◆第七話『追跡者の正体』
「まさか魔石が出るとはな」
黒の塔5階に到達したところで狩りを終え、中央広場に戻ってきた。
もともとあまり昇るつもりはなかったが、早めに切り上げた理由はほかにある。
大きな収穫があったのだ。
黒の塔、1等級階層の魔石。
《ゴーストハンド》を入手した。
入手先はレア種ではなく通常のゴーストから。
本当にいきなりポロッと落ちたのだ。
クララが《ゴーストハンド》の魔石――黒色の宝石を空にかざしながら訊いてくる。
「本当にあたしが使っていいの?」
「魔石が出たらクララのもの。そういう決まりだろ?」
「うんうん、遠慮したらダメだよ」
ルナの後押しもあって、ようやく決心がついたのか。
クララはぎゅっと黒の魔石を握った。
「2人ともありがとう。じゃあ、使わせてもらうね」
「ついでにさっき出た交換石も使っちゃったら? 1等級だけど充分だと思うし」
「腕輪が増えてジャラジャラしそう……」
「そこは我慢するしかないな」
いま、クララがつけている腕輪は2本だ。
それぞれフロスト、ウインドアローの魔石が埋め込んである。
今回、《ゴーストハンド》用の腕輪もつければ3本。
まだ許容範囲ではあるが、これ以上となればさすがに邪魔になるだろう。
今後は装備する腕輪を厳選する必要が出てくるかもしれない。
「ひとまず交換屋に寄って、それから鍛冶屋だな」
行き先を決めたところでルナが「ねえ」と声をかけてくる。
「アッシュ、麻痺の強化石、持ってきてる?」
「貴重品だからな。肌身離さず持ってるぜ」
ポーチをぱんぱんと叩いて応じる。
「それもつけちゃったら?」
「いや、支払いの目処もたってない状態で使うのはさすがにな」
「もうチームなんだし、お金のことは言いっこなしだよ。それにさっさとつけたほうが効率よく魔物も倒せて稼ぎもよくなるしね」
「そうそう、遠慮はダメだよ」
クララが加勢してきた。
ぐい、と先ほど受け取ったばかりの魔石を見せつけてくる。
「っていうかアッシュくんが頷いてくれないとあたしも困るしっ」
たしかにここで遠慮すればクララの立つ瀬がない。
これほど高価なものをタダで、というのは気が引けるが……。
「ここは甘えておいたほうがよさそうだな」
そう答えると、クララとルナが揃って満足そうに頷いた。
「代わりにルナも欲しいものがあったら言ってくれよ。そんときは譲るからさ」
「じゃあ、毒の強化石が出たときはお願いしようかな。弓と相性が良いからね」
「了解だ」
言って、アッシュはルナと目の高さで逆手の握手を交わした。
◆◆◆◆◆
視界には島の東端にそびえる青の塔が映り込んでいた。
夕刻にはまだ少し早いが、うっすらと空にはかげりが見えはじめている。
交換屋、鍛冶屋で用事を済ませ、帰路についていた。
中央広場から続く、ブランの止まり木のある通りを進む。
「はぁ~、いつ襲われるかって気が気じゃなかったけど、無事に終わって良かった~」
先頭を歩くクララが心底ほっとしたように息を吐いた。
見ているこちらまで穏やかな気分になるぐらい緩みきっている。叶うならそのままでいさせてあげたいところだが、残念ながらいまは難しい状況下にあった。
「あ~、クララ。いいか、落ち着いて聞けよ」
「うん? あたしはいつでも落ち着いてるけど」
「いま、つけられてる」
「え、うそ……! どこ、どこに――はぐっ」
案の定と言うべきか。
足を止めて辺りを見回そうとしたので、すかさずその両頬を片手で摘んで制止した。
「おい、落ち着けって言ったろっ。あんまり首振るな。こっちが気づいたってバレるぞ!」
そのやり取りを見ていたルナが口を押さえて必死に笑いを堪えていた。
「あははっ。クララは期待を裏切らないね」
「笑い事じゃないぜ。ったく……」
アッシュは呆れつつクララの頬から手を放した。
「ご、ごめん……」
彼女はしょんぼりと肩を落としていた。
べつに怒ってはいないことを示すために掌でぽんと軽く頭を叩いてやると、ようやく安心したようだ。クララが恐る恐る訊いてくる。
「それで、いつから……?」
「俺が気づいたのはついさっきだ。実際は鍛冶屋辺りからかもな」
店に入ったところで一気に距離を詰め、息を潜めていたのかもしれない。
「とにかく歩きを再開するぞ。なるべく自然にな」
そう指示を出して止めていた足を動かす。
「アッシュ、何人ぐらい? ボクが気づけたのは15人ぐらいだけど」
「もう少し多い。少なくとも20だ」
「うわ、きついね」
ルナは言葉ほど動揺していないようだった。
彼女のような仲間がいるのは本当に心強い。
「しかもほとんどが中央広場側だ」
「え、それじゃベヌスの館には逃げられないってこと……?」
クララの顔が見るからに青ざめる。
20人を相手にするのはさすがに無謀だ。というよりクララを護りながら戦うのが難しいといったほうが正確かもしれない。
標的をある程度誘導できる魔物なら話はべつだが、いまの敵は人間だ。自分で考えて行動する。一番脆くて、動きの遅いクララを集中して狙うことは間違いない。
そもそも敵の狙いは彼女の命だ。
数で劣る中、やはり交戦はすべきではない。
せめて狭い場所で迎え撃てれば勝機はあるかもしれないが……あいにくと周辺にそんな場所はない。路地は理想に近いが、屋根上に軽々と上がるような敵が相手では逆に狙い撃ちにされてしまう。
どうする――。
そう自身に問いかけたとき、背筋に悪寒が走った。
「走れっ!」
無意識にそう叫んでいた。
クララとルナが弾かれるようにして駆け出す中、アッシュは即座に振り返る。
と、こちらへと飛んでくる5本の矢が映り込んだ。
背中から抜いた斧で幾本かを弾いたのち、すぐさま2人のあとを追う。
「ルナ、先頭を頼む! クララはそのあとに続け!」
「了解!」
「わ、わかったっ!」
いまも肩越しに振り返れば、幾人もの黒ずくめの敵が追ってきていた。
屋根の上にも少なくない数を確認できる。
アッシュは斧を以って飛んでくる矢、接近する敵を弾き返していく。
ルナも数を減らそうと矢を放ってはくれているが、さすがに敵も学習したのか。なかなか当たってはくれないようだ。
やがて石畳の道は終え、密林の中へと入る。
沢山の木々で隠れられる場所は多いものの、視界は開けている分、先ほどよりは敵の動きを把握しやすい。だが、それは相手も同じだ。
緑の景色の中、不釣合いに黒い存在たちがあちこちを駆け巡りながら追走してくる。
先頭を走るルナが左右を見ながら叫ぶ。
「前に回り込まれそうだ!」
「任せて!」
そう声を上げたのはクララだ。
彼女は併走する敵たちに向かって左手を突き出す。と、その左手を向けられた敵たちの足がみるみるうちに遅くなった。見れば、その足にはゴーストの手が絡みついている。
先ほど入手したばかりのゴーストハンドだ。
爽快だとばかりにルナが叫ぶ。
「やるね、クララ!」
「これ面白いかも!」
まるで新しい玩具を遊ぶかのようにクララは《ゴーストハンド》を使いまくる。次から次へと敵たちが鈍足になっていく。
たしかにこの追走劇にいたっては絶大な効果を発揮している。
しかし発動者から離れ過ぎると解放されるのか、すぐさま元の速度に戻っていた。
体力は無限ではない。
ましてやこちらには身体能力があまり高くないクララがいる。
「このままだといつか追いつかれるな……!」
密林を抜けたところで、クララが目の前の空を見ながら訊いてくる。
「青の塔、青の塔はどうっ!?」
「ありかもっ。あそこなら敵もすぐには上がってこられないし!」
クララの提案にルナが乗っかる。
たしかに暗殺部隊はジュラル島に来たばかりでまだ塔を昇っていないはずだ。たとえ昇っていたとしても、さすがに20階までは到達していないだろう。
「逃げ場はなくなるが……現状よりはマシかっ」
一度落ち着ければ、打開策を思いつけるかもしれない。
「よし、青の塔で決まりだ! リフトゲートまで走れ!」
敵を牽制しながら青の塔を目指してひた走る。
やがて塔前の広場が見えてくると、同時に10人ほどの挑戦者が目に入った。
その中には見知った顔もあった。
いまもリフトゲートへと踏み込もうとするダリオンとそのチームメンバーだ。
「ダリオンッ!」
大声で名前を呼ぶと、ダリオンたちが立ち止まって振り返った。
「悪いが先に行かせてくれ!」
「はぁっ!? ふざけんじゃねぇぞ、なんでお前らに譲らねぇと――」
文句を言われるが、構うことなく彼らの脇を通りすぎた。
そのまま仲間とともにリフトゲートへと飛び込みながら叫ぶ。
「20階へ!」
魔法陣から無数の青い燐光が舞い上がる。
浮遊感に見舞われる中、青で満ちた視界が白へと変わった。だが、それも瞬きひとつの間のこと。アッシュはまろぶようにして地面に着地する。
眼前には大きな広場。
ここは紛れもなく20階――試練の間の前だ。
ふと隣を見れば、クララが盛大に顔面から転がっていた。
見ないでとばかりに涙目を向けられる。
「ほら」
「あ、ありがと」
手を貸して起き上がらせる。
クララが服の埃を払う中、眼前を見やる。
「にしても、なんとか逃げ切れたな……」
本当にぎりぎりのところだった。
あと少しでも遅れていたらどうなっていたことか。
しかし、これで当面の安全は保障された。
あとはどうやって現状を打開するかだ。
「安心するのはまだ早いんじゃないか」
ふいに背後から声が聞こえてきた。
慌てて振り返った瞬間、思わず目を見開いてしまう。
ルナが〝ある者〟から首筋へと短剣を突きつけられていたのだ。
アッシュは、その者のことを知っていた。
幾度か酒を飲み交わした男――。
「ルーカス……!」





