◆第八話『緑の塔100階戦』
ルナは、いまにも目を回しそうな感覚に陥っていた。
それほどの速さで対峙する相手――緑の塔100階の主であるウルが舞台を駆け回っているのだ。
凛々しい目つきに緑の戦闘衣。
2つに結われた髪以外、そこに普段の面影はない。
ウルの得物はハンマーだ。
その頭部は小柄な彼女に不釣合いな大きさを持っている。だが、まったく重たさを感じさせないどころか、軽やかかつ豪快に振り回している。
1度でもあのハンマーによる攻撃をまともに受ければ敗北する。前回は速さに対応できず、開始早々に沈められてしまった。だが、今回は足部位のオーバーエンチャントによる《ヘイスト》効果で、なんとか距離を保ちつつ応戦できている。
もちろん、走るだけなら一瞬で距離を詰められるため、大量に矢を射続けている状態だ。ただ、どれもが牽制程度に終わっていた。
いまもまた彼女の行く先を狙って矢を放つ。が、放った瞬間に軌道を読まれているのか、たやすく回避されてしまう。それも見越して放った矢も、彼女がハンマーで虚空を叩くだけで起こる風によって弾かれてしまう。
しかも風によって吹き飛ばされた矢は、対象に命中した判定にならないのか。赤の属性矢の効果である爆発を引き起こさなかった。
とてもではないが、遠距離から攻撃を当てられる気がしない。まさに弓使いとして絶望的な状況だ。……ただ、ここまでは想定内だった。
当てさえすれば、彼女に損傷を与えられる。
前回の対戦からずっとそれだけを考え、行きついた答えがあった。
接近の機会を窺っていたウルが弾かれたように加速。一気に距離を詰めてきた。瞬きひとつする間に懐にもぐりこまれる。最中、ルナは用意していた矢をすぐさま弦に添え、放った。もちろん属性攻撃を発動した状態で、だ。
「――ッ!?」
驚愕に歪むウルの表情を捉えたのも一瞬、視界が赤で埋め尽くされた。轟くような音とともに全身が叩かれたような衝撃に見舞われる。
ルナは後方へ弾かれ、長い距離を転がった。耳鳴りと打ち身による多少の痛みはある。だが、疼痛は感じない。すべては《アイティエルの加護》のおかげだ。
正直に言うと、弓使いとしてどうかと思った戦法だが、相手が相手だ。なりふり構っていられなかった。
ただ、いまの攻撃で相手を倒せたとは思えない。いまだに衝撃で意識がおぼつかなかったが、無理やりに立ち上がってすぐさま構える。
視界の中、ウルにはほとんど損傷が見られなかった。
戦闘衣がわずかに黒ずんだ程度だ。
「ルナさん、お願いします。ここで引いてはいただけませんか」
懇願するような顔を向けられた。
それほど自信があるということだろう。
ルナは口元に笑みを作って応じる。
「愚問だよ、ウル。ボクは決意をしてこの場に立ってる。どれだけキミが強くても、その選択肢だけはとることはないよ」
「……わかりました。では、お願いです」
ウルが一瞬だけ伏せた目を再び開ける。
そこからはもう、いつもの優しさが感じられなかった。
ただ使命をまっとうする、ひとりの戦士として彼女は立っている。
「どうか……死なないでください」
空に走った稲光がウルに落ちた。
瞬間、彼女の背から緑色の翼が現れた。
その姿はまさに天使としか言いようがない。
さらに変化は舞台のあちこちに現れていた。
塔の縁を彩るよう等間隔に、天にも昇るかという竜巻が幾つも発生していたのだ。またウルの周りを広範囲に渡って雷撃が天から降り注いでいる。ぱっと見では規則性はまるで感じられない。
極めつけには空に現れた巨大な石だ。どう見ても緑の塔10等級魔法の《メテオストライク》だ。いつでも落ちてこられる、とばかりに滞空している。
ほかの階の主やレア種の狂騒状態に相当するものが、100階の主にもあるだろう。そう仲間と話していたが……予想の遥か上をいかれていた。
ただ、呆気にとられている暇なんてなかった。
塔の縁で留まっていた竜巻たちが暴れ狂うように四方から襲ってきたのだ。どれも直径が大股10歩程度とかなり大きいうえ、近づいただけでも皮膚を刻んでくる鋭い風をまとっている。なぶられるようにじわじわと傷が増えていく。
いつしか空が窺えなくなるほどに囲まれ、自分がいまどこにいるのかすらわからない状況となった。途端、竜巻がぱっとかき消えた。いったいどうしてなのか、という疑問はすぐさま解決に至った。
いまも骨を揺るがすような音を鳴らしながら、空から迫ってくるものだ。空で待機状態となっていた《メテオストライク》がついに落ちてきたのだ。
破壊している暇はない。ルナは迷わずに塔の縁へと駆け、飛び込んだ。ちょうど《メテオストライク》が床に激突したようだ。地鳴りのような音とともに体が上下に揺れはじめる。振り返れば、《メテオストライク》が荒々しく弾け飛んでいた。
空に大小様々な破片を散らしている。どれも当たればただではすまない大きさだが、さらに大きな脅威が迫っていた。ウルだ。彼女がただそばを走るだけで破片が散り、また降り注いだ雷撃によって破片がより細かく砕かれていく。
あのハンマーの一撃を受けずとも、接近だけで痛手はまぬがれない。だが、塔の縁を背にしたいま、回避の選択肢はなかった。
ウルの接近にあわせてこの身に雷撃が降り注いできたが、《アイティエルの加護》のおかげで直撃はまぬがれた。視界が激しい閃光で明滅する中、視界いっぱいにウルの姿が映り込む。
思っていた以上に早く距離を詰められた。
明らかに先ほどよりも速くなっている。
ルナはいまいちど矢を構え、至近距離のウルに当てんと放つ。が、先ほどの自爆攻撃を警戒してか、素早く後退されてしまった。放たれた矢は間近の床に命中する。
ただ、矢は爆発はしなかった。
思考能力がある相手――それもウルほどの手練であれば回避するはずだ。そう考え、自爆攻撃と見せかけて属性攻撃を発動させなかったのだ。
ルナは流れるように追撃の矢――《レイジングアロー》を放った。直撃したのは、後退したウルが再び床に足をつけたのと同時だった。周囲のけたたましい音に勝る轟音が響き渡る。
間違いなく当たった。それに《レイジングアロー》に加え、オーバーエンチャント分もあってこれまでとは比べ物にならない爆発だった。いくらウルでもかなりの損傷を負ったはずだ。
そう確信したのも束の間、ルナは思わず乾いた笑みを浮かべてしまった。
爆炎が晴れたとき、ウルは両の足でしかと立ったままだったのだ。
「はは……まいったね。とっておきの一撃だったんだけどな」
ただ、衣服もところどころが黒ずんでいるし、肌にも傷がついていた。与えた損傷は、小さな虫にかまれた程度かもしれない。ただ、少しでも効いているのなら勝機はある。彼女が倒れるまで、何度でも撃ち込むだけだ。
ルナは右耳につけたイヤリングを弾き、手に矢を持った。矢尻をウルに向けながら弦に添え、深く引きしぼる。
ジュラル島の塔を昇りにきたのは、マリハバの戦士が最強であると証明するためだ。もちろんその想いはいまでもあるが、いつの間にか1番の理由ではなくなっていた。
世界は広く、自分よりも強い戦士がたくさんいる。
中でも、最強と言える戦士が集まったチームがある。
そこに不思議なことに自分は入っていた。
普段はなんてこともない風を装っているが、正直、ついていくだけでも精一杯だ。弱音を吐きたくなるし、実際に吐いたこともある。それでも彼らと並んで歩きたい気持ちはなくならなかった。むしろ日に日に強くなってさえいる。
なぜなのか。
答えは簡単だ。
仲間たちがどうしようもなく大好きだからだ。
仲間たちと過ごす時間が、過ごす場所が大好きだからだ。
――たとえ背伸びをした状態でも、彼らの仲間として立っているんだ。そして、それはこれからも変わらない。いや、変えたくない。
ルナは弓柄を強く握りしめながら、立ちはだかる最強の相手を見据える。
「本当にキミは強いよ、ウル。でも……ボクはボクのために――この矢で、きみを倒してみせる」





