◆第九話『感謝の気持ち』
「今日はちょっと……用事があるから」
「あ、あたしもマキナさんと会う約束してるんだよね」
翌日、緑の塔から帰還したあとのこと。
これからみんなで昼食にしようぜ、と誘ったところ、ラピスとクララからそう返された。断られたのは残念だが、よくあることだ。とくに気にはしていないが、2人とも挙動不審気味に目をそらしていたのが気になった。
「レオさんも用事があるって言ってたよね」
「え、僕はとくに――」
「わたしも聞いたわ」
極めつけには、これだ。クララとラピスの有無を言わさないとばかりの圧力に屈したレオがわけもわからず「そ、そんなことを言ってたかもしれないね。あはは」と硬い表情で笑いはじめる。
「そういうことだから」
「わたしたち、先に行ってるね」
言って、そそくさと帰っていくクララとラピス、レオの3人。
「……レオはともかく、あからさまな捌け方だな」
「アッシュが思ってるよりも女の友情は固いってことだよ」
つまりルナと2人きりになったこの状況は、仕組まれたことだというわけだ。大方、先日のラピスと浜辺で過ごしたことが発端だろう。
「さて……お昼一緒にどうかな?」
「断る理由はないな。どこで食べる?」
「ボクが用意してもいいかな?」
「狩りのあとで疲れてないか?」
「全然。ただ、少し待ってもらうことになるけど」
「ルナの手料理が食べられるなら、いくらでも待つぜ」
「それは嬉しいかぎり」
そうにこやかに笑んだルナとともに、ログハウスに向かって歩きだす。
隣を歩く彼女の足取りは見るからに軽い。
とくに意図した発言ではなかったが、これはいつも以上に美味いものが食べられそうだ。
――それじゃ、急いで用意するよ。
言葉どおりさしたる時間もかかることなく、ルナは昼食の準備を終えた。2人で近くの森林の中へと入り、ふさふさの芝の上に座り込む。
「やっぱり緑の中が落ちつくよ」
言いながら、ルナが伸びをするように息を吸い込んだ。
塔までの道のりは舗装されているため、わざわざ森林の中に入る挑戦者はあまりいない。おかげで中央広場と打って変わって自然のみが支配する空間となっていた。
「でも、マリハバに比べてだいぶ温かいだろ」
「うん。あっちは雪が積もったりもするしね」
ルナの故郷であるマリハバは北東大陸の山奥にある。一年をとおして気温は低めで、時期によっては膝辺りまで雪が積もることも少なくないという。
以前、訪れた際に雪は積もっていなかったが、それでも厚着をしなければまともに一日を生きられないほどだった。
ルナが上半身を少し後ろに倒し、空を見上げる。
おそらく遠きマリハバの地をしのんでいるのだろう。
「アッシュたちと出会う前は、マリハバにもう帰れないかもしれないって思ってたから。いまの心境がすごく嬉しいよ」
ルナは以前のチームではあまり塔を昇れなかったうえ、ほかのメンバーが悪の道に足を踏み入れたりと上手くいかない日々を送っていた。あのときの、悔しさで押し潰されそうな彼女の顔はいまでも覚えている。
だからこそ、いまも隣にある彼女の晴れやかな顔がより嬉しく感じられた。
「ってもマリハバの奴らなら、いつ帰ったってまったく気にしないだろ」
「そうなんだけどね。でも、やっぱりピスターチャとして来たんだ。マリハバの代表者として、恥じない成績を残さないと」
マリハバは全員が家族のように温かい関係で繋がっている。きっと家名を背負っている、と同じようなものなのだろう。
「さ、食べよっか」
しんみりした空気が流れるのを嫌ってか。
ルナがそそくさとそばに置いていたバスケットの蓋を開けた。
中にはサンドイッチがぎっしりと詰まっていた。目でも楽しめるように工夫しているのか、とても綺麗な配色だ。おかげで最高に食欲をそそるものとなっている。
「本当はもっと凝ったものを作りたかったんだけどね」
「むしろ充分すぎるぐらいだ。早速もらってもいいか?」
「あ、待って」
食前に仕上げの行程でもあるのだろうか。
そう思っていたが、まるで見当違いだった。
ルナがおもむろにひとつのサンドイッチを摘むと、こちらに向かって差しだしてきた。
「はい、あ~ん」
「お、おい。自分で食べられる」
「食べてくれないならあげないよ?」
「ずるいぞ」
「作った人の特権です。ほら、あ~ん」
にこにこと微笑みながら、さらに近づけてくる。
間違いなくこちらが戸惑うところを楽しんでいる顔だ。
人目がないので羞恥心はさしてない。男の挑戦者から嫉妬で背中を刺されるようなこともない。これも美味いものを食べるためだ。観念して差しだされたそれに噛みついた。
ふっくらとしたパン生地に続いて、リーフのしゃきっとした触感。最後に玉子の柔らかな舌触りとともに甘い味が口内に広がる。無言で咀嚼していると、ルナが小首を傾げながら訊いてくる。
「どうかな?」
「ルナが作ったんだぜ。言うまでもないだろ」
「そこをちゃんと言わないと、ね」
「美味い。それも最高にな」
ただ具を詰め込んだだけではない。
適量なうえ、調味料もしっかりと仕事をしている。
おかげで早く次をくれと腹が求めている。
普段の狩りの彼女を思わせるような一品だ。
細かなところまで気が配られている。
「本当にルナが仲間になってくれてよかった」
「それはこっちのセリフだよ。アッシュのおかげでピスターチャとしての誇りを守ることができた。それだけじゃない。こんなにも楽しい時間を過ごさせてもらってる。感謝してもしきれないよ」
大したことをしたという意識はあまりない。それでも彼女が感謝してくれるというのなら素直に受け取りたい。ただ、いまもまた眼前に迫っているものはいかがなものか。
「はい、あ~ん」
「……まだ続けるのか」
「もちろん、それもアッシュが食べ終わるまでね」
いまほど、ルナがとてもしたたかな女性であることを再認識したことはない。完璧に胃袋を掴まれている現状を痛感しつつ、アッシュは大きく口を開いた。





