◆第十五話『求める力は』
どんよりと曇った空の下、連なる黒ずんだ山々。
肌を溶岩がまるで川のように流れ、麓に幾つもの真っ赤な湖を作りだしている。
アッシュは聖騎士2人を連れ、赤の塔31階へと入っていた。
久々に訪れた階層とあって、どこか懐かしさを感じた。ただ、いまは感傷に浸るような気持ちではなく、ただひたすらに目的地を目指して進んだ。
「落ちたら死ぬからな。気をつけろよ」
正規の道から飛び下り、陰となっていた足場に飛び乗った。溶岩流のすぐそばとあって焼けるような熱さに見舞われながら、その場所から続く洞窟内に入る。
肩越しに後ろを確認すると、オルティスが興味深そうに辺りを見回していた。
「……このような場所があったのか」
「なんだ、隠し通路に入ったのは初めてか」
「条件を満たすためにひたすら進んでいたからな」
彼らの目的が塔を昇るためでないことは知っている。
ただ、それでもこの神アイティエルが創りだした塔には様々な驚きが詰め込まれている。もったいないな、というのが本音だった。
「こういった正規の道から外れた先に強い魔物がいるんだ」
「強いっ、魔物っ」
最後尾を歩くルグシャラが興奮した声をあげた。
相変わらず強い相手に目がないようだ。
そこだけは共感が持てるのだが。
と、話しているうちに通路に終わりが見えてきた。
覗き込んだ先に待つのは、試練の間と同等の大きさを持ったごつごつとした岩肌の広間だ。最奥には全長が成人の5倍ほどの岩のゴーレムが片膝をついて構えている。肌にはまるで溶岩を思わせる赤黒い線が血管のように全身へと迸っている。
また成人より少し大きい程度の、同形状のゴーレムが両脇の壁際に5体ずつ並んでいた。最奥のゴーレムに近づくものを阻むように直立して待ち構えている。
「おぉ、本当に強そうです」
中を覗きこんだルグシャラが息を荒くしている。
舌を垂らしたそのさまはまるで餌を前にした動物だ。
「《ラヴァゴーレム》。この等級じゃ、一番面倒な中型レア種って言われてる」
「中型……もっと強いのもいるのですかぁ?」
「ああ。といっても耐久的な面で区分けされてる部分もあるから一概にそうとは言い切れないけどな」
小型や中型でも高い攻撃力を持つものはたくさんいる。
「とりあえずこいつの攻略難度は、6等級の挑戦者が10人揃ってようやく倒せるぐらいだ」
「そんな魔物がどうしてこんなところに?」
「さあな。まあ、そんな感じで等級や階数に似合わないうえに落とすジュリーも多くないから放置されがちでな。こうして大体残ってるんだ」
左右で構える取り巻きたちが非常に硬いうえ、《ラヴァゴーレム》が咆哮をあげるたびに再生する。ゆえになかなか《ラヴァゴーレム》本体に攻撃する隙が作れず、長期戦になりやすい。
そしてもっとも厄介なのが、この出入口の場所だ。広場から跳躍しても届かない高さに位置している。帰還するには中のレア種を討伐し、階段を出現させなければならない。
そうした〝すぐに出られない点〟がこの場所を選んだ大きな理由だった。
「見せる前に幾つか約束をしてほしい」
アッシュは振り返り、オルティスたちに向かった。
兜で隠れて見えない彼らの目を見つめるようにして告げる。
「これから見せることを誰にも言わないでくれ」
「やはり隠しているのだな」
「大っぴらに話すようなものじゃないからな」
「……約束しよう」
「約束しまーす!」
少しの間を置いて頷いたオルティスに続き、ルグシャラが軽い声で応じる。
彼らを本気で信用しているわけではない。
ただ話さなければより面倒なことになるような気がしてならなかった。
「それからもうひとつ。一瞬でもどんなものかを見たらすぐに逃げろ」
「えぇ、戦って試しちゃだめなんですかぁ?」
「死ぬぞ。目が合った奴の命が潰えるまで止まらない」
ルグシャラは言われてもあまり想像ができなかったようだ。納得いかなさそうに首を傾げていたが、相反してオルティスは静かに息を呑んでいた。
「冗談……ではなさそうだな」
「ま、見てもらえばいやでもわかる」
そう、あの力を一目見れば理解できるはずだ。
自分たちがどんな力に手を出そうとしているのかを。
アッシュは自身の握りしめた右手を見やる。
「この力を悪だと思わなければ、それはあんたらの正義が間違ってる。そう断言できる。そしてそんな奴らに俺は力を貸す気はない」
オルティスはなにも言わなかった。
ただこちらに顔を向けつづけているだけだ。
「……終わったら中央広場の噴水で落ち合おう」
そう言い残して、アッシュは広場に飛び下りた。
身を起こすなり、左腕から《アイティエルの鎖》を外した。入手して以来、ずっとつけていたからか。わずかな不安感が押し寄せてくるが、深呼吸をして押し殺した。
ポーチの中に《アイティエルの鎖》をしまう中、《ラヴァゴーレム》たちがのそりと動きだしていた。総勢11体と壮観だが、まるで恐怖を感じなかった。
……いや、恐怖はある。
それは《ラストブレイブ》という負の力に身を任せることだ。
「少しは持ってくれよ」
アッシュはそう呟きながら、長剣を抜いた。
◆◇◆◇◆
オルティスは自身の目を疑った。
これほどか――ッ。
それが《たったひとりの英雄》の力を見た最初の感想だった。
様々な色を持った風がアッシュ・ブレイブから同心円状に噴出したかと思うや、その身が光の膜で包まれた。それからだ。彼がとてつもない力を持って動きだしたのは――。
ただ軽く振っただけでおよそ剣の一撃とは思えない衝撃波が取り巻きの1体を粉砕する。ただ軽く踏み込んだだけで地面が抉れ、地鳴りが響く。人から発せられた力とはとうてい思えない攻撃ばかりだ。
あまりの衝撃に四散した礫が自身の肌を傷つけているが、それすらも一瞬で塞がっている。常時、《ヒール》がかけられているといってもおかしくはない状態だ。
当然ながら《ラヴァゴーレム》を含む魔物すべてがまるで相手になっていない。本来の力を引き出すことすらできていない。
ただ、それでも底の無さを垣間見えることができる。
オルティスはただただ畏怖しか抱けなかった。
あの《ラヴァゴーレム》たちが潰えれば次に殺されるのは自分たちだ。まだ標的とされていないにもかかわらず、そうなる未来が鮮明に想像できる。
「はっ、はっ、はっ……」
ルグシャラが前のめりになって広間を覗き込んでいた。
彼女は強者に挑むことをなによりも喜びとしている。もしかすると好奇心から挑みにいこうとしているのか。一瞬そう思ったが、どうやら違った。
彼女は恐怖しているのだ。
「なにをしている、ルグシャラッ!」
すでに《ラヴァゴーレム》の取り巻きが残り1体となっていた。何度も再生しているが、完全に追いついていない。もう時間がない。
死が近づいている。
そう実感したときには、オルティスはすでに拳を振り上げていた。
「ルグシャラッ!」
彼女の兜を力の限り殴りつけた。
鈍い衝突音ののち、がしゃんと騒がしい音が響く。
「走れぇッ!」
これで立ち上がらなければ置いていくことも厭わないつもりだったが、ルグシャラは弾かれたように立ち上がった。まろぶような走り出しから全力で腕を振りはじめる。
オルティスも死に物狂いで走り、あとに続いた。
音が聞こえなくなった。
ついに《ラヴァゴーレム》が蹂躙されたか。
背後を確認する余裕はない。
その勇気もない。
ただ、いまの自分にできるのは前を向いて走ることだけだ。
彼が言っていたとおりだ。
オルティスは乾いた笑みを浮かべながら心の中で叫ぶ。
――あれは……あれは間違いなく悪魔の力だッ!
◆◇◆◇◆
中央広場に戻ったときには、すでに多くの店が閉まっていた。開いているのは《喚く大豚亭》ぐらいか。おかげで建物からもれた灯も少なく、暗がりばかりが辺りに広がっている。
噴水広場で待機するオルティスたちの姿を確認できた。2人とも兜を外し、噴水の縁に腰掛けている。
「待たせたな」
そう声をかけた瞬間、ルグシャラが「ひっ」と短い悲鳴をもらした。立ち上がり、よろめくようにして転ぶと、近くに置いていた兜をたぐりよせて被った。
狂気に満ちた普段の姿はない。
ただの怯える子どもだ。
「まさかルグシャラがここまで怯えるとはな。だが、正直わたしも同じような気持ちだ」
オルティスがすっくと立ち上がり、神妙な顔を向けてくる。
「いま、こうしてきみを前にしているだけでもあの光景が脳裏に蘇り、恐怖となって全身に押し寄せてくる。情けないことに立っているだけで精一杯だ」
誇張でもなんでもなく、オルティスの脚は震えていた。
いまいちどルグシャラの様子を見たのち、アッシュは眉尻を下げながら肩を竦める。
「俺があまり公にしてない理由のひとつだ」
「……よく理解できた。そして不快な思いをしてまで我々に力を見せてくれたこと、感謝する」
「こうでもしないとなんかやらかしそうだしな」
アッシュは冗談交じりに告げつつも、本気で疑っていたことを目で訴えた。
対するオルティスはじっと見返してきたのち、目を伏せた。こちらの疑念にはいっさい触れず、彼は話を戻す。
「たしかにあの力はミロには相応しくないものだ。残念だが……我々が求める力ではなかった、と聖下にはわたしから報告しよう」
「そうしてくれ。ま、たとえあんたらが求めるものだったとしても俺は協力するつもりはなかったけどな」
オルティスが反応に困ったような顔を見せた、そのときだった。
「そこの彼が英雄なのか。オルティス」
聞こえてきた声に、オルティスが驚愕したようにまぶたを跳ね上げた。
「なぜこのような場所に……」
彼の視線を追って、アッシュは振り向く。
と、3つの人影が映り込んだ。
1人は小柄で耳と長い尻尾が見える。
と思っていたら、シャオだ。
ただあとの2人は見たことがない。
1人はとても挑戦者には見えないほど老けた禿頭の男だ。なにやら簡素ながらひどくなめらかな白基調のローブに身を包んでいる。
もう1人はオルティスたちと同じ聖騎士の格好をしている。兜つきの鎧のせいでどんな顔をしているのかがまるでわからない。
「おい、誰なんだ?」
アッシュはいまいちど視線を戻し、オルティスに問いかける。と、彼はいまだ混乱した様子のまま、喉からひねり出すようにしてその名を口にした。
「……我らがミロの聖王、ノダス・サリュアンゼ様だ」





