◆第四話『ウルとブラン』
大勢で訪れるようなものではない。
その考えから仲間と別れ、アッシュはひとりウルの家を訪れた。
2階建てでこじんまりした家屋だ。
何度か来たことがあるため、目新しさはない。
ただ、以前よりどこか物寂しく感じた。
「ウル、いるか? いたら返事をしてくれ」
呼び鐘を打ちつけながら声を張り上げる。
路地裏とあって中央広場の喧騒からやや遠退いている。
おかげで自身の声がやけにうるさく感じた。
「少し話がしたい」
もう一度、声をかけてみる。
だが、どれだけ待っても返事はなかった。
あの元気なウルからはとても想像できない状況だ。
それほど深く心に傷を負ってしまっているということだろう。
このまま家の前で立ち尽くしているわけにもいかない。
アッシュは二階の窓を見やったのち、その場をあとにした。
◆◆◆◆◆
中央広場に戻ったとき、すでに外は暗くなっていた。
続々と塔から帰還した挑戦者によってさらに賑やかになっている。中でももっとも人気な店である《スカトリーゴ》は相変わらずの繁盛具合を見せていた。
ただ、いまはその光景は少しわずらわしく感じた。
くいと視界から外したのち、歩を速める。
「アッシュ・ブレイブ」
聞こえた凛とした声に誘われ、《スカトリーゴ》に視線を戻す。と、通りと客席を区切る柵の向こう側から、アイリスがこちらを見ていた。
声から予想はついていたが、どうやら彼女で間違いないらしい。なにやらアイリスはほかの店員に話しかけたのち、足早に店を出てこちらまでやってきた。
「そっちから話しかけてくるなんて珍しいな」
「少しお時間をいただけますか? お話ししたいことがあるので」
「構わないが、店は大丈夫なのか? かなり忙しそうだが」
「たしかにそれは少々心配ですが――ちょうどいいところに」
アイリスがこちらの背後に目を向けた。
振り返ってみると、少し離れたところでとぼとぼと歩くシャオが映りこんだ。今日一日、案内人としての仕事をひとりでやりきったからか、かなり憔悴しているようだった。
「シャオっ! こちらへきていただけますか!?」
「は、はいっ」
声の主がアイリスとわかった途端、シャオが面白いほどにビシッと背筋を伸ばした。先ほどまでの生気のない様子から一転して、目をきらきらと輝かせている。
「どうなされたのですか、アイリスお姉様っ」
「お、お姉様……?」
以前、アイリスを紹介された際に憧れの視線を向けていたが、どうやらすでに懐いているようだ。
ただ、いきなりのことにアイリスも目を瞬かせていた。咳払いをして切り替えたのち、《スカトリーゴ》のほうをちらりと見て話を切り出す。
「少しの間だけ、わたしの代わりを務めていただきたいのです」
「シャオが、ですか? でもまだあそこで働いたことないですし、人間がいっぱいですし、それにそれになにをすればいいか……」
「わからないことがあれば仲間に聞けば大丈夫です。お願いできますか?」
「ア、アイリスお姉様のお頼みなら……っ」
「期待していますよ」
まるでシャオから向けられる憧憬を利用するような、あからさまな微笑みを作るアイリス。案の定、シャオは疑うこともなく乗せられていた。
「はいっ! シャオ、お姉様のために頑張ってきますっ!」
そう威勢よく返事したのち、たたたっと《スカトリーゴ》に突撃していった。早速、挙動不審な動きを見せていたうえに、挑戦者とぶつかりそうになっている。見ていると不安な要素しかない。
「……大丈夫か?」
「少し心配ではありますが、なんとかなるでしょう。それに彼女も案内人。いずれは幾つかの店でも働くことになるのですから、いい経験になります」
「なんでも屋って言われる理由がよくわかるな」
こうしてシャオもまた色んな場所で見かけるようになるのかもしれない。そんなことを考えながら、アイリスへと視線を戻した。
「で、話ってのはウルのことか?」
「はい。あの子が仕事を休んでいることはあなたも知っているのでしょう」
「ああ。さっき様子を見にいってきたところだが、まったく反応がなかった。あれはアイリスが行かないとダメかもな」
「わたしが行けば引きずってでも出してしまいます」
「……容赦ないな」
「ですが、それではなんの解決にもなりません」
アイリスの言うとおりだ。
もとの元気なウルに戻すには、彼女が抱えた心の問題を解決する必要がある。
「なあ、ウルとブランさんってどんな関係なんだ? 懐いてるのは知ってるんだが、なんかこう2人の繋がりがいまいち掴めなくてな」
こちらの質問に「そうですね」とアイリスが思案する素振りを見せた。
「ウルはいまでこそ人懐っこくて明るい性格ですが、昔は人見知りがとても激しかったんです。それこそいまのシャオと同じぐらいに」
「……意外だな」
いつも笑顔を振りまいて周りを明るくする。
まるで太陽のようなウルにもそんな時期があったとは。
「大きく変われたきっかけは、あるミルマとの出会いだそうです」
「それがブランさんってことか」
はい、と頷いたのちにアイリスは話を続ける。
「ひと気のないところで仕事がうまくいかずに落ち込んでいたところ、偶然出会った彼女に《ブランの止まり木》に連れられたうえ、手伝いをさせられたそうです」
「落ち込んでてもお構いなしか」
「彼女なりの気遣いだったのかもしれません」
ブランはあまり多くのことを語らない。
アイリスの気遣いという見解が正しそうだ。
「そしてそのときの……働く彼女の姿がウルにはとても格好良く見えたらしく、ウルから頼み込む形で少しの間ですが、《ブランの止まり木》で働いていたのです」
「明るい元気なウルはそこから始まったってわけか」
「ええ。ですからウルにとって彼女は育ての親といってもいいかもしれません」
憎まれ口ばかり叩くブランとなぜあれほどまでに仲がいいのか。疑問に思うことがあったが、アイリスの話を聞いて納得がいった。
「そんな相手と会えなくなるってんだからな……あんだけ落ち込むのも無理ないか」
もう一生会えない。
そう匂わせる発言をあえてしてみたが、アイリスから否定されることはなかった。どうやらジュラル島から出ることは、本当に〝そういう意味〟のようだ。
「……どうするつもりですか?」
「わかってていまの話をしてくれたんだろ」
問いかけたところ無言で目をそらされた。
どうやら肯定のようだ。
「てっきり余計なことをするなって言われるかと思ったぜ」
「認めたくはありませんが、ウルはあなたには心を開いているようですから」
「アイリスが適任な気がするけどな」
「わたしではダメなのです。これはミルマにとって乗り越えなければならないこと。でも、あの子は優しすぎますから……」
なぜアイリスではダメなのか。
理由ははっきりとはわからない。
ただ、答えはその言葉の裏に隠されているような気がした。
アイリスが目を伏せ、わずかに頭を下げてくる。
「ウルをよろしくお願いします」
「ああ」
もとよりそのつもりだ。
ただの挑戦者とミルマという関係ではない。
友人として彼女の助けになりたかった。
「長々と引き止めてしまって申し訳ありません。それでは」
再び顔を上げたアイリスは早々に背を向けた。
後ろで結った長い髪を揺らし、かつかつと足音をたてながら《スカトリーゴ》へと戻っていく。
そんな彼女の後ろ姿へとアッシュは気づけば声をかけていた。
「やっぱりアイリスも何度も経験してるのか?」
「さあ、どうでしょうか」
アイリスが答えながら肩越しに見せた横顔。
そこに歪みはなかったが、どこか非現実的なものに見えてしかたなかった。





