◆第十話『愛の探求』
よほど悔しかったのか。
ルグシャラがガンガンと地面に頭突きをかまし、声にもならない声で喚きはじめた。
彼女の奇行はいまに始まったことではない。
呆れつつ放置していたが──。
なにを思ったか、彼女は流れるように兜を脱ぎ捨て、そのまま頭突きを再開しようとした。ふたつに結われた長い髪が踊る中、アッシュは慌てて距離を詰め、その小さな額に手のひらを押し当てる。
思いのほか力が強く押し込まれたが、地面すれすれのところで止めることができた。
ルグシャラが目だけをぐりっと動かして睨んでくる。
「止めないでください」
「ただの怪我ですまないぞ」
「頭の硬さには自信があります」
「いくら硬くても限度があるだろ。俺と再戦する約束、果たせなくなってもいいのか?」
「それはいやです。なのでやめます」
あっさりと言うことを聞いてくれた。
ルグシャラは上半身を起こすと、わずかに汗でしめった前髪をつまんでいじりはじめる。
情緒不安定だが、素直な一面も持っている。
なんだか幼い子どもを相手にしている感覚に近い。
凶暴さに関しては似ても似つかないが。
「約束だ。今後は無差別に決闘を挑まないようにしろ」
歩み寄ってきたシビラが言い放った。
ルグシャラがむっと頬を膨らましながらシビラを睨む。
「負けたらなんでもするって約束でしたからね。ルグシャラちゃんは嘘をつかないんですよ。でも、相手がいいって言ったらいいですよね?」
「だめだ。それではこれまでと変わらないだろう」
「えぇ、それじゃ闘えないじゃないですかぁ。どうするんですか!」
「どうもしない。むやみに闘わないのが普通だ」
取りつく島もなく、がくりと項垂れるルグシャラ。
だが、なにかを思いついたように口の端を吊り上げた。
「じゃあじゃあ、相手からしかけてきたときは? これもだめだったらただ痛ぶられるだけになっちゃいますけど」
「そ、そのときはしかたない」
「やったぁ。じゃあ、どうにかして挑発して、相手から挑ませればいいんですね」
「待て、自分から敵対する行動は禁止だ!」
「なんでも禁止禁止! これじゃもう生きていーけーまーせーんーっ!」
その場に仰向けに寝転んだかと思うや、両手両足をばたつかせる。
やはり幼い子どもそのものだ。
と、ルグシャラの騒がしい声に紛れ、中央広場側から足音が近づいてきた。ひとり先に足音の主を目にしたルグシャラが「げぇ~」と口にする。
振り返った先、そこに立っていたのは聖騎士のオルティスだった。
ルグシャラとは違って初めから兜を被っていない。
おかげで彼の険しい表情をはっきりと窺うことができた。
「いなくなったと思ったら……こんなところにいたのか」
そう口にした彼は、転がった兜に刻まれた傷を見て大きなため息をついた。
「昔からルグシャラは誰彼構わず決闘をしかける癖……いや、習性があってな。なるべく目を離さないようにはしていたのだが、迷惑をかけて申し訳ない」
「ま、夜もってのはなかなか難しいよな」
オルティスが癖を習性と言い直したことも頷けるほどルグシャラの行動は動物的だ。しかし、それでも女性であることは事実。常に監視することに抵抗があるのも無理はなかった。
シビラが納得したようにルグシャラを見やる。
「もしかして夜に活動してたのは……」
「はい、オルティス団長の目から逃れるためですぅ。団長の監視、かなーりがばがばなんでいつも余裕で抜け出してましたっ」
なんとも言えない顔で目を伏せるオルティス。
どうやら思った以上に苦労しているようだ。
「そ・れ・よ・り! ジグラノさんのお話をたくさん聞かせてくださいー!」
ルグシャラが跳ね起きるなりシビラにぐいぐいと詰め寄った。おもちゃを前にした子どものように目をきらきらと輝かせている。そのあまりの変貌ぶりにシビラもたじたじと言った様子だ。
「か、構わないが……ただ、わたしは彼女とそれほど仲がよかったわけでは――」
「どんな些細なことでもいいんです! どこに住んでたとか、なにをよく食べてたとかー。あとあと、おといれに1日何回行ってたとか!」
「ちょ、ちょっと待ってくれ。そんなに幾つも質問されても困る。というよりトイレの回数なんてわたしが知るわけないだろうっ」
自重を知らないルグシャラを諌めつつ、シビラがひとつずつ応対していく。顔を合わせた当初からは考えられない光景だ。
そんな2人を横目に見つつ、アッシュはオルティスへと話しかける。
「ルグシャラの奴、ジグラノと仲良かったのか?」
「いや。それどころか一度も顔を合わせたことはない」
「じゃあどうしてあんなに興味津々なんだ?」
オルティスはルグシャラのほうをじっと見たのち、静かに口を開いた。
「ルグシャラはジグラノに憧れて聖騎士に入ってきたのだ。ちょうど入れ違いでジグラノがミロを出ていってしまったがな」
「……そういうことか」
理由を聞いて納得がいった。
ジグラノと同じく双剣を使っているのも、おそらく憧れからだろう。
「っても性格まで真似する必要はないだろ」
「なにを言っている? 2人はまるで違うだろう」
「いや、そっくりだろ。好戦的なところとかとくにな」
理解できないとばかりに怪訝な目を向けられた。
「彼女ほど清廉で母性にあふれる女性はいなかった。きみが言っているのは本当に同じ人物なのか?」
「聖騎士に同名がいないならそうなんじゃないか」
どうやらいないようで押し黙った。
しかし、彼の中にある像とまったく違うようで理解を拒んでいるようだ。
「にしてもやけにむきになってたが、もしかしてジグラノのことが好きなのか?」
そう問いかけたところ、屈強な戦士に似つかわしくない照れを見せられた。冗談のつもりだったが、どうやら本当に惚れていたらしい。
「実のところ、わたしは彼女の行方も探りにきたのだ。もしなにか知っていることがあれば教えてもらえないだろうか」
「あ~、言いにくいがジグラノは島を追い出されたぞ。男と2人でな」
「な、なんだと……」
愕然としつつも、まだ彼の瞳に光は残っていた。
その光にすがるよう、恐る恐る問いかけてくる。
「ふ、2人の関係は……?」
「男のほうは知らないが、ジグラノのほうは明らかに好意を持ってたな」
気遣って濁すことも考えたが、それはそれで酷だと思って正直に話した。
予想どおりというべきか。
オルティスが崩れ落ち、がくりとうな垂れる。
「……そうか。彼女は愛を見つけたということか」
ただ、彼はすぐに清々しい笑みを浮かべていた。
きっと胸中では祝福の言葉を紡いでいるに違いない。
「愛を見つければわたしもジグラノさんみたいに強くなれるんですかぁ?」
話が聞こえていたらしく、いつの間にやらルグシャラの興味が〝愛〟に移っていた。オルティスに「ねえ、教えてください~!」と執拗に何度も質問している。いましがた愛を実らせることのできなかった相手に対して凄まじい追い討ちだ。
「あ、愛は強くなるために見つけるものではない」
そんな照れつつも力強い声を発したのはシビラだ。
ルグシャラがきょとんとしながら、オルティスから離れた。かと思うや、今度はシビラに詰め寄ってくりくりとした目で問いかける。
「じゃあなんでジグラノさんは愛を見つけたんですか?」
「そ、そもそも愛は見つけようとして見つかるものではないっ。……いずれ、きさま──きみにもわかるはずだ」
「ふーん」
理解することをやめたか、あるいは興味を失ったか。
ようやくルグシャラが大人しくなった。
それを機にオルティスが立ち上がり、こちらに背を向ける。
「帰るぞ、ルグシャラ」
「えぇ、もう少し外にいましょうよぉ」
「明日も朝早いぞ。また引きずられて塔まで行きたいのか」
「……それはいやです」
渋々とオルティスに続いて背を向けるルグシャラ。
そんな2人の聖騎士たちに、ふと気になったことを口にする。
「そういや塔はどこまで昇ったんだ? 武器を見るに10階は越してるみたいだが」
「赤の塔15階を突破したところでぇ~すっ」
「さすがに早いな」
「我々にはなすべきことがあるからな」
そう肩越しに言い残したオルティスの顔は、先ほどまで失恋で落ち込んでいたとは思えないほど凛々しかった。聖騎士としてただ役割を真っ当することだけを考えている顔だ。
聖騎士たちが去り、ようやく夜の静けさを感じられるようになった。
シビラがこちらに向きなおり、軽く目を伏せる。
「巻き込んですまない、アッシュ」
「ついてきたいって言ったのはこっちだから気にしないでくれ。それよりこのあとはなにか予定あるのか?」
「ギルドの本部に戻って先ほど倒れたメンバーの様子を確認するつもりだが……そのあとはとくに。どうかしたのか?」
「いや、もともとどっかで飲もうと思って出てきたからさ。ちょうどいいし、付き合ってくれないかと思って――」
「喜んで付き合おう!」
食い気味の返答だった。
了承してもらえたのはありがたいが、予想外の反応に思わず目を瞬いてしまう。
そんなこちらの反応を見てはっとなったシビラは羞恥心を感じたようで誤魔化すようにこほんと咳を打った。
「そうと決まれば早速本部に戻らなければ……アッシュ、すまないが先に店に入っていてくれないか」
「じゃあ、《プルクーラ》で待ってるぜ」
「了解だ。では急いで行ってくる……っ!」
シビラはなにを思ったか、剣を抜いて虚空を一閃。
現れた光の刃に飛び込んでぐんっと猛烈な加速をみせた。
触れた者を加速させる。
彼女が有する血統技術――《ゆらぎの刃》のもうひとつの能力だ。
「……本気だな」
アッシュは瞬く間に小さくなったシビラの姿に苦笑しつつ、一足先に待ち合わせの酒場――《プルクーラ》に向かった。





