◆第九話『赤の塔100階戦』
視界の中で赤が弾けては黒が舞う。
そのたびに全身に衝撃が走り、腹の底まで届くような音が響く。立っているのもやっとといった中だが、レオ・グラントはその場に踏みとどまりつづけていた。
「いいわぁっ、すぐに倒れてしまった前回が嘘みたいっ!」
愉悦まじりの声が聞こえる中、盾越しに前方を覗き込む。
踊り狂う炎柱や炎壁の向こう側に交換屋のオルジェが立っていた。
ただ、妖艶な空気こそそのままだが、普段の蠱惑的な目はいまや血走ったように赤へと染まっている。なにより違うのは耳や尻尾がないことだ。変わりというべきか、赤い翼を背中から生やしていた。
変貌したのは、突進とともに剣を肩に突き刺した直後だ。おそらく狂騒状態へと移行したのだろう。
応じて、彼女が扱う《フレイムバースト》の数も一気に増えた。まるでそのあたりに落ちている石を投げつけるかのように際限なく飛んでくる。
徐々に肌を傷つけられている感覚はある。
だが、そのたびに体がほんのりとした熱に包まれていた。
おそらく《フェニクス》シリーズの微量回復による効果が発揮されているのだろう。《エンシェント・0》シリーズを脱いだことにはいまだ後悔しているが、こればかりはいまの防具に感謝するしかない。
なにしろ、おかげでいまも満足に動きつづけられるのだから――。
レオはいましがた飛んできた《フレイムバースト》を盾で弾き飛ばしたのち、勢いよく前へ駆けだす。
「きみと戦うために、ずっと準備をしてきた! 仲間が僕に力を授けてくれた! もう倒れるわけにはいかないんだっ」
「そう! なら、もっと楽しませてっ! この胸に生まれつづける熱い想いを、すべて受け止めてみせて!」
塔の縁や彼女の周囲で待機状態にあった炎柱たちが一斉に動きだした。弧を描いたり直角に曲がったりと不規則に迫ってくる。事前に軌道を予測し、安全地帯に立つのはほぼ不可能だ。直前で躱すしかない。
加えて、《フレイムバースト》が変わらず向かってきている。しかも心臓の鼓動と同程度か、それよりも早い間隔だ。息つく暇がない。
どちらも下の階層では見たこともないほどの猛威を孕んでいる。生身の人間が触れれば間違いなく一瞬で命が潰えるだろう。だが、それらの脅威にさらされる中でも、レオはすべてを凌いでいた。
防具のセット効果に加え、足部位のオーバーエンチャントによる《ヘイスト》効果で移動速度が大幅に上がったおかげだ。炎柱を直前で回避しつつ、休みなく襲いくる《フレイムバースト》を盾で弾けていた。
「あなたも楽しんでくれてるみたいで嬉しいわ!」
「楽しむ……?」
「ええ、そうよ。だってあなた笑ってるじゃない!」
言われてから初めて気づいた。
「はは……そうか。僕、笑ってるのか」
戦闘中に笑うなんておかしなことだ。
少なくともシュノンツェで将軍をしていた頃は絶対にしなかったことだ。
ただ必死に剣を振りつづけ、立ちはだかるものすべての者の命を刈り取ってきた。そんな自分にとって戦闘は楽しくないものであり、残酷なものだった。
「どうやら僕は本当に変われたみたいだね」
戦うことが楽しいと感じられるようになったのは、いつからか。
――答えは簡単だ。
「これもアッシュくんたちと出会えたからだ。ここなら僕は僕でいられる。僕は自分の好きな道を走りつづけられる」
胸に湧き上がった想いを全身に漲らせながら、レオはさらに前へと駆けた。襲いくる炎柱と《フレイムバースト》をやり過ごし、オルジェとの距離を一気に詰める。
こちらの接近に脅威を感じたか、オルジェを取り巻く炎壁の高さと勢いが増した。彼女の影がいっさい見えなくなる。さらに轟々と鳴りつづける音は、いかに激しいかを物語っている。
「いくら《アイティエルの加護》でも、この炎の中では耐え切れないわよ! さぁ、どうするの!?」
どうするもなにも決まっている。
この身ができることは、ただ真っ直ぐに走ることだけだ。
レオは燃え盛る炎壁の中へと突っ込んだ。
オルジェの言うとおり、《アイティエルの加護》は早々に消滅してしまう。全身にまとわりついた炎が鎧を抜けて肌を焼き尽くそうとしてくる。
全身が悲鳴をあげている。痛いし、苦しい。ただ、どれだけ痛くても、どれだけ苦しくても止まるつもりはない。この道は自分で選び取って進んだ道だから――。
「おぉおおおおおおおおおおおッ!」
視界一杯に満ちていた炎が消えた、そのとき。驚愕に満ちたオルジェの顔が映り込んだ。レオはそのまま全体重を乗せて突進。彼女を思い切り突き飛ばした。
オルジェは長い距離を転がったのち、塔の縁にぶつかってようやく勢いが止まっていた。ただ、意識を奪うには至らなかったようだ。彼女はほとんど間もなく、ゆらゆらと立ち上がる。
「いいわぁ、こんなにも胸が熱くなったのは初めてよ。あなたなら、わたしの本気をぶつけても簡単には壊れなさそうね……!」
オルジェが狂気染みた笑みを浮かべた、そのとき。
彼女の遥か上空に3つの光点が生成された。
どれも徐々に光を増し、膨張していく。
赤の塔10等級魔法の《スーパーノヴァ》だ。純粋な破壊力だけなら、《メテオストライク》を上回る。1発でもまともに受ければ命の危険がある魔法だ。それが3つ同時。炎壁を突っ切るのとはわけが違う。
だがそれでも、やるべきことは変わらない。
「……僕は大好きな仲間たちの役に立ちたい。この想いのためなら、どんなに激しい攻撃の中でも突っ走るなんて簡単なことだ」
レオは腰を深く落とし、盾を構えなおした。
盾の縁からかすかに覗かせた目でオルジェを見つめる。
「さあ、行くよ。僕ときみの想い、どちらが熱いか勝負だ」





