◆第七話『混沌の酒場』
「あそこに行くのなんだか久しぶりな気がするー」
アッシュはクララとルナ、ラピスとともに夜道を歩いていた。
目的地はソレイユの酒場。
本日の昼、ヴァネッサと偶然出会った際に「久しぶりにチームで来ないか」と誘われたのだ。
「レオも来られればよかったんだけどね」
ルナが困ったように笑った。
チームで誘われたにもかかわらずレオはいない。
用事があるわけではなく、単純に些細かつくだらない理由だ。
「まぁあれは完全にレオが悪いからな……」
「本当に悪夢だったわ……」
ラピスが当時のことを思いだしたか、見るからに顔をしかめた。
少し前にもチームで招待されたことがあったのだが、そこでレオが酩酊状態へと突入し、全裸になってしまったのだ。ただでさえ男は特別に入れられていることもあり、当然のごとくレオは出禁になったというわけだった。
話しているうちに目的地に到着。
たたたっ、とクララが走りだし、酒場の扉を開け放った。
「マキナさん、きたよーっ」
「ララたん、いらっしゃーい!」
出迎えてくれたマキナと両手をあわせ、きゃっきゃと声をあげるクララ。相変わらずの仲良し具合だ。
そんな元気な2人をよそに、ユインがすっと顔を出した。短めの金髪を揺らしながら体を横に開き、中へと促してくる。
「どうぞ、みなさんこちらへ」
ユイン先導のもと、ソレイユの酒場へと入った。
全員ではないようだが、30人ほどとかなり多い。
いまや全員が知り合いとあって片手に持ったカップを挙げて迎えてくれる。
「ルナー、こっちこいよー」
「ルナちゃん、久しぶりにお話ししましょー」
マキナチームのザーラとレインが声をあげた。
すぐに応じようとしたルナだが、先にこちらへと視線を送ってきた。行ってもいいかを訊いているのだ。頷き返すと、ルナは「ありがと」と口にしてザーラたちの席へと向かった。
「アッシュさん、どうぞ」
ユインが椅子を引いて待ってくれていた。
悪いな、とアッシュは座る。
と、すすす、とどこからともなくオルヴィが現れた。
とても後衛とは思えない素早い動きだ。
「ではわたくしはアッシュさんのお隣に――なっ、ラピスさん!?」
「なに? 空いてたから座ったんだけど」
おかしいことはなにもない。
そう主張するように平然と答えるラピス。
まるでオルヴィの動きを悟っていたかのような、なめらかな割り込みだった。
オルヴィが悔しげに下唇を噛む。
「くっ、わたくしの席が……っ! ですが、本日はもてなす側……堪えるのですオルヴィ! それにまだお隣は空いて――」
もう片方――右隣にはユインがちょこんと座っていた。すでに用意していたのか、エール入りのカップを両手で丁寧に差し出してくる。
「どうぞ、アッシュさん」
「なにからなにまで悪いな、ユイン」
「いえ、これぐらい当然です」
その褐色の肌にほんのりと赤を浮かべながら誇らしげに答えるユイン。そのままのどかな時間が流れはじめるかと思いきや、オルヴィの必死な顔が視界に割り込んできた。
「ちょ、ちょっとユインさんっ! その席はわたくしが座ろうとしていたのですよ」
「でも座っていませんでした」
「ひぅ」
ユインの反論にオルヴィがなすすべなく打ちひしがれしまった。
いつもどおりの飛ばしっぷりもあって見守っていたが、さすがにこのままでは可哀相だ。アッシュは正面の席を横目に見つつ、優しく話しかける。
「オルヴィも座れよ。そこ、空いてるだろ」
「ま、真正面っ! つ、つまりわたくしと見つめあいながらお酒を飲みたいと、そういうことですのね。やはり正妻はこのオルヴィということで決ま――」
興奮したオルヴィが声を荒げる中、近くにきたヴァネッサが流れるように正面の席に座った。ごくごくと相変わらずのいい飲みっぷりを見せたのち、ぷはぁっと呼気をもらす。
「よく来たね。今日はあたしの奢りだ。たっぷりゆっくり飲んでいきな――って、そんな顔してどうしたんだい、オルヴィ? この世の終わりみたいじゃないか」
「ひ、ひどいです、ますたぁ……」
「冗談だ。ほら、座んな」
「マ、マスターっ!」
オルヴィが打って変わってぱあっと顔を明るくするや、飛び跳ねるようにして対面の席に座った。それから目が合えば大げさに照れては顔をそらしの繰り返しをはじめる。本当に初対面のときからは考えられないほどの変貌ぶりだ。
「隣、失礼するよ」
「どうぞご自由に」
席を空けたヴァネッサはラピスの隣に座っていた。
なんだかんだと短くないらしい付き合いの2人だ。
並んでいてもなにも違和感はなかった。
ソレイユメンバーの幾人かがこちらのチームの注文を聞き、飲み物を持ってきてくれた。テーブル内ではラピスとユインが果実ジュース。ほかは全員がエールだ。
アッシュは軽く喉を潤わせたのち、早速切り出す。
「今日はなにかあったのか?」
「とくに理由はないよ。大体、あたしらの仲で理由なんていらないだろう? ってなんだいラピス、そんな怖い顔して」
「……べつにそんな顔してないわ」
「だったらいいんだけどね」
ヴァネッサがラピスの嫉妬をいなしつつ、勝ち気な笑みを浮かべる。
「ま、強いていうなら10等級がどんなものか気になるぐらいだ」
「それ、わたしも気になります」
ユインも興味津々といった様子で乗ってきた。
普段はあまり訊いてこない彼女でも、やはり最高難度の階層は気になるようだ。
アッシュはカップを静かに置いた。
中で揺れるエールに10等級階層での戦闘を描くように思い出していく。
「とりあえず入口で狩れてる……と言いたいところだが、ずっと綱渡り状態だ。今日だって何度全滅しかけたかわからないぐらいだしな」
「入口で、ですか……わたしには想像もつきません」
そうしてユインがなんとも言えないような顔をする中、ヴァネッサは思案するように眉間に皺を寄せていた。おそらく自身が到達した際のことを考えているのだろう。
「9等級の序盤もかなり苦戦していたみたいだが、やっぱり比にならない感じかい?」
「ああ、とくにやばい奴がいてな。試練の主と連戦してるみたいな感じだ」
オートマトンも相当だが、やはり強さではシヴァが数段上だ。
あれが島の外に放たれたら、そのまま世界が滅んでもおかしくはない。
「とりあえずいま、あたしが思ってるより何倍もやばいってことはたしかだろうね」
ヴァネッサがもどかしそうに言った。
いずれにせよ、あの異様な空気感は伝えるには実際に体験してもらうほかない。
と、なにやらラピスがカップの取ってをぐっと握りしめていた。
「正直、なんとか狩れてるのもアッシュの力が大きいわ」
「全員でやっとって感じだろ」
「嘘。今日の終わりぐらいにはもう余裕できてたの、気づいてるんだから」
ラピスから鋭い目を向けられ、軽く肩をすくめた。
もっとも近くで見られていることもあってか、さすがに気づかれていたようだ。とはいえ、ひとりで確実に倒せるとはまだ言いがたい。甘く見ても半々といったところか。
「さすがわたくしのアッシュさんです……」
オルヴィが尊敬の眼差しを向けてくる。
そんな中、ユインがこちらの腰へと目を向けてきた。
「そういえば……ディバルさんから預かった長剣、使ってるんですね。その、昔のことは大丈夫なんですか?」
「たしか怪我をされて使えなくなったんでしたっけ。わたくしもそのお話は耳に挟んでおりましたわ」
続いてオルヴィからも疑念の目を向けられた。
アッシュは長剣の柄を軽く握りながら答える。
「あ~、色々あって克服できたってとこだ」
チームのメンバーには本当の理由を話している。
ほかに知っているのは、この場でヴァネッサだけだ。
彼女は戦士の血がうずいたか、挑戦的な笑みを向けてくる。
「アッシュの本気ってやつを一度見てみたいもんだね」
「本当にすごいんだから。ここにいる全員……ううん、島中の挑戦者が束になってもきっと勝てないわ」
そう力強い声で返したのはラピスだ。
高く評価してくれるのは嬉しいが、さすがに度が過ぎている。
「いや、それは盛りすぎだろ。って、ラピス?」
「盛ってないもん! わたしのアッシュはすごいのっ!」
いつの間にやら彼女の頬が赤らんでいた。
ラピスは「すごいのっ!」と可愛らしい子どものような声をあげつづける。アッシュは慌てて彼女のカップに口をつける。
「これ、酒入ってないぞ。場で酔ったのかよっ」
信じられないが、ラピスならありえそうだ。
これはレオとは違った理由で酒場出入り禁止にするしかない。
などと考えていたとき、怒涛の展開が押し寄せてきた。
「ず、ずるいですわ! アッシュさんに間接キッスをしてもらうなんて!」
「ア~シュた~ん、な~にしてるの~? あっちでいいことしーまーしょー!」
「きましたね、キス魔。今日こそ討伐してみせます……!」
「へへーん、いつもいつもやられるマキナちゃんではないですよーっと! うぉわっ! 待って待って! ユインちゃん、本気だめっ!」
「しとめます……っ」
金切り声をあげるオルヴィに本気の戦闘さながらの追いかけっこを始めるマキナとユイン。周囲の野次も加わり、騒がしさが何倍にも増した。
そんな酒場内の混沌とした空気がヴァネッサには極上のつまみとなったようだ。ひどく美味そうに酒をあおっていた。
「ははっ、やっぱりいいね! アッシュたちが来ると一気に賑やかになるよ!」
「これは賑やかすぎるけどな――って、ラピス、そろそろ落ちつけ……っ」
賑やかなのは嫌いではないし、むしろ好きなほうだ。
ただ、今回ばかりはシヴァとの戦闘並の疲労感を覚悟した。
「アッシュはすごいのっ!」





