◆第十一話『思い出はここに』
「お待たせ、アッシュ」
「いいの見つかったか?」
「ばっちりだよ。ね、クララ」
「うんっ、これならきっと気に入ってくれると思う!」
ルナとクララが花屋を背に満足げな顔を見せた。
アッシュは振り返り、目的地へと歩きだす。
「それじゃ行くとするか」
ブランが島を去ってから5日。
島は以前と変わらない日常を送っている。
もともと大人数のミルマで分散して支えられているジュラル島の社会だ。ひとりのミルマが抜けたところでそう変わらないのは不思議なことではなかった。
ただ、そんな中で明らかに変わったのは、やはりここだろう。
目的地――《ブランの止まり木》に到着した。
扉を開け、全員で中に入る。
新たに女将となったクゥリは受付に座っていた。
開かれた本によって顔を隠し、三角の耳だけを覗かせている。ブランが座っていたときと似た光景だったこともあり、一瞬だけ既視感を覚えてしまった。
「よっ、クゥリ。元気にやってるか」
「ちょうどため息をついたところです」
言いながら、クゥリが本を下げる。
と、ブランにも負けない無愛想な顔があらわになった。
「なにかいやなことでもあったのか?」
「いましがた呼んでいない方達が来たことですね」
「でも、ため息程度なら挽回の余地ありだな」
「……本当に調子が狂う人ですね」
もう一度大きなため息をついたのち、窺うような目を向けてくる。
「それで、なにか用ですか?」
「用ってほどのことはない。ただ本当に様子を見にきただけだ」
アッシュはそう答えつつ、クララとルナに目配せをした。
「はい、どーぞ」
言いながら、クララが受付に手乗り鉢を置いた。
中には赤くて丸みのある花弁が特徴的な花が植えられている。先ほど訪れた花屋でクララとルナが選んで買ったものだった。
「これって……」
「おみやげっ。ルナさんと選んだんだ。可愛いでしょ」
「ほかにも幾つかあったんだけどね。クゥリにはこれが似合うかなって」
「あ、ありがとうございます」
クゥリが置かれたばかりの手乗り鉢を両手で包むと、受付の脇に目を向けた。そこには同じ手乗り鉢が置かれている。2鉢あるが、どちらも観葉植物が入れられている。
「そうですか。これ、あなた方が……」
あまり装飾を好まないブランが置いたものとあってか、クゥリも気になっていたようだ。彼女はもう一度贈られたばかりのほうへと視線を戻し、花びらをひと撫でする。
「悪くない、ですね」
柔らかな笑みを浮かべつつ、こぼされた言葉。
それはブランの口から時折出るものと同じだった。
クララとルナも最大限の賛辞と受け取ったようだ。
「なんか最初は苦手かもって思ってたけど……」
「シャオとはまた違った感じで良い子だね」
互いに顔を見合わせ、嬉しそうに微笑んでいた。
アッシュは宿内を見回したのち、階段の手すりに触れた。強くこすれば怪我をしそうなほど傷み、ざらついている。長い年月を生きてきたことがありありとわかる触感だ。
「建て替えの申請してないんだってな」
「修理が必要なところは多々ありますが、よく見れば建て直すほどではないと判断しただけです」
あれだけ建て替えを強く進言していたクゥリの心変わりに驚いた。そこにはブランが残したこの宿を大事にしたいという気持ちが窺える。
と、クゥリが少し渋いを顔をしながら言う。
「幸い修理費はたくさんありますし」
「修理費って……新しく支給でもされたのか?」
「いいえ。ブランさんが残してくれていたんです。それも結構な額です」
あのジュリー大好きブランが資金を残したことがあまりに想像できず、アッシュは思わず目を瞬いてしまった。だが、よくよく考えてみれば島を出るならジュリーを持っている意味はないのだ。なにもおかしいことはない。
ただ、問題はそこではない。
クララも気づいたようで首をかしげている。
「んぅ? ジュリーに余裕があったのに、どうして修理しなかったんだろ?」
「……もう自分の任期が近づいてるってわかってたからじゃないかな」
クララの疑問にルナが出した答え。
それは当たっていたようでクゥリが頷いた。
「みたいです。だから、もし建て替えの申請が下りなくてもできるようにと貯めてくれていたんです」
おそらく彼女も知ったのはブランが去ってからなのだろう。
その顔はひどく不満げだった。
「ブランさんごめん……ただの守銭奴だと思ってました……」
ばつが悪そうに謝罪するクララ。
そんな彼女をよそに、アッシュはクゥリへと告げる。
「ま、建て替えるのが悪いってわけじゃないからな」
「わかっています。ただ、もう少しだけ……この宿と頑張っていこうと思います」
ブランのためにできるだけ長く宿をいまのまま残したい。そんな風にクゥリが考えているのでは、と初めは思った。だが、彼女の寂しげな顔を見ると、べつの理由があるのかもしれないと感じた。
――もっとブランと過ごしたかった。
そんな気持ちを、《ブランの止まり木》というブランが愛した宿を残すことで埋めようとしているのかもしれない、と。
◆◆◆◆◆
ブランの宿をあとにしたのち、アッシュはひとり別行動をとっていた。クララとルナが夕食の買出しに向かったこともあるが、もともと友人と会う予定があったためだ。
「シャオの奴、緊張してるな」
「あはは……こればかりは数をこなして慣れてもらうしかないですね」
アッシュはウルとともに浜辺を訪れていた。
視界の中では桟橋で新人挑戦者を迎えるシャオの姿が映っている。遠いこともあって声は聞こえないが、体のガチガチ具合から途切れ途切れに対応していることが容易に想像できた。
助けてとばかりに何度も視線を向けられるが、これはシャオが人間に慣れるために必要なことだ。手を差し伸べたい気持ちをぐっと抑え、ウルとともに見守るだけに留めている。
「建て替え、見送るそうだ」
「てっきりすぐにされるのだと思っていました」
「クゥリなりの考えがあるみたいだ」
「そう、ですか」
ウルの返事は予想外に淡々としていた。
「あんまり嬉しくなさそうだな」
「そんなことはないですよ。ウルにとってもあそこは思い出がたくさん詰まった場所ですから、残ってくれたのはとても嬉しいです」
ウルは「でも」と話を継ぐ。
「もしあそこがなくなってしまったとしても、ブランさんとの思い出がなくなるわけではないですから」
胸に当てた右手をぐっと握るウル。
その姿を見て、アッシュは思わず口元を緩めてしまった。
「ど、どうして笑ってるんですか? ウル、なにか変なこと言いましたかっ?」
「いいや。ただ、いつものウルだって思ってな」
ブランが去ってから数日は多少引きずっても無理はない。そう思っていたが、ウルはしっかりと顔を上げていた。前を向いて、笑顔を作っていた。
その愛らしい姿からは想像もできないほどに心の強い子だ。
と、ウルが改まったように居住まいを正した。
真剣な顔をこちらに向けたかと思うや、すっと頭を下げる。
「ありがとうございます」
「……急にどうした?」
「アッシュさんが背中を押してくれなかったらウルは一生後悔していたところでした。本当に感謝してもしきれません……っ」
きちんとした挨拶をせずにブランと別れたときのことを想像してしまったのか、ウルは怯えたように全身を震わせていた。
アッシュはにっと笑いながら言う。
「俺がなにかを言わなくても、きっとウルは前に進んでたと思うぜ。けど、もし少しでも力になれたってんなら俺も嬉しい。なにしろウルには返しても返しきれないぐらい毎日元気をもらってるからな」
「……アッシュさん」
顔を上げたウルがほっとしたように全身から緊張を解いた、その瞬間――。
「へぶっ」
間抜けな呻き声が聞こえてきた。
見れば、挑戦者を先導して歩きだしたシャオが桟橋を出た先の浜辺でこけていた。それも前のめりに顔からだ。
「シャ、シャオちゃん……」
「初めて会ったときのウルを思い出すな」
「で、できればあのときのことは忘れてくださいっ」
「無理な相談だ。それだけ強烈だったしな」
うぅ、と俯いて耳まで赤くするウル。
「でも……アッシュさんの記憶にずっと残れるなら、それはそれでウルは嬉しかったりしますけど……」
そうぼそぼそとこぼしつつ、わずかに上向けた顔から目を覗かせてくる。ただ、視線が交差した瞬間に慌ててそらされた。さらに逃げるように2、3歩ほど前に出たかと思うや、背中を向けたまま話しはじめる。
「初めて会った――ウルのお話しにいやな顔をせずに付き合ってくれたときから、アッシュさんのことをいいなって思っていたんです。この人ともっと仲良くなりたいなって。でも、いまはもうそれだけじゃないです」
赤いままだったウルの耳がその色をより濃くし、くねくねと動き続けていた尻尾がぴたりと止まった、その直後。
ウルがスカートの裾を舞わせながら軽やかに振り返った。
向けられた顔には笑みが浮かんでいる。だが、恐怖心と羞恥心が入り混じったようにこわばっていた。はっきり言って普段のものからは程遠い。
ただ、込められた強い気持ちをあふれるほど感じたからか――。
これまでに見たどんな彼女の笑顔よりも魅力的に見えた。
「ウルはアッシュさんのことがと~っても、大好きですっ!」





