◆第六話『スルトの炎』
一段目の床を覆うように左右の巨大リングから火炎が放射された。うねるような炎にごうごうと鳴る音。相変わらず触れるものすべてを燃やし尽くすような、凄まじい勢いだ。
火炎が止んだのを機に、クララによって生成された《ストーンウォール》を足場にして全員が1段目の右端に飛び乗った。
3体のフェニクスが一斉にこちらへ向かってきた。どれもが炎を纏った巨鳥とあって威圧感だけでなく、相応の熱も襲ってくる。
「カウント、20!」
ルナが声を張りあげながら、《レイジングアロー》を発射。緑の風に包まれた氷の矢が先頭のフェニクスに鈍い音をたてて命中し、怯ませた。そこへ前衛組が属性攻撃で追撃。さらにクララが《フロストバースト》5発を叩き込み、墜落させた。
アッシュはラピスとともにすぐさまレオを追い抜き、交差する格好で墜落したフェニクスの頭部を裂き、仕留めた。
――まずは1体目。
「15ッ!」
「2人とも下がって! いきなりくるよ!」
ルナのカウントに続いて、レオの切羽詰まった声が聞こえてきた。
後続のフェニクス1体が、その両足の下で光球を生成していた。みるみるうちに膨張し、いまにも破裂しそうな状態となっている。あれは赤の塔10等級魔法、《スーパーノヴァ》だ。
単純な威力だけなら《メテオストライク》を上回る。まともに食らえば、おそらく肉片すら残らない。
アッシュはラピスと揃って後退しつつ、属性障壁を展開。入れ替わって先頭に立ったレオの後ろに飛び込んだ。クララが《フロストウォール》を何重にも生成し、さらにルナが氷矢で厚みを持たせた。
ほぼ同時、《スーパーノヴァ》が炸裂。耳鳴りが襲いくる中、視界すべてが白い発光で覆われた。突風が周囲を流れるのを感じるものの、体を叩くような衝撃はいっさいない。
やがて発光が止むなり、目を開ける。と、盾を構えたままのレオが映り込んだ。ただ、片膝をついた状態で決して無事とはいえない。クララがすかさず《ヒール》をかけはじめる。
「カウント、10!」
「ノヴァを撃った個体は後回しだ!」
フェニクスのもっとも厄介な攻撃は《スーパーノヴァ》だが、連発してくることはない。これまで何度も戦ってきて判明したことだ。ゆえに、これから《スーパーノヴァ》を放つ可能性のある個体を優先して排除しようとの考えだったのだが――。
2体のフェニクスが揃って後退した。
「スルトが剣を振り上げてるわ!」
ラピスの焦った声が聞こえてくる。
3段目の床に立つスルトが、巨大化した炎の剣をいまにも振り下ろそうとしていた。
クララが必死にレオを回復せんと《ヒール》をかけてくれているが、まだ万全ではない。アッシュはレオに駆け寄り、肩を貸す格好で安全圏まで急いで移動する。
先に退避したラピスとルナが2体のフェニクスを牽制してくれているが、1体がこちらを標的にし、翼をはためかせた。強烈な熱風に襲われ、その場に倒れてしまう。
「ア、アッシュくんだけでも先に……っ」
「冗談でもそんなこと言うな、よッ!」
アッシュは無理やり立ち上がり、レオを引きずりながら前へと進んだ。直後、先ほど倒れていた箇所を含んだ、1段目の右端にスルトの剣が振り下ろされた。あまりに巨大なこともあり、体が浮き上がるほどに床が揺れる。
スルトの剣は早々に引き上げられたが、やはり炎は残ったままだ。まるで収まる気配はなく、猛獣を思わせるように生き生きと蠢いている。
本当に間一髪のところだった。
だが、安堵する暇はない。
「カウント、5!」
ルナが数えてくれているのは、左右のリングから火炎が放たれるまでの時間だ。もう猶予はほとんどない。クララはレオに《ヒール》をかけつつ、すでに2段目に上がるための足場を《ストーンウォール》で生成してくれていた。
「そのままクララとルナは先に上がれ! レオ、ひとりでいけるか!?」
「おかげさまで、ね! なんとかいけるよ!」
「ラピスも上がっててくれ!」
「アッシュは!?」
「俺は1体を仕留めるっ!」
次の段に進むにしても2体のフェニクスを持ち越すのはいくらなんでも厳しい。アッシュはクララが2段目の床に上がるために生成した《ストーンウォール》を踏み台にし、跳躍。ルナとラピスが先ほどまで削ってくれていたフェニクスの頭部に飛びかかった。
火炎を纏う巨鳥とあって接近すればするほど熱さが増す。全身が焼けるような感覚に見舞われる中、敵の長い嘴ごと頭部を左右に斬り裂いた。悲鳴すらもこぼさずにフェニクスが落ちはじめる。
が、こちらもまた墜ちていた。すでに1段目に設置された左右の巨大リングは赤々と光りだし、いまにも火炎を吐きださんとしている。このままでは灰にもならずに消滅してしまう。
「アッシュッ!」
2段目の床に上がったラピスから槍が伸ばされていた。なんとか手を伸ばして槍を掴むと、ぐいと引き寄せられた。そのまま投げ飛ばされる格好で2段目に上がる。
「信じてたぜ!」
「わかってる!」
アッシュは転がったのち、すぐさま起き上がって体勢を整えようとする。が、それよりも早くに頭部よりも巨大な赤黒い塊が迫っていた。イフリートの拳だ。
迎撃しようにもまだ地に足がしかとついていない。回避はできるが、中途半端になる可能性が高い。次なる行動を逡巡する最中、視界に割り込んだ影がガンッとひどく鈍い音を鳴らしてイフリートの拳を弾き返した。完全回復したレオが防いでくれたのだ。
「もう大丈夫だよっ!」
「助かった!」
そう返しつつ、アッシュは前へと駆けた。
背まで伸びた長い角に、黄金の瞳を持った厳しい顔。相変わらずイフリートの風貌は威厳たっぷりだ。ただ、見掛け倒しの魔物でないことはよく知っていた。
アッシュは接近するなり薙ぎを繰りだす。が、敵は炎と化して消えてしまう。いつもならこちらの背後に回り込もうととしてくるが、いまはレオがいるからか、敵は大きく後退していた。
ただ、おかげで左端へと移動できる空間が生まれた。
「いまのうちに!」
クララとルナがフェニクスを牽制しながら、左端に移動しはじめる。最中、先ほど後退したイフリートがほかの2体と揃って合わせた両手を槌にして床を叩いた。横並びになった炎柱が噴出と沈下を繰り返しながら波のごとく押し寄せてくる。
1体分でも凄まじい威力を持つ攻撃だというのに、それが3体分。重なり過ぎてもはや炎柱ではなく、ただの分厚い壁が押し寄せてきているような状態だ。
「カウント10! フェニクスが羽根を落としはじめた!」
「最悪のタイミングだなっ」
一瞬だけ影が差し、フェニクスが頭上を通過していった。幾枚もの羽根がひらひらと落ちてくる。あれらは触れれば《インフェルノ》を発生させる最悪の羽根だ。
「上で潰しちゃうよ!」
クララが落ちてくる羽根たちにすぐさま《ダイヤモンドダスト》を当てた。羽根は《インフェルノ》を発生させるが、距離があるため脅威とはならずに消滅していく。さらにクララは同時に襲いくる炎の壁にも《ダイヤモンドダスト》を放っていた。
さすがに高等級の魔法を連続で使用しているからか、苦しそうだ。ただ、いまは堪えてもらうしかない。ラピスも穂先を床に突き立て、生成した氷の道を炎の壁へとぶち当てた。炎の壁とクララとラピスによる氷結攻撃が衝突し、せめぎ合う格好となる。
「カウント5! スルトの剣、来るよ!」
「いまだ、前に出ろ!」
スルトの剣を避けるため、レオを先頭に全員で炎と氷がぶつかり合う空間へと飛び込んだ。不思議と熱さも寒さも感じない。ただ、視界が晴れたときにはもうイフリート3体が攻撃をしかけてきていた。
アッシュは回避しつつ剣を振り、先頭1体の首をはねた。さらに後続の個体もはねようとするが、躱されてしまう。が、すぐ後ろから続いていたレオが仕留めてくれた。最後の1体の肩にはルナの矢がすでに刺さっていた。わずかに怯んだ動きを見逃さずにアッシュは腹を上下に両断し、駆け抜ける。
「急いでっ!」
ひと足先に《テレポート》で3段目に上がったクララが足場の《ストーンウォール》を生成してくれていた。アッシュはラピスとルナ、レオともども揃って3段目に半ば転がるように上がる。
直後、2段目の巨大リングが火炎を放射。
真後ろの空間が火炎で包まれた。
「あ、足が焼けるかと思った……っていうか少し焦げてるかも」
わずかに遅れたレオが顔を引きつらせながら、そうこぼしていた。実際に脚部が黒く焦げているが、鎧のおかげで助かったようだ。
「カウント、10! フェニクスをいまのうちに!」
ルナがそう叫びながら、流れるような動作で立ち上がっていまだ上空を飛び交うフェニクスに矢を射はじめる。フェニクスはいまにも《スーパーノヴァ》を撃とうとしていたが、全員の総攻撃でなんとか発動させる前に倒しきれた。
「カウント、8!」
「よしっ、これであとは――」
スルトのみだ。
そう言おうとしたが、思わず口をつぐんだ。
総毛立つような殺気を感じたのだ。
出所であるスルトに目を向ければ、深く腰を落として剣を払う構えをとっていた。振ると同時に巨大化する剣だ。このまま振られれば、全員まとめて死に追いやられることは間違いない。
「走れぇッ!」
腹の底から叫びつつ、アッシュは仲間とともに力の限り前へと駆ける。全員が敵の両脇を駆け抜けた、直後――。
ごう、と空気を呑み込む音が背後で鳴った。
振り返ると、3段目の手前半分が炎に包み込まれていた。
本当に恐ろしい一撃だ。
また放たれてはたまったものではない。
アッシュは弾かれるようにしてスルトの背に斬りかかる。左肩からの振り下ろしに続いて切り返し、さらに払いを繰りだす。が、すべて金属音を鳴らすだけで敵の身を刻むに至らなかった。
遅れてラピスとレオも接近し、同時に攻撃をしかけるが――。
「なんて硬さだっ」
「避けようともしないなんて……っ」
ルナの矢が後頭部に命中したが、刺さらずに弾かれてしまう。クララが「みんな、下がって!」と声をあげたのを機に、《フロストバースト》を発動。敵の身にぶち当てたが、凍らせることもできずに四散してしまう。
「えぇ、全然効いてないっ」
アッシュはひとり連撃をしかけ、剣の光を最大へと導いた。《ソードオブブレイブ》を放つが、しかし虚しい金属音を鳴らすとともに、煌めく剣閃を描くだけに終わってしまった。
これまでどんな硬い魔物相手にも通じた《ソードオブブレイブ》でも斬れないとは思わなかった。わずかばかりの悔しさが込み上げるが、すぐに気持ちを切り替えた。というよりしっくりくる考えがあった。
「――無敵かもしれない」
「えぇ、そんなのありなのっ」
クララが抗議の声をあげる。
すべてを倒して進みたい気持ちはある。
だが、こだわっていたら間違いなくここで全滅する。
スルトがゆっくりと振り返った。
今度は払いの構えではなく、剣の切っ先を床に勢いよく突き立てんとする格好だ。通常、そんな動作ではこちらに危害は加えられない。だが、相手はこの赤の塔99階を守る魔物だ。どんな脅威ある攻撃をしてきてもおかしくはない。
「カウント、3ッ!」
「無視して転移門まで走れッ!」
逃げているようで悔しいが、ほかに道を考えられない状態だ。
アッシュは突破を第一に考え、ひた走った。
カウントが0となり、すぐ後ろで巨大リングの炎が放射される。
「リングの炎は避けられたみたいだね」
わずかに遅れて走るレオが安堵したような声でもらした。
転移門があるからか、ほかの段の床よりも奥行きがあった。おかげで3段目にいながら巨大リングの炎から逃れられた格好だ。
ただ、背後から感じる赤い光はまるで止む気配がなかった。むしろどんどん強くなってさえいる。肩越しに振り返ると、辺り一面が炎の海と化していた。しかも、炎の海はいまだ広がらんとして、こちらの走る速度よりも早く炎は迫ってきている。
おそらくスルトが剣を突き立てたことで引き起こされた現象だろう。
「レオ、まだ来てる! 振り返らずに走れ!」
先に転移門に辿りついたクララとルナ、ラピスがレオの背後から迫る炎に向かって魔法と属性攻撃をしかける。だが、氷結効果はいっさい現れず、肉が焼けたような音すらも出さずに消滅していた。
これまで見てきたどんな炎よりも触れればまずいとわかる。
「みんなは先にいけ! レオッ」
アッシュは下半身を転移門にすべり込ませ、振り返りざまに手を伸ばした。
あと少しでレオの足が炎に呑まれる、直前――。
レオの手をがっちりと掴み、そのまま引き寄せながら転移門の中に倒れ込んだ。





