◆第十ニ話『100階戦の説明』
ベヌスの館を訪れるのは1階の受付でクエストを受ける際のみ。加えて上階への道はミルマに守られているため、2階に上がったのは今回が初めてだった。
案内された部屋はひどく上質なものだった。
置かれたソファやテーブルだけでなく、調度品まで艶やかで汚れもいっさいない。派手さもなく上品な空気が部屋を満たしている。
質素な生活を送っているほかのミルマとは大違いだ。
――同じ神の使いでも長とこんなにも差があるのか。
それが部屋を訪れて初めに抱いた疑問だった。
部屋の中央に向かい合って置かれたソファ。
そのひとつに幼いミルマがちょこんと座って優雅に茶を楽しんでいた。
「まだ仮の姿なのか」
「見せるのはすべての100階を突破した、そのときだ」
「それは楽しみだな」
これほどもったいぶるほどだ。
単純な好奇心から気になってしかたなかった。
ただ、隣でうずうずしているラピスはいまの姿が本物でいいと思っていそうだ。ベヌスの耳の感触が忘れられないらしく、いまも触りたそうにしている。
アッシュはベヌスの後ろに目を向けた。
そこには控える形でアイリスが立っている。
「で、やっぱいるんだな」
「当然だろう。アイリスは我がもっとも信頼するミルマだからな」
「……そういうことです」
ベヌスの発言に泰然と続けるアイリス。
ただ、その口元はかすかに緩んでいた。
ベヌスに心酔する彼女のことだ。
信頼という言葉が嬉しくてしかたなかったのだろう。
ベヌスがカップを置いたのち、神妙な面持ちで話しはじめる。
「さて……まずはおめでとう、と言うべきか。まさかこれほど早く到達する者が現れるとはな。予想よりも随分と早かった」
「祝ってくれるのはありがたいが、やっぱりまだ素直には受け取れないな。なにしろ肝心の100階を突破してないからな」
知人から祝われたときもやはりその気持ちが強かった。
こちらの心中を察してか、ベヌスが挑戦的な笑みを浮かべる。
「たしかに、もっとも重要なのは100階の攻略だ」
「明日にでもいけるのか?」
「100階はこれまでとは違って少し特殊でな。いつでも戦えるわけではない」
やはり塔の頂とあって特別な歓迎を用意してくれているのだろうか。だとすれば楽しみなことこのうえないが、〝いつでも戦えるわけではない〟というのは面倒でしかない。
「じゃあ、いつならいけるのかな?」
「まさか1年後だったりして」
ルナの質問に、レオがおどけたように冗談を言った。
ベヌスがふっと笑みをこぼし、答えを口にする。
「さすがにそこまで待たせることはない。3日後の夜明けと同時であれば可能だが、どうする?」
随分と限定的だ。
クララが顔を引きつらせながら戸惑い気味に質問する。
「夜明けって早すぎない? お昼とかにできないの……?」
「日にちをずらすことはできるが、時間に関しては無理だ」
「うぇ~……」
クララが苦いものでも食べたように顔を歪ませた。……どうやらクララは喜んで諦めたようだ。ほかの仲間たちとも顔を見合わせたが、首肯が返ってきた。
アッシュは代表してベヌスに答える。
「そういうことなら3日後の夜明けで頼む」
「承諾した。それからひとつ、伝えておかねばならないことがある。アイリス」
ベヌスの呼びかけに「はい」とアイリスが応じる。
「――先ほどベヌス様が仰ったとおり100階戦はこれまでの試練の間とは違った形で行われます。その最たるものとして、各塔の100階に挑戦できるのは1人のみという点が挙げられます」
提示された特殊な条件に、クララが誰よりも早く反応する。
「ひ、ひとりって……嘘でしょ?」
「嘘をつく理由がありません」
アイリスの毅然とした返事にクララが放心してしまった。
ラピスがこちらにちらりと視線を向けてきたのち、アイリスに質問を投げかける。
「たとえば、1人がすべての塔を攻略した場合は?」
「原則として1人1種類の塔しか挑戦できません。仮に挑戦できたとしても意味はありません。なぜなら突破した者のみが神アイティエルへの挑戦権を得られるのですから」
つまり100階戦は神との戦いに繋がるということか。
仕組みからして前座ともとれる。ただ、疑問が残る。
「チームで戦うことを推奨していながら、ここにきて個での戦いか」
「我々がそのようなことを推奨した覚えはありませんが」
「塔の仕組みからしてそうだろ」
「……たとえそうだとしても、最低限の力を持っていなければ足でまといになるだけだと思いますが。なにしろ相手は神なのですから」
チームで戦うことで本来の力を発揮する者もいる。
そういったことを知っているからこそ物申したい気持ちがあった。ただ、個人の力が必要だ、というアイリスの考えが間違っているとも言い切れない気持ちもあった。
いずれにせよ、すべてを決めたのは神アイティエルだ。
アイリスに抗議したところで仕組みが覆るわけではない。
張りつめた空気を溶かすように、ルナがアイリスに質問する。
「どこかの色の塔だけを全員が選んで攻略するっていうのは可能なのかな?」
「可能です。ただし、神と戦う舞台には異なる色の塔を突破した者同士のみ、ともに立つことができます」
「つまり、この5人で神と戦うには各々が別の色の塔を攻略しないとダメってことか」
「攻略情報は共有できないってことだね」
ルナが行きついた答えに、レオがそうまとめた。
提示された条件は疑問だらけだ。
それでもこちらは相手の条件に従って突き進むしかない。
「1番強いのはどの塔だ?」
「白の塔だ」
答えたのはアイリスではなくベヌスだ。
アッシュは勝ち気な笑みで続きを口にする。
「なら俺はそこを選ばせてもらう」
仲間の中で1番強いという自負もある。
ただ、それ以上に強い相手と戦いたいという純粋な気持ちからだった。
こちらの宣言にベヌスが楽しげに口元を緩めたのち、先の言葉に補足する。
「ほかはとくに変わりはない。せいぜいあっても相性の問題だろう」
「相性を教えてもらうとかは……?」
「それを我に訊いていいのか?」
助言を求めたクララに、ベヌスがにぃっと笑った。
あれは間違いなく悪巧みを考えている顔だ。
「やめとけ。絶対に最悪の相性同士ぶつかるようにしてくるぜ」
「よくわかっているではないか」
「最近のあんたを見てればいやでもわかる」
互いに含み笑いを向け合う。
そうしたやり取りに嫉妬したのか、アイリスがわずかにむっとしたのち、牽制するかのように締めの言葉を割り込ませてくる。
「では3日後の夜明けに、各々が挑戦する塔の管理人に声をかけてください」
ベヌスがソファに深く身を預け、脚を組んだ。まるで天から見下ろすかのような尊大な態度だが、不思議とさまになっていた。幼い姿であってもまるで関係ない。
彼女はしぐさひとつで空間を掌握したのち、楽しげな笑みを向けてくる。
「お前たちの奮闘を期待しているぞ」





