◆第九話『彼女の表と裏』
予想どおり酒場内に入ってきたのはマキナだった。
とても狩り後とは思えない軽やかな足取りで駆け寄ってくる。
アッシュは背もたれを軽く倒し、顔を見せる。
「相変わらず元気だな」
「って、アシュたんがいる~っ!」
驚愕するマキナに、クララが席についたままブンブンと手を振る。
「マキナさんっ」
「ラ~ラたん~っ」
「や、お邪魔してるよ」
「ルナたんもいらっしゃ~い」
クララに続いてルナとも過剰な接触をしつつ、友好を示すマキナ。人懐っこさは本当に島一といっても間違いないだろう。
遅れてマキナのチームメンバーであるユインとザーラ、レインも酒場に入ってくる。彼女たちもまずはヴァネッサチームに祝いの言葉を贈っていた。
その後、ユインが近くまでやってきたのち、柔らかな笑みを向けてくる。
「アッシュさんたちもおめでとうございます。聞きました、100階に到達したって」
「ま、これからだけどな」
「アッシュさんたちならきっと突破できます」
「おう、そのつもりだ」
ユインからは本当に喜んでくれているのが伝わってくる。ただ、彼女の瞳には悔しさのようなものも感じられた。この向上心の塊のような瞳が彼女の魅力のひとつだ。
「マスターたちも突破して、本当におめでたいわねー」
「だなー。こんなに島がざわついてんのなんて初めてだ」
レインとザーラが揃って明るい声をあげた。
ヴァネッサが複雑な顔で肩を竦める。
「並べられると霞んじまうけどね」
「わたしから見れば、どっちもすごいんですけどね……」
そんなマキナの発言に、話を聞いていたソレイユメンバーが頷いていた。
「ま、あたしらが突破できたのはシビラたちのおかげだよ」
言って、ヴァネッサがシビラとリトリィを見やる。
2人は持ち上げられた格好だが、笑みを浮かべてはいなかった。それどころか眉をひそめている。
「ヴァネッサ、その言い方はないんじゃないか」
「ですね。協力をした覚えはありません」
2人の反応にヴァネッサが一瞬だけ目を瞬かせたのち、困ったように笑った。
「そうだったね。いまはもう仲間か」
「ああ、そのとおりだ」
シビラが満足気に笑みながら頷く。
ギルドがべつとはいえ、彼女たちの仲間意識は以前にも増して強くなっているようだ。80階突破という実績も考慮すれば、リセットをしたのは間違いなく成功と言えるだろう。
ユインチームも飲み物をとってきたのち、近くの席についていた。ただ、席が離れていても椅子をこちらに向けているため、テーブルごとの壁はない。
「赤の塔だとアジ・ダハーカだったよな」
「すごい火力だったよね」
「レオさんが吹っ飛ばされちゃったときは本当に焦ったなぁ」
ルナとクララが当時のことを思いだしたのか、揃って苦い顔をしていた。
「うちもドーリエが倒れそうになって危なかったけど、2人が頑張ってくれたからね」
「あ、あのときはわたし本当に必死で……耐え切れたのはオルヴィさんが《サンクチュアリ》を欠かさずみんなにかけてくれたおかげです」
「それはあなたもでしょう。魔力がきつい中、《ヒール》をかけ続けていたのはちゃんと見ていました」
ヴァネッサの称賛から始まり、リトリィとオルヴィが互いを遠まわしに褒め合いだした。よくいがみ合っている2人だが、戦闘面では認め合っているようだ。
「そっちはどうだったんだ? アッシュのことだから覗こうとしたんじゃないか」
シビラがかすかに笑みを浮かべながら問いかけてきた。
「さすがに俺も100階でそんなことはしない」
「こんなこと言ってるけど、先に進めたら絶対に覗いてたと思う」
クララから細めた目を向けられてしまった。
これまでのこともあって信用はないようだ。
ユインが首を傾げながら訊いてくる。
「先に進めたら? これまでの試練の階とは違うのですか?」
「なんでもすべての塔で99階を突破しないと挑戦できないらしい」
「なにか特別な仕掛けでもあるのでしょうか」
「だったら面白いんだけどな」
ようやく辿りついた塔の頂だ。
どうせなら驚くような演出をしてもらいたいところだ。
「塔に関することじゃないけど、ほかに面白いことはあったよね」
ルナが思わせぶりなことを言いだした。
マキナが「なになにっ!?」と食いつく。
ルナは自身で答えを口にせず、こちらに視線を向けてきた。
彼女が言っていた〝面白いこと〟にはひとつしか思い当たるものがない。注目を浴びる中、アッシュは口の端を吊り上げながら言う。
「ベヌスと出会った」
「……ベヌスって、あのミルマの長の!?」
「ああ、あの北通りのでかい屋敷に住んでるベヌスだ」
「えぇ、どんな感じなのかすっごい気になる! やっぱり長ってぐらいだし、すっごい威厳ある感じなのかなっ」
興味津々といった様子で妄想を言葉にするマキナ。
そんな彼女にクララが苦笑いを浮かべながら言う。
「小さかったし、すっごい可愛かったよ」
「あと、いい毛並みだったわ」
ラピスがわずかにそわそわしながら補足する。
よほど良い触り心地だったようだ。
「……全然思ってたのと違う」
「でも、仲良くなれそうです」
納得いかない顔のマキナに反して、ユインはどこか嬉しそうだった。小柄な彼女のことだ。小さい、という点に共感したのかもしれない。
その後も場は盛り上がりつづけた。
やはり挑戦者とあって話題の主軸は塔や島に関することだ。各階の思い出話をしたり、攻略の相談を受けたり。こっそりとレア種の場所を教え合うなんてこともした。
場が少し落ちつきはじめた中、アッシュはひとり酒場の外に出た。
入口前の段差を少し下り、腰掛ける。
酒でほてった体が夜のひんやりとした風で冷めていく。
「……ヴァネッサか」
先ほど扉が静かに開けられた。近付いてくる足音からそう察したが、どうやら当たりのようだ。呆れたようなため息が聞こえてきた。
「ったく、後ろに目でもついてんのかい」
「隠す気がないから余計にわかりやすかったんだ」
もっとも足音を聞かずとも、彼女特有の甘い花の香りから判別するのは容易だった。ヴァネッサが階段脇に設けられた手すりにもたれかかり、なにかをしのぶように通りに目を向ける。
「リッチキング戦のあとに話したときのこと、覚えてるかい」
「あんときもいまみたいな感じで話してたな」
「それほど経ってないし、当然か」
「初めて父親以外にアレのことを話したってのもあるけどな」
アレ、とはラストブレイブのことだ。
「いまじゃあたし以外にも知ってる子はいるみたいだけどね」
嫌味のような言い方だが、彼女の口元は笑っている。
こちらを責めて遊んでいるのだ。
「まさか本当にあれを使わず昇りきるとはね」
「使うと思ってたか?」
「いいや。アッシュの覚悟は感じとってたからね」
にっと笑ったのち、ヴァネッサが手すりから離れた。そのまま視界から外れると、背後に回り込んで近づいてくる。いったいなにをするつもりかと思った矢先、彼女が後ろから抱きついてきた。
首に回された柔らかでなめらかな腕、
背に押し当てられた弾力のある豊満な胸。
そっと肩に乗せられた小さな顔。
ヴァネッサという女性の魅力を感じるには、これ以上ない格好だ。
「……どうした、いきなり」
「こうすればアッシュが動じるかと思ってね。ま、反応を見る限り失敗に終わったようだけど」
「そりゃあ、俺だってこんだけいい女にくっつかれたら嬉しいに決まってる。ただ……こんなに体を震わせてたらな」
そう指摘すると、ヴァネッサが一瞬だけ体をこわばらせた。
「少し怖くなっちまってね……」
言いながら、彼女は頬をすり合わせてくる。
甘えているようにも思えるが、そうでないことは明白だった。
「さっきは明るく話したが、80階戦であたしは恐怖を感じてたんだ。ただ、怖いと思ったのは自分が死ぬからじゃない。あいつらが……仲間が死ぬのが怖かったんだ」
言葉こそ流暢に紡がれたが、声は体と同じで震えていた。
「はは……柄じゃないって思ってるだろう。でも、これが本当のあたしさ」
わずかに首を動かし、目を横向ける。
艶やかな髪越しに映る彼女の顔は、怯えと悔しさが混じり合ったようにくしゃりと歪んでいた。
「俺だっていつもそうだ。自分がどうなるかより仲間のことばかり考えてる。正直、こればかりはどうしようもないみたいだ」
「アッシュも、なのか。やっぱりあいつらの力を信用してないってことになるのかね……」
「こういうのはどうしようもないんじゃないか。むしろ、そんだけ仲間を大事にしてるって証だと思えばいい」
信頼しているからまったく心配しなくていい、なんて単純なことではない。それが、誰かとともに戦うようになってから行きついた自分なりの答えだ。
「本当に面倒だよな。ひとりで戦ってたときは、こんなことは思わなかった。けど……いまじゃこれが当たり前だって思うようになってるから不思議だ」
話しているうちにヴァネッサから震えが消えていた。視界の端には、わずかに緩んだ口元が映っている。
「やっぱりあんたにはずっとそばにいてほしいよ、アッシュ」
言い終えるや、彼女は顔を動かし、そっと頬に唇を当ててきた。不意打ちだったこともあり、思わず目を見開いてしまう。
こちらの様子を見てか、ヴァネッサが意地の悪い笑みを向けてきた。
「今度は成功したみたいだね」
「ああ、いまのは完全にやられたな」
ただ、悔しい気持ちはない。
むしろ嬉しいと思ったぐらいだ。
そうして自分が男であることを痛感すると同時に、ヴァネッサの魅力を強く再認識していたとき、酒場の扉がきぃと音をたてて開かれた。
「アッシュさん、って、マ、マスタァッ!? 抜け駆けはずるいです!」
出てきたのはオルヴィだ。
顔を真っ赤にしながら憤慨している。
彼女の大声に釣られ、次々にほかの女性たちも顔を出してくる。
「……2人きりでなにをしてたの」
「アシュたんはえっちだからなぁ」
「アッシュさんはそんな人ではありません」
「ユインくんの言うとおり、アッシュくんは真の男だからね。間違いなんて起きないさ」
先ほどまでの静かなときが嘘のように、一気に騒がしくなった。
「おっと、幸せな時間に終わりが来たようだね」
ヴァネッサが長い髪を舞わせながら、すっと離れた。合わせて先ほどまで強く感じていた花の香りも遠のいていく。
背から酒場の灯りを、正面から月明かりを受けながら立つヴァネッサは、いつもどおり堂々としていた。先ほどまで見せていた弱々しい姿はもうどこにもない。そこに安堵するとともに、わずかな名残惜しさを感じたが……。
夜風が吹いたことでより鮮明に感じられるようになった頬の湿りが、すべてを忘れさせてくれた。
「うっし、飲みなおすとするか」
アッシュはすっくと立ち上がり、いまも賑やかな酒場の中へと戻った。





