◆第五話『居場所』
アッシュは宿の部屋に戻るなりベッドに転がった。
肉体的にも精神的にも疲労が溜まりに溜まっていたのだ。
塔で狩りしたあとに漂流者を宿に運び。
そのあとは暗殺部隊との交戦。
しまいにはアルビオン本部に連行だ。
今日一日で数日を過ごしたかのような気分だった。
寝返りを打ち、天井を見上げる。
……クララの奴、大丈夫なのか。
ふと彼女のことが心配になった。
なにしろ明確な脅威が間近まで迫っていたのだ。
あんな殺し合いとは無縁そうな性格のクララには、かなりの負担となったに違いない。
加えて、今回の騒動に対する責任も感じているようだった。
色んな感情で心が押し潰されていなければいいのだが……。
ふいに廊下側から物音が聞こえてきた。
襲撃だろうか。
いや、そのわりに足の運びがあまりに拙い。
アッシュはこっそりと扉を開けて廊下へ出る。
と、小さな背中を見つけた。
「クララ……?」
びくっと体を震わせたあと、クララは恐る恐る振り返った。
薄手の白いパジャマ姿なうえに花飾りもつけていない。
普段とは違った素の彼女だ。
「ご、ごめん。起こしちゃった?」
「いや、それは構わないが……どうしたんだ? こんな夜中に」
そう問いかけると、ばつが悪そうに目をそらされた。
「ちょっと眠れないから屋上で涼もうかなって」
「狙われてることわかってるのか?」
「うっ、ごめん……」
クララはすっかり縮こまってしまった。
アッシュはため息をついたのち、彼女の横を通り過ぎた。
その先の壁にかけられた、屋上へと続く梯子をのぼりはじめる。
「アッシュくん?」
「上に行くんだろ。俺がついててやる」
「……うんっ!」
◆◆◆◆◆
宿の屋上は平たい造りとなっている。
アッシュは縁に腰掛け、片足を乗せた。
遅れて上がってきたクララに声をかける。
「寒くないか」
「うん、大丈夫だよ」
彼女も縁まで来ると、両腕を乗せて空を見上げていた。
釣られてアッシュは視線を上げる。
この島には無駄な灯がないからか、星がよく見える。あとは視界に割り込む塔さえなければ最高なのだが、そればかりはどうしようもない。
「ご飯のあと、どこ行ってたの?」
「なんだ、気づいてたのか」
「気づいたっていうか。部屋を訪ねたときにいなかったから」
彼女は少しだけ口ごもりながら、そう答えた。
「あ~、悪いな。なにか用だったか?」
「ううん。とくに用事はなくて。ただ、お話ししたいなって思っただけだよ」
「そうか」
昼間、あんなことがあったのだ。
きっと不安を紛らわしたかったのだろう。
「それで、どこに行ってたの?」
「そんなに気になるのか?」
「うん」
興味があるというわりに無表情だ。
どうにも躱しにくい。
「酒場だよ」
「どうして?」
「そりゃ飲むために決まってるだろ」
クララがじっと見つめてきた。
なにか隠し事があると疑われているのだろうか。
と思いきや、見当違いの言葉が放たれた。
「そのわりに全然酔ってないよね」
「俺の財布事情、知ってるだろ」
「聞いたあたしが悪かったよ……」
本気で申し訳なさそうな顔を向けられる。
そんな顔をされると、本当に悲しくなるのでやめてもらいたいものだ。
と、クララがいきなり表情を明るくした。
「ね、今度あたしも連れてって」
なにを言い出すかと思えば。
アッシュは思わず嘆息した。
「やめとけやめとけ。女が行くようなとこじゃない」
「えー。女だからってひどいよ」
「俺はクララのためを思って言ってるんだ。酔って理性を失くした奴がたくさんいるんだぞ。そんなところに女が行ったらどうなるか。……いくらクララでもわからないとは言わせないからな」
「うぐっ……」
さすがに想像がついたようだ。
暗がりでもわかるほど顔が赤らんでいる。
だが、彼女は負けないとばかりに顔を引き締める。
「で、でもそのときはアッシュくんに守ってもらうから大丈夫」
「ったく、簡単に言ってくれるぜ」
「……だめ?」
年相応に甘えた顔、声で懇願してくる。
クララのことだから自覚なしでやっているのだろう。
まったくもってタチが悪い。
「いつか、な」
「約束だよ。絶対だからね」
「ああ、絶対だ」
えへへー、とクララは笑みを零した。
よほど嬉しかったのか、さらに体を揺らしながら「さっかばー、さっかばー」と変な歌まで口ずさみはじめる。
本当に無邪気な子だ。
まるで淀みのない水のように。だからこそ、このジュラル島という場所から浮いているように見えてならなかった。
「謀反を起こした犯人、いまの国王だってことはわかってるんだろ」
ごく自然に口から漏れた。
ただ、それはずっと疑問に思っていたことだった。
クララはぴたりと止まると、ゆっくりと視線を下げた。
「確証はないけど、たぶんそうだと思う」
「敵討は考えなかったのか?」
「あたしにできると思う?」
「無理だな」
「即答って……た、たしかに無理だけども……っ」
少し拗ねたように口を尖らせる。
昼間は暗殺部隊を前に足がすくんでいたような人間だ。
クララには人を殺すどころか、傷つけることすら難しいだろう。
こちらとしても彼女にはそういったこととは無縁でいてほしい。きっと関われば、いまの無邪気な彼女はどこかに消えてしまうような気がしてならなかった。
「昼間にも言ったけど、お父さんの政が上手くいってなかったから。それにいまの国王で国は安泰どころか発展してすらいるの。だから、いまさらあたしみたいなのが王様になったって不満が出るだけだよ」
言って、クララは苦笑する。
本心から言っているのだろう。
そもそも彼女に国王になりたいという野心がないことは明らかだ。
ただ生きることに、歩くことに必死だ。
アッシュは眼前の痛ましい笑みを崩さんととぼけてみせる。
「だろうな。王って感じじゃないし」
「むっ。あたしだって着飾れば少しぐらい――」
「外面だけ取り繕ったって意味ないだろ」
「うぅ」
涙目になったクララの頭に、ぽんと手を置いた。
「クララはいまのままでいい」
「……うん」
アッシュは彼女の柔らかな髪を軽く親指でさすったのち、手を退かした。
それを機にクララは縁に背を預けた。
遠い目をしながら空を見上げる。
「あたし、ただ自分の居場所が欲しかっただけなんだ」
クララが王族。
しかも世界に名だたる強国ライアッドの。
聞いたときは本当に意外も意外だった。
ただ、ひどく納得している部分もあった。
まともに狩りもできないのに必死にジュラル島に残ろうとしていたからだ。
とはいえ――。
「そこにジュラル島を選ぶってのもどうかと思うけどな」
「だ、だってほかに選択肢がなかったんだもん……」
「おかげで1年の期限に引っかかってちゃ世話ないぜ」
「むぅ……アッシュくんのいじわる……!」
ルナにはあまりクララをからかうな、と注意してしまったが……。
あまりひとのことは言えないな、とアッシュは自嘲した。
「どうだ、外の世界に出てみて」
「思った以上に人と付き合うの難しいなって」
これまで外の世界をほとんど知らずに育ったのだ。
人見知りであっても仕方ない。
少し度を越えているような気がしなくもないが……。
「でもアッシュくんが来てくれた。それにルナさんも」
「楽しいか?」
「うん。いますごく楽しいっ!」
クララは眩しいぐらいの笑みで答えた。
そこには嘘偽りなどないように見えた。
目の前の笑顔を作り上げた部品として自分が組み込まれている。そう思うと、アッシュは誇らしく感じると同時に嬉しく感じた。
「前は戻るのが怖いからここにいたいって思ってた。でも、いまは楽しいからここにいたい」
クララは縁から離れると、真っ直ぐにこちらに向いた。純粋で、何色にも染まっていないその大きな瞳で問いかけてくる。
「ねえ、アッシュくん。あたしもっとここにいたい。いて、いいのかな……」
答えは決まっている。
アッシュは「ああ」と力強く頷いた。
「ここがお前の居場所だ」





