◆第十一話『シビラと2人きりの飲み会』
「遅くなってすまない」
「いや、ちびちび飲んでたから気にしなくていい」
頼んでいた2杯目のエールが届いたところでシビラが到着した。
彼女は果実酒を店員に頼みつつ対面の席につくと、ふぅと息をつく。ギルド本部へ向かう際に《ゆらぎの刃》を使っていたことから容易に想像できるが、どうやら急いできてくれたようだ。
店員が去り、2人きりになった。《プルクーラ》は個室仕様なので周囲の客の声は聞こえるものの、人の目は断たれている。落ちついて飲むにはもってこいの場所だ。
「倒れた奴は無事だったか?」
「誰かが夜の警邏をするときは、基本的に本部にヒーラー1人を待機させるようにしているからな。戻ったときにはすぐにでも戦闘できる程度には回復していた」
「ならよかった」
「まあ、彼女が手加減をしていたのが大きいかもしれないが」
シビラが安堵と困惑の入り混じった複雑な顔を見せた。
手合わせをしてルグシャラの実力を把握したからこそ、手加減をしたことがよくわかったのだろう。ただギルドメンバーを傷つけられたことには変わりない。
その辺りが胸中でせめぎ合っているといったところか。
「ま、今回の件で大人しくはなるだろ」
「だといいのだが。なかなか癖の強い人間だからな」
「ジグラノといい勝負か」
「難しい問題だ。結局、わたしはそれほどジグラノと関わってはいなかったからな。彼女という人間を本当の意味で理解していたとは言えない」
「たくさん絡まれてはいたようだけどな」
こちらの冗談交じりの言葉に、シビラがまなじりを下げながらふっと笑った。それから彼女はどこか遠い目をしながらぼそりと呟く。
「彼女はいま、どこでなにをしているのだろうか」
「さあな。ミルマはあいつらをどうしたかはっきり教えてくれないからな。まっ、元気にやってんじゃないか。大好きなニゲルと一緒にいるんだろうしな」
「……そうだとしたらわたしも嬉しい」
言って、シビラは柔らかく微笑む。
敵対した仲だというのに本当に優しい人間だ。
話しているうちにシビラの頼んだ果実酒が運ばれてきた。
互いのカップを打ちつけて乾杯。アッシュはお預けにしていたエールをごくごくと飲んだ。カップを置いたのち、気になっていたことを口にする。
「そういや最近チームのほうはどうなんだ? 70階も突破したし、勢いづいてるだろ」
「突破したと言っても赤の塔だけだからな。ほかの塔はまだだし、白と黒にいたっては60階以下だ」
「ってもすぐに突破できるだろ」
「もとの装備に戻せたからな。おそらく問題なくいけるはずだ」
シビラが感慨深そうに自分の体を見下ろした。彼女の身は混じりけのない白を基調にし、燃えるような赤で彩られた防具で守られている。
「低層の装備姿も新鮮だったが、やっぱシビラには《ソル》シリーズだな」
「そう言ってもらえるのは嬉しいが……個人的にはそろそろ新しい装備を着てみたいところだ」
明らかに80階突破を意識したものだ。
その証拠にシビラは挑戦的な顔を見せていた。
「突破できそうか?」
「できる」
即答だった。
シビラは過去にニゲルのチームで80階を突破したことがある。だからこそここまで断言できるのだろう。
「オルヴィは普段こそあれだが、戦闘となればとても落ち着いていてほぼ失敗をしない。技量だけでいえば間違いなく世界屈指のヒーラーだろう。ドーリエはあの恵まれた肉体もあって盾役として十二分の働きをしてくれている。いや、それ以上の仕事をしてくれているな」
「並の火力じゃないもんな」
「ああ。彼女に預けていた敵がいつの間にか倒れている、なんてことも珍しくない」
オルヴィとドーリエのことを褒め称えるシビラ。
その顔は少し興奮気味でどこか楽しそうだ。
「そしてなによりヴァネッサだ。彼女は実力はもちろん、その泰然とした存在感がチームに絶対的な安定をもたらしている」
「なかなか動じないからな、ヴァネッサの奴」
「ああ、本当に助かっている。わたしも見習いたいと思うほどだ」
言って、シビラはカップに入った果実酒を眺めながら柔らかな笑みをこぼした。
「……上手くやれてるみたいだな。最初はどうかと思ったが」
「それについてはわたしもだ。ただいまは彼女たちと組めたことに心から感謝している。いまのチームならきっと80階を突破するだけでなく、もっと先へ辿りつけるはずだ」
強い意志と確信の入り混じった彼女の言葉は、聞いているこちらも高揚するほど心地良いものだった。アッシュは勝ち気な笑みで応じたのち、気持ちを諌めんとエールをごくっと多めに喉へと流した。
こちらがふぅと呼気をもらしたのを見計らい、シビラが問いかけてくる。
「アッシュたちはどうなんだ? 長らく91階で止まってるようだが」
「笑えるぐらい苦戦してるぜ。今日もボロボロになって帰ってきたしな」
また大きな壁にぶちあたったところだった。ただ、装備の強化さえすればまだ進めることがわかった。それだけでも大きな進歩だ。
ゆえに悲観はまったくしていないことを伝えたつもりだが、思いに反して暗い空気が漂いはじめた。シビラが顔を翳らせながらしんみりと言う。
「ときどき思う。本当にわたしもそこに辿りつけるのか、と」
「……あんま無責任なことは言えないからな。もし言えるとすれば、自分がいけるって思ってなきゃいけるもんもいけなくなるってことだ」
上ばかり見ていれば足をすくわれることはあるだろう。ただ、それでも上を見続けなければ進めない。塔の頂は、きっとそんな場所だ。
「9等級、入口は見てるんだよな」
「あ、ああ。天使だらけで進めなかったが」
「進むと楽しいぜ。入口以上にうじゃうじゃと天使たちがいるからな。もちろんその先の10等級だってきっつい敵と仕掛けがたんまりだ。あれをどう攻略するのか。考えただけでもわくわくしてくるぜ」
始めのうちは攻略の楽しさをわかってほしいという思いからだった。ただ、気づけば興奮してしまい、自分勝手にべらべらと喋ってしまっていた。
しまったな、と冷静になってシビラの顔を見やる。
と、彼女はじっとこちらを見ながら微笑んでいた。
「やっぱりわたしはきみが好きみたいだ」
「……いきなりだな」
あまりに突然で思わず目を瞬いてしまった。
ただ、シビラも意図して発した言葉ではないようだった。しまったとばかりに顔を真っ赤にさせている。
そんな中、個室と通路を仕切るすだれに小柄な人影が映り込んでいた。ぴくぴくと動く耳に加え、うねる長い尻尾が見える。店員のミルマだ。
「ごごごごごめんなさいっ! シャオ、とんでもないタイミングで前をとおってしまいました……っ!」
影の形から予想はしていたが、やはりシャオだった。彼女はなんでも屋――ではなく案内人として仕事をまっとうしているようだ。
「あ、いやっ。いまのは違うんだ! いや、違わないがっ!」
シビラがなおも顔を赤らめたまま慌てふためく中、アッシュはすだれを腕で持ち上げた。その先でシビラと同じぐらい顔を赤くしたシャオへと空になったカップを手渡す。
「もう一杯頼む。どうやら俺はいますぐに記憶を消さないといけないらしいからな」
「わたしもだ! わたしももう1杯――いや、2杯まとめてくれ!」
「か、かしこまりましたっ」
シャオが逃げるように慌てて去っていく。
再び2人だけの空間となった中、シビラが居心地が悪そうに目をそらし、もぞもぞとしはじめた。かと思うや、なにやら意を決したように告げてくる。
「さ、先ほどのことっ! べ、べつに忘れなくても構わない……もう、わたしの気持ちは知られているのだからな……」
「じゃ、もっかい乾杯するとするか」
なにに乾杯するのか、とばかりにシビラが軽く首を傾げた。
アッシュは口の端を吊り上げながら言う。
「シビラたちが80階を突破したときの前祝いだ」
彼女たちが成し遂げることをいっさい疑っていない。
その思いが伝わったか、シビラがふっと笑みをこぼした。
「これはいよいよもってあとには引けなくなったな」
「もとからそんなつもりはないだろ」
「ああ、もちろんだ」
そこにはもう取り乱した少女のような姿はない。
立ちはだかる壁を前に怖気づく戦士の姿もない。
あるのはただ自信に満ちあふれたシビラという挑戦者の姿だけだ。
と、廊下から慌しい足音が聞こえてきた。すだれが勢いよく持ち上げられたかと思うや、目にも留まらぬ速さでエールと果実酒入りのカップがテーブルに置かれる。
「お待たせしましたぁっ! どうぞごゆっくりっ!」
礼を言う暇すらなく、シャオはすだれを下ろして去っていく。そのあまりの早さにアッシュはシビラとともに唖然としてしまう。
「こんなに早くきたのは初めてだな」
「ああ、わたしもだ」
互いに苦笑しつつカップを握った。
目の高さで掲げながら視線を交差させる。
「シビラチームの80階突破を――いや、成功を祝して」
「……ならばこちらもだ。アッシュチームの成功を祝して」
言い換えたのは80階で終わるなという意味からだ。それを瞬時に汲み取ったシビラもまた発破をかけてくれた。戦闘さながらの一瞬の攻防のち――。
乾杯、と木造のカップをかち合わせた。





