◆第八話『祝いの酒場』
彼女たちも塔を昇った帰りなのか。
防具のあちこちに傷がついていた。
アッシュはヴァネッサの問いに「ああ」と頷く。
「本当になんとかって感じだけどな」
「……あまり嬉しくなさそうだな」
シビラが意外そうな顔を向けてきた。
「100階に到達しただけでまだ突破したわけじゃないしな。だから、周りの騒ぎようにこっちが圧倒されてるところだ」
「では、祝いの言葉は取っておくとしよう」
「そうしてくれると助かる」
言って、アッシュはシビラと勝ち気な笑みを向け合った。
いまも幾人もの挑戦者たちから注目を浴びていた。ヴァネッサたちが来てから向けられた視線がいっそう多くなった気がする。そんな周囲の様子を横目に見ながら、リトリィが驚嘆の声をもらす。
「でも、本当にすごい騒ぎになっていますよね。さっきまで委託販売所にいたんですけど、そこでも話題になっていましたし」
「おかげであたしらが9等級に上がったって話題は綺麗さっぱり消されたね」
ドーリエがおどけたように言った。
さらりと放たれたが、聞き逃せない言葉だ。
「もしかして80階を突破したのか?」
「ああ、ようやくだ」
そう答えたシビラとともに、彼女のチーム全員がやりきったような顔を向けてきた。
ともに話を聞いていたクララが「おぉ」と感嘆の声をあげ、ルナとレオが揃って祝いの言葉を贈っていた。ラピスは口にこそ出さないが、彼女たちなら突破できて当然、とばかりの顔をしている。
「そうか……はは、そりゃよかった」
アッシュは湧き上がった安堵から自然とそうこぼした。
ヴァネッサが目を瞬かせる。
「なんだい。えらく喜んでくれるんだね」
「当然だろ。チームは違うが、もう仲間みたいなもんだからな」
安堵が先立ったのも、それが理由だ。
仲間という意識が以前よりも強くなっている。
「うんうん。ヴァネッサさんたちとはよく一緒に戦ってるし」
「だね。仲間って意識のほうが強いかも」
「まあ。そういうことはなくもない……かも」
「心の友って奴だね」
クララにルナ、ラピス。
最後にレオが思い思いの言葉で答える。
それらを聞いて、ヴァネッサとシビラが揃ってくすぐったそうにしていた。ただ、まんざらでもないといった様子で笑みをこぼしている。
「アッシュさんがわたくしのことをそのように思ってくださっていたなんて……っ」
「オルヴィさんのことを、ではなくみんなのことを、ですよ」
「些細な違いです」
「いいえ、すごく違いますーっ」
最近では見慣れた、オルヴィとリトリィの火花が飛び散る会話をよそに、ヴァネッサが声をかけてくる。
「これからウチんとこの酒場で飲む予定なんだが、あんたたちもどうだい?」
「俺は構わないが……みんなはどうする?」
「もちろん、そっちの分はあたしが持つよ」
「行きますっ」
クララが手を挙げながらすぐさま応じた。
奢りという流れから予想できた展開だ。
「いいのか? そっちも突破したとこだってのに」
「構わないよ。あたしらが100階に辿りついたとき、きっと3倍になって返ってくるはずだからね」
「了解だ。ただ、3倍といわず5倍で返すぜ」
「いまの言葉、絶対に忘れないよ」
互いに挑戦的な笑みを向け合いながら約束を交わした。
クララが「タダで食べほうだ~い!」と歓喜しはじめる。が、なにか思いだしたように「あっ」と声をあげた。気まずそうな顔をレオに向ける。
「そう言えばレオさん、出禁だったはずじゃ……」
「うん、だから僕はここでお別れだね。みんなは楽しんできておくれ」
レオはいつもの爽やかな笑みを浮かべていた。ただ、わずかながら哀愁が漂っているように見えるのは、きっと気のせいではないだろう。
全裸になったレオが悪いのは間違いない。
だが、祝いの席に来られないのはさすがに可哀相だ。
「どうにかならないか?」
ヴァネッサにそう頼み込んでみた。
厳しいようならべつの酒場に場所を移してもらうしかない。それも難しいなら最悪断るしかない。
そんなこちらの考えを見透かしてか。
ヴァネッサが諦めたように息をついた。
「しかたないね……それじゃあ――」
◆◆◆◆◆
ソレイユの酒場はほかの酒場とは空気からして違う。
酒の匂いになぜか甘い匂いが混じっているのだ。
さらには女性だらけとあって視覚的に華やかな光景を堪能できる。
ただ、本日だけは違った。
酒場の隅にぽつんと隔離される格好で置かれた、ひとつのテーブル。そこにレオという異物が座っていた。
「悪いな。ここを確保するので精一杯だった」
「気にしないでおくれ。この雰囲気だけ味わえるだけでも最高さ」
アッシュはレオとカップをかち合わせた。
揺れるエールを喉に流し込み、ごくりと音を鳴らす。互いにカップをテーブルに置いたところで、中央付近のテーブルからクララの声が飛んでくる。
「レオさん、お願いだからあたしに《メテオストライク》を撃たせないでね!」
「わかってるよ! 僕だってまだ死にたくはないからね!」
レオがソレイユの酒場で飲むために、ヴァネッサが出した条件は2つ。
ひとつは酒場の隅で飲むこと。
もうひとつは、もし全裸になったら《メテオストライク》を受けることだ。
条件は単純だが、なかなかに2つ目が厳しい。
「さ、アッシュくんもいって」
「ってもな」
「僕なら大丈夫。ここからきみの後ろ姿を見るだけでも美味しいお酒が飲めるからね」
「ったく、ブレないな」
ふざけているのはわかっている。
とはいえ、ここで席を立たないのは、レオの気遣いを無駄にすることになる。
渋々と立ち上がった、瞬間。
どんっと豪快に2つのカップがレオ専用テーブルに置かれた。
「ここ、いいかい」
ほぼ入れ替わる格好でひとりの女性が席についた。
胸、首、腕。すべてが力に満ちあふれた体を持つ彼女はドーリエ。ヴァネッサ・シビラチームの盾役だ。
「ドーリエ嬢……? こんな孤島に来て大丈夫なのかい?」
「同じ盾として色々と話を聞きたくてね。こう見えてしっかり準備をしたい人間なんだ」
「も、もちろんさ! 僕で良ければいくらでも話すよ!」
レオが驚きから笑みを弾けさせた。
ドーリエの動きを見てか、ほかにも2人の女性がエールを片手にレオのテーブルに近寄ってくる。
「あ、わたしもいいかな」
「うちもうちもー。いや、なかなか盾同士で話すことってないからさ」
瞬く間にレオのテーブルに3人の女性がついた。
どんよりと曇りかけた空間が一気に明るくなっていた。
女性陣の質問に答える格好で話すレオは心の底から楽しんでいるようだ。あの様子ならこのまま席を離れても問題ないだろう。
アッシュは隅のテーブルから離れ、中央の賑やかなテーブルに向かった。そこに座っていたヴァネッサの近くで足を止め、声をかける。
「ありがとな」
「なんのことだい」
肩越しにちらりと視線をよこしてくると、そうとぼけてきた。
「レオのことだ」
「ま、もともと話を聞きたがっていたみたいだからね」
以前、レオが来たときは、こうはならなかった。
ここまで考えての譲歩だったのだろう。
「それよりさっさと座んな。アッシュと話したい奴が多くてさっきから会話がふわふわしてるんだよ。なぁ、シビラ」
「ど、どうしてわたしなんだっ」
「ただ目が合ったから名前を呼んだだけさ。まさかそんな焦るとは思わなかったけどね」
ぐっ、と悔しげな顔でヴァネッサを睨むシビラ。
あの真面目なシビラが弄られる姿は申し訳ないが、なかなかに面白い。思わず笑っていると、こちらを見たシビラが恥ずかしそうに目をそらしてしまった。
隣に座っていたリトリィが真剣な顔で助言をしはじめる。
「シビラさん、ここは素直にしたほうが」
「し、しかしみなのいる前でそんなことっ」
「そんな考えでは先を越されてしまいますよ。ほら」
リトリィが向けた視線の先、オルヴィが空いた3席のうち、中央の椅子を引いていた。
「ささ、アッシュさん。どうぞこちらの席に」
「おう、悪いな」
アッシュは促されるがまま席についた。
次いで、オルヴィが流れるように左隣の席に座ろうとするが、それよりも早くラピスが座った。オルヴィが顔を引きつらせる。
「あ、あの……ラピスさん?」
「なに?」
「その席はわたくしが目をつけていた席ですっ」
「でも誰も座ってなかったでしょ」
「そうですけれどっ……し、しかたありません。わたくしは反対側の席を――って、クララさんっ!?」
「えへへ。こっちの席はもーらいっ」
「じゃ、ボクはアッシュの後ろで」
右隣にはクララがささっと座り、椅子の後ろにはもたれかかる格好でルナが立った。もう割り込む余地がないと悟ったか、オルヴィが悔しそうに顔を歪める。
「ぐぅ……さすが10等級の挑戦者。なかなかやりますわね……」
果たしていまの動きに挑戦者としての等級が関係したのかはわからないが、普段よりも素早いチームワークだったことは間違いなかった。
隣に座るラピスがカップを傾け、こくりと静かに喉を鳴らした。彼女は酒に弱いため、中に入っているのはただのジュースだ。
「大丈夫か?」
「なにが?」
ラピスがそう聞き返してきた。
その唇はカップから離したばかりで艶やかに湿っている。
「酒のニオイだけでも酔ったことあっただろ」
「あれはたまたまで……」
たまたまで酔う人間なんて聞いたことがない。
「きつかったらちゃんと言えよ」
「……うん、そうする」
すでに酔いかけているのではないか。
そう思うほど普段とはかけ離れた素直さだ。
いつにも増して可愛げのあるラピスから目をそらし、アッシュは辺りを見回した。
ソレイユの酒場はほかの酒場よりも騒ぎ方がまだ上品なほうだ。ただ、違う方向性で賑やかにする火付け役のような挑戦者がひとりだけいる。その挑戦者が見当たらず、どこか物足りなさを感じた。
「そういや、マキナたちはまだ帰ってきてないんだな」
「いつもならそろそろ帰ってくると思うんだけどね。って、噂をすれば来たみたいだね」
騒がしい足音が外から聞こえてきたかと思うや、ばんっと勢いよく入口の扉が開け放たれた。酒場内に元気な声が響き渡る。
「マスター! 80階突破、おめでとーございまーすっ!」





