◆第六話『幽霊狩り』
翌朝、アッシュは食事前にウォレスの部屋を訪れた。
昨日と同じく彼はベッドの上で寝たままだ。
ただ、その顔はすっきりとしている。
「調子はどうだ?」
「おかげで随分と良くなりました」
「それは良かった」
会話が途切れた。
気まずいわけでもない、不思議で静かな時間が続く。
アッシュはじっとウォレスを見つめた。
老体に似つかわしくない雄雄しい体つきだ。
昔はかなりの強者だったに違いない。
だが、いまの彼からは多くの生気が抜け落ちている。
おそらくジュラル島へと来る際に、戦士として最期を終えたのだろう。
「わたしが人質にされるかもしれない。そうお考えなのですな」
「……顔に出てたか?」
「姫はあなたを信頼しているようだった。そのようなお方なら、と」
これだから年を重ねた相手は苦手だ。
どれだけ肉体を鍛えようとも、心ではまだまだ若輩者だと思い知らされる。
「ご心配なさらずとも奴らはわたしが死んだものと思っているでしょう。それにもしもの場合、このウォレス。自ら命を絶つ覚悟はできております」
「大した忠義だことで」
「忠義とはまた違うかもしれませぬがな」
ウォレスは皺を深めながら、穏やかに微笑む。
その目は、まるで親が子を見るようなものだった。
ふいに扉が開けられた。
中に入ってきたのはクララだ。
「アッシュくん……どうしたの?」
「いや、ちょっと話してただけだ」
「……なんか怪しい」
彼女が怪訝な目を向けてくる。
あまり彼女には聞かせたくない話だ。
どう躱したものかと悩んでいると、ウォレスが助け舟を出してくれた。
「姫の昔話をしていたのですよ。姫が6歳の頃、屋敷でかくれんぼしたはいいものの、一向にわたしを見つけられず大泣き――」
「ちょ、ちょっとやめてよ! あれは2人だけの秘密だって言ってたじゃん!」
なかなか面白いものが乗った助け舟だ。
こっそり笑っていると、クララからぎりっと鋭い目を向けられた。
「アッシュくん、いまの忘れて!」
「仲間に内緒にするのは良くないと思うぜ。おい、ルナー!」
「わー、わーっ! だめ、だめっ! 絶対だめー!」
喚くクララをよそに、アッシュはウォレスと目で笑い合った。
「じゃあ俺は部屋に戻ってるぜ。またあとでな」
そう言い残して部屋をあとにした。
廊下でひとりになってから長めに息を吐く。
いくらウォレス自身が問題ないと言ったところで、その命が落ちればクララの心に傷が残ることは間違いない。
やはりここは対策しておくべきだろう。
そう決めるやいなや、1階へと向かった。
受付台から奥を覗くと、ブランの後ろ姿が見えた。
忙しなく朝飯の準備をしている。
「ブランさん、ちょっと頼みがあるんだがいいか」
「また扉を壊す気かい」
「あ~……そうならないためにも協力して欲しいんだ」
ブランが包丁を片手に持ったまま振り向く。
「言ってみな」
「上のおっさんいるだろ。あの人をベヌスの館で保護できないか訊いてもらいたいんだ。ほら、ミルマの通信で」
言って、アッシュは耳を表すよう両手を頭に置いた。
と、ブランの顔が見る間に険しくなる。
「ふざけるんじゃないよ。ベヌス様がそんなことを許すわけがないだろう」
「そこをなんとかっ」
両手を合わせて頼み込む。
だが、一向に返事は来ない。
「アッシュっ!」
唐突に2階のほうからルナの声が聞こえてきた。
かと思うや、緑の宝石が降ってきたので慌てて掴んだ。
見上げた先、2階の縁から乗り出したルナがウインクしている。
「使って!」
「……助かる!」
アッシュはすかさず受付台にジュリーを置いた。
直後、ブランの目が変わった。
どうやら正解だったらしい。
ブランは静かに包丁を置くと、ジュリーを回収しにきた。
そそくさとポケットにしまい込んだあと、念を押すように言ってくる。
「訊いてみるだけだよ」
「ああ、それで構わない」
ふんっ、とブランは鼻を鳴らして部屋の隅へと向かった。
手を耳に当てて話しはじめる。
「あ~、いまちょっといいかい。ベヌス様に確認を取ってもらいたいことがあるんだ。実はね――」
しばらくして、ブランは頭から手を下ろした。
どうやら話を終えたらしく、受付台に戻ってくる。
「あたしはいままで生きてきて一番驚いているよ」
いったい結果はどうなったのか。
はやる気持ちを抑えながら答えを待っていると、ブランが困惑気味に口を開いた。
「許可が下りた」
◆◆◆◆◆
ベヌスの館をあとにし、通りへと出る。
いましがたウォレスを保護してもらったところだった。
「まさかこんなあっさりいくとはなー」
「ボクも意外だったよ。基本的にミルマは挑戦者同士の争いには干渉しないからね」
「たまたま気が向いたのかもな」
「だとしたら運が良かったってことだ」
なにはともあれ、これで憂いはなくなった。
と思いきや、不安そうな顔で館を見つめるクララが目に入る。
「さすがにここに手を出すことはないだろ」
「うん。あたしもそう思うけど……」
「それにウルが言ってたろ。任せろって」
ウォレスの世話役はなんとウルだった。
自ら買って出たと言い張っていたが、いつも雑用を任せられている彼女のことだ。大方、押し付けられた形になったのだろう。
申し訳ない気持ちはあったが、彼女なら安心して任せられる。
運んだ食事を落としたり掃除器具を散らかしたり、と持ち前のドジで多少なりとも迷惑はかけるかもしれないが。
「さて、これからどうするかだ」
普段の出発時間よりも大幅に遅れてはいるものの、まだ朝と言える時間だ。
「警戒してずっと広場にいるってわけにもいかないしね」
「うん、生活費がなくなっちゃう」
クララが平然と言った。
なんとも生々しい表現だ。
「ま、充分に警戒しながら塔にでも行くか」
「何色にするの?」
クララに訊かれる。
アッシュは通りの真ん中まで行き、ぐるりと四方を見回した。島の外縁にそびえる塔をひとつずつたしかめながら、ピンと来たところで止まる。
「黒の塔とか」
島の北側。
白の塔と並ぶような形で建っている塔だ。
クララが「えぇっ」と驚きの声をあげた。
その顔は反対と言わんばかりに引きつっている。
「みんな白と黒はやめとけって言うだろ。けど、一度も見てない俺からすればなんでだよってなるわけだよ」
「で、でも黒の塔って幽霊が出るんだよ……」
どうやらそれが理由のようだ。
「クララも《青塔の地縛霊》って言われてるしなにも怖がることないだろ」
「それとこれとはべつだよっ。っていうか、その名前もう忘れてよー!」
そうしてクララが抗議してくる中、ルナがなにやら「うん」と頷いた。
「いいかもね、黒の塔」
「お、ルナは話がわかるな」
「えぇ、ルナさんまでー……」
裏切られたと拗ねるクララに、ルナが苦笑しながら弁明する。
「無茶しなければ、なんとかなると思うし」
「どのみち今日はあんまり時間もないしな。様子見がてらって感じで行こうぜ」
せいぜい昇れても5階ぐらいだろう。
それぐらいなら大した危険にも遭遇しないはずだ。
しばらくの間、クララは「うぅ~」と唸っていたが、やがて諦めたように息を吐いた。
「……2人がそう言うなら」
◆◆◆◆◆
ということで早速、黒の塔へとやってきた。
遠くからではわからなかったが、塔前の広場まで来ると視界が霧で覆われた。これで荒廃した土地に墓場でもあれば、いかにも幽霊が出そうな場所といった感じだ。
入口の門をくぐると、塔お馴染みの広場へ。
さらに最初の部屋で待つゴブリン集団を排除し、通路を進んでいく。
「ここまではほかと同じだな」
「ねえ、もう帰ろうよ~……」
「なに言ってんだ。まだ入ったばっかだろ」
泣き言を口にするクララを無視して歩を早めた、そのとき。
「うぉっ」
急に足が重くなった。
見下ろすと、うっすらと透けた人の手が床から無数に伸びていた。足を動かせなくはないが、掴んだり引っ張ったりと邪魔をしてくるせいでひどく動きにくい。
なんだこれは――。
「アッシュくん、前!」
クララの声で顔を上げた。
途端、目と口らしき黒点がついた、人魂のようなものが視界に映り込んだ。ひょろろろ、と耳障りな音を出しながら人魂が突っ込んでくる。
とっさにソードブレイカーを当てようとするが――。
「属性つきの武器じゃないと当たらないよっ」
ルナの忠告を受けて瞬時にスティレットを前へと出した。目の前まで迫った人魂の額へと押し込む。と、人魂は耳をつんざくような声をあげ、空気に溶けるようにして消えていった。あわせて足場に群がっていた人の手も消滅する。
「……なんだいまのは」
「ゴーストだよ」
初めて見る魔物だった。
アッシュはわずかに上がった心拍数を抑えるため、ゆっくりと息を吸って吐いた。
「黒の塔の難度が高いのは、さっきみたいに妨害魔法を使ってくる敵がいるからなんだ。ちなみにさっきのは相手の移動速度を遅くする《ゴーストハンド》っていう魔法ね」
「そのままだな」
速度低下の魔法は厄介だ。
しかし、それと同じぐらい属性つきの武器でなければ攻撃が当たらないのも面倒だ。
「あいつらに魔法は効くのか?」
「うん、むしろ魔法のほうが有効だね」
ルナが答えてくれる。
つまり――。
「じゃあゴーストの処理はクララに任せることになりそうだな」
「む、無理だよ。あたし幽霊お断り!」
「頼りにしてるぜ、先輩」
「せんぱい……っ!」
クララははっとなると、恐怖に歪めていた顔を凛々しいものへと変えた。
杖を握りながら、力強く頷く。
「ま、任せて!」
震える声は隠せていないが……。
やる気が出たようでなによりだ。
「そうだ、クララ。前から気になってたんだけど、ストックって知ってる?」
「す、すとっく……?」
ルナの質問に、クララが眉根を寄せながら応じる。
どうやら知らないらしい。
「魔法を発動させたまま置いておく方法だよ。それを使えば一度に複数の魔法を放出できるんだ。たとえばクララのウインドアローなら2本以上を放てるってわけ」
「そんなことできるの?」
うん、とルナは頷いて話を続ける。
「ボクは使ったことないから見たり聞いたりでしか知らないんだけど……幾つかの魔法は発動と発射の2段階にわかれているんだ。ただ、大抵の場合、無意識にそれらを纏めて行ってしまうみたいでね」
「つまり、それを2つに切り離して考えればいいってことかな」
「そういうこと」
ルナの話を聞いて、クララは大いに興味を持ったようだ。
ウインドアローの魔石がはまった腕輪をじーっと見ている。
「試しにやってみたらどうだ?」
「うん。えっと……出すときはフンッて感じで、放つときはハッて感じだから……」
なにやらわけのわからないことをブツブツと言いながら、クララは右手を前に突き出す。
「フンッ……フンッ!」
その声に応じるようウインドアローが1本。
さらにもう1本、すぅと空中に出現した。
どちらも飛んでいくことなく、クララのそばで浮いている。
「で、できちゃった」
クララは目をぱちくりとしながら乾いた笑みを浮かべる。
どうやら一番本人が驚いているようだった。
「次は発射だな」
「それは簡単そう」
言葉通りのようで2本のウインドアローはあっさりと放たれた。
と、ちょうど進路上にフラッとゴーストが現れた。
1本目が突き刺さり、追い討ちとばかりに2本目が命中する。
奇声をあげながら地面に落ちたゴーストが天へと昇るようにして消えていく。
「お見事」
そう感嘆しながら、ルナが拍手する。
アッシュもまた同じ気持ちだった。
「ほんと魔法のほうは才能に溢れてるな」
「そ、そんなに褒めないでよ。照れるじゃんー……って、ん? 魔法のほうは?」
「さあ、次だ。次に行くぞ」
「ちょっとアッシュくん! 話があるよっ!」
逃げようとしたところで、すかさず腕を掴まれた。
こういうときだけは機敏だから困る。
降参のポーズを取って振り返ったとき、ルナが「あっ」と声をあげた。
「言い忘れてたけど、維持中にも魔力は消費するらしいからあまり多くはストックしないようにね」
「あたし魔力の量だけは自信あるから大丈夫っ」
「いくら自信があっても無限ってことはないんだから無理するなよ」
「うぐっ……はーい……」
クララが少し拗ねたように返事をする。
と、なにやらルナがクスクスと笑っていた。
「なんだかアッシュ、クララのお母さんみたいだね」
「お母さんって、せいぜい兄貴だろ」
「でも世話焼きなところがね」
言われてみて、たしかにそうかもしれないと思った。
放っておいたらなにをするかわからない。
そんな危うさがあるせいで、ついつい過剰に注意を払ってしまうのだ。
「……お母さん」
と、クララがこちらをじっと見てくる。
先の「お母さん」は、まるで噛みしめるような言い方だった。
クララは幼い頃に母親を亡くしている。
なにか思うところがあったのだろう。
ルナもそれに気づいたか、ばつが悪そうだった。
「ごめん。べつにそういうつもりじゃなくて……」
「あ、ううん。べつに気にしてないよ。もう割り切ってるしね」
本当に気にしていないようで、あっけらかんとしている。そればかりか、なにやらべつに気になることがあるようでうんうんと唸っていた。
「でも、アッシュくんがお母さんだと……ルナさんがお父さん?」
「せめて逆だろ」
ルナは男っぽい喋り方だが、紛れもなく女だ。
この場合、彼女こそが母親に相応しい。
などと心の中で訂正していると、クララが弾んだ足取りで先頭を進みはじめた。
「行くよ。お父さん、お母さん! まだまだ先は長いからね!」
「おい、ちゃんと前見て進めよ!」
「大丈夫だよ。さっき片付けたばっかりだし――」
と言っているそばから、彼女の眼前へと右壁からゴーストがぬっと現れた。
あまりの恐怖や驚きからか。
クララは一瞬硬直したあと――。
「いゃぁああああああッ!」
大声で泣き喚きながら全力疾走で戻ってきた。
アッシュはルナと顔を見合わせながら、やれやれと首を振る。
「騒がしい娘を持ったね」
「まったくだ」