◆第四話『中央広場』
アッシュは思わず目を瞬いた。
――ここが中央広場です
そうして紹介された場所が、密林の中とはとても思えない光景だったからだ。
栄華を極めた国の大通り。
そう表するのがもっとも適しているだろう。
方形に敷設された石畳に沿うよう整然と並ぶのは木組みの建物。
中心部では噴水がいまも飛沫を放ち、広場全体に涼を届けている。
そして、それらを彩る人間やミルマたち。
ミルマはほとんどがウルのように給仕服を纏っているが、人間の格好は軽装から重装まで多種多様だ。
「想像以上だ」
「でしょうっ。初めてここに来た人はみ~んな、アッシュさんみたいに驚きます!」
ジュラル島には、塔を昇りにきた挑戦者たちによって醸成された粗暴な空気が満ちていると思っていた。
それが、こんなにも美しい光景に迎えられたのだ。
驚くしかない。
「これも神のおかげなのか?」
「環境は整えて下さいました。でも、建物はウルたちミルマが建てたんですよ」
「そりゃすごいな」
「えへへ~」
ふにゃっと顔を崩したのち、ウルは「あ、そうだ!」となにかを思い出したように声をあげた。腰にかけたポーチの中をもぞもぞと漁りはじめる。
「これをお渡しするのを忘れていました」
やがて取り出されたのは拳大のカエルだった。
肌は緑と紫のまだら模様。
目と口は異様に大きくて、逆に手足は短い。
「えらく間抜けな顔のカエルだな……」
「ガマルと言って、ジュラル島でのお財布です」
「これが財布? 趣味が悪いな」
「え~、可愛いじゃないですか!」
ウルは抗議の目を向けながら、ぐいとガマルを差し出してくる。
近くで見ると、実は可愛い――なんてことはまったくなかった。
「これ、使わないとダメか?」
「使わなくてもいけなくはないですけど……ジュラル島の通貨となる、塔の魔物が落とす宝石は沢山ありますから。ガマルさんの胃袋がないと困りますよ?」
「……そういうことなら」
渋々、ガマルを受け取った。
肌の艶に反してまったくヌメヌメしていない。
むしろサラサラで違和感しかなかった。
ガマルを裏返すと、大きなお腹が見えた。
試しに親指で軽く押してみると――。
「グェッ」
と、嗚咽のような声を出し、大口を開けた。
突然のことにアッシュは思わず目をぱちくりとさせてしまう。
「そうしてお腹を押しながら指定の金額を言えば、その額を取り出せますよ」
「……なかなか斬新だな」
金額を指定していなかったからか、ガマルが勝手に口を閉じた。
そのまま離れて地面に着地後、腰に飛びついてくる。
なんだなんだ、と思っていると、その姿はいつの間にか消えていた。
「用がなくなったらそうして主人にぺったりくっついて見えなくなります。塔ではジュリーを見つけたら勝手に動いて食べてくれますし、本当に便利なんですよ。挑戦者で使っていない方はいません」
全員が使っているなら、それだけ有用なのだろう。
姿に関しても、いつかは慣れるかもしれない。
ウルのように可愛いと思えるかは甚だ疑問だが。
「なあ、塔にはもう行っていいのか?」
ジュラル島に来てからというもの、ずっと気になって仕方なかった。
本当はいますぐにでも昇りに行きたいぐらいだ。
「問題ないですよ。でも、ウルは明日からをオススメします。この中央広場に慣れて頂くのはもちろんのこと、当面の拠点となる宿を見つけないと帰ってきたときに『ウワァー!』って困ってしまいます」
野宿には慣れているが、あれは翌日に疲れが残る。
最高の状態で塔を昇るなら、できれば避けたいところだ。
「ウワァーっとはなりたくないからな。忠告どおりにさせてもらうか」
「それが良いと思いますっ」
「しかし、さすがに宿は自分で探さないとか」
中央広場に面する店舗は二十ぐらいか。
その裏側には路地ができるほどの建物が見える。
挑戦者が約300人。
加えて宿を見つけるべきというウルの言葉。
それらから察するに宿屋は少なくないのだろう。
「新人さんには『ブランの止まり木』という格安の宿がオススメですっ」
「じゃあ、そこにするか」
「即決ですね」
「宿探しで疲れたくはないからな」
塔に行くのは明日。
そう決めたなら今日は早く寝て備えたい。
「ではではっ、ブランさんのところにはあとで伺うとして。まずは中央広場のご案内を――をっ?」
いまにも駆け出しそうだったウルがピタリと止まった。
耳をぴくぴくさせながら、明後日のほうを見ている。
「ご、ごめんなさい。ベヌス様からお呼びがかかってしまいました」
ウルに話しかけた人は近くにいなかった。
だがミルマは神の使いと言われるぐらいだ。
大方、離れた者との通信手段でもあるのだろう。
「ベヌスってのは?」
「ミルマの長です。言わばジュラル島の管理人のようなお方ですね」
天真爛漫なウルを見てきたからか。
長と聞いても、あまり偉そうな像は浮かばなかった。
「で、でもどうしましょう。ウルにはアッシュさんのご案内が……」
「俺のことは気にしないでくれ。大体のことは教わったし、あとは自分でなんとかする」
「う~……ではお言葉に甘えさせてもらいます」
かなり気にしているようでウルは少しの間うつむいていた。
だが、一度息を吐くと、ばっと勢いよく顔をあげた。
次いで胸の高さで構えた両の掌をこちらに向けてくる。
「そのポーズは?」
「ミルマが気に入った方にだけする、お別れの挨拶です」
「……会ってまだ少しだぜ?」
「お調子者のウルに、いやな顔一つせずに付き合ってくれましたっ」
自然に接していただけで、これほどありがたがられるとは。
「苦労……してるんだな」
「そ、そんな可哀相な子を見るような目を向けないでくださいっ。ウルにはミルマのみんながいますから、全然寂しくないです!」
必死に抗議するウルの手へと、アッシュは自身の手を重ねた。
「これでいいか?」
「はいっ」
ウルは弾けるような笑みを浮かべると、手をぎゅっと握ってきた。
これも挨拶のうちなのだろうか。
ニギニギと何度も指の腹を押し付けてくる。
そのたびに彼女の滑らかな肌の感触が鮮明に伝わってくる。
「思ったよりゴツゴツしてますね」
「こんなところに来るぐらいだからな。それより急いでるんじゃなかったのか?」
「あっ、そうでした!」
どうやら本気で忘れていたらしい。
ウルは最後に一度だけ握ってくると、手を離した。
「ではでは! またです、アッシュさんっ!」
「おう、またな」
ウルが慌しく駆け出した。
かと思うや、少し進んだところで振り返り、跳びはねながら両手をブンブンと振ってくる。逢ったばかりなのに本当に人懐っこい子だ。
ただ、おかげで楽しい時間を過ごせた。
今度なにか礼をしないとな、と思いながらウルの背中を見送った。
「初日からあんなにミルマと仲良くなるなんてね。今度の新人さんは女性を口説くのがなかなか上手じゃないか」
ふと横合から声をかけられた。
「女漁りのための島とは聞いてないけどな」
そう答えながら声のほうへ目を向けると、にんまりと笑う男が映った。
一見して青年のようだが、喉辺りの肌から察するに30代ぐらいか。
端整な顔だちに短めのサラサラな髪。
見るからに良い所のお坊ちゃんといった雰囲気だ。
「これはこれは。まさか天然とはね」
「で、いま現在俺のケツを触ってる手も天然か?」
「おや、バレてしまったか」
バレるもなにも揉まれたら誰だって気づく。
しかし、手を離してはくれたものの悪びれた様子がまったくない。
「あんた、そっちの人か?」
「そうだね。お尻を追い求める人だね」
「……俺の選択肢にはなかった答えだ」
「じゃ、今度からは候補に入れておくことをオススメするよ」
なんだか掴みどころのない人だ。
そう思いながら訝っていると、男から握手を求められた。
「僕はレオ・グラント。きみの名前は?」
「アッシュ・ブレイブだ」
一瞬ためらったのち、握手を交わした。
「きみとは初めて会った気がしないね」
「これで最初の出会いが普通だったら親友になれたかもな」
「僕はもう親友だと思ってるけどね」
さりげなくまた尻に手を伸ばしてきたので素早く弾いた。
赤くなった手をさするレオを見ながら訊ねる。
「あ~、それで。いきなり新人に話しかけてきてなにか用なのか?」
「ただ良いお尻だったから話しかけただけだよ」
「……もう行っていいか?」
「待って待って。半分冗談だからっ」
半分と告白する辺り潔いというかなんというか。
ここまでくると呆れるほかない。
「ジュースでも飲みながら、そこで少しお話しでもしないかなとね」
レオが目を向けた先は広場の隅にある軽食屋と思しき店だった。
その前には通りを侵食する形で置かれた幾つもの椅子やテーブル。
いまも幾人かが談笑しながら食事をとっている。
朝からほとんどなにも口にしていないので実は喉がカラカラだ。
レオが一緒なのはとても危険だが、本音としては行きたい。
だが、一つ問題がある。
ガマルを出してお腹をプッシュ。
グェッ、と鳴いた口からなにも出ないことをレオに見せる。
「あいにくと金はないぜ」
「もちろん僕の奢りだ」