◆第十話『いまの世界』
――あ、あのね。夜、ちょっと空けておいてもらえないかな?
ルナと昼食をともにした、その日。
クララから照れ気味にそう誘われた。
とくに予定があったわけでもない。そのうえ、ラピスとルナと2人きりで過ごす時間をとってきた手前、断ることなどできはしなかった。
なにやら入念に計画でもたてたのか。
妙に浮かれていたのでいったいどんな場所に連れていってくれるのか、と。楽しみにしていたところ、連れられた先は予想外の場所だった。
「おかしな人たちですね。こんなボロ宿でわざわざ食事をしようだなんて。あなたたちなら、もっといいところで食べる余裕はあるでしょう」
「大事なのは、そういうことじゃないんだよ」
「昔、ひもじいなんて言ってた奴のセリフとは思えないな」
「うぐっ」
クララに連れてこられた先は《ブランの止まり木》だった。
宿泊中の挑戦者が食べ終わったあと、夕食を作ってもらうよう女将のクゥリに頼んでいたようだ。ほかに挑戦者の姿はない。
作ってくれたのは、当然ながら女将のクゥリだ。女将になってからまだ1年も経っていないが、早くも受付台に座る姿が板についている。
「まあ、わたしはお金をいただければ問題ありませんが」
「あ、いまのブランさんっぽい!」
「……どこがですか」
「お金の亡者みたいなっ」
笑顔でなんてことを言うのか。
「クララが言うと自分にも跳ね返るぞ」
「えぇ、ひどいっ。あたし、そこまでじゃないよっ」
「わたしだってそうです……っ」
ほかに挑戦者がいなくとも賑やかな食卓だ。
「でも、ほんと素朴な感じは一緒だよね」
クララがシチューを一口含んだのち、そうこぼした。
素朴という言葉に反応してか、すぐさまクゥリが言葉を返してくる。
「濃い味付けは体によくないですし、なにより華やかなものは食費がかさみます。ここの宿代では、これが限界ですから」
「クララは悪い意味で言ったわけじゃないけどな」
「……わかっています」
前の女将であるブランの味を受け継いでいる。そうクララは言いたかったのだろう。クゥリもまんざらではないようで少しだけ口元が綻んでいた。
ブランが貯めていたという資金を修繕に回したこともあってか、傷んだ箇所が少なくなっている。ただ、宿自体が持つ空気は以前と変わっていない。……クゥリが前任のブランを尊敬していたことが、本当によく伝わってくる。
懐かしい空気を堪能しつつ夕食を平らげたあとは、クゥリの許可を得て屋上にやってきた。遅めに食べはじめたこともあり、あちこちの建物から漏れる灯はか細いものが多い。聞こえてくる音もほとんどない。静かに風が流れているぐらいだ。
「ここも懐かしいなぁ」
クララが屋上の欄干に両腕を乗せ、夜景を望みはじめる。
「ね、覚えてる? ここで話したときのこと」
「もちろんだ」
答えを示すように彼女のそばの欄干に腰かけた。
まだ島に来て間もない頃、クララがライアッド王国の手の者から狙われていたときのことだったか。居場所を求めて揺れた彼女の瞳は、いまでも鮮明に思いだせる。
「あれからもう3年近くか」
「ほんと、あっという間って感じだよ」
クララの横顔も随分と大人びてきたように思う。
中身のほうはまだまだ子どもっぽさが抜けないが。
「本当はね、神様を倒さなければずっとここにいられるかもって思う気持ちはあるんだ」
「っても、倒さなきゃいずれこの世界が終わるらしいからな。結局、倒すしか道はない」
「うん、そうなんだよね」
わかっていても、そう思わざるを得ないほどにクララは〝いま〟が続くことを望んでいるようだ。ただ、反面でしかと現実も視ているようだった。成長した彼女の横顔が、無数の星で彩られた夜空を見上げる。
「だから、こう思うようにしたんだ。いつか終わっちゃうとしても、いまの……あたしの居場所になってくれたこの島を守るためにも頑張ろうって」
「世界じゃなくてジュラル島のために、か」
「薄情……かな」
クララはばつが悪そうに顔を俯けた。
彼女が生まれ、そして幼少を王女として過ごした国――ライアッドを守るためと口にしなかったことに対して言っているのだろう。
「いいんじゃないか。人の手で世界すべてをってのは無理があるしな。俺だって手の届く範囲で精一杯だ」
「でも、アッシュくんなら全部とか言ってもできちゃいそう」
「もしできるとしたら、もう人の域を超えてる」
「あたしにとって、アッシュくんはまさしくそんな感じだけど」
出会ったときのクララはひとりでの戦闘もままならなかった。だからか、余計に先入観としてそんな印象が根づいているのだろう。
人より強くありたい。
そう思ってはいるが、あくまで人であることは変わらない。実際、初めこそ大きく開きがあったクララとの戦闘能力はもうかなり縮まっている。彼女はもう、島一番……いや、世界最強の魔術師といっても過言ではない。
「自分のためとか言いつつ、誰かのために動いてばっかだし。今回だって神様から頼まれて世界のためにとか思いながら戦ってそう」
「美化しすぎだろ。あくまで俺は力試しが目的だ」
「そういうことにしておきまーす」
投げっぱなしにされてしまったが、掘り返す気にはなれなかった。クララがとても楽しそうに笑っていたからだ。
こうした顔をもっと見たい。
そのためにも〝彼女の世界〟を終わらせるわけにはいかない。
……って、いまさっきの自分が聞いたらどう思うだろうな。
アッシュは人知れず自嘲しつつ、クララとともに懐かしさに満ちた光景を楽しんだ。





