◆第七話『青の塔100階戦』
重ねて生成した3枚の《ストーンウォール》が早々に破壊された。破片が勢いよく弾け飛ぶ中、鋭い刃を持った槍が伸びてくる。このままでは眉間を貫かれる。
クララは怖気が走る中、《テレポート》で右方へ飛んだ。ほんの一瞬だけ途切れた視界が再び戻ったとき、さきほどまでいた空間が豪快に槍で貫かれていた。
槍を持っているのは小柄なミルマ。
ジュラル島の案内人であり、青の塔100階の主でもあるシャオだ。
いまの彼女に普段のおどおどした様子はいっさいない。死線をくぐり抜けてきた戦士よりも強い存在感に加え、まるで暗殺者のような冷酷な空気をまとっている。
彼女の得物は、グレイブと呼ばれる槍だ。長い柄の先に身が腕ほどもある片刃がついている。斬ることを基本攻撃としているらしいが、先ほどのように豪快な突きが繰りだされることもあった。
対して、こちらは杖を入口に置いていた。
回復している暇なんてないうえ、そもそも1撃でも受ければ敗北といった状況だ。持っていたら動きが制限されるものをわざわざ持ち歩く意味はなかった。
クララは半ば転がるように体勢を整えつつ、5発の《ライトニングバースト》を放った。炸裂音を鳴らしながら猛烈な勢いで突き進んだそれらは、シャオを見事に捉えたかに見えた。だが、《ライトニングバースト》が叩いたのは床のみ。
シャオは音もなく回避し、一瞬で中央へと引いていた。
この速さだ。ほかの頂の主も10等級の魔物とは桁違いに速いと言っていたが、シャオも例にもれず凄まじい移動速度を持っていた。あの速さのおかげで魔法をいくら撃ってもまるで当たる気がしなかった。
それでもなんとかして当てないと……!
中央まで後退したシャオがその場で槍を薙ぐように振りだした。頂の舞台は相当な広さを誇っている。彼女の身長よりわずかに長い程度の槍を振ったところで、当たるはずがない距離だ。ただ、そんな意味のない攻撃をする相手でないことは充分にわかっている。
いや、これまでの塔の魔物相手でもそうだった。クララは本能的に《ストーンウォール》を足もとに生成。自身の体を持ち上げた。直後、シャオの槍が氷の刃をつけ、頂の縁まで一気に伸びた。そのまま頂の縁を削り、がりがりと音をたてながら迫ってくる。
《ストーンウォール》が両断され、がくんと体が下がる。が、シャオの回転斬りはまだ終わっていない。もう1周、2周と続けて放たれた。そのたびに《ストーンウォール》をそばに生成し、飛び移ってなんとか凌ぐ。
3度目が終わったところでようやくシャオが回転斬りを止めた。かと思うや、今度は振りかぶる形で構えていた。またも氷をまとって天へと真っ直ぐ伸びた槍の刃は、先ほどよりも分厚くなっている。生半可な回避では間違いなく押し潰されてしまう。
クララはすぐさま《ストーンウォール》から飛び下り、必死に駆けた。いまは足部位のオーバーエンチャントで《ヘイスト》がかかっている。おかげで運動能力が大幅に向上し、いつもとは比べ物にならないほど速く走れている。
ただ、《テレポート》を2回使ったほうが簡単に避けられた。そうしないのは魔力をなるべく残しておきたいからだ。逃げるばかりでは絶対に勝てない。いつかくる攻撃の機会のために――。
限界まで自力で走ったのち、《テレポート》で回避。背後で振り落とされた槍が床を叩き、その振動で体がわずかに跳ね上がった。さらに刃を形勢していた氷が散ったのか、あちこちに煌めく破片が舞っている。
と、妙な寒気に見舞われた。周囲の状況から青の塔9等級魔法の《ダイヤモンドダスト》が脳内をよぎる。ただ、気づいたときにはすでに足が凍りはじめていた。
――まずい。
そう思ったのと、シャオの刃が左方から迫っていたのはほぼ同時だった。がんっと凄まじい衝撃が全身に走る。幾度も床の上を跳ね転がり、塔の縁に激突したところでようやく勢いが止まった。
ただ、むせるだけで済んだ。体のどこも斬られていない。間違いなく《アイティエルの加護》のおかげだ。どうせなら衝撃も吸収してくれればいいのに――なんてことを胸中で愚痴をこぼしながら顔をあげた。
瞬間、自身の周囲に大きな丸い影が差していた。いったいなにごとかと見上げれば、空から渦を巻いた水が迫ってきていた。青の塔10等級魔法、《メイルシュトローム》だ。
まだ起き上がれていない状態だ。ここから走ったところで回避は間に合わない。すぐさま2回の《テレポート》で逃げ延びる。が、その先でまたも《メイルシュトローム》が襲ってきた。今度は上空からではなく、横合いからだ。
呑み込まれれば間違いなく勝敗が決する。もちろんこちらの負けだ。絶対に当たるわけにはいかない。そう強く思いながら、さらに《テレポート》で凌ぎきる。
10等級のローブによって魔力の総量は上がっている。ただ、いまは動きやすさを重視したため、10等級杖の恩恵である〝魔法の魔力使用を軽減する〟といった効果がない。おかげで《テレポート》連発によって魔力切れが近くなっていた。
その証拠に息が上がりはじめていた。少し休みたい。が、状況がそうさせてくれなかった。《メイルシュトローム》によってか、頂の舞台に水が満ちていたのだ。水位は膝高程度といったところだろうか。濡れることによって動きが鈍るのは避けたい。すぐさま生成した《ストーンウォール》の上に退避する。
と、離れたところからシャオがこちらに猛然と走ってきていた。彼女が足をつけた水面が凍っているため、沈み込むなんて事態は起きていない。おかげで移動速度がいっさい落ちていなかった。
なにがなんでも仕留める。
そんな執念じみた気迫に思わず恐怖を感じてしまう。
体が強張り、心臓の鼓動もどんどん速くなっていく。
普段なら、どんなに危険な状況でも仲間のみんながなんとかしてくれた。弱音を吐いても仲間のみんなが勇気づけてくれた。だが、いまはその仲間も近くにいない。
わたしが……わたしがやらないといけないんだ……っ!
クララは勢いよく左手を突きだした。
恐怖に背中を押された感じはあるが、体が動いてくれたならなんでもいい。
放ったのは《ツナミ》だ。本来なら青の塔の攻略に持ってくるものではない。完全に意表をつくためだった。加えて、もうひとつ。視界を奪うためだ。
視界の中、《ツナミ》がシャオを上方から包むように倒れ込む。最中、クララは《メテオストライク》を生成した。唯一、オーバーエンチャントをした魔法だ。その大きさは10等級緑の塔にいるシヴァが放つものよりもさらに大きい。
蓋を被せるように倒れた《ツナミ》の一画が弾け飛んだ。シャオが槍を振って水を弾き飛ばしたのだ。まったく堪えた様子もなく現れたシャオだったが、間近まで迫った《メテオストライク》を目にした瞬間、すぐさま表情を驚愕の色に染めた。
オーバーエンチャントをした《メテオストライク》の範囲はおそろしく広い。シャオは回避行動をとっていたが、間違いなく当たったと確信できた。床に激突した《メテオストライク》が、とてつもない轟音を響かせる。
視界も揺れに揺れていた。さらに激突した箇所から《メテオストライク》に亀裂が入り、四散。破片が大小様々な形で飛び散りはじめる。こちらにも飛んできていたが、《アイティエルの加護》がすべてを防いでくれた。シャオに破壊されていたが、いましがた復活したのだ。
やがて辺りに満ちていた水が引いた。
クララは足場にしていた《ストーンウォール》を消滅させ、床に足をつけた。が、魔力が限界に近いこともあって体に力が入らなかった。立ちくらみでも起こったようにふらっとその場に膝をついてしまう。
なんとか顔を上げると、両の足で立つシャオが映り込んだ。
あの攻撃でも倒せなかったことに若干の焦りを覚えたが、深手は負わせられたようだ。腕はだらりと力なく垂らし、足もわずかにふらついている。綺麗だった水色の戦闘衣もぼろぼろだ。
ただ、その傷ついた姿を見て、知人を相手にしていたことを思いだした。一気に罪悪感が湧きあがってくる。
「だ、大丈夫……?」
「気遣いは必要ありません。わたしたち守護者がこの場で死ぬことはないので」
シャオから返ってきた言葉は毅然としていた。
相手があまりに強大だったこともあり、やり過ぎて殺してしまうかもしれないことを完全に失念していた。ただ、その可能性がないとわかったことでほっとした。
「……それにしても予想外でした。まさかここで《ツナミ》を使ってくるなんて」
「意表を突かないと絶対に当てられないって思ったから」
まるで一区切りがついたように会話をしている。
これで終わりだろうか。
いや、終わってほしい。
そう切に願ったが、叶うことはなかった。
シャオが深く息を吸い込み、吐きだす。
その動作だけで、か細かった彼女の生命力が戻った。
いや、むしろ強まったようにすら感じられた。
「ここからは手加減ができないので……もし自信がなければ逃げてください。縁から飛び下りれば、いまならまだ間に合うと思います」
わずかに困ったような顔で告げてきたのち、シャオの様子は一気に変貌した。稲妻が彼女の身に落ち、ミルマの象徴でもある耳と尻尾がすっと消えた。まるで入れ替わるように背中から青みがかった翼が生えてくる。
ミルマが神の使いであると言われても、愛らしい耳と尻尾のせいで信じられなかった。ただ、いまだけははっきりと言い切れる。
間違いなく、ミルマは神の使いだ。
そして9等級にはびこっていた魔物たちよりも、よっぽど物語に出てくるような天使の像を模っていた。
シャオの背に翼が生えたのを機に、塔の縁に沿う形で大渦巻きが噴出しはじめた。その数12。すべてが《メイルシュトローム》だ。
――手加減ができない。
シャオがそう言っていたことをよく理解した。
いま、対峙している相手は、これまで塔内で戦ってきたどんな魔物よりも間違いなく強い。すぐにでも逃げたほうがいい。そう体が訴えかけてきている。けれど――。
「……逃げないよ」
ここで逃げれば、もう2度と挑戦ができなくなるような気がした。
いや、違う。
ここで逃げれば、仲間たちと一緒にいられなくなるような気がした。
「約束したから。みんなで100階を突破するって」
ジュラル島という居場所を得られた。
ただ、本当の居場所はジュラル島ではない。
この島でできた友人たちであり、チームの仲間たちだ。彼らのいる場所が、自分のいたいと思う場所だった。もちろん、ここで自分ひとりだけが敗北したとしても彼らは温かく迎えてくれるだろう。
ただ、それではきっと満足できない。
――みんなの仲間だ。
そう胸を張ってそばに立っていたかった。
……神様にお願いしたいことはたくさんある。でも、そんなことよりも、あたしにはいま自分で勝ち取ることしかできないものがほしいんだ。
クララは恐怖で震える足を押さえながらゆっくりと立ち上がった。ふぅと息を整えながら、天使と化したシャオを見据える。
自分には戦うために培ってきたものは少ない。それでも《精霊の泉》という力がある。親との唯一の繋がりであり、仲間のために使える最高の力だ。
クララは天に右手を向けて《メテオストライク》を上空に2つ生成。ストックしたままの状態で、にっと笑う。
「あたしが1番乗りしちゃったら、みんなどんな顔するかな……!」





