◆第五話『開戦』
恐怖と動揺、困惑の入り混じった声が辺りに響いた。
いったいなにが起こったのか。
頭が理解するよりも早く、アッシュは剣を抜いていた。
襲いくる鈍色の光へと剣を添え、空いた左手を当てて受け止める。が、とてつもない衝撃に足が地面にめり込んだ。全身の骨という骨が悲鳴をあげるように軋む。
振り下ろされたのは小斧。荒い刃の向こう側に映るのは、常人とかけ離れた赤黒い目をした顔。いまも臭ってくる葉を焦がしたようなデモニア特有の臭いからして間違いない。
先日、聖王と一緒にいる際に急襲をしかけてきたダグライ帝国の狂人だ。
周囲を見ればほかにも狂人の姿が映り込んだ。
ざっと見ても20体はいるだろうか。
対して立っている挑戦者は6人。
倒れた挑戦者は7人程度か。
立っている者たちは全員が6等級以上の装備だ。いまも狂人たちに抗っているが、状況は芳しくない。負傷もしているようで血だらけなまま戦っている。
どうしてこんな凄惨な状況になってしまったのか。
攻め立てるように疑問が湧いてくるが、いまはそんなことは二の次だ。
「全員、武器を構えろ!」
アッシュは敵の得物をそらし、体をずらした。小斧の刃が凄まじい音をたててそばの地面にめり込む中、狂人の心臓を貫いた。直後、先日の狂人同様、やはり塔内の魔物のように細かい粒となって消えていく。
「躊躇するな! やらなきゃやられるぞ!」
交戦を開始した仲間たちに声を張り上げながら、次なる狂人へと飛びかかる。
戦闘不能に追いやれば狂人たちは消滅する。
それは〝殺す〟ことになるかもしれないが……正気を失った狂人たちを解放する手立てがない状況だ。戦闘不能に追いやるほかこちらが助かる道はない。
小斧が虚空を斬った音や地面に打ちけられた音が聞こえてくる中、ひと際大きな轟音が辺りに響き渡った。どうやらレオが構えた盾に狂人の小斧が激突した音のようだ。
レオは盾を傾けていなしつつ、剣で一突き。
流れるような動きで敵の心臓を貫いて消滅させる。
「なんて力だ……一撃で腕がしびれそうだよ」
「相手の力は尋常じゃない! まともに撃ち合ってたらこっちの体がイカれるぞ!」
先ほどまで相手にしていた天使に比べれば技量的に大したことはない。ただ、狂人たちが持つ純粋な力だけは決して侮れなかった。それに相手のほうが数は多い。
アッシュは仲間とともに塔を攻略する際と同様に連携しつつ、確実かつ素早く狂人たちを沈めていく。やがて最後の1体を倒し、ようやく静けさを取り戻した。ただ、辺りに飛び散った血もあって光景だけは元通りではない。
「なんなんだよ、こいつら!」
「くそっ、脚をやられた……っ」
「おい、大丈夫か、しっかりしろ!」
ほかの挑戦者たちが崩れるように座り込む。
敵はいなくなったが、事態はまだ混乱したままだ。
「クララ、負傷者の治療を頼む!」
「う、うんっ、任せて!」
そうしてクララが負傷者全員に《サンクチュアリ》を展開、《ヒール》を一斉にかける。
いまだ杖は9等級だが、それでも挑戦者では最高位に当たる回復力だ。みるみるうちに収まっていく傷を見て、負傷者たちが感嘆の声をもらしていた。
辺りに《ヒール》特有の温かく柔らかな光が満ちる中、そばに立ったルナがひそめた声で話しかけてくる。
「アッシュ、これってこの前言ってた」
「ああ、デモニアで狂人化したダグライ帝国の奴らだ」
今後も聖王を狙って襲撃してくる可能性は大いにあるだろう。そう予想はしていたが、まさかここまで大胆な攻撃をしかけてくるとは思いもしなかった。
「助かったぜ。アッシュたちが来てくれなかったらどうなっていたか」
比較的軽傷だった挑戦者の男が声をかけてきた。
彼は《喚く大豚亭》でよく見かける挑戦者だ。
「気にするな。それよりこいつらがいつ来たかわかるか?」
「俺たちもついさっき来たばかりなんだ。そしたら、ほかのチームが倒れててな……」
負傷者の様子からしてそう時間は経っていないと思われる。だが、もっとも気になるのは相手の意図だ。
ここに狂人が襲撃対象としていた聖王はいない。
もし今回襲ってきた狂人たちが〝島のどこかにいる聖王を殺すため〟に送られてきた集団のうちのひとつだったとしたら――。
アッシュは塔のそばへと目を向けた。
そこで何事もなかったかのように立っている青の塔管理人へと声をかける。
「ほかの場所にも狂人たちはいるのか?」
「そのようです」
管理人の返答に、近くで話を聞いていた者たちが揃って息を呑んだ。
……予想どおりだが、あまり的中してほしくはなかった。
「追放はしないの?」
そう疑問の声をあげたのはラピスだ。
彼女は鋭い目つきでさらに話を継ぐ。
「さっきの襲撃者、あなたにも手を出そうとしていたわ。おそらく塔を攻略する気だってないと思う。これまでミルマが追放してきた人たちよりよっぽど追放する理由があると思うのだけど」
その責め立てるような物言いに対して表情を崩さずに無言を貫く管理人。つまりは追放できないということだ。
ラピスが指摘したとおり追放しない理由がない。にもかかわらずなぜミルマたちは狂人を追放しないのか。管理人の様子からして理由を聞いたところで教えてもらえないのだろう。
疑念が深まる一方だが、いまはそれよりも先に気になることがある。
「わかった。せめてほかの場所の状況を詳しく教えてくれないか?」
「……わかりました。各塔も同様に襲撃を受けていますが、このうち赤は《ソレイユ》、白は《レッドファング》、黒は《アルビオン》によって先ほど解放されたようです」
「さすがに対応が早いな。緑は?」
「塔の前は完全に制圧されたようです」
もしかするとどこかのチームがまだ塔内にいるかもしれないが、塔前の広場を制圧された状況ではリフトゲートで帰還した直後を狙われる可能性がある。そのまま戻らずに狩りを続けていてほしいところだ。
ラピスが島の南端にそびえる緑の塔を眺めながら言う。
「上陸が浜辺に限られてるから足がかりにされてそうね」
「ってことはここもまずいな」
島の東端に立つここ青の塔と、南端に立つ緑の塔の間に浜辺は位置している。狂人たちの次なる制圧目標がこの青の塔に設定される可能性は高い。
レオが島の中央をちらりと見やったのち、管理人へと問いかける。
「中央広場の様子は?」
「20人規模で襲撃を受けたようですが、《ファミーユ》の方々の先導でなんとか撃退したようです」
「みんな……っ!」
おそらく仲間の無事も同時に知らせるようなものだったからだろう。自身がマスターを務めるギルドの活躍を聞いて、レオが顔を綻ばせていた。
「にしても話を聞いただけでも何十人って規模じゃないな」
「数百人は上陸してるかもね」
そうルナが敵の大まかな数を予想したところ、レオが険しい表情で頷いた。
「……これは戦争だ」
規模こそ大国の小競り合い程度かもしれない。
ただ、投入された戦力からしてレオの言うとおり戦争と称して間違いないだろう。
そうしてことの大きさを改めて実感したとき――。
「来たぞ! またあいつらだ!」
挑戦者のひとりが声をあげた。
その視線を辿った先、密林地帯のほうから狂人たちがぞろぞろと出てきていた。中央広場から撤退してきたのか、あるいは浜辺側から回り込んできたのか。
と、浜辺側から真っ直ぐに向かってくる狂人たちも見えた。すべてあわせて約50体と先ほどの比ではない。
おそらく50体の狂人が相手でも仲間だけなら無事にやり過ごせるだろう。だが、ほかの挑戦者たちを守りながらとなると難度が上がってくる。四方から襲撃が可能なこの場所だとなおさらだ。
「アッシュくん、中央広場でほかの挑戦者と一旦合流しよう!」
「了解だ!」
レオの提案にそう返しつつ、アッシュは無事な挑戦者たちへと指示を飛ばす。
「狂人の相手は俺たちがする! あんたらは負傷者を運んでくれ!」
「わ、わかった!」
比較的軽傷の挑戦者たちが負傷者たちを担ぎはじめる。
そのさまを横目で確認しつつ、アッシュは塔の管理人へと声をかける。
「ここにいたら危険だ。あんたも一緒にこい」
「……わかりました。ですが、勝手についていきますので気を遣っていただく必要はありません」
わずかな間を置いて管理人もこちらと合流した。
この有事においても危うさという言葉とは無縁とばかりに彼女の足取りはひどく落ちついている。本当に言葉どおり気遣う必要はないのだろう。
アッシュは細めた目で管理人の姿を一瞥したのち、気持ちを切り替えた。仲間とほかの挑戦者たち全員を視界に収めたのち、腹の底から思い切り叫ぶ。
「レオとラピスは先頭を頼む! クララは中衛! ルナは俺と後ろから行くぞ!」
いつもありがとうございます。
ついに書籍版『五つの塔の頂へ』が本日発売となります。
ここまで辿りつけたのは間違いなく読者の皆様のおかげです。
本当にありがとうございます。
書籍版では設定の詳しい補足や書き下ろしエピソード。なにより世界観を感じられる素敵なイラスト有りとWEB版を読んでくださった方でも楽しめる本となっていますので、どうぞよろしくお願いいたします!
筆を乗らせたいので何卒……!





