◆第十ニ話『最強の守護者』
まだ刃を交えていない。
それどころか始まってすらもいない。
だが、全身が相手との絶対的な差を感じとっているのか、いまにも腰を抜かしてしまいそうなほど力が入らなかった。
こちらの状態を見透かしたように、アイリスから冷たい目が向けられる。
「いますぐに舞台から下りるのであれば見逃します」
傲慢な言葉だ。
しかし、絶対の強者として君臨するいまの彼女には許された。
アッシュは乾いた喉に唾を流して潤した。
こわばる口を動かし、努めて冷静に声を出す。
「ようやくここまで来たんだ。下りるわけないだろ」
「このまま闘ってもあなたに勝ち目はありません」
「じゃあ、俺が勝ったらどうする?」
アイリスの目元がぴくりと動いた。
「どうするもなにも、いま言ったはずです。あなたに勝ち目は――」
「負けるのが怖いのか?」
安い挑発だが、アイリスは見るからに不快な顔をしていた。静かな怒りが宿る瞳をもってこちらを射抜いてくる。
「いいでしょう。あなたが勝てば好きな望みを言いなさい。ただし、わたしが勝てばジュラル島から出ていきなさい」
「もとより引く気はないからな。受けるぜ」
べつに約束事なんてどうでもよかった。
ただ、自ら追い込むことでいまも震える体を止めたかったのだ。
「……いきます」
アイリスが軽くこちらに体を倒した、瞬間。ぐんと加速した。放たれた矢なんて速さではない。気づけば間近に迫っていた。
受け流したのちに反撃する、と頭に浮かんだ選択肢を即座に破棄。右方へと躱した。急いで彼女が去った側を確認すると、すでに反転してこちらに向かっていた。速すぎるなんて域ではない。
アッシュは舌打ちをしつつ、またも回避を選択。さらにもう1度回避する。その後、ようやく体勢を整えられた。去っていく彼女の後ろ姿もしかと捉えている。次にまた突進がくれば反撃できる。
と、彼女の軌跡を描くように粉雪のような細かい結晶片が漂いつづけていることに気づいた。こちらを囲うように交差した形だ。それらが瞬く間に凝固し、壁を形成。視界からアイリスの姿が見えなくなった。
アッシュはとっさに結晶壁から距離をとった。アイリスは結晶の中を移動できるため、近くにいれば奇襲を受けると判断したのだ。
取り囲む結晶壁は3つ。いったいどこから飛びでてくるのか。長いようで短い一瞬の静寂の中、視界に頼らず耳をすまして気配をさぐる。と、ついに騒がしい結晶の破壊音が聞こえてきた。ただし、すべての方向から。それも数えきれないほどだ。
壁のあちこちから3本に留まらない数の結晶で造られた剣が向かってきた。その速さはアイリスの突進に勝るとも劣らない。剣同士の隙間はなく、すり抜けられそうもない。
アッシュは半ば無意識に跳躍を選んだ。すぐ真下で大量の剣たちが衝突した音が響き、結晶片が舞い散る。最中、影が差した。見上げた先、空を背に迫ってくるアイリスの姿が映り込む。
陽の光を背景にしたその姿は神々しさで溢れていたが、いまは死神にしか見えなかった。なんとか剣を割り込ませ、相手の交差した2本の剣を受け止めた。だが、体勢が悪い上に宙に浮いた状態だ。
その場で収められる衝撃ではとうていなく、一瞬後には地面に叩きつけられた。そこから大きく跳ね上がり、後方の塔の縁へとぶつかる。あちこちを打ちつけてどこが痛いかわからないほどだった。しかも肉をとおり越して骨まで届いている。
それでも止まることだけはできない。止まれば終わりを迎えることになる。アッシュは繋ぎとめた意識で全身に発破をかけた。転がるようにして立ち上がり、駆けだす。と、すぐ後ろから凄まじい瓦解音が聞こえてきた。
肩越しに振り返れば、アイリスが突きだした剣が塔の縁を破壊していた。ただ剣を突きだしただけで通常はあのようにならない。意味がわからない破壊力だ。
彼女は悠々と引き戻した剣を、こちらの頭上へと放り投げてきた。剣は切っ先を真下に向けた格好で巨大化したのち、勢いよく落下してくる。その大きさは人の5倍でも足りないほどだ。
アッシュは全力で前へと駆け、逃げ延びる。硝子が割れたような破砕音が聞こえる中、またも頭上に新たな巨大化した剣が生成されていた。塔の縁に沿う格好で走りつづけ、次々に落下してくる剣を躱していく。
このまま逃げていても体力を無駄に消耗するだけだ。8本目を躱したところで思い切り地を蹴り、アイリスのほうへと方向転換する。
視界の中、彼女は舞台の中央に移動していた。
こちらの接近には気づいているが、身構える様子はない。
ただ、ゆったりとした動きで右手に持った剣を床に突き立て、押し込んだ。剣はまるで床に吸い込まれるようにして、切っ先から音もなく崩れていく。
次いで彼女の足場を中心に結晶が円形状に広がり、瞬く間に舞台の床を結晶で覆い尽くした。この世とは思えないほどに幻想的な光景だ。ここが観光地であれば大いに賑わったことだろう。だが、いまは戦闘の最中だ。足を止める理由はない。
アッシュは一瞬の躊躇もなくアイリスに肉迫。いまだ悠然と立ちつづけるその体へと薙ぎの一撃を繰りだす。が、刃はなにも捉えることなく空を斬った。
直前でアイリスが跳躍したのだ。
いや、正確には飛翔したというべきだろう。
彼女は属性攻撃を放っても届きそうにないほどの高さで浮遊していた。このまま真下で待機していては危険だ。すぐさまこちらが後退を始める中、アイリスは片手に持った剣を天にかざしていた。
その剣を中心に視認できる真っ白な風が、広範囲に渡って幾度も円状に巡っては消える。そのたびに剣に光が増していき、ついには陽光を思わせるほどのものとなった。
10等級魔法の《メテオストライク》や《スーパーノヴァ》を見たときも、とてつもない力を感じた。だが、いまも目にしている剣には、それらとは比較にならないほどの力を感じる。もし言葉で現すのであれば、世界そのもの、だ。
――まずい。
抱いたのはそれだけだった。
アッシュは一心不乱になって塔の縁付近まで駆けた。振り返ってすぐさま剣の切っ先で床をこすり、属性障壁を展開する。ほぼ同時、アイリスが一直線に落下し、勢いのまま剣を頂の舞台中央に突き立てた。
迸った閃光が波のごとく押し寄せてくる。
予想どおり逃げる場所なんてなかった。属性障壁も意味をなさず消し飛ぶ。瞬く間に全身が呑み込まれ、視界すべてが白い光で満たされる。
アイリスが舞台のすべてに結晶を張ったのはなにか特殊な攻撃をするためだろうと初めは思っていた。だが、おそらく本当の目的は塔を壊さないためだ。
やがて白い世界が終わりを迎えた。
初めに感じたのは生きていることへの安堵だった。
全身の肉が呼吸を求めるように蠢く。
あちこちが痛い。ただ、痛いを通り越して熱いという感覚だった。
アッシュは崩れ落ちそうな体を突き立てた剣で支えた。《アイティエルの加護》がなければ、間違いなくいまの一撃で勝敗は決していただろう。
こちらがボロボロなのに対し、アイリスは泰然と中央で立っていた。あれほどの凄まじい攻撃を放ったあとだ。多少の反動を受けているかと思ったが、そんなものはいっさい感じられない。
「いまは1対1です。使わないのですか?」
アイリスが言っているのは《ラストブレイブ》のことだろう。たしかに1対1であれば仲間を傷つけることはない。憂いなく使用できるだろう。だが、問題はそこではない。
「はっ……あんなもん、誰が使うかよ」
「その状態では、意地を張っているようにしか聞こえません」
「実際、そのとおりだからなにも間違っちゃいねぇよ。あの力があれば、アイリスにだって負ける気はしない。けど、俺が求めてるのは、あんなもので得た勝利じゃない」
最強の力を持った家系に生まれた。努力をしなくても、いずれ誰にでも勝てることがわかりきっていた。ゆえに、知りたいと思ったのだ。
「俺は、俺の意志でこの塔を昇りにきた。理由は初めから変わっちゃいない。すべては、俺自身の力がどこまで通用するかたしかめるためだ」
仲間のために負けられないといった気持ちはある。だが、やはり根本にあるのは、初めから力試しをしたいという欲求だ。そしてその力試しを、ここで終えるつもりはない。
アッシュは支えにしていた剣を構えなおした。
苦痛で口元が歪みそうになる中、勝ち気に笑ってみせる。
「ちょうど体が温まってきたところだ。……さあ、続きをしようぜ、アイリス」





