◆第三話『少女とログハウスへ』
まさかアイリスも動じるとは完全に予想外だ。
ただ、普段とは違うその姿を前に、思わず悪戯心が湧いてしまった。アッシュは口の端を吊り上げながら問いかける。
「どうしたんだ、アイリス。調子でも悪いのか?」
「……なにを言っているのですか、あなたは。どこから見ても普段どおりでしょう」
「普段どおりならすでに嫌味のひとつやふたつ飛んできてるはずだけどな」
「それほどまでにいつも喜んでいたのですね。気づかず申し訳ありませんでした。次回からは気をつけることにします」
饒舌に話しはじめたアイリスだが、途中ではっとしたように口をつぐんだ。その視線はちらちらとシエラに向けられている。
当のシエラはというとにこやかな笑みを浮かべていた。
「おふたりはとても仲がいいんですね」
「そんな事実はいっさいありません」
きっぱりと言い切られた。
アッシュは肩をすくめつつ、シエラに苦笑いを向ける。
「だそうだ」
「アッシュさん、悲しそうです」
「そりゃあ一方的に嫌われるのはな」
そう答えつつ、ちらりとアイリスの様子を窺う。
と、彼女は居心地が悪そうに目をそらしていた。
「……ご注文はお決まりですか」
「クルナッツ系でこの子にオススメはあるか?」
「ゼリーはどうですか? 誰でも食べやすいと思います」
「じゃ、それで。俺は……クルナッツジュースでももらうか。あとハムサンドを頼む」
「承りました。では少々お待ちください」
言って、テーブルを離れたアイリスだが、何度も振り返っては鋭い眼差しで睨んできた。シエラに下手な真似をすれば容赦しない、といった気持ちがありありと伝わってくる。
「楽しみです」
嬉しそうな気持ちを隠さずにシエラが言った。
アッシュはメニュー表を渡しながら言う。
「ほかに頼みたいものがあったら遠慮なく頼んでくれ」
「はい、ありがとうございます」
そうしてしばらくメニュー表を見つめていたシエラだが、ふと辺りを見回しはじめた。特定のなにかを見ているわけではなく、全体を見渡しているような感じだ。
「どうかしたのか?」
「いえ、中央広場はお店ばかりが並んでいるのだな、と」
「少し外れれば宿屋とかたくさんあるんだけどな。質も大きさも多種多様で見てて面白いぜ。中でも《ブランの止まり木》って宿屋が最高にオススメだ」
「アッシュさんもそこに住んでいるのですか?」
「昔はな。いまは中央広場から少し南側に行ったところに建ってるログハウスに仲間と住んでる」
「ログハウス、ですか。ちょっと気になります」
シエラが鼻から下をメニュー表で隠しながら、興味津々といった目を向けてくる。
「食べ終わったら来るか?」
「はい、行きたいですっ」
「――わたしも行きます」
そう言ったのはアイリスだ。
彼女は少し強めにクルナッツジュースをテーブルに置いたのち、クルナッツゼリーを丁寧にシエラの前に置いた。
対応の差に関してはわかりきっていたのでいまさらとやかく言うつもりはない。ただ、問題は先ほどのアイリスの発言だ。
「わたしもいきますって……どうしてそうなる?」
「獰猛な獣の巣にか弱い少女が連れていかれるようなものです。同じミルマとして見過ごすわけにはいきません」
「獰猛な獣って……俺がどういう目で見られてるか痛感するな」
「普段のあなたを見ていればなにも間違いではないと思いますが」
ジュラル島で女性に手を出したことはない。
だが、普段からよく女性と行動している身からすれば少し反論しにくかった。父親のディバルによって開催された〝嫁候補決定戦〟なるものもあってなおさらだ。
「アッシュさんはいい人ですよ」
「この人は相手を油断させてからたたみかけるのです。実際にそれで何人の女性が手篭めにされてきたことか」
「ちょっと待て。そんなことをしたつもりはないし、そもそも実際にそうだったとしてもなんでそんなことをアイリスが知ってるんだ」
「想像です」
「……想像かよ」
ここまで開き直られると怒る気にもならない。
「大体、仕事はどうするんだ?」
「そうですね。神アイティエルより授かったお役目ですから、投げだすのはよろしくないと思います」
シエラからも追撃が放たれ、アイリスが「うっ」とうろたえる。
「……少々お待ちください」
言うやいなや、アイリスはテーブルを離れた。
ミルマの通信で誰かと話しているのか、口を動かしている。やがてそう時間がたたずに戻ってくると、必死な表情で告げてきた。
「代役をたてましたので、これで問題はありません」
どうやらなんとしてでもついてくるつもりのようだ。
◆◆◆◆◆
「シエラって言うんだ。いい名前だね」
「こんなに可愛い子、見たことないよっ」
「……毛並みもすごくいいわ」
ログハウスに到着すると、早速女性陣がシエラを可愛がりはじめた。シャオのときもそうだったが、小さなミルマは女性にとって愛でるべき存在のようだ。
シエラは女性陣に連れられるがまま、居間のソファに座らされていた。相反して、アイリスは入口から中に入ったところで足を止めている。
「そんなとこで突っ立ってないでこっちこいよ」
「……では、お邪魔します」
「もしかしてアイリスもあいつらに混ざりたいのか?」
「そんなことは微塵も思っていません」
強く言い張るが、羨ましそうな目をしていた。
言及しようものなら下手な怒りを買いそうなので放置することにしたが。
「ジュラル島には初めて来たって言ってたけど、アッシュとはどこで知り合ったの?」
ルナの質問する声が聞こえてきた。
シエラがこちらをちらりと見やったのち、答える。
「わたしがアッシュさんに声をかけたのがきっかけです。中央広場を案内してくださる方を探していて……」
「なるほどね。でも、案内だけならほかにもいたんじゃ?」
「とても優しそうな方だったので」
「だって、アッシュ。よかったね」
ルナが含みのある笑みを向けてきた。
隣ではラピスが目を細め、クララは「馴れ馴れしいの間違いじゃないかな~」と呟いている。本当に多様性のある仲間たちだ。
「お世辞です。自惚れないように」
アイリスが小声で告げたのち、シエラのそばに向かう。アッシュは苦笑しつつ、シエラと向かい合う形で置かれたソファに座った。
「ここに連れてきたのは?」
続いて質問したのはラピスだ。
「挑戦者が暮らしてる宿の話になったとき、ログハウスのことも話したら興味があるみたいだったからさ」
「ご厚意で見せていただけることになったんです」
いまだ女性陣から耳や尻尾を触られたままのシエラが笑顔で答える。
クララがおっかなびっくりといった様子でアイリスをちらりと見やる。
「でも、それでどうしてアイリスさんまで一緒に?」
「保護者代わりらしいぜ。な?」
「そ、そうですね」
歯切れ悪くアイリスが答えた。
いつもとは違う彼女に違和感を覚えたのだろう。
クララとラピスが不思議がっていた。
そんな空気を読んだか、ルナが台所に向かいつつ声をかけてくる。
「アッシュ、お昼はどうする? ボクたちはこれからだけど」
「あ~、さっきシエラと《スカトリーゴ》で済ませてきたから大丈夫だ」
「ご馳走になってしまいました」
シエラが慎ましやかにそう続けると、クララがふて腐れた顔をこちらに向けてきた。
「えー、ずるい! あたしも食べたかったなぁ」
「ずるいって……もう余裕で払えるぐらい持ってるだろ」
「そうだけど。アッシュくんの奢りってだけでなんだか響きがいいじゃん」
クララの発言に、「わかる」と同意するラピス。
暗に〝奢ってくれるよね〟と言われている気がしてならなかった。
「クララ、手伝ってくれるー?」
「はーいっ」
ルナに呼ばれたクララが台所に向かっていく。
その背中を見送ったシエラの視線が、今度は隣に座るラピスに向けられる。いかにも〝ラピスさんは行かないのですか?〟と言いたげだ。
「て、適材適所」
ラピスが居心地が悪そうに目をそらすと、こちらのソファに逃げてきた。最低限の言葉しか交わされていないが、2人の間では見事に会話が成り立っていた。
クララが台所に行ったこともあり、場が少し落ちついた。いま、聞こえてくるのは料理の際に起こる大したことのない雑音のみ。込み入った話をするにはちょうどいい空気だ。
「で、そろそろ理由を説明してくれるか?」
「なんのことですか?」
シエラが愛らしく首を傾げた。
完璧なほどに自然なしぐさだ。
しかし、それが逆に違和感を強くさせてくれた。
彼女の後ろで控えるように立つアイリスは無表情を貫いている。だが、これまでより警戒を強めているのがありありと伝わってきた。
まるでこれ以上は踏み込むな、と言いたげだが……。
アッシュは構わずに話を続ける。
「これまで表に出てこなかったあんたが、どうしてわざわざ俺のところに来たのかを教えてくれって訊いてるんだ、シエラ。いや――」
眼前の少女を見据えながら、続きを口にする。
「ベヌスって言ったほうがいいか」





