◆第九話『強者への道』
北側通りのベンチでは人目が多いうえに騒がしい。
落ちついて話もできないため、噴水広場のほうに移動した。
「明日、青の60階に挑戦する予定なんです」
ベンチに座ってから間もなく、ユインがそう話を切りだした。
察するに、彼女が先ほど求めた〝助言〟はどうやら攻略法だったようだ。
「たしか3回目だったよな」
「はい。前回、狂騒状態までは行けたのですが……そこで撤退を余儀なくされて」
ユインのチームとはチームぐるみで親交が深い。
彼女たちが青の60階に初めて挑戦したときも、再挑戦を挑んだときも結果を聞いている。だからこそ、ユインが3回目にかける想いがどれほど強いのかも容易に想像できた。
「っても珍しいな。ユインが助言を求めてくるなんて」
ユインと同じチームのマキナに関しては冗談交じりに助言を求めてくることがある。レインやザーラも進んで助言を求めることはしないが、マキナを止めようとはしない。
だが、ユインだけはべつだ。
頑として助言を得ようとしなかった。
「アッシュさんが言うように自分たちだけで攻略したほうが対応力を鍛えられるのかもしれません。実際にわたしもそう思っていました。でも、壁にぶつかるたび、わたしは視野が狭いのかも、と。そう思うようになってきたんです」
「それで俺の視野――攻略方法を知りたいってことか」
たしかに他者の視点を知れば、より多角的に対象を捉えられるようになり視野が広がるかもしれない。
難点は、自身で考えることをやめ、他者の〝答え〟に頼りきってしまう可能性があることだろうか。とはいえ、ユインにその心配はないだろう。
彼女は体こそ小さいが、どんな巨体の戦士にも負けないほどの強い意志を持っている。なにより負けず嫌いだ。これまで助言を求めてこなかったのも、その〝負けず嫌い〟が理由だったことも知っている。
そうした自身の考えを曲げてでも助言を求めてきたのは、それだけいま直面している壁をぶち壊したいという思いの強さからだろう。いまの彼女のように自身の弱さを受け入れた戦士は間違いなく強くなる。
アッシュはベンチに深くもたれかかった。
赤みを増した空を見上げながら話しはじめる。
「青の60階ってーと……たしかカリアハ・ヴェーラだったか」
「はい、雪のおばさんです」
「ま、まあたしかに見た目はそんな感じだな」
カリアハ・ヴェーラは白い肌に骨ばった体、と不健康な外見の巨大な老婆だ。木造の杖を持ち、いかにも魔女といった風貌をしている。実際に多種多様な魔法を使ってくるため、ひどく苦戦したことを覚えている。
「狂騒状態に入ってから攻撃の種類が増えるだろ」
「はい。試練の間全体を覆う形で生成されるストームです」
「それが敵を倒す最大の機会になる。ストーム自体は凌げたか?」
ユインが頷いたのち、当時の状況を説明してくれる。
「敵が杖を両手で持ったので、なにかしてくるだろうと予測して全員で中央に集まったら、ちょうどそこが安全地帯だったので」
「それなら次も躱せるな。じゃあ次だ。ストーム中、敵が杖の先を床に打ちつける音は聞こえたか?」
「い、いえ。ストームの風の音でなにも……」
「たしかに風の音はうるさいが、耳をすませば必ず聞こえるはずだ。でもってその杖の音が2度打ち鳴らされると、ストームの間に薄いところが1箇所生成される。そこからならストームを簡単に抜けられる」
まったく想像もつかなかった抜け道だったのか。
ユインが口を開いて唖然としていた。
「……全然気づきませんでした。吹雪をストームの中に放ってくることがありましたけど、そのための隙間でしょうか」
「ああ、正解だ。だから、ストームを抜けたとき、ちょうど敵は詠唱中で隙だらけになってる。そのまま一気に畳みかけてトドメをさせば終わりだ」
攻略法を聞き終えたユインの顔は驚きに満ちていた。だが、すぐさますっきりしたとは言いがたい表情へと変わっていく。下唇を噛み、ぎゅうと両手に拳を作っている。
聞いてみれば簡単な攻略法だ。
きっと自身の力で気づけなかったことが悔しいのだろう。
「俺が心がけてるのは、まず敵の攻撃を把握することだ。それから癖を読む。塔の魔物なら大体の場合で攻撃のパターンが決まってるから主要な攻撃前の挙動を2、3個前まで覚えておく」
「敵の攻撃を把握することはわたしもしているつもりですが……アッシュさんの場合、より細かく見ていそうですね」
「ちなみにカリアハ・ヴェーラの場合は、あのぼさぼさの髪の動きも一応確認してはいたな。あとはローブの裾の動き方もだ」
「そ、そこまでですか」
「実際、強い奴ほど動きが洗練されてるからな。付随する衣服や装飾品、髪も同じ挙動になりやすい。そうした全体の動きから判断すれば予測の精度も上がる」
敵の動きを把握することは基本中の基本だ。しかし、このジュラル島の塔を昇るのであれば、より細部まで把握する必要がある。実際、上位陣と呼ばれる挑戦者――ヴァネッサやシビラ、ベイマンズたちもこの程度はしているだろう。
ユインが表情を翳らせながら俯く。
「なかなか、難しそうです」
「普段から人間を観察するようにすれば訓練できるぜ」
「アッシュさんもしてるんですか?」
「ああ。たとえばユインが驚くときは、目よりも口のほうが大きく開く、とかな」
そう告げた瞬間、ものの見事にユインが口を開いた。ただ、すぐに自覚したようではっとなって両手で口を塞いだ。褐色の肌を赤く染めながら羞恥心に悶えている。
「次からアッシュさんと話すときは口を開かないようにします」
「それじゃ喋れないだろ。ってか、いつもそこを見て楽しんでるから、これまでどおりで頼む」
「……わかりました。恥ずかしいですが、このままでいます」
ユインが恐る恐る両手を膝元に置いた。
口を隠している際に舌で唇を舐めたのか。
先ほどとは違ってわずかに水気を帯びていた。
「明日はいつ頃から挑戦するんだ?」
「お昼過ぎからの予定です。もしかしたら少し前後するかもですが」
「こっちは朝からだ。同じ青の塔だし、もしかしたら同じぐらいに終わるかもな」
「では、もし突破できたら祝ってもらえますか?」
「もちろんだ。ユインたちとは付き合いも長いしな」
そう答えた途端、ユインがわずかに目をそらした。
「……わたしはひとりが良かったです」
ぼそりともらした言葉。
そこからは1対1で祝ってほしいという願望を感じとれた。
しかし、ユインチームとは全員と交流がある。
チームの達成事をユインひとりに対してだけ祝う、というのは少々気が引けた。
ユインがまなじりを下げながら笑う。
「冗談です。困らせてしまいましたね」
「べつの機会で頼む」
「そうします。そのほうがわたしも思い切り踏みだせそうですし」
憂いがなくなった戦士ほど手ごわいものはない。
彼女の純粋な笑みを前に、アッシュは肩をすくめることしかできなかった。
ユインが遊ばせていた足を下ろし、立ち上がった。
こちらに向かって丁寧に頭を下げてくる。
「今日は相談に乗ってくれてありがとうございます。とても参考になりました」
「少しでも力になれたならこっちも嬉しいかぎりだ」
アッシュは立ち上がり、笑顔でそう応じた。
「それでは、また明日に」
「おう、応援してるぜ」
最後に淑やかな笑みを残し、ユインが去っていく。
どの挑戦者が相手でも戦闘で負ける気はしない。
だが、人としての強さだけで言えば、自分もまだまだだな、と感じることがしばしばある。いまもユインの小さな背中を見ていると、そう感じる。
――俺ももっと強くならないとな。じゃないと、たぶん〝アイツ〟には勝てない。
アッシュはそう思いながら、人知れず拳を作った。





