという人間だ。からっとした笑みを浮かべると、ディバルはこちらに背を向けて歩きだした。
「ま、せっかく来たし、ちょっくら塔でも昇って遊んでくるとするか」
「いきなりかよ」
「戻ったらまた顔出す。そしたら色々話そうぜ。俺が島を出てからのことだけじゃない。これからのこともな」
手をひらひらと振って去っていく。
久しぶりに見たその背中は変わらず大きいままだった。あれが小さくなるのはいつになるのか。そんなことを考えながら見送っていると、視界の端に気になるものが映り込んだ。
ベヌスの館から出てきたばかりの小さな姿をしたミルマだ。ただ、あどけない顔立ちに反して、高貴な存在であることがありありと伝わってくる。
彼女こそがジュラル島を創造した神アイティエルだ。
負の力に染まった半身が消滅したことで力を取り戻したからか。最近はあのようにたびたびベヌスの館の外に出てきていた。
いまやこの世界に唯一の神だ。
初めこそ多くの者に戸惑いを与えていたが……。
「アイティエルちゃ~ん」
「うむ、元気な挨拶でなによりだ」
「アイティエルちゃんも可愛くてなにより~っ」
その愛らしい見た目もあって、すっかり溶け込んでいた。いまやとおりがかった挑戦者に声をかけられては、あのように気さくに対応している。
と、彼女もこちらに気づいたようだ。
互いに示し合わせたわけでもなく歩み寄る。
「神の威厳もないな」
「いかめしい態度をとるだけの存在ほど滑稽なものはないからな」
胸を張って誇らしげに言う。
そんな偉ぶったしぐさを見せるものの、嫌味な感じはない。
アイティエルにはそんな不思議な魅力があった。
「にしても、よく許したな」
アッシュはいまもまだ繰り広げられる花束争奪戦を目にしつつ、そうこぼした。
ジュラル島の店の種類からして、アイティエルがある程度の娯楽を許していることはわかる。ただ、ベヌスの館を使ってまで、ヴァンたちの結婚式を率先して取り仕切るとは思ってもみなかった。
「なに、我にとっての目的が変わったからな」
「っても、もとから結構楽しんでただろ」
「それについて否定するつもりはない」
悪びれた様子もなく答えるアイティエル。
そんな彼女をじっと見ながら、アッシュはぼそりと疑問をこぼす。
「なあ、本当のあんたはあいつよりももっと強いんだろ?」
あいつ、とは負の力に染まったアイティエルの半身のことだ。あれを封じるために、アイティエルは多大な力を使っていた。それがなくなったいま、彼女は本来の力を取り戻していることになる。
「答えるまでもないだろう」
「そいつは楽しみだ」
「ただ、それを味わうためにはまず幾つもの壁を越える必要があるがな」
そうアイティエルが不敵な笑みを浮かべながら答えたときだった。
「アッシュく~ん!」
クララの大きな声が聞こえてきた。
花束争奪戦が終わったのか、彼女はルナとラピスとともにこちらに向かってくる。
「もういいのか?」
「うん、あまりやりすぎても主役に悪いし」
「今日のところは引き分けってことだね」
「納得いかないけど……しかたないわ」
クララに続いてルナ、ラピスが消化不良といった様子で頷く。……充分にやりすぎていたというのは野暮な発言だろう。
クララが息を整えたのち、楽しげな顔で聞いてくる。
「それで、今日も行くんだよね?」
「当然だろ。なんたって天辺はまだまだ先なんだからな」
アッシュはそう答えながら島の端をぐるりと見回す。
北の白と黒の塔。
西の赤の塔。
東の青の塔。
南の緑の塔。
映った五つの塔は島に訪れたときとは違う。
どれもが以前よりもほぼ2倍の高さとなっている。
アイティエルの半身を倒してから一年。
五つの塔を制覇し、神を倒すという当初の目的は果たした。にもかかわらず、仲間とともにジュラル島にまだ居続けている。
そこにはアイティエルに願った望みが関係していた。
――塔にさらなる難度を追加してほしい。
もっと強い敵と戦いたいという考えもある。
だが、それ以上に信頼できる仲間と、多くの友人と出会えたジュラル島という場所にもっといたいと思ったのだ。その願いを話したとき、仲間の誰もが笑顔で頷いてくれた。
「だったら早く着替えてこないと」
「せっかくの衣装だけど、残念だね」
「またすればいいわ。今度は違った立場で」
ラピスが最後にそう言いながら、無表情でこちらを見てくる。と、クララが顔を真っ赤に染め、ルナはにやにやと意地の悪い笑みを向けてきた。最高に居心地の悪い空気に見舞われたが、奇しくも登場したもうひとりの仲間によって救われた。
「早着替えなら僕の得意分野だよ!」
「って、それ裸になっただけだろっ」
レオが礼装を脱ぎ捨て全裸になった。
ただ、ここは多くの者が集まった場所だ。
あちこちから悲鳴だけでなく魔法やら属性攻撃が飛ばされ、レオが全力で逃げはじめる。我が仲間ながら最悪なことこのうえないが、こんな馬鹿な光景もまた望んだ日常のひとつだった。
アッシュはふっと笑みをこぼしたのち、いま一度、五つの塔を見回した。
島に来た当初は雲を軽く突き抜ける程度だったそれらの先端は、いまや天にも届こうかというところまで伸びている。
これまで以上に長い道のりとなるだろう。立ちはだかる敵も段違いに強く、難度もおそろしく高い。実際にまだ101階を突破できていないほどだ。だが、それでもまた必ず次なる頂に立てると信じていた。
なぜなら、自分には最高の仲間たちがいるからだ。
アッシュは仲間たちと顔を見合わせたのち、その足を踏みだした。
「そんじゃ、さっさと着替えて……今日も張り切って昇りにいくかっ!」
これにて完結となります。
ここまで書き続けられたのは間違いなく読者の皆様のおかげです。
本当にありがとうございました。
連載開始から約2年と4ヶ月。
定期的に更新してまいりましたが、少しでも楽しんでいただけたなら幸いに思います。
個人的なお願いではありますが、感想にて好きだったキャラを教えていただけたら嬉しいです。嬉しいです……!
また物語はここで完結となりますが、気が向いたら短編やら書くかもしれません。ブックマークに余裕があれば残しておいていただけたら幸いです。
とにもかくにも感謝の言葉しかありません。
改めて、ありがとうございました……!





