◆第十話『新たな名前とともに』
「いやー、なかなかきつい相手だったな」
交戦開始から、それほど時間は経っていない。
だが、決して簡単な相手ではなかった。
おそらく時間をかければ攻略はもっと難しいものとなっていたに違いない。
ふと視界の端でクララが棒立ちになっていた。
攻略が成功して喜びのあまり呆然としているのかと思いきや――。
「み、見た……? あたしの攻撃、すごくなかった!?」
自身の攻撃に酔いしれていただけらしい。
「おう、しっかり見たぞ。やるじゃねぇか」
「でしょー! 自分でもそう思うもん!」
弾んだ声をあげながら得意気に胸を張る。
戦闘中の決意に満ちた顔はどこへやらといった感じだ。
クララらしいと言えばらしいのだが。
「アッシュっ!」
駆け寄ってきたルナが勢いよく抱きついてきた。
肩に乗せた頭を擦りつけながら感極まったような声を出す。
「ごめん、嬉しくてつい」
「最高の援護だったぜ」
「うん……アッシュも、さすがだったよ」
こうして正面から抱きつかれると、その体の細さが実感できる。
慎ましやかな胸を含め、女性特有の柔らかさも大いに感じられた。
ルナが女性であることを改めて認識していると、なにやら顔を真っ赤にしながらこちらを指差すクララが目に入った。
「ちょ、ちょっとルナさん! いくら嬉しくても、さすがにそれはっ!」
「大丈夫だよ、クララにも抱きつくから!」
「え、えっ? そういうことじゃなくて――はぶっ」
宣言通りクララにも思い切り抱きついていた。
クララは初めこそ戸惑っていたが、心を許したルナ相手だからか。ついには共に喜びを分かち合っていた。
その心温まる光景をいつまでも見ていたいところだが、問題はまだ残っている。
「喜んでるとこ悪いが、さっさと準備しろよ。ここからが本番だ」
出口でルーカスとルミノックスの面々が待っている可能性は高い。
緩んだ空気を引き締め、3人揃って武器を構えた。
重厚な音を鳴らしながら、最奥の壁の一部が左右へと開いた。
射し込む陽光によって白く塗られた視界の中、ぽつんと立つひとつの人影。
ルーカスか。
いや、それにしては体の線が細い。
やがて光に慣れた目が、その人影の正体をあらわにした。
「ラピス……?」
あまりに予想外だったため、幻覚を見ているのかと一瞬思ってしまった。
だが、もはや何度も見たことのある姿だ。
彼女で間違いない。
ただ、よく見ると彼女の周囲にはルミノックスのメンバーが転がっていた。気絶しているのか、立ち上がる気配はない。そんな彼らを、ラピスは気だるげに槍の矛先で持ち上げては塔の縁から外へと放っていく。
「なに見てるの。手伝って」
3人揃って呆然としていると、ラピスから睨まれた。
状況は掴めないが、ひとまず従ったほうがよさそうだ。
ラピスに倣ってルミノックスのメンバーを縁から外へと放っていく。
「これ、全部ひとりでやったのか?」
「あの変態もさっきまでいた」
「変態……もしかしてレオか?」
「そう」
会話を聞いていたルナがこっそり話しかけてくる。
「変態でよくわかったね」
「真っ先に浮かんだのがあいつだった」
もちろん変態から連想したのは事実だ。しかし、それ以外にもルーカスを警戒していたという話を聞いていたので、もしやという思いもあったのだ。
「けど、どうして来てくれたんだ? 正直助かったし、ありがたいんだが」
「あの男に偶然会って無理矢理手伝わされただけ」
ラピスは最後に残った男を放ると、縁にひょいと飛び乗った。
「わたしはこれで帰るから」
「ラピス、ありがとな」
「2日分」
《スカトリーゴ》での奢りの件だろう。
「……了解だ」
ガマルには空腹に耐えてもらうしかない。
「詳しい話は下でして。あの男もいるはずだから」
そう言い残して、ラピスは躊躇いなく飛び下りていった。
と、なにやらクララが細めた目を向けてくる。
「ね、アッシュくん。2日分って?」
「謝礼だ。深い意味はない。とりあえず俺たちも下に行くぞ」
「あ、ちょっと待ってよ! いま誤魔化したって無駄だからね! ね、2日分ってなんなのー!?」
騒ぐクララを置いて、アッシュは早々に縁から身を投げた。
◆◆◆◆◆
塔前の広場に戻ってくると、あちこちに人が倒れていた。
多くは黒ずくめのライアッド王国の者たち。
残りはルミノックスの面々とルーカスだ。
何事かと遠巻きに様子を窺っている挑戦者たちもちらほらと見える。
その中に飛び抜けて立派な鎧を身に纏った挑戦者がいた。
両手にそれぞれ大きな盾と長剣を持っている。
レオだ。
「やあ、アッシュくん」
涼しい顔で手を挙げている。
まるで争いごとなんてなかったかのような素振りだ。
「間に合ったみたいで良かったよ」
「……ひとりでやったのか?」
「ほとんど彼女が倒しちゃったけどね。僕も少しは頑張ったけど、まあ装備のおかげだよ。アッシュくんもすぐにこれぐらいは余裕になるよ」
「そりゃ楽しみだ」
軽快に答えたものの、内心は穏やかではなかった。
いくら装備のおかげとはいえ、あの数を相手に無傷で制圧したのだ。
ラピスだけでなく、レオもやはり相当な実力者であることは間違いない。
叶うなら、いつか間近で彼の強さも見てみたいものだ。
「とにかく本当に助かった。でも、どうしてここがわかったんだ?」
「ミルマ伝いにダリオンが知らせてくれたんだよ。アッシュくんたちが襲われてるってね」
「ダリオンが……?」
たしかにリフトゲートを使用する際にすれ違いはしたが――。
いったいどういう風の吹き回しなのか。
真意のほどはわからないが、今度会ったときにでも礼は言ったほうがいいだろう。
ふいに周囲の挑戦者がざわつきだした。
「アッシュくん、あれ……」
「あちゃ~、面倒なのが来ちゃったね」
クララ、ルナが揃って渋い顔をする。
彼女らの視線を辿ると、十人ほどの集団が広場にやってきていた。
マスターのニゲル。
後ろにはシビラとともに10人ほどが続いている。
「……アルビオンか」
彼らは近くまで来ると、代表してニゲルが前へと出てきた。
「次はないと言ったな」
威嚇するように告げてくる。
――次に問題を起こしたら力ずくでも島から追放する。
そう通告されていた。
もちろん、すんなりと受け入れるわけにはいかない。
アッシュは抵抗の姿勢を見せようと武器に手を当てた、そのとき。
レオが間に割って入ってきた。
「待ってくれ。これは僕がやったんだよ」
「……レオ・グラント」
「やあ、ニゲル。久しぶり。今日も良いお尻だね」
握手をしようと距離を縮めたレオに、シビラが即座に剣を突きつける。
「よ、寄るな。マスターが穢れる!」
どうやらレオの変態ぶりはアルビオンにも知られているらしい。
レオは両手を挙げながら下がると、いつもの爽やかな笑顔で口を開いた。
「ま、そういうことだから。彼らに非はないってことでここは収めてくれないかな」
しばしの間、ニゲルはレオのことをじっと睨んでいたが、やがて呆れたように息をついた。
「助けられたな」
そう言い残して、ニゲルは来た道を戻るように歩き出した。
シビラも渋々といった様子でそのあと追いはじめると、あとのメンバーも続いた。
アルビオンのせいで緊迫していた空気が一気に和らいだ。
多くのものが安堵する中、アッシュはレオに声をかける。
「いつも本当に悪いな」
「いいよ。親友だからね」
「そろそろ断れなくなってきたな」
何度、助けてもらったかわからないぐらいだ。
さすがにもう親友と認めるべきかもしれない。
いまも尻に伸ばしてくる手は鬱陶しいことこのうえないが。
「こっちは永遠にダメだ」
「残念」
レオが弾かれた手をさする中、そばでうめき声が聞こえた。
ルーカスだ。
彼はゆっくりと起き上がると、頭を押さえながら大きな声で悪態をつく。
「くそっ。レオは反則だろ、レオは……ってぇ」
「きみが悪さをするのがいけないんだよ」
レオを警戒しながら、ルーカスがすかさず体の回りに手を這わせる。おそらく武器を探しているのだろう。だが、すでに取り上げられたようで、どこにもない。
抵抗する手段がないと知ってか、ルーカスはやけくそ気味にため息をついた。
「で、どうする気だ? 殺すか? だったらさっさとしてくれ。ただ忠告しとくが、俺が死んでもたぶん姫は狙われ続けるぜ。生きてる限りな」
言って、鋭い目をクララに向ける。
普段の彼女ならここで悲鳴をあげて怯えるところだが、今回は動じていなかった。そればかりか、なにやら思案顔で前へと出てくる。
「あのー、その件なんだけど……あたし、あなたに殺されたってことにできないかな?」
「……は?」
「だから今回の件で死んだってことにすれば、これからも追われなくなるでしょ?」
名案でしょ、とでも言いたげな顔だ。
たしかにそうかもしれないが……。
「おい、そんな簡単に――」
「クレイディア・スクル・ライアッドの名前はもう捨てるよ。あたしにはクララって名前だけあればいいし」
クララはあっけらかんと言い放った。
その顔には未練もなにもない。
あるのは清々しい笑みだけだ。
「ルーカスさん、お願いできないかな?」
「姫が死んだ。俺にそう伝えろってことか?」
「うん。もしあれだったらウォレスにも証言してもらえばいいし!」
「ライアッドの名にどれだけの価値があるのかわかってるのか?」
「それでおっきな争いが起きちゃったら価値なんてないも同然だよ」
クララのその発言になにを見出したのか。
ルーカスは一瞬瞠目したあと、すべて終わりだとばかりに肩を竦めた。
「わかった。わかったよ……」
「い、いいのっ?」
「ああ。姫が反乱の旗印にされたところでなんの脅威にもならないだろうしな」
ルーカスが投げやりにそう言い放った。
クララが首を傾げたあと、くるりと振り返る。
「ね、アッシュくん。あたし馬鹿にされた……?」
「大丈夫だ。褒められてんだよ」
「ならいっか」
相変わらずの扱いやすさだ。
「それで、あいつらはどうするんだ。姫が生きてるってことは知ってるぜ」
ルーカスが黒ずくめの集団を見ながら言った。
瞬間、クララが「あっ」と間抜けな声をあげる。
どうやら本気で考えていなかったらしい。
どうしよう、とクララが不安な顔で詰め寄ってきた。
口を封じるのに一番簡単なのは殺すことだ。
だが、クララのためにもそれはできるだけ避けたい。
「あの~、お話し中のところ申し訳ないのですが、少しよろしいですか?」
そう言いながら、青の塔管理人のミルマが輪に入ってきた。
「塔を昇る気がないうえに、ほかの挑戦者への度重なる妨害。目に余るとのことで、今しがたベヌス様が彼らを永久追放とすることを決めました。えーと、黒い集団とルミノックスのメンバーです」
ライアッド王国の部隊だけでなく、ルミノックスまで追放処分にしてくれるとは思いもしなかった。まさかの対応に、アッシュは思わず面食らってしまう。
「これは驚いたな……ミルマが介入するなんて僕が島に来てから初めてだよ」
あのレオでさえも驚きを隠せないらしく、目を何度も瞬かせていた。
ただルナだけはひとり怪訝な表情を浮かべていた。
「でも、いくら口で言ったところで従う奴らじゃないと思うけど」
「お忘れですか。ここが神の島であること。そして我々ミルマは、この島を任された存在であることを」
その言葉の直後、あちこちに倒れていたライアッド王国の部隊、ルミノックスのメンバーが次々に、ふっとかき消えるようにして姿をなくしていった。
「我ら神の使いの目は誤魔化せません。彼らも、また彼らの仲間も永久に島に立ち入ることはないでしょう」
「は、はは…………こりゃたまげたな……」
引きつったように笑うルーカス。
そんな彼に相反して、塔の管理人が晴れやかな笑みを浮かべた。
「それでは皆様、これからも快適な塔昇り生活をお楽しみください」
◆◆◆◆◆
翌朝。
アッシュは仲間とともに船着場にきていた。
これから島を出るウォレス、ルーカスの見送りに来たのだ。
「奴らは気絶してた間、姫の無事を確認していない。その間に俺が殺したってことにしておく。それでいいな?」
改めて確認してきたルーカスに、アッシュは頷く。
「ああ、それで頼む。ま、もし気づかれても心配はないだろうけどな」
「永久追放か……まったく神の力ってのは恐ろしいもんだぜ」
昨日、青の塔の管理人が口にした言葉を思い出す。
――我ら神の使いの目は誤魔化せません。彼らも、また彼らの仲間も永久に島に立ち入ることはないでしょう。
彼らとは、ライアッド王国の部隊だ。
彼らの仲間であることをどのように判断するのか。
まったく想像できないが、神の使いであるミルマたちがそう言ったのだ。
信頼しても問題ないだろう。
「とはいえ、嘘がバレると俺の命が危ういからな。協力はしてもらうぜ。姫、言ってたものは用意したか?」
「これでいいかな?」
クララが布で包んだものを差し出す。
受け取ったルーカスが中身を確認せんと開く。
包まれていたのは一束の髪だった。
昨夜、クララがルナに切ってもらったものだ。
ちなみに目立たないところを切ったので、クララの見た目はまったく変わっていない。
「髪か……首を差し出せとは言わないが、もう少しあんたのと証明しやすいものはないか? バルバド公が一目見てわかるようなものならなんでも構わない」
ルーカスの要求に、クララがうーんと唸りはじめる。
と、「あっ」と声をあげて花の髪飾りを取った。
「これでどうかな?」
彼女は差し出した髪飾りを見ながら、しみじみと語りはじめる。
「小さい頃、おじさん……バルバド公にもらってからずっとつけてたから、たぶんこれなら大丈夫だと思う」
「バルバド公が知ってるってんなら問題ない。それじゃ、これはもらっとくぜ」
髪飾りが手から離れた途端、クララの目が名残惜しげに揺らめいた。
彼女にとってよほど大事なものだったのだろう。それでも手放したのは、すでに〝決別〟が済んでいたからか。あるいはジュラル島で過ごしていくという決意からか。
「じゃあ、俺は先に乗っとくぜ」
そう言い残して、ルーカスは船頭の男が待つ舟に乗り込んだ。
入れ替わるようにしてウォレスがクララの前に立った。
ミルマに保護されていた彼だが、いったいどんな治療を受けたのか。歩ける程度にまで回復していた。
「……ウォレス」
「姫、大事なときに力になれず申し訳ありません」
「ううん。ここまで逢いに来てくれただけでも嬉しかったよ」
「本当に立派になられましたな」
ウォレスの目はまるで親が子を見るようなものだ。
対するクララは少し照れくさそうな顔をしていた。
波のさざめきが響く中、ウォレスが静かに口を開く。
「どうかお元気で」
「ウォレスも。いつかまた島に来てね」
「ええ、必ず」
力強く頷いたあと、ウォレスはこちらを向いた。
深々と頭を下げてくる。
「お二人とも、どうか姫をよろしくお願いします」
「ああ、任しといてくれ」
「もちろんっ」
こちらの応答に安心したのか、ウォレスは皺が深まるほど顔を綻ばせた。
それから彼は無言で桟橋から船へと乗り込んだ。
船頭の男が船を出し、櫂を漕ぎはじめる。
どんどん船は小さくなり、あっという間に小粒程度にまでなった。
ふとクララの様子を窺うと、彼女は真っ直ぐに船のほうを見ていた。
ただ、目尻には涙がうっすらと溜まっている。
「色々頑張ったな」
「……アッシュくん」
いま、クララがなにを思っているのか。
すべてを推し量ることはできない。
ただわかるのは、彼女が自らの手で未来を勝ち取ったということだ。
「今日はゆっくりしてもいいんだぞ」
「だね。あんなことがあったあとだし、今日は息抜きに遊んじゃうのもありかも」
ルナも弾んだ声で同調する。
娯楽施設はないが、食事処には困らない島だ。
美味い店を探し回るのもありかもしれない。
そんなことを考えはじめたとき――。
「なに言ってるの、2人とも」
クララがごしごしと涙を拭い、背を向けて走り出した。
少し離れたところでくるりと振り返る。
広大な青い空。
島の北端にそびえる白と黒の塔。
それらを背景に、クララは手を広げながら言った。
「天辺、目指すんでしょ。だったら今日も昇らなくちゃ!」
思わず面食らってしまった。
まさか彼女の口から、そんな言葉が出てくるとは思いもしなかったからだ。
だが、悪くない。
それでこそ挑戦者だ。
アッシュはルナと顔を見合わせたあと、駆け出した。
クララのもとへ。
そして天高くそびえる塔へと。
彼女たちとなら、その頂に辿りつけると信じて――。





