◆第六話『崩壊への誘い』
規模で恐怖心を煽ってきたこれまでとは違う。
それは、ただ存在するだけで膝を折ってしまいそうな絶望感を届けてきた。
「動けッ! 死ぬぞッ!」
アッシュは仲間と自身に向けて叫んだ。
全員が散開し、駆けだす。と、直前まで立っていた空間を幾筋もの黒い線が貫いた。出所は、上半分の《悲哀の顔》を縁取った8個の黒球だ。それらから《レイ》系の魔法を思わせる黒い極太の線が放たれている。
以降も黒球たちは2拍程度のおそろしく短い間隔でこちらを狙いつづけてくる。これではまともに動けない。
「ルナ! あれの破壊を頼む!」
「了解っ」
ルナが弓を構える中、続けて指示を飛ばす。
「クララは上の顔を狙えるか!」
「任せて!」
「レオ、ラピス! 俺たちは下の顔を潰すぞ!」
先の形態はあまりに巨大で狙えなかったが、最初の形態では頭部への攻撃をひどく嫌っていた。今回も2つの頭部を守るように触手や黒球が配されていることからも、あの顔が敵の核をなしている可能性は高い。
後衛組の攻撃が頭上をとおり越していく中、アッシュは仲間とともに敵との距離を縮める。と、敵の鎌型の髭が左右から迫ってきた。こちらの身を様々な高さから上下に切断する軌道だ。
広範囲に及ぶ攻撃とあって回避は厳しい。アッシュは即座に切っ先を下に向けた剣で、足首を刈り取る軌道で右方から迫ってきた髭を受け止めた。とてつもない衝撃に体が弾き飛ばされそうになるが、さらに腰を落として踏ん張った。そのまま上方へとそらし、跳ね上げる。
髭はたわむと、勢いを一気になくした。ラピスがすかさず飛びかかり、槍を払って髭の先端部分を斬り落とす。残った部分の髭がまるで呻いたようにうねり、そのまま灰色と化して固まったまま動かなくなった。
「硬化した……っ!?」
「ひとまず無力化できたっぽいな! このままラピスは破壊役を頼む! 俺とレオは髭を受け止めて勢いをそぐぞ!」
「りょうかっ、いっ!」
ちょうどレオが左方から迫ってきた髭を盾で跳ね上げていた。ラピスがまたも髭の先端を切断すると、先ほどと同様に硬化。落ちることなくその場で固まった。このまますべての髭を無力化していけば、下半分の顔に辿りつけるはずだ。
「アッシュ、避けて!」
聞こえたルナの声に、わけもわからず身を投げた。直後、先ほどまでいた足場へと黒線が照射されていた。これは黒球が放っていたものだ。見上げれば、もっとも最初にルナが破壊した箇所の黒球が復活していた。
すぐさまルナが幾本もの矢で射抜き、破壊する。
「ごめん、破壊してもすぐに再生するみたいなんだ!」
「ルナはそのまま攻撃しつづけて無力化を頼む!」
「了解! ただ、ちょっとぎりぎりかもしれないっ」
黒球の復活が思った以上に早いようで、すべてを破壊した状態に持ち込むのは厳しいようだった。黒球から放たれる多少の攻撃は覚悟して戦うしかないかもしれないが……回避が厳しい状況で放たれれば一巻の終わりだ。
どうにか対処する方法はないか。
迫る髭を受け止めながら、そう逡巡を始めたときだった。
「だめっ! 壁みたいなのがあって弾かれちゃうっ!」
クララのもどかしそうな声が聞こえてきた。
彼女はいまも上半分の《悲哀の顔》へと《ライトニングバースト》を撃ちつづけている。が、どれも当たる前に赤い光の膜によって弾かれてしまっていた。いまに限ったわけではなく、おそらく開戦から何発も撃っての結果だろう。
魔法だけが無効化されている可能性もあるからだろう。ルナがすかさず上の《悲哀の顔》へと1本の矢を撃った。だが、クララの魔法と同じく赤い光膜によって阻まれていた。
「物理でもだめみたいだ!」
クララの攻撃回数に鑑みれば、攻撃に威力が足りないことはないだろう。単純に攻撃自体が徹らない可能性も考えられる。
いずれにせよ、遠距離攻撃が通じないのはかなりの痛手だ。なにしろ《悲哀の顔》はかなり高い位置にある。とても跳躍で届く距離ではない。前衛組が近接攻撃を当てるには、なにかしら足場となる道がなければ厳しい。
「クララもルナと一緒に黒球の破壊を頼む!」
「わかった!」
上の《悲哀の顔》については、いまは放置するしかない。
敵がどう動いて、どう攻撃してくるのか。予測がつかない中で、頼れるのはこれまで培ってきた対応力だけだ。塔で戦ってきた、数えきれないほどの魔物との戦闘が脳裏に一気に蘇りはじめる。
――考えろ。考えて、そしてすぐに対応しろ!
アッシュは後衛組に指示を出しながら、前衛組とともに敵の髭をすべて硬化させた。レオを先頭に下の《憤怒の顔》を目掛けて突き進む。と、その顔の周りから生えた大量の触手が一斉に襲ってきた。
触手は1本が人間の胴ほどもあるため、ただの突きや払いだけでも相当な威力を持っていることが予想できる。その証拠に1本の触手が丸い先端でレオの盾を叩いたとき、とてつもなく重い音を鳴らしていた。
「レオを中心に迎撃しながら進むぞ!」
盾を構えたレオを挟んだ格好で、アッシュはラピスとともに襲いくる触手を迎撃。3人揃って着実に前へと進んでいく。
最初こそ数の多さに戸惑ったが、触手は一撃を食らわせればすぐに引っ込むため、そう厄介な敵ではなかった。それに数が多いおかげで《ソードオブブレイブ》を簡単に発動状態まで持っていける。このまま真正面の《憤怒の顔》へと食らわせれば――。
ついに視界を塞いでいた触手が晴れた、そのとき。《憤怒の顔》が口をがばっと開け、中から黒々とした液体を吐きだしてきた。どろりと粘性を感じるそれは、何度か目にしたことがあるものだ。最前線に立っていたレオから困惑交じりの声があがる。
「アルカヘスト……っ!?」
触れたものすべてを溶かす凶悪な液体だ。
顔は単なる象徴かと思いきや、ここにきて攻撃してくるとは。クララはいまもルナとともに黒球の破壊を行っている。継続しながらこちらを援護する余裕はあると思われるが、反応できるかどうか。……いや、待っている余裕はない。
自分たちでなにか対応できる術はないか。アッシュは一瞬の逡巡を経て首を振る。と、利用できそうなものをすぐさま捉えた。
「髭に飛び乗れ!」
序盤に先端を破壊したことで硬化したまま、いまも残っている。アッシュはラピスともども、低い箇所の髭を足場に高い位置の髭に飛び乗った。
レオは鎧が重いこともあって不恰好によじ登っていたが、足をぶらつかせる格好でなんとか高い位置に達していた。先ほどまで立っていた足場はいまや《アルカヘスト》で塗りつぶされている。
安堵したいところだが、その勢いは衰える気配がない。このまま後衛組にまで達すれば、最悪の状況となってしまう。なんとしてもその前に《憤怒の顔》を倒さなければならない。
「ラピス、急げ!」
髭は、いまも《アルカヘスト》を吐きつづける《憤怒の顔》のそばから生えていた。
アッシュはラピスと髭を伝い、その根元まで到達。互いに《憤怒の顔》へと猛攻をしかける。弾かれることなく、すべての攻撃がしかと敵の身を刻んでいた。敵も苦しんだ声をもらしている。だが、なかなか沈んでくれない。
――まだか。まだ沈まないのか。
こちらを信じて、後衛組はいまも逃げずに黒球の破壊に専念してくれている。だが、それも限界に近い。後退するよう指示を出すか、頭に選択肢が浮かびはじめたとき。
「ぉおおおおおおおッ!」
遅れて辿りついたレオが勢いよく突きを繰りだした。直後、《憤怒の顔》がひと際大きな呻き声をあげた。どうやらすでにあと少しのところまで達していたようだ。レオが申し訳なさそうな顔で笑う。
「あはは……美味しいところを持っていってしまったね」
「いや、よくやってくれた! ラピスもな!」
《憤怒の顔》は長い慟哭をあげたのち、その口を閉じていた。さらに髭を倒したときのように灰色と化し、目を閉じた状態で動かなくなる。
口から出ていた《アルカヘスト》も止まるだけでなく、蒸発するように消滅していく。どうやら無力化に成功したようだ。
「次は――」
もうひとつの核と思われる、上の《悲哀の顔》だ。アッシュはラピスと視線を交えたのち、跳躍。上下の顔を隔てるようわずかに手前へと突きだした縁に飛び乗った。
そばでは、《悲哀の顔》周辺の皮膚から覗く黒球へと、後衛組がいまも攻撃しつづけている。激しい炸裂音と爆音が響いている。
そんな中、左方から駆けてくるラピスと向かい合う格好で、アッシュは右方から《悲哀の顔》へと接近。その身を守る赤い光膜へと得物を繰りだす。が、やはり後衛組の攻撃同様、阻まれてしまう。
ただ、ぎぃぃと騒がしい接触音が鳴るだけで弾かれることはなかった。しかも次第に刃先が食いこんでいる。反対側ではラピスも同じように、赤い光膜に槍の穂先をぶつけた状態で留まっている。
「めり込んでる……!」
「みたいだ! これなら時間をかければ――」
突破できる。
そう口に出そうとした、瞬間。
「アッシュ、ラピス! 下がって! 早く!」
聞こえたルナの声からは、喉が潰れるのではないかと思うほどの必死さを感じられた。それもそのはずだ。《悲哀の顔》周辺の皮膚から新たに大量の黒球が姿を現していた。ざっと見ても、その数は優に50は超えている。
こんな至近距離ですべてを避けきるなんてまず不可能だ。アッシュはラピスとすぐさま飛び下りたのち、敵に背を向けて駆けた。
「冗談だろっ」
「ごめん、数が多すぎてっ」
クララが無理をして20発の《ライトニングバースト》を撃ちつづけてくれているが、黒球の数があまりに多すぎて半数以上が破壊しきれず残った状態だ。倒したものもすぐさま復活するため、活動中の黒球が減る気配はない。
直前まで立っていた足場を射抜くように幾つもの黒線が襲ってくる。すべてを完全に躱しきることはできなかった。肌のあちこちを削られ、焼けるような痛みに見舞われる。
「ラピス、レオ! このまま一旦後退だ! クララとルナも少しずつ後退しろ!」
後退したところで敵の射程圏内から逃れられるかはわからない。だが、着弾までの時間が長くなるため、接近した状態よりも回避行動がとりやすくなるはずだ。わずかな余裕でも生まれれば、現状への対応策を考えられるかもしれない。
足場を踏みしめるたび、傷の数が増えていく。止まれば最期、間違いなく命までも削り取られる。その一心でひた走り、ついに後衛組と合流を果たした。
「レオ、あと少しだ!」
遅れて合流したレオを中心に、全員で敵に対峙する格好で身構えた。属性障壁もすかさず展開する。気休めかもしれないが、ないよりはマシだ。
ただ、予想していた防衛戦とは異なった出だしだった。いや、そもそも黒線による攻撃が止んでいた。敵は微動だにせず、固まっている。
まさか力尽きたわけではないだろう。
いったいどうしたのか。
これまでがあまりに激しかったこともあってか、ほんの一瞬であったにもかかわらず長い静寂に感じた。
すっと開けられた《悲哀の顔》の口。そこから放たれた閃光が、敵とこちらの間の足場に音もなく触れた。
瞬間──。
渦巻く影を纏った光球が現れ、際限なく膨張。回避行動をとる間もなく、アッシュは仲間とともに呑み込まれた。





