◆第十一話『湖の化け物』
「すごく綺麗……」
湖の前に来るなり、ラピスが感嘆の声をもらした。
ほかの仲間たちも彼女と同様の反応を見せている。
揺らめく水面には湖の中心にそびえる木だけでなく、夜空に浮かぶ星々がくっきりと映り込んでいた。しかも枝葉と星々の位置が偶然にも重なり合い、まさに星という輝く実を蓄えた神秘の木と化している。
その幻想的な光景は、芸術に疎い身でも素晴らしいと感じられた。ただ、幻想は早くも終わりを告げた。木の根元の穴からオートマトンが姿を見せる。
「タスケテ! タスケテ!」
間に「ビーッ! ビーッ!」と耳を突き破るような不快音を挟みながら懇願してくる。寝起きに聞けば間違いなく大多数の人間が音の出所を排除しにいくに違いない。
ラピスが顔をしかめながら、オートマトンを睨みつける。
「……あれ、協力者じゃなかったらいますぐに壊してたわ」
「あいつはあいつできっと必死なんだ。許してやってくれ」
なにしろこんな湖にひとりでいるのだ。
ココロ――感情があるという彼らにとっては心細いことこのうえないだろう。
「とりあえず今回はあのオートマトンを助ければ協力してくれるってことか」
「実力を示せっていう前回よりは楽そうね」
ラピスの言うとおり助けるだけならおそらくそう難しくない。ただ、違和感があった。クララもそれに気づいたようで怪訝な顔をしている。
「でも、オートマトンならこれぐらい飛び越えられそうだよね」
「たしかに、レオがいつも吹っ飛んでるのと同じぐらいだね」
ルナが頷きながら口にした言葉に、レオが待ったをかける。
「いや、僕は吹っ飛んでるんじゃなくて飛んでるんだよ。明確に言えば〝飛翔〟だね」
「でもいつも殴られたみたいな飛び方だし、着地も高確率で失敗してるよね」
「ま、まぁそういう見方もあるかもしれないね。ともかく、ここは僕が彼を救出しにいこうじゃないか」
形勢が悪くなったからか。
まるで誤魔化すようにレオが1歩前に踏みだした。
瞬間、またもオートマトンが「ビーッ! ビーッ!」と音を鳴らしはじめる。
「マテ、キケン! キケン! アイツ、クル! クラーケン、クル!」
「くらーけん?」
クララが小首を傾げて聞き返した、そのとき。
水面に描かれた幻想的な〝一枚絵〟が一気に崩れ去った。湖の水がまるで山のように盛り上がったのだ。
水はすぐに勢いよく流れ落ちるが、そこには大きな影が残ったままだった。
巨大な頭部に左右についたぎょろりとした目。
うねりながら周囲で顔を出している幾本もの触手。
一見して頭足類を思わせる形状だが、通常のものとは桁違いに大きい。
アッシュは乾いた笑みを浮かべながら、眼前の魔物――クラーケンを見上げる。
「えらく簡単だと思ったら、そういうことか……!」
威圧感からして間違いなくレア種だ。
小型か、中型か。いずれにせよ、10等級となればいっさいの油断はできない。
と、クラーケンが勢いよくそのでかい頭を下げはじめた。あれほどの質量を持った一気に湖に戻れば、間違いなく波が押し寄せてくる。
「クララ、《ストーンウォール》!」
「任せてっ」
案の定、巨大な波が押し寄せてきた。
この階層で何度もティアマトから受けた《ツナミ》よりも遥かに巨大だ。まともに受ければ間違いなく致命傷か、もしくはそれに近い損傷を受けるに違いない。
いまさら後退したところで避けられる規模ではない。その場で待機していると、足下に魔法陣が展開。クララによる《ストーンウォール》が突き上げてきた。勢いに任せて跳躍し、さらに上方へと逃げる。
ほぼ同時、眼下を猛烈な勢いで《ツナミ》がとおり過ぎていった。さきほど生成されたばかりの《ストーンウォール》は一瞬で壊れ、押し流されている。
中庭を囲う壁に《ツナミ》が衝突し、凄まじく鈍い音が轟く中、アッシュは仲間の安否を確認する。ルナとラピスはもとより機敏とあって余裕を持って回避。クララは身体能力に難ありだが、お得意の《テレポート》で危なげなく躱したようだ。
ただ、そんな中においてもっとも鈍重なレオが誰よりも空高く上がっていた。背中から残り火のようなものが見えることからも、おそらく《ロケット噴射》を使ったのだろう。
「ははっ、さっき使わなくてよかったよっ!」
面白装備と言われつづけた《エンシェント0》の能力をここぞとばかりに発揮できたことで上機嫌なようだ。しかし、その笑顔は早くも崩れ去った。クラーケンが触手の1本をレオに勢いよく振り下ろしたのだ。
「レオッ!」
そのまま轟音とともに地面に叩きつけられるレオ。なんとか盾を割り込ませたように見えたが、あの威力だ。無傷というわけにはいかないだろう。
ふいに影が差した。
いつの間にか真上から触手が迫っていた。
どう躱すかを逡巡しはじめた、瞬間。
がくんと体が一気に落下をはじめた。
見れば、体に黒い靄がまとわりついている。
これはクララが放った《グラビティ》だ。
追いかけるように触手が近づいてくる。
あちらのほうが速度は速いが――なんとか先に地面に辿りつけた。そのまま受身を取って勢いを殺さずに転がる。と、先ほど着地した地面をへこませるようにして触手が叩いた。
当たっていたら間違いなくぺしゃんこになっていただろう。
「最高の判断だ! クララ!」
「でしょー! あたしもそう思う!」
自画自賛するクララ。調子に乗りすぎるな、と普段ならいさめるところだが、今回ばかりは手放しで褒めるしかない。
唐突にクラーケンが金切り声に近い鳴き声をあげ、先ほどレオを叩いてそのままだった触手を弾かれるようにして引いた。片手で盾を構えながら、もう片方の手で剣を突き立てたレオの姿があらわになる。
「レオ、無事か!?」
「なんとかね……きっと防具が良かったからだね」
言葉どおり致命傷はないようだ。
ただ、片膝をついていまにも倒れそうになっている。
クララが慌ててレオに《ヒール》をかけはじめる中、クラーケンの鳴き声がまたも聞こえてきた。見れば、ルナが攻撃をしかけていた。敵の頭上に放たれた矢が次々に落ちては雷撃となってクラーケンを襲っている。
「障壁はないみたいだ!」
命中直前で2本に分離するという10等級弓の特殊効果に加え、属性攻撃の効果時間延長という《オベロンの腕輪》の能力も相まって常に雷撃が敵を襲っている状態だ。
その凄まじい攻撃にクラーケンがもがき苦しむように暴れはじめた。ただ、本能的にもっとも脅威となる相手をわかっているのか、触手の多くがルナを狙いはじめる。ルナは回避に精一杯といった様子でいっさい攻撃できなくなってしまう。
「ラピス、敵の狙いをこっちに向けさせるぞ!」
アッシュはラピスとともに湖のそばを駆け回りながら属性攻撃を放ちはじめる。間違いなく命中しているし、損傷は与えているが――。
「なかなかこっちに向いてくれないっ」
ラピスがそう苦々しく口にした。
先の雷撃の雨が凄まじかったからか、標的がルナに固定されてしまっているようだ。まるで触手が相手にしてくれない。
10等級なうえ、規模が規模だ。
敵の耐久力は高いと予想される。
このままラピスとともに前衛組の属性攻撃で敵を倒しきる、という選択肢はあまり現実的ではない。いま、戦線から離れているレオが復帰しても厳しいだろう。
となれば、やはりルナに攻撃させることを最優先で考えるべきだ。
クララの魔法なら敵の注意を引きつけられるかもしれないが、彼女が標的となれば危険がより増してしまう。《テレポート》は回避手段として優秀だが、あらゆる方向から迫ってくる複数の触手には相性が悪い。再出現した場所でたまたま当たってしまう可能性があるからだ。
どうにかして近接攻撃を当ててこちらに注意を向けるしかない。だが、敵は湖の中。踏ん張りの利かない水中では攻撃を当てたところで威力は知れている。どうにかしてまともに近接攻撃を当てる手段はないか。
そう考えを巡らせはじめたとき――。
「エンゴ、スル!」





