◆第四話『少女の正体』
こちらの言葉で空気が一変した。
眼前の少女が挑戦的な笑みを浮かべる。
「いつから気づいていた?」
そこにはもう儚げな印象はなかった。
あるのは勝ち気で自信に満ちあふれた顔だ。
これがシエラの……いや、ベヌスの本性というわけか。
隣ではラピスが「この子がベヌス……?」と驚愕している。台所からは「え、どういうこと?」といったクララの困惑した声も聞こえてきた。
「ほかのミルマたちがあんたを恐れてるみたいだったからな。初めはミルマの中でも高貴な存在なのかって考えもあったが、そういう話は聞いたことがない。ってなると、自ずと答えはひとつに絞られるだろ」
唯一、〝長〟という称号を得ているミルマ。
つまりベヌスしかいないだろう、という考えに至ったわけだ。
「ま、決め手になったのは何事にも動じないあのアイリスが、あんたの前ではたじたじだったことだけどな」
言いながら、アッシュはアイリスのほうをちらりと見る。
と、悔しげな顔で出迎えられた。
「それだけで我がベヌスだとは断定できないだろう」
「アイリスはあんたのことがなにより大事みたいだからな」
「ア、アッシュ・ブレイブッ」
アイリスが焦ったように声を荒げた。
その顔はわずかに赤らんでいる。普段が普段なだけに、こうして彼女を弄るのが面白くてしかたなかった。
ベヌスがソファに座ったまま肩越しに振り返り、背後に控えるアイリスの顔を見上げた。
「ということらしいぞ、アイリス」
「も、申し訳ございません。気づかれてしまったのはすべてわたしのせいです。ですが、ベヌス様もベヌス様です。わたしになんの説明もなく、人前に出てこられるなど――」
「なんだ、我に口答えをする気か」
「い、いえそのようなつもりは……」
アイリスが途端に口ごもってしまう。
その関係性を見て、アッシュは思わずくすりと笑みをこぼしてしまう。
「あのアイリスもベヌスの前では形無しだな」
ぎりっとアイリスから鋭い目で睨まれてしまった。
だが、普段の冷徹なときほど迫力はない。やはりいまも頬がわずかに赤みを帯びているからだろうか。
静観していた女性陣もようやく目の前のミルマがベヌスだと受け入れられたようだ。揃って驚きの声をあげはじめる。
「本当にベヌス、なのね」
「まさか、こんな子どもの姿だったとはね……」
「ねー。あたしなんておばあちゃんを想像してたよ」
最後にもらしたクララの声には、アイリスもたまらず「お、おばっ!?」と顔を歪めていた。そんな中、ベヌスはひとり泰然とした様子で楽しげに口元を綻ばせている。
「これは仮の姿だ。本来はもう少し成熟した姿をしている」
正体を明かしてからというもの、ベヌスからは少女とは思えない妖艶な空気を感じる。このまま大人の姿となれば、いったいどれほどの魅力を持つのか。男として純粋に興味はあるが、いまはべつの問題を知るのが先だ。
「それで、さっきの答えは聞かせてくれるのか?」
「お前に会いにきた理由か。ただの興味本位だ」
あっさり答えてくれた。
ミルマではなく、わざわざ挑戦者に中央広場を案内させるのは不自然だと思っていたが、やはりというべきか。
「もうすぐ100階に到達する挑戦者がどんな人間なのか。直に会って話してみたかった。ただそれだけだ」
「感想を訊いても?」
「仮に頂に達する人間が現れたとしたら、と我が想像していた像とはかけ離れていた」
「期待に応えられなかったか、残念だ」
「だが、その分だけ面白みのある人間だ。我の想像よりよっぽどいい」
どうやらお気に召したようだ。〝長〟なんて仰々しい称号もあって堅苦しい印象を想像していたが、なかなかどうして話のわかる相手のようだった。初対面でありながら互いの間に壁を作らず話せている。
ただ、それがアイリスには面白くないようだ。
先ほどからむすっとしている。
「あんまり褒めるとアイリスが嫉妬で発狂するぜ」
「し、しません!」
必死に否定してくるアイリス。
その姿を見たベヌスがふっと笑みをこぼしつつ、すっくと立ち上がった。そのまま出口のほうへ歩きだす。
「さて、そろそろ帰るとするか」
「なんだ、もう帰るのか」
「このままではアイリスが茹で上がってしまいそうだからな」
「ベ、ベヌスさまっ」
焦った姿を見せるのが恥ずかしいのか、アイリスがこちらの顔を窺ったのち、居心地が悪そうにベヌスのあとに続いた。
「今回は挨拶みたいなものだ。またいずれ会うことになるだろう」
ベヌスは玄関の扉に手を当てながら肩越しにそう告げてくると、最後に「それではな」と言い残して出ていった。ひとり残ったアイリスが丁寧に頭を下げてくる。その際、ひと睨みされたが、大方〝あとで覚えておけ〟といった意味合いだろう。
アイリスもログハウスをあとにし、扉が閉められる。
ベヌスの纏う不思議な空気にあてられてか、部屋にはわずかな沈黙が訪れた。そんな中、ルナが野菜をたっぷり挟んだバゲッドを台所前の食卓に並べていく。
「予想外のことで驚いちゃったけど、ひとまず昼食にしようか」
「う、うん。あたしお腹空いちゃったー」
女性陣が昼食をとるために食卓についたところで窓の外にレオが映り込んだ。弾むような足取りで玄関扉のほうへ向かっている。
「お、レオだ」
アッシュは扉が小突かれる前にレオを出迎えた。
レオがいつもの爽やかな笑みを向けてくる。
「や、アッシュくん。少し早くきちゃったけど、大丈夫かな?」
「ああ、クララたちが昼食中だが、問題ない。上がってくれ」
中に入るなり、レオが女性陣に「やぁ」と挨拶をする。
ログハウスの住人ではないにしろ、いまや仲間として彼も訪れることは少なくない。かしこまることなく、女性陣も簡素な挨拶で応じていた。
対面のソファに座ったレオが窓の外をちらりと見たのち、話しはじめる。
「そういえばさっきアイリス嬢とすれ違ったんだけど……」
「さっきまでここに来てたからかもな」
「あのアイリス嬢が? いったいなにをしに?」
「一緒に小さな子がいたろ。あれがベヌスで、その付き添いだ」
「なるほど。ベヌスの付き添いね……って、ベヌスゥッ!? あのミルマの長のっ?」
「ああ、そのベヌスだ」
レオが目を見開いたまま唖然としていた。
予想どおりの驚き方で大満足だ。
「これは驚いたね……でもどうして?」
「単純に100階を前にした挑戦者に興味があったらしいぜ」
「というよりアッシュ個人に興味があったみたいだけど」
食卓のほうからラピスの声が飛んできた。
若干の棘が混ざっているように感じるのは、きっと気のせいではないのだろう。
「僕も話してみたかったなぁ」
「まぁ、また会うことになるって言ってたから機会はあるだろ」
おそらく、その〝また〟とは100階に到達したときであるような気がしてならなかった。含みのある言い方や節目的にも可能性は高そうだ。
「それより狩りのことだ」
ベヌスの登場で完全に気持ちがそちらに向いてしまったが、いまはチームにとってもっとも重要な時期に差しかかっていた。
アッシュは高揚する気持ちを抑えきれず、わずかに前のめりになった。両手にぐっと拳を作りながら、勝ち気な笑みを浮かべる。
ゼロ・マキーナ討伐から約1ヶ月。
着々と塔を昇りつづけ、ついにすべての塔で99階に到達。赤の塔にいたっては塔内最後の転移門前を残すのみ、というところまで来ていた。
「今日こそ99階を突破するぞ」





