◆第十話『青の塔96階』
その城は、巨人が造ったと言われても信じられるほどに壮大で、また神々が飾ったと言われても信じられるほどに荘厳だった。
さらにすべての建材が空を思わせる鮮やかな青に、硝子のような艶を持っている。まさに氷の城といっても過言ではない様相だった。
叶うなら、この素晴らしい建造物を隅々までゆっくりと観察したい。だが、いまの状況が許してはくれなかった。
「ったく、いつ来てもめちゃくちゃだなここはっ」
アッシュは息継ぎがてらに悪態をついた。
ここは青の塔96階。
氷の城の廊下だ。
ただ、いまは下半分が水に浸かっているため、廊下というより水路といった状態だった。もちろんもとから浸かっていたわけではない。いましがた放たれた《ツナミ》によるものだ。
「みんな、掴まって!」
クララの声が聞こえてきた直後。
そばの壁から、《ストーンウォール》が突きだしてきた。
アッシュはすぐさま《ストーンウォール》によじ登った。周囲を確認すれば、仲間たちも同様に《ストーンウォール》を足場に体勢を整えている。
眼前には、美しい女性の姿を模った水が浮かんでいた。
あれが先ほど《ツナミ》を放ってきた魔物――ティアマトだ。
クララが《ストーンウォール》を連結させる形でティアマトの周囲に足場を作った。アッシュはレオ、ラピスとともに接近戦をしかけようとする。
と、あちこちで《ストーンウォール》が破壊され、水が噴出してきた。それらは瞬く間に様々な形状へと変化する。大蛇や竜、犬。さらに鳥や牛、となんでもありだ。
「これ、嫌いっ」
ラピスが槍を薙ぎ、眼前の水の竜を粉砕した。
飛び散った水が下に落ちるより早く、べつの水の魔物が生成される。
現れた水の魔物たちは壁になったり、突進をしかけてきたりとティアマトへの接近を執拗に阻んできた。それぞれが9等級の天使と同格かそれ以上の戦闘力を誇っているうえに、再生成されるまでの時間が恐ろしく短い。
ルナがティアマトに矢を放ったが、命中直前で勢いを失ってしまった。ティアマトを守る形で全方位に渡って現れた薄い水の壁が阻んだのだ。
クララも次々に破壊される《ストーンウォール》の再生成に追われているため、遠距離攻撃で敵を倒すのは難しい状況だった。
「アッシュ、ボクの射線上に!」
アッシュは指示に従い、ルナの射線上に立った。
弓使いの正面に立つことは褒められたものではない。
だが、ルナが相手ならなにも問題はなかった。
こちらの動きを遮ることなく、飛んできた彼女の矢が前方に現れた敵に命中していく。
攻撃直後の隙がなくなったおかげで前進が可能となった。アッシュはティアマトへと一気に接近。水の壁を駆け抜け、勢いのまま敵の胴体を上下に両断した。
悲鳴をあげるティアマトだが、その胴体はいまにも再接合しそうだった。だが、それよりも早くルナの矢が敵の上半身を吹き飛ばした。どうやら切断したことで水の壁が消失し、矢を当てられるようになったようだ。
アッシュは残った敵の体を細かく斬り刻む。
さすがに粒にまでなれば再生は不可能のようだ。
ティアマトは慟哭をあげ、ついにただの水と化した。
早々に水が引きはじめる。ティアマトを倒したことで《ツナミ》が消失したわけではない。それを証明するかのように地鳴りのような音が響きはじめ、さらに後方から騒がしい音が近づいていた。
レオが引きつらせた顔を向けてくる。
「これって……」
「ヴリトラが来るぞ! 走れ!」
息つく暇もなく全員が進路の先へ駆けだした。
敵は、この巨人用とも言える大きな廊下を隙間なく埋め尽くしながら迫ってきていた。美しい夜空を映していた外側の窓が、触れたものから順に豪快な音を鳴らして砕けていく。
まさに壁が迫ってくるような感覚だ。しかし、それには大きな口とぎらついた目がしかとついている。蛇そのものといった形相だが、竜を思わせるほど牙は鋭く、咆哮は迫力があった。
ヴリトラ。
10等級の青の塔でもっとも厄介な敵だ。
「僕の一番苦手な相手だよ!」
レオが必死に腕を振りながら叫んだ。
移動速度の関係で早くも最後尾となっている。
「自慢のロケット噴射でも使えばいいだろ!」
「さっき使ったばかりで再使用までまだかかるんだ!」
話している間にも敵は、その獰猛な口をバクバクと開閉しながら迫っていた。追いつかれれば間違いなく死が待っている。が、危険が迫っているのは後方だけではない。
前方で青色のオートマトンが立ちふさがっていた。さらにその奥からも次々と現れている。青の塔のオートマトンは、氷弾を背中から飛ばしてくるのが特徴的だ。着弾した箇所を凍らせるという厄介な効果を持っている。
「ラピス、前をやるぞ! クララとルナはヴリトラを頼む!」
「アッシュくん、僕は!?」
後方からレオの声が飛んできた。
見れば、走るだけで精一杯といった様子だ。
「その状態でなにかできるのか!?」
「全力で走るよ!」
ヴリトラが怒り狂ったような鳴き声をあげた。
後衛組による遠距離攻撃が始まったのだ。ただ、速度を緩めず器用に撃ちつづけるルナとは相反して、クララの手数はひどく少ない。
「テレポートしながらだと、あんまり撃てなくてっ」
「だったらこれでどうだっ」
アッシュはクララを左肩に担いだ。
小柄なうえに軽いこともあってそこまで移動速度は落ちなかった。
クララが羞恥心交じりに悲鳴のような声をあげる。
「最高に撃ちやすいけど、最高にみっともない気がするよっ!」
「死ぬのとどっちがいい!?」
「我慢しますっ」
開き直ったクララが《ライトニングバースト》を大量に撃ちはじめた。ヴリトラの鳴き声とともに後方の明滅が一気に激しくなる。
相当な傷を負わせているはずだが、敵の勢いは収まらなかった。ついにレオが敵に呑み込まれそうになる。
「もう、だめだ! みんな、受け止めるよ!」
レオが振り返るなり、盾を床に打ちつけた。
あわせて盾を中心に青い壁が現れる。
血統技術、《虚栄防壁》。
すべての攻撃を防げるが、損傷となって自身に跳ね返ってくる。諸刃の防御術だ。
両者が衝突した瞬間、城が揺れたような音が鳴り響いた。
レオが踏みとどまらんと堪えるが、無残にも追いやられてしまう。壁の向こう側ではヴリトラが食い殺してやるとばかりにガチガチと口をかちあわせている。勢いでは圧倒的に負けているが、ヴリトラの移動速度は徐々に緩まっていた。
「入れ替わるぞ! クララ、ルナは前方を頼む! ラピスッ!」
「了解ッ!」
前方に体の向きを変えた後衛組と入れ替わる格好で、アッシュはラピスとともに後方へ疾駆。レオの両脇から《虚栄防壁》を抜け、その先のヴリトラの両目を穿った。さらに一心不乱になって得物を振りつづける。
と、ヴリトラがついに力なく倒れた。
ひどく重い音を鳴らして顎を落としたのち、消滅を始める。
「レオ、無事か!?」
「な、なんとかね……」
そうレオが返事をしたときだった。
ルナの切羽詰まった声が飛んでくる。
「アッシュ、前方からティアマト! また《ツナミ》が来る!」
「みんな飛び乗って!」
続けてクララの声が聞こえてきたかと思うや、全員のそばの床から《ストーンウォール》が生成された。押し寄せてきた《ツナミ》によって破壊される前に、今度は壁から突きでてきた《ストーンウォール》に全員が飛び乗る。
ちょうど《ツナミ》に勢いよく押し流されていくオートマトンが見えた。相変わらず10等級階層のどこの塔でも彼らの扱いは最悪らしい。
クララによって再び敷かれた《ストーンウォール》の上を駆けながら、アッシュは声を張り上げる。
「あと少しだ! 気を抜かずにいくぞ!」
◆◆◆◆◆
アッシュはどかっと座り込んだ。
幾つかの廊下を進み、何度か角を曲がった先。
脇にそれる形でわずかな空間――いわゆる安全地帯が設けられていた。
「なんとかここまで戻ってこられたな」
「さっきは見つけた瞬間にヴリトラに襲われて戻っちゃったからね」
隣に座ったルナが苦笑しながら言った。
彼女の言うとおり安全地帯を見つけた瞬間、ヴリトラが前方から襲ってきたために後退を余儀なくされてしまったのだ。おかげで肉体的だけでなく、精神的にも損耗してしまった。
「アッシュくんが見つけたっていうの、あれだよね」
「あんな小さいの、よく見つけられたわね」
クララとラピスがそばの窓つき扉から城の外を見つめていた。
扉から続く階段を辿ると、中庭に繋がっていた。中庭は大きな湖によって多くが占められ、その中央には巨大な木が立っている。通常の木ではなく、肌も、大量の枝から生える葉も水のように鮮やかな色をしている。
その青い木の根元にぽっかりとあいた穴から、青色のオートマトンが見えていた。これまで青の塔で出会ったオートマトンよりもわずかに大きく、形状も少し角ばっている。
白の塔で出会ったバゾッドや、赤の塔の協力者ボニーといったオートマトンのように特別なオートマトン――つまり心を持った個体である可能性が高い。
「ちらっと見たときに、ちょうどな。とりあえず挑むにしても少し休んでからだな。じゃないとレオが今度こそ倒れそうだ」
「すまないけど、それでお願いするよ……」
いつの間にやらレオが仰向けになって休んでいた。
彼は身に纏っている装備が重いこともあり、長距離を走る戦闘は苦手だ。つまりヴリトラがいるこの青の塔は彼にとって相性的に最悪と言えた。それでもチームの盾役として重鎧を着続けてくれているレオには感謝しかない。
その後、レオが普段の鬱陶しさを取り戻すまで充分な休息をとったのち、アッシュは仲間とともに中庭への階段を進みはじめた。





