◆第一話『ミルマの少女』
アッシュはひとり密林地帯を歩いていた。
本日の予定は午後から開始の狩りがあるのみ。
それまで暇なので散歩がてら中央広場に向かっているところだった。
樹冠で閉ざされた天井が終わり、青い空が一気に広がる。その下では中央広場の整然と並ぶ建物や、通りを行き交う挑戦者やミルマの賑やかな光景が広がっている。
初めて訪れたときから変わらない。密林地帯から抜けた先に待つこの中央広場の光景を見ると、別世界に紛れこんだかのような錯覚を抱いてしまう。ただ、いまや勝手知ったる場所だ。初めての来訪時とは違い、すぐに胸中は安心感で満たされた。
アッシュは朗らかな気持ちで歩みだす。
目的地は委託販売所。
そこで日課となっている相場確認をする予定だ。
「あの、少しよろしいでしょうか?」
ふいに横合いから声をかけられた。
声のほうを見れば、子どものミルマが映り込んだ。
外見的には人間の10歳前後といったところか。背にかかる程度の真っ白な髪と、力なく垂れたまなじり、吸いこまれそうなほど美しい紫の瞳が特徴的だ。
ミルマは総じて端整な顔立ちだが、この少女の美貌は群を抜いていた。ただ、いつ消えてもおかしくないような、儚げな空気を纏っている。
「あ、ああ。構わないが……どうかしたのか?」
綺麗な立ち姿や丁寧な言葉遣いのせいか、なぜか大人を相手にしている気にさせられる。加えて子どもという不釣合いな外見もあいまって、思わず戸惑い気味に返事をしてしまった。
そんなこちらの対応を意に介さず、目の前のミルマは小さな口を開く。
「実は、中央広場を案内してくださる方を探していまして……」
「やっぱり島に来たばかりか」
「やっぱり、というと?」
ミルマが年相応の愛らしいしぐさで小首を傾げる。
「いや、子どものミルマは珍しいからな。前に見たことがあったら忘れないだろ。もしかしてこれから島で働くのか?」
「いえ、ただの見学です。いずれ働きたいとは思っているのですが」
こうしてほかのミルマも見学に来ていたのだろうか。とはいえ、シャオやクゥリが先に見学に来たという話は聞いていないし、そんな素振りはなかった。もしかするとこの子が特別なだけなのかもしれない。
ミルマが窺うような目を向けてくる。
「あの、それで案内の件ですけど……お願いできないでしょうか?」
「午前中は暇だからべつに構わないが、ほかのミルマに頼んだほうがいいだろ。あいつらのほうが島のことは詳しいし」
「ですが、みなさん忙しそうでお願いしにくくて」
「暇してる奴らもいるんじゃないか? ほら、あそこにいる2人とか」
ちょうど西側通りの建物から2人のミルマが出てきた。こちらに背を向ける格好で北側へと向かっていく。彼女たちに向かってアッシュは声を張り上げる。
「ウル! シャオ!」
「……アッシュさんっ!」
振り返ったウルが、いつもどおりの明るい笑みを向けてくれた。と思いきや、すぐさま顔をこわばらせた。隣のシャオにいたっては全身を固まらせている。なにやら様子がおかしい。
「どうかしたのか?」
アッシュは子どものミルマとともにウルたちのもとに行き、そう問いかけた。ウルが目を泳がせたのち、引きつった笑みを浮かべる。
「い、いえ。大したことではないのでお気になさらないでください」
「シャオの硬直っぷりを見るとそうは思えないけどな」
「アッシュさんと久しぶりに話すので緊張しているのかもしれません」
「2日前に話したばかりだ」
「い、1日でも話さないと発症するんですっ」
シャオが必死になって説明してくる。
いくら人見知りとはいえ、なんとも厳しい理由だ。しかし、追及する間もなくウルが話を割り込ませてきた。
「その、どうかされたのですか?」
「いや、この子から中央広場を案内してほしいって頼まれたんだが、どうせなら詳しいミルマに案内してもらったほうがいいんじゃないかって思ってな」
「そうですね。予定は空いていま――」
す、と言いかけたウルの口だが、実際に声が発せられることはなかった。びくっと体を震わしたのち、なにか思いだしたように「あっ」と声をあげる。
「そういえば! これから新人さんが来る予定なんです! ね、シャオちゃんっ!?」
「え、は、はいですっ! 100人ぐらい来る予定です!」
「シャオちゃんっ、100人はちょっと言いすぎな気が……っ」
「では10人で!」
「それでも多すぎですっ」
明らかに不自然なやり取りだ。ただ、案内したくないか、もしくは案内できないなんらかの理由があるのはよく見て取れた。
「まあ、忙しいんじゃしかたないな」
「ごめんなさい。挑戦者のアッシュさんにお願いするようなことではないのですが……こ、この子のことをお願いしてもいいでしょうか?」
「ま、大したことはできないかもだけどな。了解だ」
単純に自分よりもっと適任がいるはずだ、と思っただけで案内することを拒絶しているわけではなかった。ほかにいないのであれば、もとより引き受けるつもりだった。
そばで静観していた子どものミルマが頭を深く下げる。
「無理を言ってしまってごめんなさい、ウルさん、シャオさん」
「い、いえいえ。お気になさらないでください」
ウルが焦った様子で両手と首をブンブンと振る。
隣ではシャオが高速で頷いている。
「それでは、ウルたちは新人さんの案内があるので……」
「おう、頑張れよ」
最後にこわばった笑みを残して、ウルはシャオとともに足早に去っていった。ただ彼女たちが向かったのは浜辺のある南側ではなく、ベヌスの館のある北側通りのほうだ。アッシュは思わず細めた目をウルたちの背中に向けてしまう。
「新人の迎えなのに浜辺に行かないんだな」
「きっと気遣って冗談を言ってくれたのだと思います。案内人のお仕事はとても忙しいと聞いていますから」
「ま、ある意味で忙しいのは間違いないんだろうけどな」
できた暇から潰されているのではないか。そう思わざるを得ないほど彼女たちの姿をあちこちで見かける。〝なんでも屋〟の称号が飾りでないことを思い知らされる場面は少なくない。
「そういやまだ名乗ってなかったな。俺はアッシュ・ブレイブだ。そっちは?」
子どものミルマは一瞬だけ目をそらして思案したかと思うや、ぱぁっと眩しい笑みを浮かべて名前を告げてきた。
「シエラです。よろしくお願いします、アッシュさんっ」





