◆第六話『褐色の少女ユイン』
通されたのは人が寝泊りするために必要な家具が揃った部屋だった。
中にいたのは2人の女性。
ひとりは赤の塔で保護した褐色の少女、ユインだ。
まだ起き抜けだからか、それとも普段からか。
隅のベッドに腰掛けた状態のまま、ぼうっとしている。
もうひとりはベッド脇の椅子に腰掛けた女性だ。
片側で結い上げた髪をくりんと垂らしている。
ここからでは横顔しか見えないが、どこかで見たような気がする。
そう思っていたら、こちらに顔を向けてきた。
「あれ、さっきの人たちじゃん!」
先ほど応接間で叱責を受けていたマキナだった。
彼女はユインのそばを離れ、こちらに駆け寄ってくる。
「いや~、さっきはごめんね~! 私のユインちゃんが男に襲われてるーって思ったらいてもたってもいられなくって」
先ほどまで号泣していたのが嘘のような明るさだ。
目元の腫れが確認できなければ、思わず別人かと疑ってしまいそうだった。
「もう終わったことだし気にしないでくれ」
「あ、そう? そう言ってくれると助かる~っ!」
「面白い顔も見させてもらったしな」
「んがっ」
これぐらいの仕返しは許されるだろう。
マキナが慌てふためきながら弁解してくる。
「あ、あれは嘘泣きだし! 本当に泣いてたわけじゃないし」
「ヴァネッサにそれを言ったらどうなるだろうな」
「お願いだからそれだけはやめてぇ~! なんでもするからぁあ!」
ぐわしと胸元を掴んで泣きついてくる。
なんだかクララを彷彿とさせるお調子者だ。
……いや、それ以上かもしれない。
「マキナさん」
そう声を出したのはユインだった。
彼女はベッドから立ち上がり、警戒するようにこちらを見ている。
「あ、ごめん。勝手に盛り上がっちゃって」
マキナは芝居がかったようにくるりと回って紹介のポーズをとった。
「えー、こっちの人は……って、ごめん。誰だっけ?」
アッシュは盛大にため息をついたのちに答える。
「俺はアッシュ・ブレイブ。こっちはクララで、そっちはルナだ」
「よ、よろしく」
「よろしく」
ふむふむ、とマキナは頷くと、今度はユインの紹介を始める。
「こっちはユインちゃん。わたしの妹分」
「初めまして。マキナさんの妹分でもなんでもない、ただのユインです」
ユインが淡々と挨拶をしてくる。
一瞬、不機嫌なのかと思ったが、どうやら元からのようだ。
「ちょっとー、完全否定ってひどいよユインちゃ~ん!」
「そんなことはどうでもいいので。マキナさん、この人たちが?」
「ど、どうでもいいって……うん、ユインちゃんを助けてくれた人たちだよ」
それを聞いた途端、ユインがすっと警戒を解いた。
琥珀色の瞳でじっと見つめてきたのち、ぺこりと頭を下げてくる。あわせて短めの金髪がさらりと揺れる。
「……助けてくれてありがとうございます。それと、ごめんなさい。わたしのせいで迷惑をかけて」
ジュラル島に来てからというもの、粗暴な挑戦者ばかり見てきた。それもあってユインの丁寧な対応は新鮮で仕方なかった。
「そろそろ帰ろうかってときだったし、気にする必要はない」
「だね」
とルナが相槌を打つと、クララもうんうんと頷いた。
「あの、やっぱり運んでくれたのは……」
ユインが意を決したように上目遣いで訊いてきた。
「ああ、俺だ」
男に触れられることを快く思わない女性も中にはいるだろう。文句を言われたら素直に謝ろうと思ったが、ユインは少し俯いてただただ羞恥に身悶えていた。
そんな彼女をなだめるようにクララが言う。
「あ、大丈夫だよ。変なことしないように見張ってたから」
「見張ってなかったらするみたいな言い方するなよ」
「ほんとにー?」
「アッシュは寝てる女の子にはしないよ。寝てる子にはね」
「おい、ルナ。ややこしくするな」
そんなしょうもないやり取りをしていると、平静を取り戻したユインがばつが悪そうに言ってくる。
「あと、マキナさんに絡まれたって聞きました」
「そのことか。たしかにそっちは散々だったな」
意地悪く言うと、マキナが「うぅ」と呻いていた。
「でも、悪いことばかりじゃなかったぜ」
なにしろ《スコーピオンイヤリング》を入手できる可能性を見出せたのだ。そういう意味ではマキナの早とちりに感謝しなければならない。
「……そうですか」
ユインはとくに興味を持つことなく、そう答えた。
それからもう用事は済んだとばかりに近くの椅子に置いてあった装備――クローを手に取ると、大事そうに胸に抱いた。最後に、また頭を下げてくる。
「では、わたしはこれで」
「え、もう行っちゃうのー。久しぶりに来たんだし、もっと居ればいいのに」
マキナがそう呼び止めるが――。
「わたしはここに来たらいけない人間なので」
そう言い残して、ユインは躊躇いもなく部屋から出て行った。
室内に残ったなんとも言えない空気にマキナが乾いた笑みを浮かべる。
「ど、どうしたんだろうねー。ユインちゃん。恥ずかしくて帰っちゃったのかなー……あはは」
なにかを誤魔化そうとしているのがバレバレだった。
とにもかくにも、ユインに依頼の話をする前に帰られてはまずい。
早く追いかけなければ。
「じゃあ俺たちもこれで」
「今日はほんとごめんねー。今度お詫びにご馳走するから、あたし見つけたら声かけて」
「了解だ。目一杯たかってやるから覚悟しといてくれ」
「お、お手柔らかに……」
マキナを恐怖させて、今度こそ部屋を出た。
そのまま半ば飛び出るようにソレイユ本部をあとにしてから間もなく、ユインの小さな背中を見つけた。3人揃って彼女のもとへと駆け寄る。
「ユインっ、ちょっと待ってくれ!」
「……まだなにか」
ユインが足を止めて振り返る。
その顔は初めの淡白な状態へと戻っていた。
「あ~、ちょっと頼みたいことがあるんだ」
ユインが首を傾げて続きを催促してくる。
「あのレア種、サラマンダーの討伐を手伝ってくれないか?」
「……どうしてですか?」
相変わらず顔にあまり変化が見られない。
ただ、目だけは鋭くこちらを射抜いていた。
「レア種を見つけたら挑戦者なら誰でも狩りたいって思うだろ」
「それはアッシュくんだけだと思うけど」
「はい、クララは少し黙ってようね」
クララの口を後ろからルナが塞いでくれた。
後ろから「んぐんぐ」と呻き声が聞こえる中、アッシュは話を続ける。
「ただ、俺たちだけじゃちょっと厳しそうだからさ。ユインもあそこにいたってことは、たぶんあいつに挑んだんだろ? それで、ああなった」
暗に負けたと言われたからか、ユインがむっとする。
「……そうですけど」
「だったら一緒に狩らないかって思ってさ」
嘘を混ぜた交渉だ。
胸中に靄がないと言えば嘘になる。
そんなこちらの心中を見透かすようにユインが見つめてきた。アッシュはなんとか悟られまいと見返していると、やがて相手が先に目をそらした。
「……断りたいです」
「そこをなんとかお願いできないかな」
「お願いユインさんっ」
ルナに続いて拘束から解かれたクララも加勢して懇願する。
ユインはクローを抱く手をぎゅっと強めた。なにか強い葛藤でもしているようだ。しばらくして、彼女はその小さな口を開く。
「やっぱりすごく断りたいです。でも、あなたたちには恩があるので……」
「本当か?」
「いやですけど」
「助かるっ」
かなり強引な理由だったように思えたが、なんとか受けてもらえた。3人揃って喜びをあらわにしたからか、ユインが目を瞬いていた。だが、それも一瞬。彼女は厳しい目を向けてきた。
「ただし、お願いがあります。あなたたちの装備、しょぼすぎます。それじゃ絶対に勝てません。どうにかして下さい」
散々な評価だった。
とはいえ、本当のことなので反論できないのが辛い。
「サラマンダーは通常時、炎を纏っています。ですからリーチの長い武器に替えるか、もしくはわたしのように5つ以上属性石をはめて遠距離攻撃ができるようにするかしないと、まず近接は役立たずになります」
こちらを見ながら忠告してきた。
「オーバーエンチャントってやつか」
こくり、とユインが頷いた。
武器や防具には、等級に応じて強化石をはめるための穴が開いている。基本的にはその穴の数だけしか強化石をはめられないが、あることを鍛冶屋で行えば穴を増やすことができる。そのあることというのがオーバーエンチャントだ。
ただし、オーバーエンチャントは絶対に成功するわけではなく、しかも失敗すればはめていた強化石がすべて失われるという。言ってしまえばギャンブルのようなものだ。
ルナが隣から訊いてくる。
「アッシュ。いま青の属性石幾つあるの?」
「2つだ」
「んー、失敗する可能性も考えると、武器を替えるのがいいかもね。アッシュの場合、ほかにも使えるでしょ」
現在、使用できるのは3等級の装備までなので、安全に石をはめられるのは最高で3つまでとなる。つまり2度のオーバーエンチャントを成功させなければならない。
まだ挑戦したことがないので詳しい確率は知らないが、資金に余裕がない現状、ルナの言うとおり博打は避けるべきだろう。
「リーチってことは槍が良さそうか」
「オーバーエンチャントをしないにしても属性石は最大まではめてください。もちろん全員です」
それが協力する条件だとばかりに強い口調だった。
だが、こちらの資金にも限界がある。
すぐに買い揃えるなんてことは無理だ。
そんな事情を空気から読み取ったか、ユインが提案してくる。
「しばらく青の塔で狩りをして装備を充実させたらどうですか」
「じゃあ、ユインも一緒に狩らないか」
「わたしの装備はほぼ揃ってます」
見事に突き放された。
言ってしまえば、サラマンダー以外で狩りをともにする理由はない。だが、これもなにかの縁だという想いが強くあった。アッシュはもっともらしい理由を考えて告げる。
「なら、連携を高めるって名目ならどうだ?」
「…………わかりました」
かなり嫌そうにしながらも頷いてくれた。
どうやら強く頼まれると断れないタチのようだ。
「では明日の正午から青の塔で。それまでに装備をある程度整えてきてください」
ユインはつらつらとそう述べたあと、背を向けて歩き出した。
小さな背中を見送りながら、アッシュはしみじみと口にする。
「いつも金欠な気がするんだが、俺の気のせいか……」
「気のせいじゃないと思う。でもたまには贅沢したいし……ひもじぃ」
「頑張ろう、節制」