◆第三話『アルビオン』
ブランの止まり木を飛び出ると、黒ずくめの兵士が数えきれないほど待ち受けていた。決して狭いとは言えない通りがほとんど埋めつくされている。
「すでに包囲済みってわけか……!」
アッシュは舌打ちしたあと、敵へと問いかける。
「ライアッドの王が差し向けた暗殺部隊ってのは、あんたらで間違いないんだな?」
敵は返事をしなかった。
代わりに武器を構え、にじり寄ってくる。
もはや交戦は避けられないだろう。
「アッシュ、どうする?」
「どっかをこじ開けるしかないな」
ルナと小声で打ち合わせていると、ラピスが悠々と歩み出た。
「まったく……面倒なことに巻き込んでくれたわね」
彼女はそう言うと、背負っていた槍――ウイングドスピアを抜き、敵に向けて構える。
「……ラピス? なにを」
「足止めしてあげるって言ってるの」
「いや、この数相手に――」
ラピスの初動は、おそろしく速かった。
まるで風のように敵の前へ躍り出ると、槍を横薙ぎに一閃。最前列にいた敵をあっさり倒してしまった。
敵が唖然とする中、さらに彼女は中央広場側の地面へと槍を突きつけた。矛先から迸った青白い光がまるで亀裂のように伸びていく。敵陣を貫いたところで左右に割れ、氷塊となってせり上がる。
と、左右を氷壁によって阻まれた一本の道が生成された。
まさに一瞬の出来事だった。
たったひとりで上位陣に数えられる、その実力。
どれほどのものかと思っていたが……まさかこれほどとは。
恐ろしいと思う感情も少し湧いたが、それ以上に興奮が勝った。
そんなこちらの心中を知ってか知らでか、ラピスが平然と訊いてくる。
「この数相手に、なに?」
「……助かる!」
ラピスの強さは尋常ではなかった。
どれだけ敵が数を集めたところで負けることはまずないだろう。ここは素直に甘えるべきだと判断し、アッシュはクララ、ルナと氷の道を駆け抜ける。
「ベヌスの館に行こう! あそこなら彼らも手出しできないはずだ!」
「了解だ!」
前方に敵はいない。
だが、両側に建ち並ぶ家々の屋根上を伝って敵が追いかけてきていた。
「そのまま走って! 上のはボクはやるから!」
ルナが走りながら敵をひとりずつ射抜き、屋根の上から落としていく。
本当に器用なものだ。
彼女が仲間で本当に良かったと思う。
ふと悪寒がした。
明確な殺意だ。
ただ、これは自分に向けられたものではない。
アッシュはとっさに振り返り、本能的に手を伸ばした。
隣を走っていたクララ目掛けて飛んできた矢をがっしと掴む。
「――ッ」
ゴブリンが放つ矢とは比較にならない鋭さだった。
掴めたのが奇跡と思うぐらいだ。
ただ、矢は1本だけではなかった。
ほぼ間髪容れずに飛んできた矢が太腿に命中する。
思わず漏れそうになった悲鳴を歯を食いしばってこらえた。
「アッシュくんっ!」
クララが足を止めて駆け寄ってくる。
アッシュは矢を抜きながら叫ぶ。
「俺のことはいい! 走れ!」
「無理だよ! 置いていけないよ!」
制止の声を無視して、クララはついにそばまでやってきた。
杖をかざしてヒールをかけはじめる。
ルナが周囲を牽制しながら、近くに落ちた血まみれの矢を見やる。
「それ、ジュラル島の矢だよ」
「ってことは挑戦者の中に協力者がいるのか……!」
厄介だ。
ただの兵士が相手なら複数いてもなんとか捌ききれる自信はある。
だが、ジュラル島で長く生き残っている挑戦者ともなれば話は別だ。
その力量は一国の英雄に値する可能性がある。
足を止めている間にすっかり囲まれてしまった。
通りはもちろん、周辺の建物の上まで黒ずくめの敵で一杯だ。
クララのおかげで足の傷は塞がったが、状況はあまり良くない。
「腹くくってやるしかねぇか」
「ごめん……あたしのせいで……」
アッシュは短剣を構え直しながら、勝ち気な笑みを見せる。
「気にするな。仲間だろ」
「そうだよ、クララ。それにまだ負けたわけじゃないしね」
とはいえ、あまりに多勢に無勢だ。
たとえ切り抜けられても無事では済まないだろう。
そう思ったとき、屋根上に立っていたひとりの敵が無造作に倒れた。さらに追加でもうひとり倒れる。いったいなにが起こっているのか。
不意の襲撃に敵も混乱しているようだ。
辺りを見回しながら警戒を強めている。
と、そばをなにかが駆け抜けた。
それが人間であることを認識したときには、すでにひとりの敵が斬り伏せられていた。
長剣を持った女剣士だった。
背にかかるほどの黒髪を揺らしながら、流れるような剣技で敵を蹂躙していく。凄まじい強さだ。瞬きする間にひとりずつ減っていく。
さらに十人ほどの戦士が登場し、女剣士に続いた。
見たことのない魔法や技をもって怒涛の勢いで暗殺部隊を制圧していく。
アッシュは思わず唖然としてしまう。
「なんだこれ……」
「……アルビオンだよ」
これが最強ギルドの一角。
アルビオン。
圧倒的だった。
暗殺部隊はまったく歯が立たずといった様子だ。
さすがにこのままでは全滅すると踏んだか、早々に撤退をはじめる。
気づけば、拘束者を除いて通りから暗殺部隊は綺麗さっぱりいなくなっていた。
「助かったのか」
「みたいだね……」
ほっと息をついたクララに、ルナが苦笑しながら言う。
「あー、でも微妙に厄介なことになったかも」
言わんとすることはわかる。
場の空気はいまだ緊迫したままだった。
理由は、こちらを包囲したアルビオンの者たちだ。
全員が盾を模した徽章を肩につけている。
「貴様らがこの騒ぎの元か」
一歩前へと出てきた女剣士が言った。
なにやらラピスと似て刃物のような空気感だ。
「まあ、そういうことになるな」
こちらとしては騒ぎを起こしたかったわけではない。
だが、クララを中心に起こったことだ。
さすがに無関係とは言えなかった。
「アルビオン本部まで来てもらおう」
「……断ったら?」
女剣士が剣を握る手を強めた。
ルナがすぐさま小声で諌めてくる。
「アッシュ」
「わかってる」
あの大勢いた暗殺部隊をいともたやすく収めた集団だ。
ここは大人しく従ったほうがいいだろう。
アッシュは武器を収めたあと、両手をあげた。
「なるべく穏便に頼むぜ」
◆◆◆◆◆
連行された先。
アルビオン本部は中央広場から西に抜ける通りにあった。
二階建てで規模はブランの止まり木とそう変わらない。
だが、こちらのほうがより上品で洗練されている。
「ギルドって単独でこんな建物持ってるのか?」
「拠点があったほうが集まりやすいからね。ま、こんなに立派な拠点を持ってるのは三大ギルドだけだろうけど」
通された2階の一室にて。
ルナの説明を聞きながら、アッシュは呆けていた。
内観もまた粗暴な挑戦者の空気とかけ離れていたからだ。
大国の宰相が使っている執務室と紹介されても信じてしまうかもしれない。
一方、クララはいつもの調子がなかった。
間違いなく騒動の責任を感じているのだろう。
「待たせてすまなかった」
部屋の扉が開くと、白皙の男が入ってきた。
無駄な装備は纏っておらず、粗野な軽装姿だ。
ただ、それでも滲み出る風格は隠しきれてはいない。
相当な実力者であることがひしひしと感じる。
歳は30ぐらいだろうか。
ただ、その歳にしては度を越えた貫禄を持っている。
続いて、先ほど通りで出逢った女剣士が入ってくる。
彼女は相変わらずのしかめっ面で、なにかおかしな真似をすれば斬るぞとばかりに睨みを利かしてくる。
「わたしはニゲル・グロリア。アルビオンのマスターを務めているものだ」
白皙の男は向かいに立つと、自己紹介を始めた。
アッシュは代表して紹介する。
「俺はアッシュ・ブレイブ。こっちはルナで、あとクララだ」
ルナとクララが軽く会釈をする。
と、白皙の男――ニゲルがソファに座ってくれと手で促してきた。
こちらが全員座ったのを機に、ニゲルも腰を下ろす。
「さて早速だが……此度の件、きみたちが騒ぎを起こしたと聞いているが、事情を説明してもらえるかな」
「その前に、こんな場所に無理矢理連れてきた非礼を詫びてほしいところだな」
アッシュがおどけるようにそう言うと、女剣士が無造作に剣を抜いた。
ほぼ間を置かずして、ニゲルが制止の声を放つ。
「シビラ。剣を収めるんだ」
「……わかりました」
シビラと呼ばれた女剣士は渋々といった様子で剣を収めた。
「優秀な部下をお持ちのようで」
「ああ。本当にわたしには勿体無いぐらいだよ」
ニゲルが答えた途端、シビラの口元がわずかに緩んだ。
アッシュはその様を横目にしながら、隣に座るルナに小声で話す。
「あいつ、ニゲルのこと好きっぽいな」
「ボクもそう思う」
などとこちらの呑気な空気とは相反して、厳格な顔つきでニゲルが物申してくる。
「我々はこのジュラル島の秩序を守るために結成したギルドだ。だから、我々には知る権利がある」
「それはあんたらが勝手にやってることだろ?」
「きみたちの騒ぎを収めたのは我々アルビオンだと聞いているが……違うのかな」
痛いところを突かれてしまった。
正直、あのままではどうなっていたかわからない。
「その通りだ。だから感謝してるぜ」
「……驚いたな。もう少し噛み付いてくると思ったんだが」
「助かったことには変わりないからな」
アッシュはいまだ元気のないクララを見ながら、「ただ」と付け足して話を続ける。
「どうしてああなったのか。それについては勘弁してくれないか。ちょっと込み入った事情があってさ」
「なにがあっても話す気はないということだね」
「悪いが」
無言のままニゲルと視線を交し合った。
淀みのない、深い黒色。
まるで自分の道を疑っていない目だ。
どれだけそうしていただろうか。
しばらくして、ニゲルが静かに息を吐いて力を抜いた。
「これだけは忠告しておこう。また島の秩序を乱すようなら、きみたちを追放せざるを得ない」
「さすがに追放する権利まではないんじゃないか」
「たしかにそうだね。だから追放するときは――」
再び向けられた、ニゲルの瞳。
そこにはたしかな敵意が宿っていた。
「力ずくということだ」





