◆第八話『ミロとダグライ』
アッシュは攻撃部隊とともに密林の中を駆けていた。
向かう先は島の南端――挑戦者の誰もが最初に足をつける浜辺だ。
《レッドファング》が防衛に回ることもあり、最終的に攻撃部隊は43人となった。あまり多いとは言えないが、全員が6等級以上。それも戦い慣れた実力者ばかりだ。
先ほど報告を受けた狂人の数は500。
正直、厳しい戦いになることは間違いないだろう。だが、装備の優位性を活かせばなんとかさばききれるはずだ。
と、そばにいきなりふっと人が現れた。
クララが《テレポート》で飛んできたのだ。
彼女は危なっかしく着地したのち、懸命に走りながら疑問を投げかけてくる。
「ね、全員で浜辺に向かって大丈夫なの!? 島のほかのところにもいるんじゃっ」
「むしろ浜辺で抑えないと囲まれる可能性がある! すでに島に上陸した敵はいまは捨て置くしかないっ」
当初は散開して処理に当たるつもりだった。
だが、浜辺からの大軍勢を前にしては方針を変えざるを得なかったのだ。
シビラとヴァネッサが併走してきたかと思うや、勝ち気な顔を向けてきた。
「残った者たちも戦えないわけではない! 彼らも立派な戦士だ!」
「そのとおりだ! うちもマキナたちが残ってるからね! 等級こそ低いが、あいつらは戦える子たちだよっ!」
あえて声を張ったのはほかの者たちを安心させるためでもあったのだろう。残った仲間たちへの心配が攻撃部隊から薄らいだ、そのとき。密林地帯の終わりが見えてきた。
「僕が先に出るよ!!」
「あたしも」
後方からわずかに遅れて続いていたレオとドーリエ。
ほか3人の盾持ちを先頭に密林から浜辺へと全員が踏みだした。
直後、アッシュは思わず目を瞬いてしまう。
「続々と上陸中とは聞いていたが……こりゃ想像以上だな」
狂人たちが海辺に沿うよう律儀に並んでいたのだ。
およそ100人といった数で幾つにも渡って列を作っている。正気を失ったような目に異様なほど隆起した肉体からして、やはりどれも狂人だ。
狂人たちはまるで海底を歩いてきたかのように悠然とした様子で海側から続々と現れていた。浜辺に上がったものから既存の列の後ろに並び、新たな列を作っていく。
「……報告よりも倍近いわね」
「というかいまも増えてるし、1000人は超えそうだね……」
隣に並んだラピスとルナも同様に驚愕していた。
ほかの攻撃部隊の面々も動揺を隠しきれないといった様子だ。脚を震わせる者はひとりもいないが、楽観的な顔をしている者もいない。
「はっ、何人でも関係ねぇ。意志も誇りもない奴ら相手に負けるかってんだ!」
ベイマンズが勇み足で前へと出た、その瞬間。
狂人たちが一斉に咆哮をあげ、まるで猛獣のごとく身を低くして駆けだした。
一般的な兵士10人が束になっても勝てるかわからない戦闘能力を狂人は持っている。実際の数は千人近いものだが……見える数以上の迫力を持っていた。
――これは戦争だ。
レオがそう言っていたが、まさしくそのとおりだ。
地鳴りのような音が響く中、アッシュは得物を構えて叫ぶ。
「相手は数だけだ! 怯むな! ここで絶対に抑えきるぞ!」
◆◇◆◇◆
「……始まったようだな」
聖王ノダスは、目深に被ったフードから覗き込むようにして南東のほうを見やった。
空がさまざまな色の光で彩られていた。
また煙もあちこちから上がっている。
自然だけで満たされていた光景はもうそこにはない。
先ほど中央広場を発った攻撃部隊が狂人たちと浜辺で交戦状態に入ったのだろう。離れているにもかかわらず、戦闘音と思しき音が腹の底まで響いていた。心なしか地面まで揺れているようにも感じられる。
規模こそ小さいが、1人1人の戦闘能力が段違いだ。
場合によっては大国同士の戦争よりも激しいものとなっているかもしれない。
その壮絶な様子に中央広場で待機中の挑戦者に動揺が走っていた。ひとりが怯えればべつの誰かが怯える。そうして伝播した感情は多くの挑戦者たちを巻き込んでいった。
ただ、ジュラル島に来た戦士とあって怯えを制する術は持っているようだ。すぐにそれは収まったが――代わりに怒りへと変貌していた。
幾人かの挑戦者たちが遠巻きにこちらを睨んでくる。
「なに呑気に座ってんだよ、ジジイ」
「お前のせいでこんなことになってんだぞ」
「救いを与えるどころかただの疫病神じゃねぇか」
罵詈雑言があちこちから飛んできた。
キヴェールが剣を抜いて威嚇しようとするが、ノダスはすぐさま手で制した。
「よい」
「ですがっ」
「彼らがわたしを責めるのは当然のことだ」
ダグライ帝国が狂人を使って攻め込んできた目的は間違いなくこの命だ。ゆえに、巻き込まれた挑戦者たちからの言葉を甘んじて受ける義務がある。
ただ、神聖王国ミロにいた頃は、このような罵倒を受けたことはなかった。初めての経験にわずかながらの新鮮な気持ちに見舞われたが、同時に恐怖した。
人間はこれほどまでに怖い存在なのか、と。
――やはりこれも世界に負の力が満ちはじめているからなのだろう。
そう思いながら天を仰ごうとしたとき、視界の端にオルティスの厳しく歪んだ顔が映り込んだ。彼の足下を見れば、小刻みに揺れている。はたから見れば、それは苛立っているかのようにも感じられた。
と、こちらの視線に気づいたか。
オルティスがはっとなって歩み寄ってきた。
「聖下、挑戦者たちから距離をとられたほうがよいかもしれません」
剣呑な空気を警戒するように周囲を見回したのち、真剣な顔でそう言った。直後、キヴェールが慌てて割り込んでくる。
「しかし、オルティス殿。それでは聖下の御身が危険にさらされるかもしれません」
「挑戦者が盾になることを期待しているのか。この状況では盾になるどころか、逆に背を突かれかねんぞ」
オルティスが口にした可能性は大いに考えられる。
だが、だからといって離れたところで確実に安全になるような状況ではない。
ノダスはゆったりと目を伏せながら答える。
「そのときは、わたしの命がここで尽きる運命だったのだろう」
「しかし、聖下っ」
必死な形相でオルティスが食い下がってくる。
その姿は忠義に満ちた聖騎士そのものといったようにも見えるが――。
ノダスは彼の目を見据えながら、「それとも」と話を継ぐ。
「そうまでしてわたしを挑戦者たちから離したい理由があるのか? いや、人目から遠ざけたい理由といったほうが答えやすいか」
瞬間、オルティスの目に動揺が見て取れた。
大きく崩さないあたりはさすがというべきか。
「……なにを仰っておられるのですか。わたしは聖下のことを考え――」
「オルティス、なにを焦っている」
それはこの島を訪れたとき、異様なほど驚いた彼の顔を見てから感じていた疑念だった。
「挑戦者たちが想像以上の力を持っていたことか? あるいは彼らの結束が思った以上に固かったことか? それとも……わたしが神聖王国ミロを離れるという想定外の行動をとったことか?」
言い終えた瞬間、オルティスの視線がキヴェールに向けられた。その目には詰問するかのような険しさが宿っていた。怯えた様子を見せるキヴェールへとノダスは優しく問いかける。
「キヴェール、すべてを話しなさい」
「す、すべてをっ、とは」
「その心が悪と認めたすべてのことだ」
聖騎士に叙任する前から目をかけていたこともあり、キヴェールのことはよく知っている。少し臆病なところはあるが、とても優しい心の持ち主だ。だが、聖騎士に叙任されてからというもの、彼本来の姿が月日を重ねるごとに歪みはじめていた。
――その歪みが、いま抱いている疑念に答えをもたらしてくれる。
そうノダスは確信していた。
オルティスがキヴェールを庇うかのように割り込んでくる。
「聖下。我々聖騎士はあなたさまの剣でもあり盾でもあります。あなた様に隠し事など――」
「わたしはキヴェールに訊いている」
押し黙ったオルティスが渋々と下がった。
そんなやり取りをずっと静観していたルグシャラが首を傾げながらキヴェールの前に立った。俯いたキヴェールの顔を覗き込みながら、ツンツンと指先で鎧をつつく。
「なんだかわかりませんけど、なにかまずいことしたんなら話したほうがいいですよぉ、キヴェールさん」
果たして彼女の追及が訊いたのかは非常にあやしいところだが、キヴェールがずっと噤んでいた口を緩やかに開いた。
「ミロが繁栄するために力を貸してほしい、と。聖騎士に叙任されてから間もない頃、〝ある人〟に声をかけられたのが始まりでした」
いまだに葛藤混じりの声だった。
だが、それでもキヴェールは勇気を振り絞るようにとつとつと話を続ける。
「当時はまだ駆けだしでうまくいかないことばかりで……それでもミロのためと尽くしていました。ですから、その人に声をかけられたときは、これまでの頑張りが認められたのだ、とわたしは喜びました。そして、その人の誘いを受けたのです」
その選択が間違いだった、と言いたげに彼は両手に拳を作っていた。
と、なにやらルグシャラが小首を傾げて唸りはじめる。
「おかしいですね~。わたしはそんなお誘いを受けたことは一度もありませんよ?」
「当然だ。聖騎士の中でもごく一部……秘密を守れるものだけが集められていたのだから」
「あ、たしかにそれじゃわたしは無理ですね。ん~、でも秘密を守らないといけないっていったいどんなことをしていたのですか?」
彼女の純真な疑問が奇しくもこちらがもっとも知りたかったことと繋がった。
キヴェールがなにか恐ろしいものから身を守るように頭を抱えると、唇を震わせながらその言葉を紡いだ。
「聖騎士は……裏でダグライ帝国と手を組み、あちこちで意図的に紛争を起こしていたのですっ!」
ノダスはただ静かにその告白を受け止めた。
動じていないわけではない。
さまざまな感情がいまも胸中を駆け巡っている。
神聖王国ミロとダグライ帝国。
この2国は長く争っていながらまるで疲弊していない。
それどころか繁栄すらしていた。
そこに疑問を感じていたこともあり、もしやという思いがあったが……まさか本当に繋がっていたとは。
どちらも歴史の長い国だ。
おそらく長く続いている関係なのだろう。
キヴェールは呼吸とともに語気を荒げながら、すべてを吐きだすかのようにさらなる真実を明かしていく。
「ダグライ帝国は人体実験をとおして作り上げた戦士の試験運用、そして聖騎士は紛争によって傷を負った者たちをユルト教へと改宗……上手く折り合いをつけ、互いに利権を得てきたのです」
声を抑えることをしていない。
まるで周囲の者に聞かせようとしているようだ。
……いや、実際にそうなのかもしれない。
周囲がざわつきはじめるが、ノダスは構わずにキヴェールへと問いかける。
「キヴェールよ、最後に質問だ。きみに声をかけてきた……そのある人物とはいったい誰なのか、わたしに教えてほしい」
聖騎士の数はそう多くない。
おそらくその人物が聖騎士側の統括者なのだろう。
キヴェールの怯えが見るからに強くなった。だが、すでに踏みだしたこともあってか、彼はゆっくりと顔を上げた。目を一方へと向けながら、震える声でその名を口にする。
「オ、オルティス団長です……!」





