◆第二話『聖石の粉』
本日の攻略で入手した灰色の交換石。
あれはいったいなんなのか。
それを探るため、アッシュは空が暗くなるなり『喚く大豚亭』へとやってきた。
チームのメンバーとともに――。
「えぇ、アッシュくんの行きつけってここだったの!?」
見るからにいやそうな顔をしながら、クララが言った。
本当は連れてくる気はなかった。
だが、以前、酒場に連れていく約束をしたこともあり、断れなかったのだ。そしてルナだけを置いていくわけにも行かず、結局チームで訪れることになったというわけだ。
「なんだ、知ってたのか」
「知ってたっていうか、ここ通ったときにおかしな名前だなっていつも思ってたから」
「たしかに特徴的な名前だよね」
とルナも苦笑しながら同意する。
クララが片頬を引きつらせながら訊いてくる。
「や、やっぱり豚が唄って踊ったりしてるの?」
「どんな店だ。名前の由来は扉を開けたらいやでもわかる」
アッシュは入口の扉を見ながら言う。
開けてみろ、という意図が伝わったのか。
クララがごくりと唾を呑み込んだあと、恐る恐る扉を開けた。直後、お馴染みの酔っ払い男が姿を現し、倒れ込んできた。
「ブヒィィィィッ!!」
「ひぃっ」
クララが凄まじい反応で横へ飛び退き、酔っ払い男との接触を回避した。どすんと音をたてて倒れた男の手には、やはりエール入りの木製カップが握られている。
アッシュは得意気な笑みをクララに向ける。
「な?」
「アッシュ、クララ放心してる」
どうやらお遊びが過ぎたようだ。
クララは「あぅあぅあぅ」と口にしながら、その場で固まっていた。
「この人は常連客かなにか?」
男の顔を確認しながら、ルナが訊いてくる。
「俺もよく知らないんだが、いつもいるし、そうかもな。とりあえず、みんな入ったら元に戻してる。暗黙の了解ってやつだ」
酔っ払い男の襟首を持って、その場に立たせると、ひきずるようにして店内側へ運んだ。
「クララ、行くよ」
「う、うん」
ルナがクララを正気に戻し、店内へと連れてくる。
二人が入ったのを機に酔っ払い男を扉にかけて放置した。あとは次の来店者に任せるのみだ。
「うわ、むわぁってきた……むわぁって」
クララが手で鼻を押さえながら顔を歪める。
「酒と男が室内にいたら、こんなもんだ」
「うぇ~……」
こんな環境とは無縁の場所で育った彼女には少々厳しかったようだ。とはいえ、まるでゴミ屋敷にでも来たかのような反応はどうかと思うが。
とにもかくにも、まずは酒場に来たらカウンターだ。
二人を連れ、注文をしにいく。
「ルナはどうする? 飲むか?」
「うん、少しもらおうかな」
「じゃあエール2つと、ハニーミルクで」
「はいはーい。そっちの二人は初回だから半額で……200ジュリーで!」
ガマルから吐き出させた200ジュリーを手渡しで支払った。
まいど、と応えた店員のミルマがせっせと準備をはじめる。
「あたしだけミルクって子供みたいじゃんーっ」
なにやらクララが唇を尖らせていた。
仲間外れが嫌なのか、それとも大人ぶりたいのか。
どちらにせよ彼女にエールはまだ早い。
「みたいじゃなくて実際にそうだろ。大体、連れてくるのだって本当は反対だったんだ。これぐらい我慢しろ」
「ぶー」
そうしてクララが拗ねているうちに飲み物ができたようだった。相変わらずの仕事の早さに感心しながらカップを受け取る。
「さてレオは……っと」
「おう、アッシュ。女連れとは良い度胸じゃねえか」
ふいに近場の席に座っていた大男から声をかけられた。
以前、ここでレオとともに酒を飲み交わした相手だ。
「手は出すなよ。俺の仲間なんだ」
「仲間って……おいおい、嘘だろ。まだ味わってないのかよ」
途端に大男が下卑た笑みを浮かべた。
その目でクララの体を舐め回すように見はじめる。
と、ルナがしなだれかかってきた。
すでにエールに口をつけたのか、頬がほんのり赤らんでいる。
普段の男っぽい雰囲気はどこにもない。
「アッシュは照れ屋だから言わないだけだよ、ね?」
「こっちもなかなか……って、結局手つきかよ。とっとと消えやがれ、目の毒だ」
大男は舌打ちをすると、やけくそ気味にエールを飲み干した。酒の匂いをふんだんに残して、カウンターへと向かっていく。
「え、え……? 二人ってそういう関係だったのっ!?」
ルナが悪ふざけをした時点でなんとなく予想はしていたが……。
案の定、クララが困惑していた。
「その場しのぎの嘘だ。真に受けるな」
「なんだぁ……びっくりした~」
とクララが胸を撫で下ろし、視線を下げた瞬間――。
「ボクは、いつでも歓迎だよ」
ルナがまた体を寄せ、耳元でそう囁いてきた。
彼女の爽やかな緑の匂いと、エールの匂いが入り混じった香気が鼻先をかすめる。ふいを突かれたこともあり、彼女を強く意識してしまった。わずかに動揺した心を悟られないように、余裕を持って牽制する。
「酔うにはまだ早いぞ」
「そもそも酔ってないからね」
言って、ルナは悪戯っ子のような笑みをこぼす。
相変わらず本心が読めない。
魔物なんかよりよっぽど厄介だ。
「アッシュくーん!」
馴染みのある声が聞こえてきた。
見れば、レオが隅の席でぶんぶんと手を振っている。相変わらずの無邪気っぷりに苦笑しながら、アッシュはクララたちを連れてレオの席に向かった。
「さあさあ、座って座って」
まるで客をもてなすかのように、レオがいそいそと足りない椅子を用意してくれる。
「やっぱここなんだな」
「落ち着くんだよね。みんなの顔がよく見えるし」
レオが片肘をついて酒場全体を見渡しながら言った。
時折、彼はこうした達観した目を見せる。
普段が普段なこともあって、余計にそれが際立った。
「それにしても、女の子を連れてくるのはあんまり感心しないなぁ」
「ついてくるってうるさくてな」
言って、アッシュは肩を竦める。
当のクララはというと、苦虫を噛み潰したかのような顔をしていた。
「実はいまちょっとだけ来たの後悔してる。お酒臭いし、すっぱい匂いもするし……」
「だから言ったろ。クララみたいなやつが来る場所じゃないって」
「だって、どんな場所か気になって仕方なかったんだもん」
クララは両手でカップを持って、ハニーミルクをちびちび飲んだあと、隣のルナに視線を向けた。
「ルナさんは平気そうだよね」
「ここじゃないけど、酒場には何回か来てるからね。でも、この視線は初めてで、ちょっと慣れないかな」
ルナの言う〝視線〟とは、男が女に向けるものだ。舐められないためにこれまで男として振舞ってきたルナだが、最近は女であることを大っぴらにしている。
健康的な肢体を見せびらかすような肌の露出が多い軽装。そこに彼女が持つ独特の余裕も相まって言葉にしにくい色気をかもしだしている。それを証明するように、いまもルナに向けられるいやらしい視線は少なくない。
「それで、今日はどうしたのかな? 僕になにか用事があるんだろう」
レオが話を切り出してきた。
「よくわかったな」
「大体、キミが来るときはそういうときだからね。自惚れてはいないよ」
そんな自嘲するような発言をしながら、尻に手を伸ばしてくる手はいったいなんなのかと問いただしたい。レオの手を無言で叩き落としたあと、アッシュはポーチの中を漁る。
「訊きたいのは、これのことなんだ」
取り出した灰色の交換石をテーブルに置いた。
直後、レオは慌ててカップを置いて、まるで猛禽類が餌に飛びつくかのように交換石を両手で覆い隠した。
「い、いきなりどうしたんだよ」
異常なほどの慌てぶりだ。
アッシュはクララ、ルナと揃って目を瞬かせる。
「どうしたもこうしたもないよっ。なんてものを出してるんだ! 誰かに見られでもしたら……」
レオが注意深く周囲を探りはじめる。
誰にも見られていないことが確認できたからか、ほっとした様子で身を起こした。次いで、両手で包んだ灰色の交換石に目を向けながら訊いてくる。
「いったいこれをどこで?」
「今日、赤の20階を攻略したときにな。一応、そのあとに交換屋には持って行ったんだが、このまま武器にすると損するって言われただけで、それ以上はなにも教えてくれなかったんだ」
酒場に来たのもそれが理由だ。
古参のレオなら、なにか知っているのではないか、と。
「そんなにすごいものなのか?」
「すごいなんてものじゃないよ。神からの挑戦が始まって間もない頃に一度落ちたきりってぐらいレアな代物――」
もったいぶるように間を置いたあと、レオは口を開く。
「レリックだよ」
アッシュは反芻するように「レリック」の名を口にした。だが、いまいちぱっとしない。レオの反応からすごいことは伝わってくるのだが。それに――。
「でも、いくらレアっても3等級だろ」
20階なら落とす装備は2等級のはずだが、3等級だった。その点については特別感があるかもしれないが、そこまでだ。7等級の装備を持つレオが驚くほどとはとても思えない。
「そこなんだよ、レリックのすごいところは。3等級として扱われるのに、7等級相当の質を持つんだ。加えて基本性能として強力な聖属性を備えてる」
ルナが確認するように問いかける。
「つまり3等級のボクたちでも、7等級の装備を扱えるってこと?」
「そういうことだね」
1つ等級が上がるだけでも質には相当な違いがある。
それが一気に4つ飛ばしとは……。
攻略が楽になるどころではないだろう。
どうりでレオがあそこまで驚くわけだ。
アッシュも仲間と顔を見合わせながら思わず呆けてしまう。
「ただ、7等級の武器にするには封印を解く必要がある」
「交換屋が損するって言ってたのはそういうことか」
基本的に交換石は一度武器に変換してしまえばもとには戻せない。もし気にせずに変換していたら折角のレリックも台無しになっていたわけだ。
「封印を解くには、どうすればいいの?」
食い気味にクララが訊いた。
「《聖石の粉》っていうものが必要なんだ」
「それ、どこで取れるのっ」
「ぼ、僕も噂でしか知らないけど、71階から79階の魔物から取れるらしいよ」
クララの勢いに押されながら、レオがそう答えた。
途端、クララはすっと席に戻り、真顔で提案してくる。
「アッシュくん、売ろう?」
「諦めるの早すぎだろ」
「だって8等級の階層だよ? レオさんだってまだ到達してないのに。あたしたちはいつになるか……だから、いっそお金にしちゃったほうがいいと思うの。お金はいいよ。美味しいものをたっくさん食べられるし、家賃も気にしなくていいし」
最後のほうはともかく、クララの意見も一理ある。
レオの話が本当ならレリックが相当な価格で売れることは間違いないだろう。そして多くのジュリーがあれば、装備を購入してチーム全体を強化できる。
「ん~、言おうか迷ったけど、一応言っておこうかな」
なにやらレオが渋面を作りながら話を継いだ。
「《聖石の粉》、1つだけだけど委託販売所で売られてるよ。もうずっと前からね」
「それ本当っ!? じゃあ解放できちゃうじゃんっ」
さっきまでの諦めた顔はどこへやら。クララがルナを巻き込んで、もう手に入れたも同然の喜びを見せる。相変わらず気持ち良いぐらいの現金ぶりだ。
「レオも人が悪いな。売られてるってんなら早く言ってくれよ」
「いや、それがちょっと問題があってね」
「……問題?」
そう聞き返すと、レオが少し困ったような顔で言った。
「行ってみればわかると思うよ」