◆第四話『変わらない手』
「ほんといつもどおりだよな」
アッシュは《ブランの止まり木》の女将――クゥリの隣を歩いていた。
先ほど委託販売所をあとにした際にたまたま出会ったのだ。
聞けば、ちょうど買い物を終えて宿に帰るところらしい。
「あの、夕食の用意で忙しいのですが」
「少し話すだけだ。宿につくまでにはどっかに行く」
「……それなら、まあ」
渋々といった様子で答えるクゥリ。
無愛想な態度は相変わらずだが、初めて会った頃に比べればかなり軟化している。こちらに心を許している、というよりは単純に彼女自身の変化だ。
「タイミング的に見ても、俺たちが100階に辿りつきそうだからクゥリとシャオが来たってことだよな」
「そういうことになりますね」
誤魔化されるかと思ったが、意外にも答えてくれた。
ここぞとばかりに気になっていたことを訊いてみる。
「もしかしてブランさんが100階の主だったのか?」
「ご想像にお任せします」
「そこは教えてくれないのか」
切り揃えられた前髪の下、窺えるクゥリの双眸は泰然としている。細身な体もあいまって、いまだに黒の塔の頂に君臨しているとは思えない。
だが、彼女は実際にラピスと戦った。
間違いなく黒の塔100階の主だ。
「クゥリからみてラピスはどうだった?」
「とてもいい挑戦者だと思います。ただ、わたしの動きについてこられないようでしたし、また挑んできても結果は変わらないかと」
「たぶん次には対応してくると思うぜ」
「だとしても、負けるつもりはありません」
強がりではなく、事実として淡々と答えたようだった。彼女にはそう断言するだけの力が実際にあるのだろう。だが、こちらのラピスも負けてはいない、とアッシュは自分のことのように意地を張りつつ、クゥリの目を見返した。
「あの、宿の前です」
クゥリが足を止め、こちらに向きなおった。
彼女が背にした側には《ブランの止まり木》と、そこに繋がる小道が見える。
「もうか。早いな」
「……ごめんなさい。その、忙しいときでなければ、いつでも構いませんので」
クゥリがかすかに目をそらしながら、ぼそりと呟いた。
以前の彼女からは絶対に出てこなかった言葉だ。
アッシュはにっと笑いながら応じる。
「そうする。付き合ってくれてありがとな」
「いえ」
クゥリが応じながらまた顔をそらすと、その先でなにかを見つけたのか。まぶたをわずかに跳ね上げていた。
「……ウルさん」
アッシュはとっさに振り向くと、クゥリの言うとおりウルを見つけた。
路地からちょうど出てきたところらしい。ただ、こちらと目が合うなり、あたふたしながら路地の陰にまた引っ込んでしまった。
「隠れてしまいましたね」
「最近、ずっとあの調子なんだよな」
「……なにかしたのでは? たとえば、女性とみれば誰彼構わず声をかけるというあなたの好色家ぶりに辟易しているとか」
「ちなみにそれはどこ情報だ?」
「宿に泊まっている挑戦者からです」
先ほどクゥリと話すために《ブランの止まり木》を訪れる約束を交わしたが、どうやら別件でも訪れる必要がありそうだ。
「では、わたしはこれで」
「言っておくが、さっきの情報は間違ってるからな」
「まるで説得力はありませんが、そういうことにしておきます」
言い終えるや、クゥリは《ブランの止まり木》に繋がる小道へと入っていった。
彼女の背を見送ったのち、すぐさま振り返る。
と、先ほどウルが隠れた路地から尻尾が出たままだった。
絶対に関わりたくないのであれば早々に逃げるはずだ。
完全に避けられている、というわけではないらしい。
「どうしてそんなに避けてるんだ?」
近くまで向かい、なるべく優しい声音で問いかけた。
ウルが路地からおそるおそる顔を出したのち、窺うような目を向けてくる。
「アッシュさんを騙していたみたいで……」
「緑の塔の主だったってことか」
「……はい」
申し訳なさそうにウルが頷いた。
その身は消えてしまいそうなほどに縮こまっている。
これまで挑戦者のサポート役として動いてくれたこともあり、ウルが100階の主であるという事実にはいまだに違和感がある。だが、だからといってなにが問題だというのか。
「べつに気にする必要はないだろ。少なくとも俺は怒ってはないぜ」
ウルには悪意がなかったうえに、こちらに実害はなにもないのだ。責めようなんて気はいっさい起こらなかった。
「大体、隠したくて隠してたわけじゃないんだろ?」
「もちろんです!」
「ならいいじゃねえか」
本当に気にしていない。
そう証明するため、アッシュはできるかぎりの笑顔を向けた。
「もし悪いなって気持ちが抜けないなら、余計に普段のウルに戻ってくれたほうがいい。こうして避けられてるほうが俺としては辛いしな」
「それはウルも同じっ、です……」
「だったらもう終わりだ。いいな?」
「は、はいっ」
半ば言わせる格好となったが、ウルの顔は次第に落ちついたように綻んでいった。こちらとしても彼女に笑顔が戻って一安心だ。
アッシュは少しだけ体を横向けた。
島の南端にそびえる緑の塔をちらりと見やったのち、口の端を吊り上げる。
「っても残念だな。どうせならウルとも戦ってみたかったぜ」
「え、えぇっ。ウルは絶対にいやですっ! もしウルのところにアッシュさんが来たらどうしようってずっと怖かったんですよ……」
胸前で両手に拳を作りながら、必死な顔を向けてくるウル。もし本当に相対することになっていれば、どんな反応をしていたのか。とても気になるところだ。
「ま、もし戦ってたとしてもべつになにも変わらなかったと思うけどな。ウルにも俺にも理由があって恨みから戦ってるわけじゃない。それに、そんぐらいで崩れるような仲ってわけでもないだろ」
「……アッシュさん」
こちらの笑みに、ウルが安堵したような笑みを浮かべた。
そのとき、まるで示し合わせたように夕陽が辺りを照らしはじめた。思っていた以上に長い時間が過ぎていたようだ。そろそろ帰らなければ、ルナの用意してくれる夕食を温かいうちに食べられなくなってしまう。
「悪い。そろそろ帰らないとだ」
「は、はい。今日はこうしてまたお話しできて良かったです。あ、あのっ、アッシュさん……いいですか?」
ウルが恐る恐る開いた両手をこちらに向けてきた。
ミルマが親しい相手にする別れの挨拶だ。
「もちろんだ」
久しぶりの彼女の手は震えていた。
ただ、これまでとなにも変わらないウルの手だ。
たとえ100階の主だったとしても変わらない。
アッシュは懐かしい心地良さを感じる中、ウルを安心させんと合わせた手を強く握りかえした。





