◆第八話『夜の決闘者』
その日の夜。
アッシュはあてもなく中央広場に出てきていた。
視界の端ではいまも大勢の客で賑わう《スカトリーゴ》が映っている。がっつりと食べたいときにはうってつけの店だが、すでにログハウスで夕食を済ませたあとだ。今回は候補から外した。
と、豚の鳴き声が聞こえてきた。
誘われるがまま出所に目を向ければ《喚く大豚亭》が映る。もちろん泥酔して真っ赤な顔の中年男──クデロも一緒だ。
「今日も元気に鳴いてるな」
友人に声をかけるついでだ。
本日の飲みは喚く大豚亭にするかと歩を進めようとした、そのとき。
通りを早足で歩く女性挑戦者の姿が目に入った。背にかかる程度の黒髪に加えて、あのやけに姿勢のいい歩き方。間違いない。シビラだ。
彼女のチームはつい最近70階を突破したこともあり、その身を包む防具はもとの《ソル》シリーズに戻っていた。低、中等級の防具姿も新鮮で楽しめたが、やはり《ソル》姿の彼女がしっくりくる。
彼女は中央の噴水広場に辿りつくと、辺りを見回しはじめた。まるでなにかを警戒しているような視線の動かし方だ。
旧アルビオンほどではないが、新アルビオンも低頻度で中央広場を警邏している。以前のように高圧的ではないため、とくに女性や新人挑戦者から支持を得ているともっぱら評判だ。
ただ、今回の彼女からは普段とは違ってどこか張り詰めた空気が漂っていた。
なにかあったのだろうか。
そう疑問に思ったときには、アッシュはすでに噴水広場へと歩きだしていた。
噴きだした水が周囲の灯を反射し、煌きながら落ちていく。そのたびに基盤に溜まった水が揺れ、しぶきとは違った形でゆらゆらと光を反射する。
アッシュは悪戯心が働き、足音をひそめながら接近。噴水の陰から回り込む格好で、いまもなお周囲を見回しているシビラへと背後から声をかける。
「よっ、シビラ」
「……アッシュか。驚かさないでくれ」
目をぱちくりとさせたのち、ほっと息をつくシビラ。
アッシュは予想どおりの反応に満足しつつ、噴水の縁に座り込んだ。
「なんか警戒してるみたいだが、どうかしたのか?」
「話すほどの大したことではない」
「大したことないわりには怖い顔してるぜ」
「そ、そんなに顔に出ているのか……っ」
「もう遠目からでもわかる程度にはな」
うぐ、とシビラが呻いた。
ばつが悪そうに自身の顔を両手でぺたぺたと触りはじめる。
その姿を見てアッシュは思わずくすりと笑ってしまう。と、顔を赤くしたシビラから抗議の目を向けられた。
「な、なにを笑っているんだっ」
「悪い悪い。やっぱ初対面のときのシビラを思いだすとどうしてもな」
「あのときのことは忘れてくれと──」
「けど、あれがなかったらいまこうして喋ることもなかったかもな」
「それは……困る」
シビラは目をそらすと、尖らせた口でそう呟いた。
顔は変わらず赤いままというより、むしろ濃さが増している。
ただ、彼女はその姿を長くは見せてはくれなかった。
大きく息を吐いたのち、困ったように笑う。
「まったく……きみと一緒にいると調子が狂うな」
「肩の力が抜けてちょうどいいだろ?」
「少し……いや、かなり抜けてしまうのが難点だ」
それだけ気を許してもらえているということだ。
こちらとしては純粋に嬉しいことこのうえない。
シビラがゆっくり瞬きをしたのち、柔らかな表情のまま口を開く。
「実は最近、幾つもあがっている報告があってな──」
警戒していた理由を話そうとしてくれたシビラだが、途中で言葉を遮ってしまった。なにやら険しい顔でなにかを追っている。
何事かと彼女の視線の辿ると、ひとりの男性挑戦者が映りこんだ。西側通りを走ってこちらに向かってきている。
名前は知らないが、たしかアルビオンのメンバーだったはずだ。彼は噴水広場の入口付近に辿りつくと、息が整うのも待たずに口を開いた。
「シビラさん! 例の挑戦者を見つけました!」
「本当かっ、状況は!?」
「いまメンバーが説得していますが……聞き入れてもらえそうには……」
「ならばわたしも行こう。案内してくれ」
「了解しましたっ」
勇んで歩きだすアルビオンメンバー。
シビラもあとに続こうとするが、すぐに足を止めた。こちらに振り返り、申し訳なさそうな顔を向けてくる。
「……すまないが、アッシュ」
「例の挑戦者ってそれが捜してた奴か?」
「ああ。ここ最近、夜になると誰彼構わず決闘をしかける挑戦者が現れるらしくてな」
荒くれ者や気の強い者たちが集まる場所だ。
小さな諍いはよく耳にするが、まさか決闘をしかけて回っているとは。なかなか珍しいことをする挑戦者だ。
アッシュは一瞬の逡巡を経て、立ち上がる。
「俺もついてってもいいか?」
「べつに構わないが……」
どうしてとばかりに目を瞬かせるシビラ。
事件は最近の出来事。
加えて、どうやら対象は決闘を楽しんでいる。
それらからいやな予感しかなかった。
アッシュはため息をつきつつ理由を口にする。
「……実はその挑戦者、激しく心当たりがあるんだよな」





