◆第十一話『白の塔100階戦』
一歩目を踏みだしたのはほぼ同時だった。だが、こちらが駆けるのに対し、相手はひと蹴りで地を這うように接近。気づけば、間近まで迫っていた。
そのでたらめな身体能力に改めて驚愕しつつ、アッシュは急いで地に足を叩きつけて急停止。交差した格好で襲いくる2本の剣に、自身の剣をぶつけた。
剣同士の衝突とは思えない重厚な音が鳴り響いた。手から腕、肩へととてつもない衝撃が抜けてくる。ただの一撃で全身の骨という骨が悲鳴をあげている。
いまもがりがりと接触する剣の向こう側には、欠点が見当たらないほど美しく整った顔が映り込んでいる。スカトリーゴの看板娘であり、この白の塔100階の主──アイリスだ。
彼女の目は普段以上に鋭い。
こちらを射殺さんばかりの冷たさを孕んでいる。
相手が右手に持った剣をすっと離し、流れるように薙いでくる。このままでは体が上下真っ二つに斬り裂かれる。すぐさま触れたままの剣を弾き、後退する。
眼前を煌めきが通過していく。その剣を構成するものが結晶なせいか、輝く燐光が散っていた。あまりに美しい光景だったが、秘めた脅威は死に直結する。怖気に見舞われながら、アッシュは剣が通過したばかりの空間へと踏みだした。
右脇寄りに引き絞った剣を突きだす。その切っ先がアイリスの眉間に届く、直前。彼女の左手側の剣に下方から弾かれ、体勢を崩してしまう。
先ほど彼女が空を斬った右手側の剣は、早くも次なる攻撃へと移ろうとしている。このまま留まっても、生半可な後退でも斬られる。
ならば、と恐怖を押し殺し、彼女の右手側へ踏み込んだ。肩同士が触れる中、アッシュは全力で先ほど上方へと弾かれた剣を持ち直し、振り下ろした。
が、斬ったのは虚空のみ。アイリスは軽やかな動きで後退していた。たったその動きだけでもおそろしく早く、瞬時には距離を詰められない。
およそ大股20歩まで離れたのを機に彼女は足を止めた。そばに滞空させた2本の剣の腹に、そっと置いた手をこちらへすべらせる。と、剣が矢のごとく撃ちだされた。
前回も味わった厄介な攻撃だ。アッシュは塔の縁に沿うように駆けだす。一瞬前まで立っていた空間を貫くようにアイリスの剣が通過しては、塔の縁へと激突。轟音を響かせる。
向かってくる剣はアイリスのそばで再生成され、終わりはない。途切れさせるにはこちらから攻撃をしかけるしかない。アッシュは機を狙って強く地を蹴り、アイリスのもとへと方向転換した。
向かってくる剣は、真正面からでは想像を絶する速度に感じられる。冗談ではなく、気づけば眉間近くまで迫られている状態だ。少しでも動作が遅れれば顔面を貫かれる緊張感の中、自らの剣で受け流しながら一気に距離を詰めていく。
突然、向かってくる剣が止んだ。視界の中、アイリスが両手に持った剣の切っ先を、交差する格好で勢いよく床にこすりつける。と、大量の結晶片が舞い散った。あわせて生成されたのは、見上げるほど高い結晶の壁。
彼女の両側から左右へと走るように現れた結晶壁は、大きく弧を描いてこちらに向かってくる。挟まれれば間違いなく押し潰され、肉片と化すだろう。
後退か、前進か。一瞬の逡巡を経て、前へと強く踏みだした。瞬間、アイリスの姿がふっとかき消えた。右手側にそびえる結晶壁の中、走る影の姿が映り込む。前回は余裕がなかったせいで捉えることはできなかったものだ。
左右に別れていた結晶壁が背後で激突し、地鳴りのような音が鳴った。アッシュは思い切り足裏を床に叩きつけ、振り返る。舞い散る多くの結晶片の中、アイリスが勢いよく飛びかかってきた。
「2度目はないぜっ!」
アイリスの剣が振られるよりも早く肉迫し、首を飛ばす軌道で剣を振る。が、アイリスは迎撃ではなく、すぐさま回避に舵を切ったようだ。片方の剣の切っ先を床に突きつけ、無理やりに体の位置を変えてきた。
おかげですれ違いざまの接触は、彼女の肩をわずかに斬る程度に終わってしまう。やはりそう簡単にはいかせてもらえないらしい。ただ、鮮血が散る中、アイリスの口元が悔しげに歪んだのをしっかりと捉えた。
たしかな感触を覚えつつ、振り返ってすぐさま身構える。
と、アイリスが虚空を薙ぐように右手の剣を振り回した。その切っ先に連動して周囲を覆っていた結晶壁が無数の破片に変貌。彼女が剣を天に掲げた先ですべての結晶片が瞬く間に結合し、巨大な塊と化した。
それがどうなるかは、アイリスが振り下ろした剣を見れば予想はできた。アッシュは全力で後退し、飛び込んだ。転がる中、襲ってくる激しい揺れと、腹にまで響く重い音。先の結晶塊が床に激突したのだろう。
急いで体勢を整えると、予想どおり結晶片を散らしながらアイリスが突っ込んできた。
向けられた剣の切っ先を、こちらの剣の腹で受け止める。が、あまりの衝撃に後方へ追いやられてしまった。空いた距離を使ってまたも加速し、勢いづいたアイリスが恐ろしく速い連撃をしかけてくる。
――こっちはまだ手と腕がしびれてるってのにッ!
その容赦のない攻撃に嫌気が差しつつも、アッシュは不思議と胸中で笑ってしまった。
相手の攻撃はこれまでに体感したこともないほどに速く、また力強い。おかげで前回は手も足も出なかった。ただ、今回は違う。攻撃を目で追えているし、体も頭で思ったように動いてくれている。
アイリスの猛攻を受ける中、針の穴を縫うように反撃を繰りだしていく。互いに決め手にかける中、肌をかする程度の攻撃は幾つも受けていた。応酬の最中、散った血が少しずつ辺りを赤く染めていく。
「――遊んでいたわけではないようですね」
刃を重ねる中、アイリスが息も乱さずに淡々とこぼした。
「悔しいが、俺自身の力だけじゃまず勝てないってわかったからなっ!」
いま、アイリスと対等に渡り合えているのは間違いなく装備のおかげだ。中でも足部位のオーバーエンチャントによる《ヘイスト》の効果が大きい。互いに同じ装備だったとしたら、まず間違いなく勝負にならないだろう。
「ただ、装備をよくしたことで実感してる! 俺はまだまだ強くなれるってな!」
アイリスという至高の戦士を相手に拮抗した戦いをしているせいか。自身のさまざまな感覚が鋭くなっていくのを感じた。呼応するように肉体も力を増しているような気さえする。いや、実際にこちらが攻撃を加える機会が増えている。
「この感覚……本当にたまらないな。いつまでも味わっていたいぐらいだ」
かつてないほどの昂揚感を覚え、思わず口元に笑みを作ってしまう。
そんなこちらの表情を見て取ったか、アイリスがわずかに眉間に皺を寄せた。苛立ったように剣を弾くと、そのまま大きく後退する。
「このままでは埒があきません」
「ついに本気を出してくれるのか?」
先ほどから感じている楽しさを隠さず言葉に乗せた。
それがアイリスの神経をさらに逆撫でしたようだ。
彼女は下げた両腕の先、剣の柄を握る手をぐっと強める。
「……あなたにひとつだけ伝えるべきことがあります。神は……神アイティエルは、遊びで勝てる相手ではありません」
推し量ることのできない強い意志が込められた、その言葉が放たれたときだった。アイリスへと天から稲妻が落ちた。耳を塞ぎたくなるほどの音が轟く中、彼女の身に変化が起きた。
ミルマの特徴である耳と尻尾が消え、変わりに背から翼が生えたのだ。それもいっさいの穢れを感じられない純白の翼だ。雷の影響かは知らないが、彼女の髪はほどけていた。腰にかかるほどの長い青みがかった髪がゆらゆらと舞っている。
これが白の塔100階の主。
アイリスの本気の姿か。
初めに浮かんだのは天使だ。
ただ、感じる存在感は想像を絶していた。
相対したことなんて一度もない。だが、本能的に感じた。
いま対峙している相手は、もっとも神に近い存在ではないだろうか、と。
「……はは、こりゃ想像以上だ」





