◆第八話『愛ゆえに』
ブランと別れたのち、アッシュはウルの家を訪れていた。
かんかん、と呼び鐘を打ち鳴らす。
中央広場から離れた静かな場所とあって反響音が少しうるさく感じた。もし中にいれば間違いなく聞こえているはずだが……。
どれだけ待っても返事がなかった。
ただ、なにか違和感を覚えた。
前回、訪れた際はほんのわずかだがひと気を感じられた。
それが今回はいっさい感じられないのだ。
少しだけ扉から離れ、2階のほうを見上げる。
窓だけでなくカーテンも閉められ、中を窺うことはできない。
……もしかして外に出てるのか?
自発的に出たのであれば喜ばしいことだ。
しかし、いまのウルの精神状態を考えると不安な気持ちが先立った。この目で彼女の立ち直った姿を見るまでは安心できない。
アッシュは来た道をとおって中央広場へと引き返しはじめる。
ただ外に出ていたとしたらどこへ行ったのか。
彼女がこもるようになった理由でもあるブランに会いに行っている可能性は高い。となれば《ブランの止まり木》か。
路地を抜け、中央広場に戻ってきた。
そばを2人組の男挑戦者がとおり過ぎていく。
「にしてもミルマがあんな風に騒いでるとこ初めてみたな」
「だな。いつも役割をこなしてるだけって感じだもんな」
すれ違いざまに聞こえてきた彼らの会話。
普段なら聞き逃していたかもしれないが、いまは胸騒ぎがしてならなかった。アッシュはすぐさま振り返り、ひとりの肩に手を置く。
「悪い、騒いでるミルマってもしかして案内人のウルか?」
「あ、ああ。そうだけど……」
「どこにいる!? 教えてくれ!」
こちらの切羽詰った様子に彼らは目を瞬いていた。
2人は顔を見合わせたのち、戸惑い気味に告げてくる。
「ベヌスの館だ」
「助かるっ」
礼を残して、アッシュは走りだした。
ブランと中央広場で話していたときにはウルの姿は見かけなかった。おそらくこちらがウルの家に向かう際に、違う路地をとおったことで入れ違いになったのだろう。
ベヌスの館は同じ北通りとあってすぐに辿りついた。
扉を荒々しく開け放ち、中へと飛び込む。
と、正面に探していたウルの姿をすぐに見つけた。
2階へと続く階段の下、番人と思しきミルマに詰め寄っている。
「お願いします、ベヌス様に会わせてください!」
「何度も言っているでしょう、ウル。あなたのことはとおすなと言われているの」
「どうしてですかっ! いつもなら会ってくださるのにっ」
普段のウルからは想像もつかないほどの必死さだ。
番人のミルマも内心では応えてあげたいのか、辛そうな顔をしている。
ただ、それでもベヌスの命令は絶対なのだろう。
階段をとおすつもりはないようだ。
「だったらウルの代わりにお願いしてもらえませんかっ。じゃないとブランさんが、ブランさんが……っ!」
ベヌスの館に響きつづけるウルの声。
訪れた幾人かの挑戦者も興味本位で注目しつづけている。
そんな異様な空気の中、新たな来訪者がベヌスの館に入ってきた。長い青の髪を揺らし、凛々しい姿のままウルのもとへと一直線に向かっていく。
「いい加減にしなさいっ」
その一喝でウルがびくりと体を震わした。
ようやく番人のミルマから視線をそらし、振り返る。
「アイリス、さん……」
来訪者の正体はアイリスだった。
ウルにとって彼女は姉のような存在だと聞いている。
ゆえにアイリスの言うことならウルも素直に聞くはずだ、との理由で呼ばれたのだろう。
だが、逆効果だった。
ウルはまるですがるようにアイリスのほうへとフラフラと歩み寄りはじめる。
「そうだ、アイリスさんからお願いしてくれればベヌス様もきっとブランさんを――」
希望の光を見出したウルが顔に笑みを作った、そのとき。
パンッと乾いた破裂音が鳴った。
アイリスがウルの頬を平手で打ったのだ。
それほど激しいものではない。
だが、ウルの希望を断ち切るには充分だったようだ。
彼女は崩れ落ちると、唖然としたまま動かなくなった。
アイリスはそんなウルに同情することはなかった。
見下ろしたままさらに厳しい顔と言葉を向けつづける。
「もう子どもではないのですよ。挑戦者の前でそのような姿を見せるべきではありません」
「でも、このままじゃ……っ」
「仮にベヌス様に願ったところでなにも変わらないことはあなたもわかっているはずです。いまは、あなたがすべきことをしなさい」
その言葉が届いたのかはわからない。
ただ、ウルは俯いて体を小刻みに震わしはじめた。
涙を流しているのか。
ぽつりぽつりと床に幾つもの斑点が作られていく。
アイリスはそれ以上声をかけることなくウルに背を向けると、こちらへと戻ってきた。扉に手をかけながら、苦しげな顔でぼそりと声をかけてくる。
「お願いします」
彼女はウルのことを妹のように大事にしている。
だからこそ厳しい言葉をかけたのだろうが……きっと辛かったに違いない。
後ろで扉が閉まったのを機にアッシュはウルのもとへと歩み寄った。屈み込み、いまだ俯いたままの彼女と視線を合わせる。
「ウル」
「……アッシュさん」
力なく上げられたウルの顔はぐしゃぐしゃに歪んでいた。悲しみに暮れた瞳は揺れつづけ、多くの涙を流している。
ベヌスの館内は来たときよりもさらに騒然としていた。新たに訪れた者たちも何事かと動揺している。このままではいつまで経っても落ちつくことはできないだろう。
アッシュはウルの頭を優しく撫でながら、そっと声をかける。
「とりあえずここを出るか」





