◆第四話『対峙するは、神』
アッシュは思い切りレオに頭突きをかました。
すぐに変化は現れなかったが、次第に視点が定まりはじめた。レオが震える唇で力なく訊いてくる。
「……アッシュくん? 僕は……」
「生きてる! いまも戦闘中だ! しっかりしろ!」
レオが目を見開き、はっとなった。
どうやら正気を取り戻せたようだ。
ただ安堵する暇はない。
いましがた影が差したからだ。
「アッシュ、また来てる!」
ラピスの叫び声が聞こえてくるよりも早く、アッシュはレオを巻き込む格好で横へ身を転がした。先ほどまでいた空間を食い尽くすように、敵が大きな口を開けた腹を足場に押しつけた。ただのそれだけで激しい揺れが襲いくる。
次にレオが食われれば戦線復帰はもう難しいかもしれない。仮にレオ以外でも同じ結果になる可能性は高い。なにしろあのレオの正気を奪った攻撃だ。一度でも呑まれればあとがないと考えて動くべきだろう。
と、上体を起こしたばかりの敵に、クララの《ライトニングバースト》とルナの爆発矢が命中した。さらにラピスの槍が追撃として背を貫く。攻撃と敵の悲鳴によるけたたましい音が辺りに響く。
最中、アッシュは素早く体勢を整え、敵へと肉迫。敵が怯んだ隙を狙い、連続で斬り刻む。剣身から迸る光が最大に達した、瞬間。
遅れて辿りついたレオが体当たりとともに剣を突きだし、敵の頭部を下げさせた。この機を逃す手はない。アッシュはすかさず《ソードオブブレイブ》を放ち、首を飛ばす。
ごと、と重い音を鳴らして敵の頭部が落ちた。予測して動いていたのか、ラピスがすかさず穂先を突き刺そうとする。が、割り込んだ敵の右手によって弾かれてしまった。大抵の生物は首を飛ばせば消滅するが、どうやらこの敵には関係ないようだ。
敵は転がった頭部の口を大きく開き、奇声をあげはじめた。呼応するように敵の体が巨大化と縮小化を繰り返した両手を無造作に振り回しだす。先ほどまでとは違い、いっさいの理性が感じられない動きだ。
痛がっているのか、あるいは先ほどレオを食いはぐれたことで怒っているのか。わからないが、とても接近したままではいられない状態だった。前衛組で揃って後退する。
ちょうどそのとき、《アイティエル》の加護が再生成された。本当に便利過ぎる加護だ。これがあるだけで攻勢へと転じやすいし、なにより命を幾つ守れたか。
そうして再びの加護に安心感を覚えていると、遥か遠くにそびえる黒い壁の顔たちも叫びを強めだした。また緩やかに壁が近づいてきたかと思いきや、瞬く間にこちらへと接近。とおり抜けていった。
一見して体に変化はないが、硝子の割れるような音が幾つも響いた。自身や仲間の体のそばから、光膜が破片となって消えゆくさまが映り込む。どうやら全員の《アイティエルの加護》が破壊されたらしい。
まさか《アイティエルの加護》を強制破壊するための攻撃だったのか。だとするなら、いやな予感しかない。慌てて敵のほうへと目を向けると、黒い壁を取り込んで肥大化しはじめた敵が映り込んだ。
「下がれ! 呑み込まれるぞ!」
敵に背を向けて全力で駆ける。
先ほど落ちた頭部も蠢く下半身で取り込んだようだ。途切れた首の先から生えるように戻っていた。ただ、アイティエルの顔をしていたそれは一気に上へと伸びる形で不恰好に崩れだした。あわせて敵の体が天へと迸るように伸びていく。
「これって最初のっ」
敵が最初に繰りだしてきた攻撃だ。大樹の枝葉のごとく伸ばした肉体で空を覆い、黒の刃を降らしてくる。その次の行動も同じなら、黒い波を放ってくるはずだ。
問題は黒い刃ではなく、黒い波のほうだ。あれを《アイティエルの加護》なしで耐え切るのは現実的ではない。ただ、それはひとりの場合の話だ。
前回に受けたときとは違い、今度は仲間が合流した状態だ。きっと防ぎきれるだろう。いや、それ以上のことをできるはずだ。
「止まれ! 反転するぞ!」
指示に応じて仲間たちが急停止した。
ただ、その顔には疑念が満ちている。
「さっきと同じでまた黒い波を使ってきたら、そのときに攻撃をしかける!」
「たしかに……あの攻撃をしてるとき、敵は止まってたわ」
ラピスの同調する声に続いて、仲間たちも納得してくれたようだ。ただ、そのほんのわずかな間にも敵の空への侵攻は完了していた。ずずず、と無数の刃が先端を覗かせる。
「来るよ!」
ルナがいち早く上空から降ってきた黒い刃を迎撃しはじめる。ただ、相変わらずの数と勢いだ。それも全員が集合しているせいか、前回よりも数が圧倒的に多い。ほかの全員も自身が使える遠距離攻撃をもって全力で黒い刃を撃ち落としていく。
「レオを中心に全員で迎撃しながら前進! クララはできる限り温存しろ! その代わり《メテオストライク》の準備を頼む!」
「え、敵に当てるの!?」
「いや、波を相殺するために使ってくれ! 数は戦闘に支障がない程度でいい!」
「了解! だったらっ!」
空を覆う黒い雲の少し下辺りに緑色の巨大な魔法陣が3個生成された。クララの《メテオストライク》だ。
黒い刃が止んだのも同じ瞬間だった。
敵が空を覆っていた肉体を勢いよく引き戻していく。そのまま足場を強く叩くと、液体が跳ね返ったかのような動きで再び高さを増した。やはり予想どおり黒い波だ。見上げるほどの高さを持ったそれは、全方位に向かって押し寄せはじめる。
波の上端が折り曲がり、倒れだした。獰猛な獣が得物を食べる瞬間を想起させる光景だ。《アイティエルの加護》がないいま、呑まれればまず間違いなく命は潰えるだろう。だが、そうはならない。
「クララ、いまだッ!」
「いっけぇ~~~~っ!」
クララの叫びに呼応して、空で浮遊する魔法陣から3個の巨岩が生成され、落下を開始した。こちらに押し寄せていた真正面の黒い波が、逆に巨岩によって呑まれたかのように散っていく。
ただ、巨岩は恩恵だけを届けてはくれるわけではない。3個の巨岩が足場に激突した瞬間、けたたましい音とともに四散。無数の破片を辺りに飛ばしはじめた。
敵に攻撃をしかけるなら、いまこの瞬間しかない。ただ、後衛組を連れて進むには厳しい状況だ。それをわかっていたか、クララが自身とルナを守る形で《ストーンウォール》を大量に生成しながら叫んでくる。
「こっちは大丈夫! 行って!」
「2人とも、僕の後ろにっ!」
構えた盾で破片を弾きながら、先頭を駆けるレオ。
その背後に隠れる格好でアッシュはラピスとともに続く。
すでに黒い刃の雨が降ってくる間に、かなり距離を詰めていた。おかげで巨岩四散の余波がなくなったときには、敵との肉迫に成功していた。敵は大樹のときのように巨大化はしておらず、こちらとそう変わらない大きさに戻っている。
敵はこちらをしかと視認しているようで触手と化した髪を放ってきた。だが、大規模攻撃の直後とあってか、その本数が6本程度と少ない。やはり、いまが絶好の機会のようだ。
レオが難なく盾で触手を弾きながら接近し、勢いのまま剣を胸元に突き刺した。最中、アッシュはラピスとともにレオの背後から飛び出るや、両側面から挟む格好で攻撃を繰りだし、交差。位置を入れ替えたのち、その場で連撃を繰りだしはじめる。
こちらの猛攻撃に、敵も金切り声のような悲鳴をあげている。確実に効いている。ただ、黒い波による攻撃が終わったからか、触手の本数が一気に倍以上に増した。さらに両手による迎撃行動もとりはじめる。
これ以上、接近状態を続けるのは危険だ。ただ、ここで仕留めなければあとに響くかもしれない。そんな葛藤にまみれた一瞬の逡巡をしていたとき、ルナの声が飛んできた。
「みんな、散って!」
前衛組が揃って敵から離れた直後、緑の風を纏った矢が敵の顔面を捉えた。ルナの《レイジングアロー》だ。さらに追加で2発も加えられる。
10等級から命中直前で2本に分裂させられるため、当たったのは計6本。それも赤の属性矢だったため、すべてが爆発していた。おかげで耳鳴りがするほどに凄まじい衝撃音に見舞われた。
戦いが始まってから、もっとも効果的な攻撃だった。少なくない損傷を与えたのは間違いない。だが、これで沈められるとも思えない。アッシュは半ば本能的に動きだし、敵がいたと思われる場所目掛けて、黒煙の中へと剣を薙ぐ。
ざくりとたしかな感触。ちょうど《ソードオブブレイブ》が発動状態となったようで光を増した。反転し、勢いをそのまま乗せて敵へと斬りかかる。が、強烈な風に襲われ、接触することもかなわずに弾き飛ばされてしまった。
敵を包んでいた黒煙も晴れていた。やはりルナの矢で相当な損傷を与えたようだ。再び視界に映った敵の顔は、まるで溶けたように形を崩していた。そこにはもう、美しかったアイティエルの面影はない。
と、敵が両手を左右に広げるやいなや、またも咆哮をあげはじめた。これまでのように高い音ではなく、重低音を思わせる音だ。声が長引くにつれ、敵から放たれる風も強まり、どんどん敵から遠ざけられていく。
最中、あちこちの虚空に人の頭大の黒球が現れ、それらが敵へと吸い寄せられていた。敵は黒球を取り込んだ数だけどんどん肥大化し、瞬く間にこちらの視界を大幅にはみ出るに至った。
……いや、それどころの話ではない。
おそらくその高さはジュラル島の塔をも凌ぐ高さを得ている。
敵は磔にされたかのような窮屈な格好で微動だにしない。両腕を真っ直ぐ横に伸ばし、その先の手をだらりと下げている。また脚はひとつにまとめられ、足先は地面と同化したように接触した形だ。
敵の声だろうか。「オォォオ……」とひどく重い音が聞こえてくる。これまでの敵の声に感じた女性らしさが完全に消え失せている。
「これ、夢じゃないよね……」
「規格外すぎる……っ」
現実逃避するクララに、険しい表情を見せるラピス。ルナとレオも同様に絶望に近い感情に満たされているようだった。ただ、いまに至っては無理もない反応だ。アッシュは乾いた笑みを浮かべながら、遥か上空の敵の顔を見据える。
「……ぶっ飛んでやがる」
相手は世界中から負の力を吸いつづけていると言っていた。だが、規模のわりにはどこかこじんまりとしているように感じた。正直なところ拍子抜けしていた気持ちはあった。だが、いまになってようやく、真に実感が湧いてきた。
神を――いや、世界を相手取っているのだ、と。





