◆第九話『フロストクイーン』
ふわり、とフロストクイーンが舞い上がる。
足先まで届くほどの長い髪や、大きなドレスのせいか。
その存在は、より巨大に感じられた。
ふと視界の端で硬直するルナが目に入った。
弓を握る手がかすかに震えている。
かつて攻略に失敗した恐怖がまだ残っているのだろうか。
アッシュはルナの肩に手を置く。
「なに硬くなってんだ。楽しんでこうぜ」
「ほんと……アッシュはいつでもアッシュだね」
大したことは言っていないが、気休めにはなったようだ。
ルナの体から緊張が解けていた。
相反して、いまだ不安を抱いている者もいるが。
「あたし、気を抜いたら真っ先に倒れる自信あるよ……」
「あ~……クララだけは別だ。いつでも全力でいいぞ」
「うん、そうする。……って、あたしだけってなんか納得いかないんだけどっ」
クララが眉尻を吊り上げながら詰め寄ってきた、そのとき。
「来るよ、2人とも!」
ルナの声が広間に響き渡った。
ほぼ同時、フロストクイーンが手を広げた。指を下向けた右掌をこちらに向け、そっと空気を撫でるように上方向へそらす。と、右掌から筒状の吹雪が噴出した。
「避けろ!」
静かな挙動に反して吹雪は猛烈な勢いで迫ってきた。
全員が身を投げ、間一髪のところで避ける。
後方の壁に激突した吹雪が轟音を鳴らした。
ちらりと背後を確認すると、広範囲に渡って凍った壁が映り込む。
「……当たったら心置きなく涼めそうだな」
「涼しいじゃ済まないと思う……」
クララとそんな会話をする中、ルナの警告が飛んでくる。
「また来るよ!」
フロストクイーンが今度は左手から吹雪を放出していた。
アッシュはまろぶようにして回避する。と、先ほどまで立っていた床に吹雪が衝突した。まるで水を零したように広がり、瞬く間に氷となって固まる。
吹雪のせいか、あるいは恐怖のせいか。
一気に体温が下がったような感覚に見舞われる。
クイーンはなおも吹雪を飛ばしてくる。リズムこそ単調だが、まるで淀みがない。足を止めれば瞬く間に氷漬けになること間違いなしだ。
「このぉっ」
クララが右手を突き出し、ウインドアローを放った。吹雪に負けない速度で突き進み、見事クイーンに命中――したかと思いきや、硝子の割れるような音を鳴らして直前で砕け散った。
「えぇ、なにそれ!? ずるい!」
なにやらクイーンの前に薄い氷の壁が出現していた。ウインドアローの影響か、かすかに亀裂が走っていたが、見る間に修復してしまう。
「なんだ、あの壁は!?」
「あれのせいで矢も効かないんだ!」
ルナが証明するように矢を放つと、先のウインドアローと同じく氷壁に阻まれた。
牽制も兼ねてか、彼女は広間を駆け回りながら矢を放ち続ける。だが、やはりどの矢も氷壁を打ち破るには至らない。
「近接ならぶっ壊せそうだが……あれじゃ届かないな」
クイーンは現れてからずっと最奥で浮遊したままだ。
鞭でも届かない場所とあって、近づいたところで攻撃する手段がなかった。
吹雪を避けたばかりのルナが起き上がりざまに叫ぶ。
「下りてくるタイミングはある! けど近づくのはかなり難しいよ!」
「難しくてもやるしかないだろっ」
そう叫んだときだった。
クイーンがドレスをはためかせながら高度を下げた。耳をつんざくような奇声を発しながら、そっと床に両手をつける。直後、霧が現れ、まるで波のごとくこちらへと向かってきた。霧が通りすぎた床から順に一瞬にして凍りついていく。
「2人とも跳んで! あの霧に触れると足が凍って動けなくなる!」
霧は膝高ほども高さがあるうえに、かなり速い。
アッシュは限界まで接近を待ったのち、前方へと飛び込んだ。氷の上を転がったのち、すぐさま立ち上がり、ほかの2人の様子を確認する。
ルナは無事に躱していたが、クララが氷に捕まっていた。
膝までを見事に覆われている。
「クララ!」
「アッシュくんっ」
すぐさまクララのもとへと向かう。が、氷上とあってなかなかうまく走れなかった。ある程度、勢いがついてからあえて尻をつけて滑り込む。辿りつくなり斧を振るい、クララを拘束していた氷を砕いた。
アッシュは斧を地面に打ちつけて勢いを止め、振り返る。
「無事かっ!?」
「う、うん。ありがと……」
「アッシュ、クララ! 上だ! 上から来る!」
ルナの切羽詰った声に促され、見上げる。と、天井に数えきれないほどの氷柱が生成されていた。大きさはどれも人一人分とかなり大きい。
一斉に切り離された氷柱が広間全体へと降り注がれる。逃げ場はない。アッシュはすぐさまクララのもとまで駆けると、落ちてきた氷柱をハンマーで打ち砕いた。飛び散った破片がぱらぱらと舞う。
ルナも無事に迎撃できたようだが……。
「そういうことかっ」
思わずアッシュは舌打ちしてしまった。
クイーンが再び浮遊を始めたのだ。
攻撃をしかけるタイミングはクイーンが床についたときしかない。
だが、接近するにはまず霧の波と、氷柱をどうにかする必要があるわけだ。
「たしかにこれはかなり厳しいな……」
床を覆っていた氷は幻のようにすぅっと溶けていく。
どうやら氷柱が落ちてから一定時間で消滅するらしい。
と、再びクイーンが吹雪を放ちはじめた。
全員が四散、敵に捉えられないようにと広間中を駆け始める。
「予め接近しておくのはダメなのか!?」
「前のチームでもそれは試した! けど、それだと地上に下りてこないんだ!」
「ズルはだめってことか……っ」
クイーンを護る氷壁は斧で力任せに破壊。
その直後にルナの矢を射れば敵を仕留めることは可能だろう。
だが、やはり問題は霧の波と氷柱だ。
あの連撃のせいで接近が非常に困難なものになっている。
吹雪のほうもずっと躱し続けられるわけではない。
早々に勝負を決めなければ全滅は必至だ。
そうしてクイーンを睨みながら思考を巡らせていると、クララから声が飛んできた。
「アッシュくん、氷柱がなくなればどうにかできる!?」
「どうにかできるどころか奴を倒せる!」
「だったらあたしに任せて!」
「任せろって――」
「全部、撃ち落すのっ」
クララは右手を突き出すと、ウインドアローをストックしはじめた。1つ、2つとみるみるうちに彼女の周りに滞空しはじめる。
ルナが焦ったように叫ぶ。
「なにしてるんだ!? それは魔力の消耗が激しいって言ったじゃないか! わかってるのか、魔力が尽きれば動けなくなるんだぞ!」
「大丈夫……だよっ」
吹雪を躱すために駆け回っているからか、クララは息も絶え絶えに答える。
その周囲にはすでに20のウインドアローが生成されている。
「あたしだって2人の仲間だから……!」
強い意志を宿した彼女の瞳が青く光る。
なにかを反射してではない。
瞳そのものが光っている。
通常ではありえないが、その現象にアッシュは心当たりがあった。
これまでも塔を昇る際に片鱗は見せていたが、普段の気の抜けた行いのせいでまさかという思いが強かった。
だが、いま、確信した。
初代のライアッド王以来、ついぞどの王にも発現しなかった、すべての魔導師が恋焦がれてやまない血統技術。
無限の魔力を内包する、それは――。
《精霊の泉》
アッシュは昂ぶる感情を吐き出すように叫ぶ。
「俺が接近して壁を壊す! ルナはそのあとを狙え!」
「アッシュ! クララはッ!?」
「大丈夫だ、あいつはやれるッ!」
こちらの企みを阻止せんとしてか。
クイーンが床へと下り立ち、霧を生み出す構えを取っていた。
アッシュはクララを信じて前へと全力で駆け出した。
霧を飛び越えたのち、肩越しに振り返る。
はなから避ける気がなかったのか、クララは霧に捕まっていた。足が凍りつき、その場に固定されている。だが、彼女の顔は諦めるどころか決意に満ちていた。それを証明するように、そばで浮遊する数えきれないほどのウインドアローが煌いた。
アッシュは彼女へと思い切り叫ぶ。
「クララ、お前ならできる! 全部撃ち落としてやれッ!」
一斉にウインドアローが放たれた。
美しい風の軌跡を残しながら天井へと向かっていく。
アッシュは命中の瞬間を見ずに走り出す。
ただ、成功したことは広間に響いた幾つもの破砕音からわかった。
視界を埋め尽くすように降り注ぐ無数の破片。その中をひた走り、クイーンまであと10歩といった距離に到達する。
瞬間、クイーンが床から手を離した。
このままでは飛び立たれ、間に合わなくなる。足から氷上へと飛び、滑り込んだ。直前に達した瞬間、斧を叩きつけて急停止。思い切り氷を蹴りつけ、斧に振られる格好で跳躍した。ハンマー側をクイーンに向け、飛びかかる。
「ぉおおおおおおおおおッ!!」
クイーンとの間に出現した煌く氷壁。
そこへ力の限り斧を叩きつけた。
衝突した箇所から亀裂が一気に走り、氷壁が音をたてて砕け散る。
「ルナ――ッ!」
叫んだのとほぼ同時、視界の右端をルナの矢が翔け抜けていく。
最高のタイミングだ。
破片が舞い落ちる中、クイーンの額にぐさりと矢が命中した。
クイーンが大きく仰け反り、もがき苦しむように悲鳴をあげる。
大きな傷を与えたことには間違いないが、まだ消滅していない。アッシュは氷壁を壊した勢いを殺さずに再び体を回転させ、クイーンの脳天めがけて斧を振り下ろす。
抵抗を覚えたのは一瞬。
斧は阻む氷の肉体をすべて粉砕した。
慟哭はなかった。
クイーンが残したのは、その肉体を構成する氷だけだ。
それらもいまやあちこちに飛び散り、ぱらぱらと舞いながら音もなく消えていく。
まるで無数の星が輝いているような光景。
それが消え失せたとき、アッシュはようやく受け入れた。
青の塔。
20階の主。
フロストクイーンを倒したのだと――。





